横浜を代表する元町商店街の南側の高台は、高級住宅街、観光地として有名で、今では横浜市中区山手町といいます。山手町は横浜の開港後幕末から明治32年まで、外国人居留地とされた区域で、「山手」という呼称は、先に設置された関内の居留地に対して南の高台上に設けられたことによるといわれています。後に、この「山手」に対して関内の居留地は「山下」と呼ばれるようになり、海岸の「山下公園」はこのことに由来しています。
このため山手町一帯には当時の史跡や建造物が沢山残されていて、「外人墓地」もそのひとつ。19世紀から20世紀半ばにかけての40ヶ国余、4400人余りの外国人が葬られているそうです。
その墓地の中に『生麦事件犠牲者の墓」を見つけました。幕末の「薩英戦争」の発端となった事件ですが、詳細は省きます。山手は幕末の歴史が一杯詰まった地域です。
このため山手町一帯には当時の史跡や建造物が沢山残されていて、「外人墓地」もそのひとつ。19世紀から20世紀半ばにかけての40ヶ国余、4400人余りの外国人が葬られているそうです。
その墓地の中に『生麦事件犠牲者の墓」を見つけました。幕末の「薩英戦争」の発端となった事件ですが、詳細は省きます。山手は幕末の歴史が一杯詰まった地域です。
? 赤い靴 はいてた 女の子 異人さんに連れられて 行っちゃった
横浜の 埠頭から 船に乗って 異人さんに連れられて 行っちゃった
野口雨情作詞・本居長世作曲の有名な童謡です。横浜の象徴的な童謡でもあります。この「赤い靴」の少女の像が横浜には二カ所あります。そのひとつが山下公園に、もうひとつは横浜駅のコンコース。
この歌詞は、実話を題材にして作られたといわれていますが、内実は色々な説があるようです。作詞した野口雨情は社会主義詩人として活動していましたから、赤い靴のこの色は彼の思想の表れとの説もあります。真実は不明です。
1921年(大正11年)に世に出たこの童謡。異国情緒の中、悲しい歌でもあります。
横浜の 埠頭から 船に乗って 異人さんに連れられて 行っちゃった
野口雨情作詞・本居長世作曲の有名な童謡です。横浜の象徴的な童謡でもあります。この「赤い靴」の少女の像が横浜には二カ所あります。そのひとつが山下公園に、もうひとつは横浜駅のコンコース。
この歌詞は、実話を題材にして作られたといわれていますが、内実は色々な説があるようです。作詞した野口雨情は社会主義詩人として活動していましたから、赤い靴のこの色は彼の思想の表れとの説もあります。真実は不明です。
1921年(大正11年)に世に出たこの童謡。異国情緒の中、悲しい歌でもあります。
「高齢者疑似体験中」とのゼッケンをつけた10人くらいの若者の集団に出くわしました。狭い視野で曇りガラスのメガネを着け、耳栓をして手足が不自由になるサポータと杖を持っての出で立ちです。高齢者を支援するNPO法人のグループのようです。高齢者疑似体験といわれると、本物の高齢者である私はなんとなくいたたまれない気持になります。なにしろこれから近くのホテルでの「高齢者だけのパーティ」に参加するのですから。
そこで、このグループの女性リーダーに申しました。「ご苦労様。でも本当の高齢者はこの他に深刻な悩みがあるのですよ。それは身近な大事な者を落としたり忘れたりすることです。だから、私はいつもこうしています」と下の写真の姿をお見せしました。右腰には家の鍵と非常時の警笛を、左腰にはスイカのケースを、そして首からは携帯電話をそれぞれロープで下げているいつもの姿を。女性リーダはクスクスと笑いながらも、何となく納得しているようでした。昨日の1日(土)、JR市ヶ谷駅前での出来事。それから複雑な気持ちで「本物の元気な高齢者パーティ」に向かいました。
そこで、このグループの女性リーダーに申しました。「ご苦労様。でも本当の高齢者はこの他に深刻な悩みがあるのですよ。それは身近な大事な者を落としたり忘れたりすることです。だから、私はいつもこうしています」と下の写真の姿をお見せしました。右腰には家の鍵と非常時の警笛を、左腰にはスイカのケースを、そして首からは携帯電話をそれぞれロープで下げているいつもの姿を。女性リーダはクスクスと笑いながらも、何となく納得しているようでした。昨日の1日(土)、JR市ヶ谷駅前での出来事。それから複雑な気持ちで「本物の元気な高齢者パーティ」に向かいました。
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