科学的社会主義の古典を読む

科学的社会主義の創始者であるマルクス、エンゲルス、そしてその継承者であるレーニンの文献から、その引用を紹介します。

宗教

2009年06月29日 | 社会問題(平和、文化、民主主義など)
「宗教上の不幸は、一つには現実の不幸の表現であり、一つには現実の不幸に対する抗議である。宗教はなやめるもののため息であり、心なき世界の心情であるとともに精神無き状態の精神である。それは民衆の阿片である。
 民衆の幻想的幸福としての宗教を廃棄することは、民衆の現実的幸福を要求することである。民衆が自分の状態についてえがく幻想をすてろと要求することは、その幻想を必要とするような状態をすてろと要求することである。宗教の批判は、したがって、宗教を後光とするこの苦界の批判をはらんでいる。」
マルクス「ヘーゲル法哲学批判、序説」
マルクス・エンゲルス全集、第1巻、p415

<雑感>
今日は、宗教に関する有名な一節を紹介しておこう。
「マルクスは、宗教は阿片だと言っている」という非難の元となった一節である。
しかし、そもそもこの比喩は、ドイツ・ロマン派の詩人ノヴァーリスの断片集「花粉 (Blüthenstaub)」(1798年)中の一節で、「いわゆる宗教は阿片のような働きをするだけだ。つまり興奮させ、麻痺させ、弱さに由来する苦しみを和らげる。」に基づくものである。先のような非難をする人物は、このことに対する無知もしくは意図的なマルクス批判を行っているにすぎない。
いずれにせよ、この文章を読めばわかるように、マルクスは、宗教は現実の不幸の表現であり、現実の不幸に対する抗議であると述べている。
現実にさまざまな不幸があるからこそ、人は宗教に頼り、宗教に救いを求めるのである。またそれは、現実の不幸からの逃避という意味で、阿片と同じ役割をするのである。
現実における幸福を要求し、不幸を克服することが、人々が宗教への依存を放棄する道につながるのである。