[0]kurodabusi 07/02/19 20:19 tp6O.iTl8N
柔道技法を合気道(術)に、
合気道(術)技法を柔道に
応用できるでしょうか?
[1]あらら 07/02/19 21:26 *kEItiU3hbWP*fzU8Ctn7Tv
>>0
はじめまして、組み技総合スレのあららと申します。
面白そうなテーマなので食いつかせていただきました。
研究のし甲斐がありそうですねー。
[2]kurodabusi 07/02/19 21:48 tp6O.iTl8N
この「テーマ」で発言して頂ける方は
多分少ないとは思いますが。。
。。
あららさんは格闘技に詳しい方のようだし、
柔道スレでも参考にさせてもらってます。
三船十段の「空気投げ」が合気技法に近い発想に
思えますが、柔道界での評価とは?
柔道三段だった塩田剛三氏が何故簡単に植芝翁に
投げられたのか?疑問を持っています。
あららさんのご意見をお聞かせください。
[3]あらら 07/02/19 22:49 *kEItiU3hbWP*fzU8Ctn7Tv
空気投げも、相撲でいう寄り戻しも同じ技法だと思います、
外見上は合気に見えなくもないですが、僕の感覚では純粋な
合気ではないような気がします。
「気がします」といったのは空気投げを映像でしか見たことがなく、
実際にできる方にお会いしたことがないからです。
僕にはどちらかと言うと体落しの技法に近いようにおもえてなりません。
柔道界では空気投げは形の中だけに残っている技法としてしか認識されて
いないのが現状でしょうね。
それは山嵐や天狗投げなども同様です。
せっかく先駆者たちがいろいろな研究のヒントを散りばめてくれているのに
残念ですね。
柔道は崩し→掛け→投げという今までの武道の中では
奥義に近かった「崩し」の概念がまず最初に来ています。
実際、合気の技法にも様々なものがあるでしょうが、
合気道は掛け・受けと同時に崩しが来ている技法があったり、
掛け・投げが一緒に来たりと奥が深いです。
塩田先生のお話も良く伺いますよね。
柔道で崩し→掛け→投げをみっちり練習してきている人は最初にまず、
組み手争い・つくりから入るのではないかと思います。
しかし植芝先生クラスの方になると、柔道の常識が一切
通用しなかったばかりか自分がいとも簡単に崩されたり、
組んだ瞬間、もう掛けは終了していたりと植芝先生の言われる
呼吸力を存分に発揮されたゆえとしか想像できません。
僕は合気道において植芝先生は達人と思いますが塩田先生は
名手であると思っています。
沖縄の本部御殿手の上原翁もそうですが、達人といわれる人は
やはり筆舌に尽くしがたい神技といわれるものを繰り出されます。
しかし達人も飽きるほどの鍛錬と練磨によってその腕を磨いていたことは
創造に硬いです。
僕の柔道の師匠は富木謙治先生の弟子筋だった方なので合気に関しても
一過言お持ちでした。
富木先生の日本合気道協会では合気の乱取りをしておられるそうですので、
これは多分、塩田先生の合気や植芝先生の合気とも違う技法だったのでは
ないかと思われます。
そのため僕は合気道にはちょっと穿った目を持っているのかも知れません。
ちょっと今、体調を崩しているもので乱文になってしまいすみません。
寝込みながら書いているものでヘンテコじゃなければいいのですが。
[4]kurodabusi 07/02/20 09:36 tp6O.iTl8N
柔道と合気道の融合化を型に迄研究された
富木謙治氏を探れば幾らかこのテーマは
確立できそうですね。
合気道が「組み付かせない」技法にポイントを置き
柔道が「組み付かせて」の技法に重点を置いての
攻防からして、「融合テーマ」にはすこし無理があったかな。。。
仮に
柔道試合で相手の右掴み手を「合気捻り」に取り、
足払いで倒した場合、審判の判断は?
こうした部分的な使い方は可能でしょうか?
