時戻素

昔の跡,やがてなくなる予定のもの,変化していくもの,自身の旅の跡など・・・

(No.74) 射場前公園

2009年02月01日 22時56分28秒 | 現在の中の過去
 小松原に射場前公園という公園がある。
幼い頃,小松原に住んでいた時に,遊んだ経験があるが,この公園のことは未だに覚えている。かなり特徴的な公園だったからだ。
 この公園,他の公園にはないものがある。


(2008年11月10日撮影)


 公園の中に山がある。

 遊具がある部分とは反対側から山を見てみる。


(2008年11月10日撮影)


 斜面をそのまま登ることもできるし,脇にある階段からも山へ登れる。


(2008年11月10日撮影)

 山頂には街灯が立っている。
 眺めは山が低いのと,木に囲まれているのとで見通しは良くない。

 幼い頃はこの山の意味を考えることもなく,遊んでいたが,よく考えてみるとこのような場所に山があるのは不思議だ。

 山の西側の麓に説明文があった。


 射場山と呼ばれる山で,1846年8月28日,に島津斉彬の立会いの下に砲術の大演習が行われていたという。炎天下の中の訓練で実戦さながらだったという。この山は大砲の射場があった場所である。
 それに関連して永田川沿いには火薬庫である煙硝蔵があった。


(2008年11月15日撮影)

 島津斉彬により建てられ,薩摩各地の硝石工場,貯蔵所の中でも中心的な役割を果たしていたそうだ。
 この煙硝庫も西南戦争の際に焼き払われ,その焼け方がひどく500m先の波之平村付近の民家にまで影響が及んだという。
 
 ペリー来航以降,島津斉彬は,谷山のこの地において,火薬の製造と大砲の演習を行わせていた跡として残っている。

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