日本キリスト教団 聖峰教会

苦しい心が少し楽になるために、聖書、詩、名言を紹介します。

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写真展

2017年07月06日 | 礼拝・集会のごあんない

写真展を開催します。

7月8日(土)10:00~16:00

7月9日(日)12:00~15:00

地域の写真愛好家の皆様の写真展です。

同時、シャドーボックス作品、トールペイント作品も展示しています。

お気軽に足をお運びください。

 

 

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花の季節です

2017年06月08日 | こころ

花から

とりのぞける

ものはない

花に

付け加えられる

ものもない

星野富弘『花の詩画集 速さの違う時計』(偕成社)より

青空の下、教会の花壇に花がいっぱい咲きました。

 

野の花がどのように育つのか、注意してみなさい。

働きもせず、紡ぎもしない。

しかし、言っておく。

映画を極めたソロモンでさえ、

この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。

今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、

かみはこのように装ってくださる。

まして、あなたがたにはなおさらのことではないか…

 

(聖書 マタイによる福音書6章28〜30節)

 

6月11日、日曜日は、花の日・子どもの日合同礼拝です。

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お茶席へようこそ 〜特別な時間初体験〜

2017年02月25日 | こども 子育て支援

子どもたち、ママさんたち、お茶の時間へようこそ

 

 

 

 

2017.2.21 幼児サークル 

(3歳児以下の子育てサークル)

 

「かみさまへ わたしは いま すきなあそびがあります。

それはジャングラミングとフラフープです。

かみさまのすきなあそびは なんですか。

ゆうこ(4さい)」

「ゆうこちゃんへ

あなたが むちゅうになって あそびながらわらいごえを 

あげているのが よくきこえてきます。

わたしのあそびはね、たのしそうに あそんでいる ゆうこちゃんたちを

みているあそび です。」

(『かみさまおてがみよんでね』よこたさちこ編著 コイノニア社より)

 

聖書のみことば

子どもたちをわたしのところに来させなさい。

妨げてはならない。

(マルコによる福音書10:14)

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雪の日曜日

2017年01月16日 | 新着情報

 2017.1.15 sun.聖峰教会

雪  道

父とかいた雪道

母とかいた雪道

兄と遊んだ雪道

それらはみんな遠い遠い雪道

今は主イエス様と

今は主イエス様と

ごいっしよの雪道

(水野源三さんの詩より)

 

聖  書

「わたしの父がわたしにくださったものは、すべてのものより偉大であり、だれも父の手から奪うことはできない。わたしと父は一つである。」

(ヨハネによる福音書10:29〜30)

 

  日曜日の朝、関西では珍しく大雪に見舞われ、車を出すこともできず、バスで教会に向おうと思えば、バスも運行停止していました。

なんとか教会にたどり着き、教会を開けました。

そんな大人達の事情は子ども達は気にもとめずに、教会に来るやいなや、雪だるまを作って大はしゃぎでした。

真っ白い雪は子ども達を優しく包み込み、子ども達のこころを解放しました。

そんな子ども達をいつもイエス様が優しく包み込んでいてくださいますように。

雪の日曜日、大人達のこころも少し優しくなった気がしました。

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ひとりじゃない

2016年09月05日 | こころ

貧しさにはいろいろあります。

経済的にはうまくいっているように思われる国さえも、

奥深いところに隠された貧しさがあるのです。

それは見捨てられた人々や苦しんでいる人々が

抱えている極めて強烈な寂しさです。

 

「マザー・テレサ 愛と祈りの言葉」(PHP文庫)


聖書のみことば

 そこにザアカイという人がいた。この人は徴税人の頭で、金持ちであった。

イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので、群衆に遮られて見ることができなかった。

それで、イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った。そこを通り過ぎようとしておられたからである。

イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。

「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日はぜひあなたの家に泊まりたい。」

ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。

これを見た人たちは皆つぶやいた。

「あの人は罪深いところに行って宿をとった。」

しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。

「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人に施します。また、だれかから何かだましとっていたら、それを4倍にして返します。」

イエスは言われた。

「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。

人の子は、失われたものを捜して救うためにきたのである。」

(新約聖書 ルカによる福音書19章2〜10節)



 子どもたちにとって、夏休みがおわってまた始まる学校生活。ゆるんだ気持ちをキュッと締めると、お腹もなんとなく痛くなるような、心が重い9月の朝を迎えているかもしれません。

 知らない人ばかりの中、初めて会う人たちの中、緊張している時に、「◯◯さん」と声を掛けられると緊張がほぐれます。硬くなっている顔もほぐれます。

 「わたし」というたったひとりの存在を見つけ出してくれる方がいるだけで、私たちは変わることができます。

 「急いで降りてきなさい。」

 急ぐのは「わたし」ではなく、急いで来て「わたし」を探し出してくださったのです。

「もう大丈夫、あなたはひとりじゃない」と言うために。

不安の中にいる時、心の中に急いで来てくださるのはイエスさま。

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