::::::::::
塩田剛三氏が植芝翁に掛けた攻撃技法は「蹴り技」
だったらしく「股の間をチョロチョロとやられたら
数間飛ばされた」ようですね。又どうして柔道の
襟掴みでなく空手式の慣れない蹴りなど使ったのか
・引き足が遅いとあっさり、入り身で投げれられる
可能性は大きいかったと思えます。
掴み襟でも多分、別の技で投げられていたとは
推測できますけど。。。
「空気投げ」は「崩し」さえ「理」にあえば、
足払いの付かない「山アラシ」の西郷技でも出来そうに思えます。
西郷四郎が頼母から伝授されたであろう
「御式内=合気道の源流」を応用したら、あるいは柔道+合気術=
「独自の武術体系」が他にできていたかも知れないと思えます。
[5]あおび 07/02/20 19:15 XafA530WFf
空気投げの放てる年配の先生をお1人だけ存じてまして
今その先生に習ってます。
その先生は膝車も得意とされますので
多分空気投げは膝車の引き手形態なのじゃないかと思いますが
いかがでしょうか。
あれは合気や合気道的と謂うのでしょうか
確かに相手の力を巧みに貰ってる感じにみえます。
[6]kurodabusi 07/02/20 19:51 tp6O.iTl8N
http://cortro.net/m/2006/10/post_206.html
自分には上の見本で、
三船十段のは左の引き手を相手の右小手上から巻くように
下げ、右手は相手の左脇腹に当て上げ、重心をやや下げるように
体を沈めて、「呼吸投げ」のような投げ方に見えますが。。
あららさんならもっと的確に意見を言えるかも。。。
[7]kurodabusi 07/02/21 08:13 tp6O.iTl8N
三船十段の動画を観て、何方か感想なり
ご意見は?現代柔道との違いを言える方いますか?
[8]あらら 07/02/22 09:54 *kEItiU3hbWP*WXzabGu.Rp
ちょっと話が違ってしまうかもしれませんが、
「国際ルールに則った近代柔道はもはや武道ではない。」
という持論が僕にはあります。
オリンピックなどを見ていても国際ルールでの柔道は力の強い者・身体の大きい者が有利になっている。レスリングや相撲やモンゴルのブフに似た要素が多すぎるんですね。
それはとりもなおさず、柔道が「世界の」柔道になるために必要な要素だったのかもしれません。でも、その中で武道としての牙を削ぎ落としてしまったことは損失以外のなにものでもないと思います。
嘉納先生がスポーツとして思い描き、誰もが体育教練として学校で習う、そんな柔道があったとしても別に構やしないとは思うのですが、だからといって「危険」「習得しにくい」ことを理由に柔道を型にはめてしまったことが本当の意味で柔道の発展になったのかどうか僕には甚だ疑問に思えます。
近代柔道の流れから見ると三船先生の空気投げはちょっと使用できるシチュエーションにはなかなかさせてもらえないのではないでしょうか。
柔道の組み合いの中に合気道の技法を織り交ぜて行くにしても小手返しや入り身などの技法がどこまで食い込んで使用できるか今後の研究課題でしょう。
もっとも富木先生は実に上手く取り入れておられたようですが、あの頃の自然体で立って組んで崩して投げるという柔道こそが柔道の本質だとすると今のオリンピックで行なわれている柔道はまるで別の競技に見えます。
「柔よく剛を制す」これを実践していくためにも今後、合気の技法は切っても切り離せないものになっていくのではないでしょうか。
>柔道試合で相手の右掴み手を「合気捻り」に取り、
>足払いで倒した場合、審判の判断は?
>こうした部分的な使い方は可能でしょうか?
Kurodabusiさんの言われるような合気道の部分的な使い方が今後の柔道発展に寄与できるのではないかと思います。
・・・しかし、現代社会において本当に武道はいったいどこに行ってしまうのでしょうね?
[9]かるー 07/02/22 13:05 eDFShl90un
どのような武術でも、広範に広めようとすれば まず「危険の回避」が第一義となります。
「危険の回避」なくして不特定多数の中に定着させるのは不可能であります。
当然、より有効なダメージを与える技は「制御」が難しく、死傷の確立が高まるため「禁じ手」となり、封印され、忘れさられていく運命ですね。
結果、有効な技は無くなり、誰もが安全に楽しめるスポーツとなっていきます。
有効な技が無いため、自然界の法則通り ウエイトが決定的に勝敗を左右するようになる。
それが、現在の柔道ではないでしょうか?
