鴨池のダイエーの南東側の交差点を県庁の方へしばらくいくと,下のような碑がある。
(2009年1月26日撮影)
その碑の横に案内板があり,1905年に結核治療所が設立されたとある。
結核はそのころ国民病であったという。
結核の大家といわれた加藤氏が中江医師の相談を受け,オゾンをたくさん含んだ海岸部に設立しようと努めたそうだ。3年がかりで完成した海浜院は鹿児島の名物となっていたようである。(パノラマ模型は万博で特別賞を受賞)
そして,1923年に日本赤十字社がこの病院を引き取ることになった。
現在の平川にある日赤病院は,この病院が起源というなる。
(2009年1月19日撮影)
それにしても,人間にとって有毒であるはずのオゾンを求めていたことや,オゾンが海岸部に多く存在しているとは想像もつかなかった。
(2009年1月26日撮影)
その碑の横に案内板があり,1905年に結核治療所が設立されたとある。
結核はそのころ国民病であったという。
結核の大家といわれた加藤氏が中江医師の相談を受け,オゾンをたくさん含んだ海岸部に設立しようと努めたそうだ。3年がかりで完成した海浜院は鹿児島の名物となっていたようである。(パノラマ模型は万博で特別賞を受賞)
そして,1923年に日本赤十字社がこの病院を引き取ることになった。
現在の平川にある日赤病院は,この病院が起源というなる。
(2009年1月19日撮影)
それにしても,人間にとって有毒であるはずのオゾンを求めていたことや,オゾンが海岸部に多く存在しているとは想像もつかなかった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます