宝塚歌劇・高校野球徒然なるままに

好きな「宝塚」「高校野球」をつれづれに書いています。

「汀夏子は 宝塚のジェームス・ディーン」

2006-06-22 17:16:53 | 宝塚歌劇
汀夏子(愛称:ジュンコ)。私は彼女のことを宝塚の「ジェームス・ディーン」と思っている。昭和39年音楽学校首席で卒業。長い歴史の中首席でトップになったのは彼女のみだろう。鳳蘭と同期。男役としては小柄、しかしそのハンデをもろともせず、エネルギーの塊のように舞台で発散させ、絶大なる人気を集めた。研2で抜擢された昭和40年2月雪組公演『港に浮いた青いトランク』(作演出:高木史朗)の少年役で一躍脚光を浴びる。以来退団まで雪組一筋。研5(昭和43年)『一寸法師』で主演し、バイタリティあふれる完全燃焼型が似合う男役を築き上げていった。この時代雪組トップは真帆志ぶき。真帆の下で演技を磨き、そのおかげで昭和45年一年先輩の郷ちぐさと複数トップ。郷が結婚で退団したため、昭和48年には単独トップになる。以後は順調に伸び、汀独特の何ともいえぬ男役を完成させていく。同期の鳳も汀より少し早く星組のトッツプになり、「宝塚黄金時代」が再来する。

昭和48年トップに立った汀は、2月『れんげ草/愛のラプソディ』。7月『竹/カンテ・グランテ』。11月『たけくらべ/ラブ・ラバー』で活躍。この年で汀魔力で舞台から観客を吸い込んだ。特に『たけくらべ』の信如役は苦労したが、結果は絶賛された。少年・青年役が多かったせいか、また三枚目もちょっとした悪もでき、イメージは固定しているようで固定していなかった。相手役もほとんど固定せず、摩耶明美・高宮沙千・東千晃・上原まり・沢かおり・城月美穂・花鳥いつき・・・汀の下に順みつき・麻実れいがおり、男役同士のイメージが濃い。昭和49年4月『虞美人』のあとやりにくかったであろうが、『若獅子よタ立髪を振れ』(作・演出:植田紳爾)『インスピレーション』(作・演出:鴨川清作)。巨匠に恵まれ両作品とも素晴らしい出来ばえであった。このとき女房が初めて宝塚を認めてくれた。この頃女房とは恋愛中「少女趣味の人とは・・・?」私の趣味を否定され落ち込んだが、汀・麻実のおかげで翌年結婚。以来女房は「麻実ファン」になリ、ふたりの宝塚通が始まる。

昭和50年2月『フィレンツェに燃える』(作・演出:柴田侑宏)。8月『ベルばら』オスカルでブーム作りのひとりとなる。この頃から麻実れいとの素晴らしいコンビが確立される。昭和52年2月『鶯歌春/マンハッタン・ラブ』。7月『あかねさす紫の花/.ザ・レビュー』。昭和53年1月『風と共に去りぬ』(作・演出:植田)でスカーレットを演じ、榛名由梨・鳳蘭・安奈淳と共に「ベルばら4強時代」が出来上がった。『ベルばら・風と共に・・・』で宝塚始まって以来の大ブームになる。4強の力が白熱し下級生も同時に成長していった。同じ53年7月『丘の上のジョニー/センセーション』この両作品も人気を呼んだ。「センセーション」銀橋で汀と麻実のUFOはいまだに脳裏から離れない。54年1月『春風の招待/ハロー!ホリディー』。8月『朝霧に消えた人/オールマンリバー』。55年サヨナラ公演は『去りゆきし君がために』大劇場・東京宝塚劇場とも千秋楽は何千人のファンの見送りだった。汀の想い出・サヨナラ公演・作品については別記で披露したい。また汀ファンとしては「汀夏子論」を是非書きたい思っている。