ゆえに、間接を捻りながら投げを打つという、制御の難しい技は「危険技」として認められないと考えます。
加納先生以来、年数を費やして、誰もが楽しめる安全なスポーツに仕上げてきたものを、今から逆行させていくのは不可能でしょうね。
[10]kurodabusi 07/02/22 18:16 tp6O.iTl8N
柔道は少し齧った程度の自分にも
「ウエイト」が決定的に勝敗を左右するようになる
柔道の方向性が理解できました。
「かにバサミ」で怪我したら「危険技」と看做されたし、
もし、「締め技」などで死亡事故でも起きれば、
この技法も追放されてしまうかも知れませんね。
今後、
柔道はレスリングスタイルに近い競技スポーツ化して
「牙を抜かれたライオン」並みに
ますます武道的要素は失われて行く。。ということでしょうか・
[14]kurodabusi 07/02/23 18:49 tp6O.iTl8N
[押せば引け、引けば押せ」の原理を
柔道では主に身体的崩しに、
合気道では心理的崩しに、
応用している感じがします。
馴れ合いみたいに見える
「合気力」が
柔道試合に使えると
思えますか?
[15]かるー 07/02/23 19:42 eDFShl90un
あくまで私の私感ですが、柔道と合気道では技の成り立ちと言うか、スタンスに決定的な違いがあるように思います。
柔道は技の成り立ちが1対1で試合する前提であり、合気道は複数を相手にする前提ではないでしょうか?
一人の相手とじっくり組んで崩し合う柔道と、同時に襲い掛かる第2・第3の相手に備えるために、より短時間で技を完結しようとする合気道。
そんな違いがあるように思えます。
余談ですが、柔道・空手に疑問を持ち、より実践的な武術を求めた果てに、ある古流の武術家とご縁を結ぶ機会がありました。
その修練の数年間は、打撲・骨折・筋断裂はあたりまえで、骨折したらしたで、その部位を使わずにいかに戦うかの修練を賜り、苦しくも幸せな期間を過ごさせていただきました。
しかしながら、修練も進み、奥義に近づくにつれ、「死」が頭をよぎる回数が増えていったのです。人を効率よく殺傷する技ですから、当然と言えば当然の事ですが。
当時、結婚したばかりだった私には その先の世界に足を踏み入れる覚悟ができず、師には失礼な結果と相成りました。
ことほど左様に 社会生活を続けながらの真の実践武術の修練は難しく、ゆえに武術が社会で生き残るためには 現在のスポーツ化が必然だったのだと思います。
[16]kurodabusi 07/02/23 20:11 tp6O.iTl8N
現代で「死」を感じる様な武術?
忍者修行みたいな厳しさのある武術かな。
[17]拉麺 07/02/23 20:50 mah4tvpTZJ
合気道を、究極化させたら、気合だけで相手を吹き飛ばしたりできるんでは・・・
[18]kurodabusi 07/02/23 21:30 tp6O.iTl8N
一理あるなア。。。
[19]kurodabusi 07/02/23 21:39 tp6O.iTl8N
「合気は気合とはちがう。合気道では気合というものはいらん。
合気道はこっちからは攻めていかん武道やさけ、その必要がないのや。合気道でいう合気は、宇宙の気にあわすことや。」
と書いてある本もあったな。。
でも「気の操作」は声にするか、しないかの
違いだけかな?
[20]拉麺 07/02/24 09:24 mah4tvpTZJ
難しいんですね。
[21]13 07/02/24 11:13 7ESXfzwtKj
合気力が柔道に使えるかですが
くだんの90歳まで抑えられて返してた先生は
合気道でも唯授独り御信用之手という段階をゆるされたそうですので
やはり高く深いレベルでは両者の垣根が低いと謂えるかも知れません。
[22]kurodabusi 07/02/24 11:15 tp6O.iTl8N
柔道の吉田秀彦が「気」の先生に離れた距離で
「よろめかされる」のを以前TVで見た。
吉田本人が「ヤラセ」でないことを言って
いた様だが見た?
あれが本当なら、あなたの理論も間違いではない。
[23]拉麺 07/02/24 14:12 mah4tvpTZJ
僕がやってもらおう!
