時戻素

昔の跡,やがてなくなる予定のもの,変化していくもの,自身の旅の跡など・・・

(No.135) 市電伊敷線跡

2009年06月02日 08時42分35秒 | 旅・散策の足跡
以前,記事で書いた市電上町線と同時に廃止された伊敷線についても同じ頃,跡をたどった。今は国道の幅が広いということぐらいしか形跡は見られないように思う。電停があった場所の現在の様子を中心に見ていきたい。


 加治屋町の電停。

(2008年11月7日撮影)

 現在は中央駅前を通る2系統のみが運行されている。ここから3号線の方へ軌道が分岐していたようだ。


千石馬場電停跡。

(2008年11月11日撮影)

 交差点の角に携帯ショップがあるが,かつては薬屋だった。和風の建物とのギャップがあったためか印象に残っている。薬屋の前はうどんやだったような気もするが,記憶違いかもしれない。最近,ニュースになっていた暴力団の事務所もこの近くにあった。暴力団員に男性が臀部を刺されたのが千石馬場バス停だった。人も車も多く通るこの場所で朝の通勤ラッシュ時に犯行を行なうというのはかなりの大胆な行動に思えた。


 新上橋電停跡。

(2008年11月11日撮影)

 JRの黄色い高架よりも加治屋町側の位置にあったようだ。現在,新上橋バス停があるが,甲突川を挟んだ向かい側にも同じ名前の新上橋バス停があり,もどかしいとの声が上がっていた。旧石橋の新上橋は高架よりも伊敷方にある。新上橋という住所はないが,銀行やスーパーの支店名などに使われている。


 新照院電停跡。

(2008年11月11日撮影)

 バス停前の横断歩道に隣接して電停があったのだろう。
 国道沿いと以前記事を書いた城山の麓方面では,町の雰囲気が異なる。


草牟田電停跡。

(2008年11月11日撮影)

 草牟田墓地へ向かう道と国道との交点に電停があったようだ。

 昔(確か昭和初期)の地図を見たときに,場所ははっきりとは覚えていないが,草牟田か次の中草牟田かの辺りから伊敷方に向かって,現在の国道よりも城山団地よりの場所を専用軌道で運行していた時期もあったようだった。


中草牟田電停跡。

(2008年11月11日撮影)

 地元スーパーの大規模店がある。以前,巨人ファンと阪神ファンの文房具屋さんと御菓子屋さん(記憶違いの可能性有)が道路を挟んで向かい合って立地しており,野球の試合があるとその応援合戦が取り上げられていたのもこの付近だったように思う。営業をやめたということを聞いたのは,ずいぶん前だった。(曖昧な記憶を文にしているので,正確な情報をお持ちの方がいらっしゃれば,指摘をお願いします。)


護国神社前電停跡。

(2008年11月11日撮影)

 伊敷方から加治屋町方面を見た写真。電停があったのは,写真奥の信号の横断歩道の位置のようだ。護国神社まではそこそこ距離があるが,軌道が修正されるまではもっと神社よりの位置にあったのかもしれない。この付近には高校が集中している。


玉江小学校前電停跡。

(2008年11月11日撮影)

 これも伊敷町方から加治屋町方を見た写真。歩道橋の向こう側にある信号の場所に電停があったようだ。歩道橋の入口付近に車の入ることのできない道があり,その奥に歴史のありそうな門構えの公園がある。栄門公園というらしいが,その歴史的意味は分からなかった。


下伊敷電停跡。

(2008年11月7日撮影)

 地元銀行の伊敷支店のほぼ前に電停があったようだ。前の玉江小学校前電停跡との間には,県立短大や特別支援学校がある。下伊敷電停はそれらへのアクセスを考えた位置になっていたのだろうと予想していたので,この位置は意外だった。


 伊敷町電停跡。

(2008年11月7日撮影)

 写真中の横断歩道に沿って電停があったようだ。この電停で終点になる。伊敷の団地はここから甲突川の上流のほうへ続いていくので,ここで路線が止まっていたとは思わなかった。付近のバス停も伊敷町バス停となっている。設置された当時はこの辺りが伊敷地区の中心だったのだろうか。それともこれ以上の延伸が厳しくなるような条件があったのだろうか。市役所の伊敷支所の位置や伊敷○丁目の中でもかなり下伊敷寄りにあるという現在の状況を考えるとやや疑問の残る位置だ。

 元の電停の名前がそのままバス停の名前になっているので,大体の電停の存在の跡は残っているといえそうだ。

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