パーソナリティ障害をもつ娘とともに

大学休学中の娘がいます。カウンセリング・薬物療法を行い、親子共々苦しい生活を送っています。

おっしゃるとおり(反省)

2008-04-07 13:46:05 | Weblog
感情の嵐で、自分の苦しみを吐露してしまった。それについて、一番辛いのは彼氏じゃないですか?というコメントを頂いた。確かにおっしゃるとおりで、第3者から見たら、当然の見解であったと痛感した。
いろいろな事が身にふりかかると、人間は自分の苦しみに敏感になる。でも一般の人間はその嵐が治まると、自分以外の苦しみに目を向けることができる。

しかし、この障害をもつと、自らを振り返って、次に生かす事がなかなか容易ではない。そこをなかなか本人も周囲も理解することはできない。カウンセリングとお薬と周囲のサポートで時間をかけていくしかないのだと思っている。

明日は叔母のリハビリ病院への転院がひかえている。土日もその準備に追われ、付け加えて娘の復学に伴う諸準備、不安定さに付き合い、年度初めの仕事に追われて公私ともども忙しい。言い訳になるけど全く休めない、女性は人の子として、母として主婦として、嫁として職業人としていくつもの顔といくつも役割を話さなければならない。荷物は重くなるばかりの気がする。

それでも、やはり自分は他に対して配慮が欠けていたと反省する。辛いには自分だけじゃない。おっしゃるとおり、反省して、また前進しようと思う。

感情の嵐

2008-04-02 15:25:58 | Weblog
昨晩は久しぶりの嵐
明日は復学者ガイダンス。前向きになったかと思えば、突然、やめる理由はいくらでもある、しかしやめるデメリットはひとつしかない、それでもそれが重くのしかかるのだと言って荒れる事、荒れること
最終的には彼氏にあたる。彼は就職して新しい環境で疲れている、発熱・腹痛(彼はお腹が弱いのだ)それなのに電話で泣くは怒鳴るは、大騒ぎ
大学に行かなくても付き合っていくと言ってくれない、大学に行かなくてもいいよと言ってくれない、早く結婚しようと言ってくれない。彼の言動で私は情緒不安定になるのだ、と2階の寝室にいる私達の部屋まで怒声は響き渡る。
夫は二人の問題は二人で解決するしかないから黙っているしかない、とは言うけれど二人の問題ばかりではない部分で争っているのだから、しかし親は何もすることはできなかった。ふたりでただただ心を痛めて暗い部屋で沈黙を守っていた。

もういいよ。やめる?それとも休学する?と問いかけても娘の怒声はおさまらないだろう。カウンセラーからのメールは大学に戻るのは重いプレッシャー、それを言葉にして吐き出して自分の中で抱え込もうと頑張っているのだと思う。辛い中本当に頑張っているのだと感じます、という内容だった。

自分をわかってくれる人の存在は娘にとって大きいのだろう。確かに私もこの重い問題を抱え日常を過ごすのは辛い。昨晩は死にたくなった情けないことに

疲れたあ

2008-04-01 16:52:47 | Weblog
いよいよ4月になりました。冬型になって気温も下がり、今日は台風のような強風が吹き荒れています。
叔母の入院のため、勤め帰りによる病院、土日の休みに行く病院、人からみたらほんの少しのじかんじゃない?って思われるかもしれないけど、けっこう体に応えます。
仕事は長年しているから少しは手も抜く方法もわかるけど、家庭の毎日のこと、不測の事態にはなかなか対応するのに疲れます。

娘は臨床心理士さんのメアドを教えてもらい、メールを交換しています。親ばかかかもしれませんが昨年の4月から1週間に1度、50分、一度も休まずカウンセリングに通い1ヶ月に1度主治医と面談も1年半続いています。これは娘にとって継続した唯一のこと。どんな小さなことでも、効果の有無にかかわらずうれしいことのひとつです。

さてさて、この1か月どういう日々になるのやら。心配してもしなくても事態は変わらないのなら、普通に過ごして行きたいものだと思います。
それにしても数種類の薬を服用してる割には疲れるし、右半身だけむくみがとれず落ち込む中年の私、まあぼちぼち行こうと思います。

もういいかあ

2008-03-28 10:19:42 | Weblog
今日は娘の主治医と面談の日。一ヶ月はあっという間だ。復学願いを出したけれどやっぱりもう大学には行きたくないという。
あえていうなら、最後の1年間は母親の私のほうが大学という存在に一番こだわっていたかもしれない。
それでもまだ潔く、辞めればとは心から言えない意気地なしの自分がいる。
昨晩はいろいろとあって娘のメールや着信に応えられなかった。午後4時あたりから音信不通になった母親に不安になったみたいだ。娘のメールの反応しないことはほとんだなかった。
娘はパパや私の母にも連絡したらしい。夫も忙しさから電話には出ず、母は何も聞いていないという返答をしたらしい。
それで娘は、ついにママは倒れたというように思い彼女なりに心配し続けていたようだ。

