聖書のみことばブログ3

He Loves me! His name is Jesus!!

もっとも大切なこと

2008-03-30 20:26:20 | みことばメール
本日、見事南花台キリスト教会で特別賛美とメッセージ奉仕です。

第1コリント第15章3節から・・・

ですがまず、その前にこの曲を賛美いたしました。

それよりも大事なこと
君の命があと1日だったとしたら君はいったい何をしますか
おいしいものをおなかいっぱい食べますか
それとももっとほかにありますか
でもでも それがいったいなにになるんだろうか
それよりもっと大事なことがあるとは思いませんか
もっと大事なこと それは君のつくり主をおぼえること
それが一番大切なこと

僕の命があと1日だったとしても僕はうろたえることはないだろう
おいしいものをおなかいっぱい食べるより
それよりもっと大切なものを
得たから それ以外になにがあるんだろうか
それほどにすばらしいことをそれほど大切なことを
この手に掴んだからそれは僕のつくり主をおぼえたこと
それが一番大切なこと
イエス様は僕のために死んでくれた イエス様は僕のためによみがえってくれた
僕の罪のためにだから僕は感謝している だから僕は死をおそれないんだ

第1コリント15章3節
私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと

もしも自分のいのちが一日しかなかったとしたら、人は、残された日々を諸欲を満たすために使うのか、といえば、ほとんどの人が違うことに使うそうだ。アンケートによれば「謝りそこねていた人に謝罪する」など、あとくされを残さないようにするという回答が多かったそうだ。可能な限りきよらかでありたい、と思うのは、死後に何かが待っているという未来観を抱いているからで、そういったところにも神様が働かれているからだ。
さて、死に対する勝利を与えてくださるのはイエス様で、
イエス様の死と復活があるから、信仰による救いを得られるのだ。
十字架の死は壮絶で、イエス様が受けられた苦しみは
目を覆わんばかりの残酷さだ。
一方で復活は、歴史的事実である。
聖書の記述では、復活の第一発見者は女性であったと記録されている。
実は女性の証言は当時軽んじられていた。
事実を証明するにはあまりにも証言として訴えかけが弱い。
では、なぜ強力に訴えかけねばならないこの復活の事実について、
いわば都合の悪い方法が選択され記録されているのだろうか。
あくまで「事実」を優先しえ追及したからだ。
事実をありのままにして伝えているのが聖書だからだ。

イエス様の愛は、死ぬほどの愛なので、掛け値なしの愛といえる。
事実である、ということは、本物、ということだ。

掛け値なしの本物の愛、これこそが神様の愛だ。感謝しよう。

明日の礼拝は特別賛美とセットで

2008-03-29 10:05:29 | ふと、思うこと・・・
明日は南花台キリスト教会でのメッセージ奉仕です。

18歳の頃からギターを覚え、作曲などもして自分の喜びを自己表現してまいりました。賛美とは・・・神様をたたえながら、証と伝道と、神様の成長さしめてくださることの確認でもあります。

生きがい

に等しいですね。

砕かれて、謙遜に、神様をたたえ感謝をしようと昨日から備え中です。

普段から南花台キリスト教会で奉仕されている兄弟と昨夜・・・というか本日未明から3時間ほど練習。

セレクトした曲は・・・

1.イエス我がすべて(いのちのパン)
2.それよりも大事なこと(大府キリスト教会の姉妹方の自作)
3.愛するが故(自作)
4.イエスの言葉に(松岡先生自作)

ノルウェー調の教会で、木の壁の反響のなか・・・すばらしい環境で賛美の奉仕と語る奉仕が備えられて感謝です。

一同が礼拝のなかでともに感謝と喜びのうちにありますように。

短めの詩である3を紹介いたしたいと思います。

愛するが故

愛するが故に十字架にかかりたる
愛するが故によみがえり見せたる

かつて救い主は身代わりとなりて
カルバリの丘の上 裁きの座に上った
手足には釘のあと 傷口から血が流れ出し 
その血潮によってあがないとされた
苦しみ悲しみ痛みは限りなく
愛するが故に救い主は裁き成就された

救い主の名前 イエス・キリスト
三日目の朝早く 墓のなかに姿はなし
重い岩は動かされ あまぬのだけが置かれていた
その復活によって奇蹟を示された
喜び平安救いはそこにあり
愛するが故に救い主は救い完成された

愛するが故に十字架にかかりたる
愛するが故によみがえり見せたる

本当の献体の心・・・ッ!

