正吼の日記

日々の何気無い事を綴って行きますのでよろしくお願いします。

コンクール

2011年05月09日 22時43分24秒 | 舞踊
今回、正吼は剣詩舞のコンクールに出場します。
吟題は従軍行(二)王 昌齢(おう しょうれい)

青海の長雲雪山暗し
孤城遙かに望む玉門関
黄沙百戦金甲を穿つも
楼蘭を破らざれば終に還らじ


(詩文解釈)
 この作者、王 昌齢は盛唐の詩人。出身は京兆(長安)とも江寧(南京)とも言われるが、開元15年(727)に進士に及第して各地に赴任したが、
安禄山の乱の際に郷里に帰り、刺史閭宮暁に殺された。彼は、七言絶句の名手として同時代の李白と並び称されていたが、特に「従軍行」や「出塞行」
などの辺塞詩にすぐれ、生涯一度も西城に足を踏み入れた事も、戦争の経験の無い王 昌齢が遙か彼方の陣中の将兵に思いを馳せて、前線の緊迫感を詠んだ。
因みに王昌齢の「従軍行」は七首あって、この作品もその一つであります。
 詩文は、前二句が情景、後二句は塞外の激しい戦いの経過を述べている。まず塞外の最前線の孤城にのぼって遙か遠くを望めば、目前の青海湖(中国最大の塩湖)
の北には雪山(祁連山山脈)が、たれ込んだ暗雲に遮られて見え隠れするが尚、その遠方には故国と前線をへだてる玉門関が見えるはずである。
 さて後半は敦煌の町から西北85㌔離れた玉門関の関所。ここは中国王朝にとっては西端の防衛拠点であり、既にこの黄沙の洗浄ではいくたびも激しい
戦いが繰り返されて、西に出征してきた兵士達の固い鎧は孔(あな)だらけになり、如何に苦しい戦いだった事がわかる。しかし、王朝側の兵士にとっては
西から攻めて来る匈奴の戦力を断ち切るために、玉門関関の更に西580㌔も沙漠を進んだ楼蘭(前漢の時代に栄えた小独立国)を陥し入れない限り故郷には
帰還出来ないと心情を述べている。

これだけの深い意味合いを約2分チョイで表現します。
毎回、思いますが    深い~

でもコンクールなので頑張って演じ切りたいと思います!!