22歳の娘なら親のことを心配するのは普通のことだろうが、こうやって親のことも心配するのだといまさらながら感心した。

しかし体調は悪い。それでもなんの希望も見出せないが主治医と娘と会うために上京する。さあ気合をいれて駅まで歩こう。おばのこともあって仕事に穴を開けている。でも仕事があるからまだ気がまぎれる そう思ってがんばろう。

大学かあ、やっぱり行って欲しいなあ(親のエゴだとしても)

こんなにいろいろ重なると~

2008-03-24 10:25:54 | Weblog
この10日間は激動だった。人間は失ってみないとわからないもんだね。
娘の事と自分の家庭のことだけで悩んでいられるってことは幸せなことだったのかもしれないとまで思えるような感じだ

それはまず兄嫁の脳腫瘍のオペ、これは大成功術後の経過も良くて一安心、それにまつわる様々な厄介ごとはあったけれど

その後うれしいこと、甥の結婚式、しかしそういう場は娘に凶と出るか吉とでるか、やってみないとわからない。とりあえず凶とはでなかった。
しかし、その会場で倒れた方がおり招待した親戚として救急車に乗り込んだ。
そこから私たち夫婦の救急生活は開始。
その方のご家族が到着されるまで2~3時間披露宴の礼装で病院まち。娘は振り袖姿だから自動車で待ち

それから私の携帯が鳴る母から、母の妹(独身・一人暮らし)
転倒し4日間たっても起き上がれないえ~ずっと黙ってたの?どうして?いったいどうしたの?母のいうことも支離滅裂。今の私たちは自宅から車で2時間離れた場所にいるんだよ~

そして着替えて駆けつけると、ものすごく悲惨な状態、意識はもうろう。失禁状態年寄りが年寄りを見てるとこんなことになるんだね。叔母と母は一緒に住んではいないから、どうやってここまで連れてきたんだろう?

とにかく救急車要請、詳しいことを聞かれててもこちらは答えようがない。救急の医師やナースには(特にナースは私が娘と思い、叱責する)まあ仕方がないけれど、ちょっと、数年間も会っていない叔母のことでいろいろ言われても対応はできかねる(私には兄が3人いるけど、みんな遠くに行ってしまった)そして、地元に残った私に良い感情を持っていない。親も近くにいる私には面倒をかける気はないからと兄達に言い、兄たちは現状をしらないから親は一人で迷惑をかけずに生活していると思っている。5年前に父を看取り葬儀をしたけれど、なんだかな~という感じだった。彼らは浮世離れしたことを言っている。それはそれでいいけれど、地元に残された私はそうはいかないんだよね。

叔母は認知症というのではなく、若い頃は働いていたけれど、人と争うことはないけれど、普通の人間関係や社会生活を送れていなかった。私の母の庇護のもとに生活していた。母が存命中はよいけれど金銭的にきついことは目に見えている。
そしてもう自立歩行は望めないかもしれない。
勤務しながら、娘を安じながら毎日病院に通う。そしてこれからの方策や受けられるサービスを調べている。夫も協力してくれるが、私の心身はそろそろ限界だ、限界を超えても代わりはいないのだから

心で思う、物事の嫌な面をみても落ち込んでも1日、良い面をみて生きても1日
自分の生きている時間をどうせなら楽しくいきる方向に力を使おうそう思いつつ、ここで弱音を吐いている

反応

2008-03-12 00:11:40 | Weblog
相変わらず、行動化は続いている。主治医からすれば行動化は本人がもっとも危険な行為(自殺とか)から身を守るために行っているの可能性もあるとのこと。
いわば一種のアレルギー反応で、一度くしゃみがでたら1回では収まらず何回かくしゃみが出てしまう。そんなものだと捕らえることもひとつの考え方だという。
おりしも花粉の季節、確かにくしゃみは1度では収まらないかもなどと妙に納得してしまう。
このところ兄嫁の手術も近くあわただしい毎日だ。相当なリスクを伴うものと主治医から告げられている。でも彼女はくよくよしていないように見える。心のうちはわからないけれど、結構前向きだ。確かにくよくよしたところで事態は好転しないだろう。同じ状況なら物事を明るく考えるこということを彼女から学んだ気がする。祈ることしかできないが、心から成功を祈っている。

私も2ヵ月後には検査が待っている。最初のころよりかなり気持ちが落ち着いた。
自分のことより娘の境界反応、行動化に苦しんでいる。これは私の努力ではどうにもならないからだ。
しかし、これだってくよくよ考えても事態は好転しない。それどころか私の体調に悪影響だ。昨晩はほとんど眠れなかった。仕事も今佳境に入っていて今日の会議は本当に疲れた。なかなか自分の本意を伝えることは難しい。