[24]kurodabusi 07/02/24 14:31 tp6O.iTl8N
「気」の先生でも負けることもあるから、
実証が難しいと思う。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E9%BE%8D%E6%8B%B3
[25]21 07/02/24 15:08 7ESXfSWoeQ
65歳ですか・・・
そのご高齢で乱捕り(試合の型)をされておらず
古式の型オンリーのご稽古(で良いのですよね?)
というのは
技が実戦で効くのかの普遍的な問題ではなくて
単純な話厳しいかと思います。
[26]あらら 07/02/24 17:27 *kEItiU3hbWP*C.jNPXXvxh
氣の概念はメチャメチャ難しいですねー。
僕は東洋医学を学んでいる時に気功科の人間にいろいろしてもらいましたが、施療に使う氣はなんとなく感覚的に実感できたのですが、武術の気功は未だ経験ありません。
ただ中国拳法の武術の中であれだけ歴史をつなげてきた気功が一言で言い切れるほど軽くは無いと思います。
ま 歴史がそのまま「すごい事」とは思いませんが・・・。
少なくとも施療に使われる氣は僕には使えませんが感じるだけは出来たので(効果の程はよくわかりません。)存在だけはあると思っています。
歯切れが悪くてすみませんね。
このテーマは深遠すぎます。
[27]kurodabusi 07/02/24 17:53 tp6O.iTl8N
「気」の研究もこのスレの一部と解釈して結構ですよ。
武術としての「気」と
「勁」との関連性も知りたいと思っています。
医療としての「気」は自己流ながら研究中です。
一時、腰痛の時、「掌」を当て呼吸法を使いながら
患部から吐き出していたら、手のひらと患部が焼けるような
熱さになり、それが引いたら嘘みたいに痛みが消失していた
ので「気」の効果を信じています。
以前は膝痛や腰痛を空手の
「前蹴り、横蹴り、後ろ回し蹴り」
でも直したこともありましたが。。
[28]25 07/02/24 21:58 7ESXfSWoeQ
武道に限らず
声のお腹から出てて大きい人は
エネルギッシュな感じにみえます。
ただ剣道みたいな奇声(御免なさい)
にはそういう気というかエネルギーは感じません・・・。
[29]kurodabusi 07/02/25 08:29 tp6O.iTl8N
「気」の応用はすべての武術武道に通じます。
空手の「試し割り」抜刀の「試し斬り」柔術の「投げ」など。
「気合い」は相手に心理的に崩しを掛けたようなものだし
己には「恐怖」の自縛からの解放や気力充実に役に立つものです。
だから掛け声も「エイッ」「ヤアーッ」「トーッツ」
だけではなく「オーリャッツ」でも
「チェストーツ」でも
「ヤローッ」でも良いように思えます。
古流武術などは
流派ごと定型の掛け声を守らせる所が
多いようですね。
以前、スポーツチャンバラをやってた頃、
壊れたチューブ(刀材料)を膨らませて、スポチャン刀で
割るの全員で試したが「風船を風船」で割るようなもどかしさで
幾ら力を入れて叩いても誰も割れない。
試しに「イメージ力」を使ってみようと思い
(頭の中にボーリング球をイメージして、一気に落下
させ、その重みを感じながら振り下ろしたら意外や、
パ^ンと割れた。自分でもビックリ!)した経験も
あります。矢張り、イメージ(気の部分)を使えば
意識力を活用した武術(コツ)が発見できる方法で
もあるのではないかと思いました。
何方か
そうした経験とか、思いがけなく何かのコツ(術)を
発見した経験はありませんか?
[30]28 07/02/25 17:45 TSOeN2uc4E
ぼくは道場全体が足の下に貼り付いて
重石に成ってるイメージでやってます。
[31]kurodabusi 07/02/25 19:43 tp6O.iTl8N
>28
矢張り
相手に引きずられたり投げられ難くくなりますか?
