goo blog サービス終了のお知らせ 

科学的社会主義の古典を読む

科学的社会主義の創始者であるマルクス、エンゲルス、そしてその継承者であるレーニンの文献から、その引用を紹介します。

ロマン主義とマルクス主義の相違

2010年06月15日 | 経済学(剰余価値等)
「われわれが見たように、ロマン主義も最新の理論も、ともに近代的社会経済のもつ矛盾の同一のものを指摘している。ナロードニキはこの点を利用して、最新の理論が、恐慌、外国市場の探求、消費の低下のもとでの生産の増大、保護関税制度、機械制大工業の有害な作用、その他等々のうちに現れている矛盾をみとめているということに、引証をもとめている。そしてこの点、ナロードニキはまったく正しい。最新の理論は、実際に、ロマン主義もみとめたこれらの矛盾をすべてみとめている。では、質問するが、それらの矛盾を現存の経済体制の基礎のうえに成長する相異なる利害に還元する科学的分析と、善良な願望のためにだけこれらの矛盾の指摘を利用することとは、どの点で異なるか?という問題を、一人のナロードニキでもかつて提起したことがあるだろうか? ―― いや、われわれは、ひとりのナロードニキでも、最新の理論とロマン主義とのまさにその相違を特徴づけているこの問題を検討しているのを、見ないのである。ナロードニキもまったく同様に、善良な願望のためだけにだけ、矛盾の指摘を利用しているのである。
 さらに質問するが、ひとりのナロードニキでも、資本主義の感傷的な批判が資本主義の科学的な弁証法的批判とどの点で異なっているかという問題を、かつて提起したことがあるだろうか? ―― 最新の理論とロマン主義との第二の重要な相違を特徴づけるこの問題を提起したものは、ひとりもなかった。まさに社会的経済関係の所与の発展を自分の理論の基準とすることが必要だと考えたものは、ひとりもなかった(だがこの基準を適用しているところに、科学的批判の根本的差異がある)。
 最後にもう一つ質問するが、小生産を理想化し「資本主義」による小生産の基柱の「破砕」をなげくロマン主義の見地は、機械による資本主義的大生産を自分の理論構成の出発点と考えてこの「基柱の破砕」(われわれは、この一般にみとめられているナロードニキ的表現をもちいる。この表現は、機械制大工業の影響のもとに社会関係が改変される過程、ロシアだけでなく、いたるところで社会思想を深くうごかすほどの大きな、鋭い形態で行われた過程を浮彫的に特徴づけている)を進歩的現象と言明する最新の理論の見地と、どの点で異なっているかという問題を、ひとりのナロードニキでもかつて提起したことがあるだろうか?またしても、いなである。ひとりのナロードニキも、この問題に身を入れたものはなかった。西ヨーロッパの「破砕」を進歩的なものとみとめさせたそのものさしを、ロシアの「破砕」に適用しようと試みたものは、ひとりもなかった。彼らはみな、基柱のことをなげきかなしみ、破砕を中止するよう勧告し、これこそが「最新の理論」であると、涙ながらに説くのである。
 彼らが西ヨーロッパの科学と生活との決定的な言葉を基礎として、資本主義の問題の新たな、独自的な解決としてもち出した「理論」を、シスモンディの理論と比較すれば、このような理論の発生が、資本主義の発展と社会思想の発展とのどういう幼稚な時代のことであるかということが、はっきりとわかる。しかし、問題の核心はこの理論が古いということにはない。きわめて古いヨーロッパの理論でありながら、ロシアにとってはきわめて新しいものが、なんと多いことか?問題の核心は、この理論が現れたそのときにも、それは、小ブルジョア的な反動的な理論であったということにある。」
レーニン「経済主義的ロマン主義の特徴づけによせて」
レーニン全集、第2巻、p248-249

<雑感>
最新の理論:マルクスの理論のこと。
ロマン主義とマルクス主義の差異は、資本主義の矛盾の根源が、その生産体制の中に内在しているかどうかを認識しているかどうかにある。