娘のくしゃみはいつごろ治まってくれるのだろう。

またまたトラブル

2008-03-08 23:52:31 | Weblog
4月から大学に復学すると決めて復学願を提出、これから前向きに頑張る、人のペースト自分のペースは違うことに気がついたから、と言っていた娘。今までの経験から鵜呑みにはできないけれど、少し希望を持てた気がしていた。
ミクシーで知り合った同じ大学でしかも同郷の先輩に2~3回ほど会って励まされていた。もちろん男性だから娘の彼は会うことに対して反対いていた。
昨日は4月からの大学復帰について、特に勉強から離れていた娘は授業の不安、単位の修得の不安について相談するつもりでその人に会う約束をしていた。しかしこのところ不安定だった娘はミクシーに自分のこだわりの強い日記を書いていた。
その人からしたら娘のためを思った助言だったかもしれないが、この障害を持つ娘にとっては耐えられない暴言にきこえたのだと思う。
しかも娘は面と向かってその時点で反論できず、黙って聞くタイプだ。だからその人からすれば娘は納得して帰ったとおもったに違いない。

娘は着信拒否をして罵詈雑言のメールを2回送信した。いつものパターンで自分がいかに傷ついたかを私と彼氏に訴え、それを諭されると近くにいた彼氏にあたりちらした。ここまでくると完全にボーダー反応だ。今日は兄嫁の見舞いに行っていた私たち夫婦はあまり動揺しなかった。

かなり難しい部分のできた脳腫瘍、命にもかかわる病を目の前にして娘のトラブルは命には別状なしだ。そして私も2ヶ月後には同様な検査が待っている。

でも、私の生命にもしもことがあり、余命を感じながら生きていく段階になる前にできるなら落ち着いて欲しいとも思う。人間の生命は限りがあるのだ。しかし娘も病に侵されている。外見からははかりしれない障害の持ち主なのだ。でも一般的な対応ではかえって増悪する可能性がたかい。トラブルに一喜一憂しないようにしていきたいと思いつつ。またまたトラブルだよ~と思ってしまう自分がいる。

今日は主治医の面談

2008-02-29 09:29:44 | Weblog
今日は1ヶ月に1度の面談の日。なんだか体調が悪くてでかけるのも億劫だが、仕事も休んで気分転換のつもりででかけよう。
どうせいくのなら前向きに

そうはいっても娘の休学の理屈や自分がどれだけ辛いかを聞かされるのも、疲れるなあ。

まあ元気出していってきます。

4月からどうしよう

2008-02-27 18:33:23 | Weblog
いよいよ休学期間も切れる。さあ4月からどうなるんだろう?5月には私の再検査もあるし、
まだ行く場所があることが救いだけれど、そろそろラストチャンスなんだろうなあ。
どこかで区切りをつけなければ、娘はきっと引くにも引けず、進むに進めずってところだろうか。
大学にいってもきっとトラブルを起こし、またその収拾に追われるのかなあ?でも少しは(本当にほんの少しかもしれないけれど)前の経験を生かしていけるのかなあ?やめてしまったらずっと自宅にいて無為徒食の生活を送るのかなあ?

そしたら私はどうしたいいんだろう。仕事に行って、可能な限り働いて、自分の好きな事が少しはできるんだろうか?
主治医は生きてさえいればいいと思いなさい、とは言うけれど、私自身も自分についてそう思うレベルだから、我が子であっても支え切れないかもしれない。

その時はその時、後は夫にまかせよう。
でも、その時がくるまでは頑張ろう。 それにしても4月からどうしたものだろう。
最終的には娘が決めて、行動して、その結果も責任も本人がとるのだろうけれど。

2月もそろそろ終盤

2008-02-26 18:38:23 | Weblog
春一番が吹き荒れたここ数日。娘の中でも春一番?が吹き荒れているのかもしれない。春一番はこれから春がくるのだからいい兆しなのだろうけれど
こればかりはどうとらえたらいいのかわからない。

私の体調はあまり良くない、体力より気力がだいぶ衰えたように思う。でも毎日普通に暮らすことを心がけている。コメントで厳しいお言葉を頂いてちょこっとへこんだけれど、相変わらずの日々を読めば普通の感覚の方なら当然の反応とも思っている。世間の方はきっと娘のような障害を理解するのは難しいし、親の対応にも歯がゆさを感じられてもしかるべきだと思っている。しかし公開するのは控えさせていただいた。ご不快に思われたならここでお詫びしておく。

私の方は少し希望のもてる状態になってきている。だからこそ少し疲れてしまったのだと思う。緊張が続くとふっと力を抜いたつもりでもかなりのびきったゴムのようになってしまうのかもしれない。

贅沢かもしれないけれど、さほどの心配もなく眠り目覚め1日を送ってみたいものだ。それが送れていたころには、そのありがたさに気がつきもしなかった自分がいる。
毎日を生きていられることに感謝して過ごしていきたい(これは理想論かな

それでも望みを持つことが希望だと思う今日この頃、さあそろそろ帰宅して主婦をしよう。今日も1日よく頑張ったと自分をほめながら