要約できない人生のあれこれ

気ままに日々のこと
いきづらさを抱えて。なんでもない日常のこと。ごみ捨て場。届かない。

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春がきた

2015-03-01 23:33:03 | 日記




引っ越しが16日に決まりました。











引っ越し、、去年の3月にもさいたまから仙台に

引っ越しをしたことを思い出す。

あの日、からっぽになっていくあの部屋が

淋しかったこと。

バスでふたりで仙台へ行ったこと。

鍵をもらってあの丘の部屋へ行ったこと。

なかやさんが部屋をつくってくれたこと。

その日から、そこで、生きたこと。

感情を失くしたこと。

ひどく、哀しかったこと。淋しかったこと。

新生活、ということばに圧倒されていたこと。

だれかを、さがしはじめたこと。








あの部屋は好きだった。でも、とても孤独だった。

ひとりでたくさん映画を借りてきて観た。

ねこと一緒に眠った。

言葉はなかった。

ツイッターにつらつらと文章を打った。

声を出さなかった。

ひとりで、うごけないこともあった。







好きなひとからの便りを待った。

メールを待った。

電話はしてはいけなかった。

私はずっと待ってた。

けれどそれがだんだん淋しくなった。

くるしくなった。

私は淋しくて、そんな自分が嫌で、

自棄になっていて、もうどうでもよくて

自分を傷つけるようなことや

自己破壊的な行動をとっていた。

それはどうしようもなくて

事実として大きく、

行き場がなくなった。

そしてまた、こんどはほんとうにひとりになる。





忘れるように考えないように

映画を観た。本を読んだ。

ときどきどうしようもなくなって、泣いた。

文章を打ちながら涙を流した。

誰にも助けを求められなかった。





夏が来る。

行動的になってもっともっと自分を壊した

けれどこころもからだも丈夫で

傷つかなかった。

ほんとうは麻痺していた。






大学に入り直してから

私はおとこのひとを信頼することができずに

近寄ってくるひとたちを試していた

ひどい方法で。

そのひとたちはうまく騙されてくれて

すごくばからしくて、

淋しかった

淋しかったんだと思う。




そのまま後期が始まって

くだらない遊びをするようになる


そんな中の出会いだった。

こんなことになるとは思ってなくて

誰も思ってなくて

ただ、

そういうふうにして、

いまにつながったということが

本当に本当にいまはただ、

しあわせだと



思っているということ。












言葉がひとに届くということ。

それを受け取ってくれるひとがいるということが

こんなに、うれしいものだったのか

忘れていて。

このひとは私のどんなことばも

受け止めてくれている。

ひどいことも言うし嘘もつくけれど

信じてくれる。




だからまた、ここを離れるけれど

それがまた、素敵な旅になりますように

物語が始まりますように。