生きてるだけでもうけもん♪Today is a Gift.

昨日は過ぎたこと、明日は未知のこと、今日はもうけもの、それらはみんな、神様の贈り物。
今日の想いを明日に繋げるために。

生きてました、わたしも家族も

2017年02月04日 | 日記
今日の私に追いつくために駆け足で半年のことをメモっておきます

2016年夏はとにかく暑くて
暑くて暑くて 齢80を超えた両親は元気がなく
外出も控えて運動も減り
何とか乗り越えた季節

私は春から仰せつかった
ランニンググループの世話人として
練習会や運動会や仲間の揃いTシャツの手配
そして
数年ぶりに月間走行距離を伸ばして走って
気が付くと10月を過ぎ

涼しくなった頃に
父は脈が少ないとデイサービスで指摘され
心エコーや24時間ホルター心電図検査をして
ペースメーカー適応じゃないか とか
心臓カテーテル検査をしたらどうか
と医者に強く勧められ

にも拘わらず
結果的には何もしなかった

その判断がよかったのか悪かったかは
まだ分からない
けれど
今は、1分間60前後の脈でハーモニカを吹いている

気をよくした私は
秋に友人と横浜旅行などして
本当に、数十年ぶりで
誰のお世話も要らない気ままの旅をした

11月も終わろうかというときに
父が急に何も食べなくなった
かかりつけ医は胃腸炎との診断だったので
私は数年ぶりのマラソン大会参加を兼ねて
息子のいる町に遊びにいった

マラソンは無事なんとか完走したけれど
帰宅してみたら
父はもう一段階元気がなく
何も食べず、寝たっきりになってしまっていた

訪問看護士さんに毎日来てもらって
浣腸を何度もしてもらって宿便を除いたり
食べやすいものを工夫して口まで運んだりとしたけれど
「何もほしくない」と言う父

かかりつけ医には胆石があるって言われていたので
このままでは何もわからないと
寝たままの父を車いすで運び
思い切って大きな病院でCTをした

命を救ったのは消化器科の医師の言葉だった
「胃腸には便の詰まりもなく、胆石は悪さをするようなものでもない
 胃腸の働きが鈍くなってるだけ。入院や手術の必要はない」

そこで追い打ちをかけるように聞いてみた
「干し柿をたくさん摘み食いしたから便秘のひどいのになったと思うんですが
 加齢で胃腸の力が弱ってるということですか
 食べても大丈夫ですよね」

私の意図を察してか
医者は即答してくれた
「そうですね。野菜やうどんをグダグダに煮たような柔らかいものから食べてみてはどうですか」

それを横たわって聞いていた父がニヤリとしたのを
私は見逃さなかったよ

食べても大丈夫、医者にも用がないとわかった瞬間

結局、自分で排せつする力が弱って出せないから食べられない
それを自覚して自信を無くし
もう自分の体はだめだと思い込んでいた父

そういえば少し前にぼそっと
「便もでんようになったし、ワシもあかんな」と呟いとった

でもそれからわずか10日ほどで高齢者は本当に起きられなくなると目の当たりにした

失望→拒食→寝たきり→おむつ→床ずれ→痛みと苦痛
って階段をどんどん落下していく

「死に至る病とは失望である」

病院に行くときは寝たきりだった父が
少し生きる希望をもてて
帰りは車いすから私の車に補助して乗ってくれた

このまま寝たきりでなるものかと
数週間休んでいた(行くことができなかった)デイサービスに
翌週から行ってもらった

できるだけ以前と同じ生活を同じ気持ちで
すぐに普通のパンツに戻し
補助してもダイニングまで歩いて食事を一緒にする

家の中にタッチアップの手すりを増やし
歩ける環境をもう一段階

できること
やろうとすることを応援する
それで何とかクリスマスを迎えた

私も母もほっとしたところで
今度は母が失神するというイベント発生

頑張ってる母も父と同じ世代なのだだと改めて気づいた

たまたま息子が大学から戻った冬休み二日目のできごとで
息子と祖父母の三人でいたときだったので
19歳の息子が救急車を呼んだ

これもまた今のところ大病ではなく
迷走神経反射ってことで即日帰宅できて一安心

爆弾を抱えて迎えた新年だった
と思っている間にひと月経過し
今はもう2月だそう・・・・

そんな私の半年でした
考えること悩むこと泣いたこといっぱいでした
それから立ち直るのに随分と時間がかかってます
今の、私はまだ今を生きている感覚があまりないです





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