下のサイトのように何人かに持ち上げられても、
押しつぶせる術ができたら柔道で投げられそうになっても
相手を潰せる訳だけど応用できると思えますか?
http://budo.blog81.fc2.com/blog-entry-18.html
[32]かるー 07/02/26 13:04 25oB4FL5tI
気のようなものは私の学んだ古流武術でも持ちいました。
一般的に分かり易く表現すると、中国武術の「発勁」のようなものです。
大きく分けて「阿」と「云」のタイプに別れ、その人の体質・タイプによって選択されていました。
私は「云」のタイプでしたので 無声によるものです。
技の効用としては、骨法でいう所の「通し」に近い感じです。
[33]kurodabusi 07/02/26 15:36 .V/uB9QdLD
「阿」と「云」の呼吸法?
「阿」は攻撃時の「ヤア。ハア!」みたいな気合語で
「云」は受け時に「ウム」と使うような丹田語のイメージ
がしますが。。
何か特別な「理合」が隠されているようですね。
口を開けてるのと
閉めてる時の「横隔膜」の呼吸操作で
「勁」・(通し)を打つと解釈してもよいのでしょうか?
[34]かるー 07/02/26 19:27 25oB4FL5tI
ご洞察の鋭さに少し驚いております。
おっしゃる通り「阿」は「剛」(岩砕)のタイプで、先手攻撃型。
有無をも言わせず 外殻ごと粉砕する技です。
そして「云」は「柔」(柳葉・または流水)のタイプで、徹底した「後の先」。
相手の体重・自分の体重・大地からの反作用等等、利用できる力を出来るだけ借用して「内部破壊」を目指す。
そういった違いがあります。(「阿」については自分でやっていないので詳しくは判りませんが 対峙した時の印象です。)
双方とも「丹田」から気を溜めて放出するのは同じと思いますが、見た感じは別物の印象があると思います。
「阿」と「云」の振り分けは師が見定めます。
基本動作が出来た頃に、とことん追い込まれる修練が行われます。
皆さんも経験があるとは思いますが、体と精神が限界を超えた時、「無我」となります。
その時に 本人は意識が無いにも関わらず無意識に体が反応し動くのですが、その動きかたで振り分けが決まるようです。
[35]kurodabusi 07/02/26 21:21 .V/uB9QdLD
中国拳法色の強い武術なのですね。
かるーさんが今、稽古で一番研究しておられる
技法とは?
自分は今も武蔵の二天一流を研究していますが
「石火の打ち」技法などが「勁」に似た困難さ
を感じてます。「気剣体一致」の技法なので
「手の内」を掴みたいと思っています。
[36]かるー 07/02/28 13:01 25oB4FL5tI
日本の武術はもともと中国から伝来したものがほとんどなので、古いものほど中国色が残っているのでしょうね。
私自身は先に書かせていただいたように、社会生活を続けながらの武術修練に限界を感じて身を引いた身なので本格的な研究はしておりません。
自分自身の体の事もありますが、戦場での実践を想定した修練を続けていると、一種の修羅のような状態になってしまうのも大きな問題でした。 無意識の内に、自身の射程圏内に侵入したものを攻撃しようとしてしまうのです。 特に就寝中は意識のブレーキが利かないので大変危険な状態でした。
ゆえに現在やっているのは「流し」と「鏡受け」の操体法のみです。
[37]kurodabusi 07/02/28 15:04 .V/uB9QdLD
「就寝中は意識のブレーキが利かないので
大変危険な状態でした」
まさか、隣に寝てる大事な人を蹴飛ばした?!
空手に夢中な時期、
組手している夢を見て
蹴りをいれたら、
足元の扇風機を蹴飛ばしたなんて。。
一度あるなア。。。
[38]30 07/02/28 15:27 tjr15eHWOj
柔道に夢中な時期なんて
夜中不意に掛け布団の抑え込みを返してしまったり
しますね。
道場を重石に使うイメージはやっぱり
受けの強さに一定の効果が上げられてます。
対低い技とか
対片足の技とか
そういう状況によっては押し潰せて
バックから攻める有利な体勢に持ち込めたりも出来てます。
もっとも
こう書くといかにも凄く強く感じられてしまいますけれど
傍目にはまだまだチラチラと随所にこういうのが散見されるだけ
というくらいで
依然ぼくは弱いです。
[39]kurodabusi 07/02/28 15:54 .V/uB9QdLD
中学1年時は柔道をやっていて、受身の稽古
で右手首の中央の骨が飛び出て整骨院で直して
もらいましたが30さんが怪我したのは何処?