2008-03-22 21:28:59 | ふと、思うこと・・・
医学会の発展のために寄与しようと、死後の自らの遺体を解剖や研究目的のために、献体したいという運動が高揚しているらしい

それを非難しはしない。ただ「日本人の死生観が変わったから」ということで解決してよいのか?それは・・・結局のところ、「死んだら終わり」という方程式からは何も脱却していない。
死んだら終わりか?
献体をすることで、自分の命の重さを量っていないか?
それで、自分が感じるところの死と生の意味を量っていないか?
自分の死、これを誰かのために使えないか・・・という・・・いわば「エゴ」に近い発想ではないか?
自分の死を誰かのために・・・・
っていっても、その誰かから、死ぬことへの不安を取り除いてやっているわけではないだろう?
死を美化することに他ならない。「どうせ死ぬ身なのだから」と腹をくくって・・・それゆえの決心だから
その決心やよし・・・という捉え方なら・・・

どうせ死ぬ身

に、大人子供、若年、老年・・・わけ隔てなく、オール人類にいえることではないか?

死と向き合う

そして、

必ず、死ななければならない・・・のは・・・

今も、昔も、変わらない。
申し訳ない言い方だが・・・「死生観が変わった」わけではないだろう
まだ、人類が、自らの知識や経験で、答えをみつけていないだけだ。
だから、美化しようとしているだけだ・・・
そんな気がする。


そこで、いのちのルーツである創造主なるまことの神様、聖書はなんと語っているのか?

・人間には一度死ぬことと死後に裁きを受けることが定まっている。
・すべての人は罪を犯した

とある。これだけでは絶望以外のなにものでもない。
ただ、こうも書かれている。

・永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。
・御子(イエス・キリスト)を信じる者は裁かれない。
・御子(イエス・キリスト)を信じる者は永遠のいのちをもつ
・私の助けは、天地をつくられた主からくる。

何が大事か・・・何を、何に、ささげるのか?



私たちは、自分の死後の体を人類の遺産として後だしでささげてはならない。

今、

この身を、人生を、神様にささげるのだ。


なぜなら、主は、いのちの主・・・・だからだッ・・・・!!

主の良くしてくださったことを・・・

2008-03-21 21:30:46 | みことばメール
主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな(詩篇103:2)

処世術の言葉のひとつに「よくないことは忘れよう」など、心がけてきな言葉がありますね。

その逆・・・

では、「良くしてくださったこと」とは何だろう・・・

物事の良し悪し・・・

何が基準で「良く」、何が基準で「悪しき」となるのでしょう。

実は、それを決めているのは「自分」では、ありませんか??

言い換えるならば、自分にとって都合のよいことは「良い」が、都合の悪いことは「悪しき」となるのでしょうか?

そうであるならば、人生は解釈次第で、暗黒にもなれば薔薇色にもなります。

でも

そう簡単に、物事を都合よく解釈できないのが人間というもの。

自分の都合や自分の解釈に振り回されず、どんな状況であっても、何があっても、

これぞ、よきもの。

心地よければ感謝。つらいことでも感謝。

なぜなら、神様が私を愛し、導いてくださっているから。

ドル安とユーロ高に思う

2008-03-20 23:13:10 | ふと、思うこと・・・
聖書の終末預言のとおりの世界になってきたように思います。
世界の警察官だったアメリカが、サブプライム問題で衰退
もともと軍事利用専門だったインターネットが経済社会に入り込んだことでヨーロッパ諸国が団結し、経済力もUP。簡単にいうと、ITによって勝ち組となり、
共産主義の唯物論的世界観で政治をコントロールし、アナクロな国家といわれていたあの中国が脅威となり、

誰も想像していなかったことなのに

聖書が語っていたとおりの世界になっている。

あとは中東問題がどう動くか?だな。

解決の糸口が見えかけているころに・・・

キリスト信者は残らず天に挙げられているのかと思えば・・・


日常の些細なことにやきもきするよりは、

神様のために労し、時には屈辱的な状態に至る方を選択する

そういった人生としたいね。

こうはいっててもなかなか動かぬ怠け者の私

決心+行動

原動力は神様からいただくとしよう。