小松原に射場前公園という公園がある。
幼い頃,小松原に住んでいた時に,遊んだ経験があるが,この公園のことは未だに覚えている。かなり特徴的な公園だったからだ。
この公園,他の公園にはないものがある。
(2008年11月10日撮影)
公園の中に山がある。
遊具がある部分とは反対側から山を見てみる。
(2008年11月10日撮影)
斜面をそのまま登ることもできるし,脇にある階段からも山へ登れる。
(2008年11月10日撮影)
山頂には街灯が立っている。
眺めは山が低いのと,木に囲まれているのとで見通しは良くない。
幼い頃はこの山の意味を考えることもなく,遊んでいたが,よく考えてみるとこのような場所に山があるのは不思議だ。
山の西側の麓に説明文があった。
射場山と呼ばれる山で,1846年8月28日,に島津斉彬の立会いの下に砲術の大演習が行われていたという。炎天下の中の訓練で実戦さながらだったという。この山は大砲の射場があった場所である。
それに関連して永田川沿いには火薬庫である煙硝蔵があった。
(2008年11月15日撮影)
島津斉彬により建てられ,薩摩各地の硝石工場,貯蔵所の中でも中心的な役割を果たしていたそうだ。
この煙硝庫も西南戦争の際に焼き払われ,その焼け方がひどく500m先の波之平村付近の民家にまで影響が及んだという。
ペリー来航以降,島津斉彬は,谷山のこの地において,火薬の製造と大砲の演習を行わせていた跡として残っている。
幼い頃,小松原に住んでいた時に,遊んだ経験があるが,この公園のことは未だに覚えている。かなり特徴的な公園だったからだ。
この公園,他の公園にはないものがある。
(2008年11月10日撮影)
公園の中に山がある。
遊具がある部分とは反対側から山を見てみる。
(2008年11月10日撮影)
斜面をそのまま登ることもできるし,脇にある階段からも山へ登れる。
(2008年11月10日撮影)
山頂には街灯が立っている。
眺めは山が低いのと,木に囲まれているのとで見通しは良くない。
幼い頃はこの山の意味を考えることもなく,遊んでいたが,よく考えてみるとこのような場所に山があるのは不思議だ。
山の西側の麓に説明文があった。
射場山と呼ばれる山で,1846年8月28日,に島津斉彬の立会いの下に砲術の大演習が行われていたという。炎天下の中の訓練で実戦さながらだったという。この山は大砲の射場があった場所である。
それに関連して永田川沿いには火薬庫である煙硝蔵があった。
(2008年11月15日撮影)
島津斉彬により建てられ,薩摩各地の硝石工場,貯蔵所の中でも中心的な役割を果たしていたそうだ。
この煙硝庫も西南戦争の際に焼き払われ,その焼け方がひどく500m先の波之平村付近の民家にまで影響が及んだという。
ペリー来航以降,島津斉彬は,谷山のこの地において,火薬の製造と大砲の演習を行わせていた跡として残っている。
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