事前に何の下調べもせずにとりあえず大阪へ行ってみようと思った場合とりあえず大阪に着くだろうという感覚で着きそうなのがここ。
(2009年3月10日撮影)
JR大阪駅。5本ぐらいのホームが平行に並んでいる。駅名の吊るし看板も路線カラーを示す赤,黄,青と変化がある。
東京から神戸まで続く東海道本線の場合,神戸方面へ行くにも京都方面へ行くにも淀川(川幅約600m)を渡ることになる。阪神の場合も,阪急(行き先を問わず)の場合も終着駅の梅田へは淀川を渡っている。
そこまでして駅が作られた梅田,しかもJRの駅は大阪と名乗っている。大阪に出会えそうな予感がする。
そんな大阪駅周辺を駅南側の駅前第3ビルの33階展望室から見てみた。
(2009年9月1日撮影)
伊丹空港の関係で高さ規制があるのだが,背の高いビルが立ち並んでいる。西日本一の大都市という感じだ。
その近くにある小学校。
(2009年7月18日撮影)
商店街の中にある。大都市の学校は違うなと思う。
今度は駅の北側の新梅田シティの展望台から見てみた。
(2009年5月3日撮影)
ビルが立ち並んでいるのが見える。
しかし,あるラインより前には全くビルがない。梅田北ヤードと言われている場所だ。JRの貨物駅が地平に作られているので周辺の状況はこの記事のような状態になっている。
貨物の駅内の建物の屋上を拡大してみると・・・
(2009年5月3日撮影)
これでも確認しにくいかもしれないが,テニスのプレイ中だった。
もちろんここも再開発の案が立っているが,どうなるかはまだはっきりとしていない。
ビルの並ぶ大都市に広々とした空間が確認できたところで,今度は北側を見てみる。
(2009年5月3日撮影)
建物が立ち並んでいる先にまた広々とした空間が確認できた。さっきの貨物駅とは違い緑色をしている。
そちらへ行ってみると・・・
(2009年6月21日撮影)
淀川の堤防は,崖っぷちまで家が迫っているような感じではなかった。
淀川の河岸は公園化されており,球技ができるような空間も整備されているのだが,梅田の北辺りには少ない。道路と堤防の間には金網があり,堤防の上にもどこからでも行けるという訳ではない。そして,その空間には,テントとか人とかを見ることができる。ここまでこなくても朝に梅田駅近くの地下街に行くと通路の真ん中で寝ている人を見ることができる。釜ヶ崎に限ったことではない。市内のあちこちの路上や公園に生活の場がある。これも大阪の一つの側面だ。
今度は阪急の梅田駅から300mぐらい東へ向かい,東海道本線をくぐった辺りの街並み。
(2009年9月21日撮影)
もっといいポイントがあるようだが,昔ながらの家が並んでいる。ここが梅田から500m程度にある町とは思えない。このような街並みと出会える場所も大阪市内には結構ある。
1kmぐらい南へ行き,堂島川を越えて中之島へ。
(2009年4月19日撮影)
大阪市役所。御堂筋を挟んで向かい側には日本銀行の支店がある。
さらに南へ行き,土佐堀川越しに中央区の方を見る。
(2009年5月3日撮影)
中央区側には金融機関が多く,地方銀行の支店も見られる。
この川,社会の教科書に必ず出てきている場所なのだが,他人に指摘するまでそのような場所だとは思ってもいなかった。
天下の台所と言われていた所以の蔵屋敷が立ち並んでいたのがこの川沿いのようだ。
この辺まで来ると行政機関があったり,江戸時代の大阪のイメージの一つともいえる場所になるのだが,梅田駅周辺は大都市ではあっても,大阪らしさを感じられる場所はあまりないというのが個人的な印象だった。駅ができてから栄えた場所で大阪市が発足した当時は大阪市内ですらなく,曽根崎村だった。新幹線の駅は淀川を二度も渡るようなことはせず,淀川の北側にできている。下手に大阪の町までとしなかったことで,京阪神がより早い移動に貢献したのかもしれない。
求人雑誌で見た梅田を「ナニワ王国の首都」とするフレーズには違和感があった。(もちろん「首都」なにより「ナニワ王国」をどう解釈するかによるが・・・)
以上で取り上げた梅田周辺の「キタ」に対し,「ミナミ」にあたる難波を見てみたい。このキタ,ミナミという言葉も使わない人もそれなりにいるようだ。
難波の道頓堀周辺の風景。
(2009年3月10日撮影)
(2009年3月18日撮影)
この川で行方不明になっていたこの方も・・・
(2009年9月21日撮影)
発見された。ダイブの名所も柵がされ,川沿いは親水空間として整備されてきている。
そして,この方も戻ってきた。
(2009年7月20日撮影)
人形が飲食店の入ったビルの入口に置かれただけで,くいだおれの店は復活していない。
場所は変わって浪速区新世界。
(2009年7月14日撮影)
(2009年3月10日撮影)
メディアによって描かれる大阪の代名詞とも言えそうなものはこちらの方に多く存在している。
大阪駅とJR難波駅のスタンプの絵柄を比較してみる。
大阪の方は見るまで絵柄を予想すらできず,難波のくいだおれは権利の問題もあるのだろうが,道頓堀の文字になるとは思わなかった。大阪のいちょう並木の先の建物もよく分からない。周りの言葉から旧駅舎かとも思うが,今となっては高層ビルなので,そう言われても想像がつかない。梅田はやはり絵にしにくい場所に思える。
東側にあるこの建造物も有名だ。
(2009年6月27日撮影)
近くにはNHKや府警の本部などもある。
そして,移転の問題が全国ニュースでも取り上げられたあの建物もある。
(2009年5月2日撮影)
もともと陸でもなかった土地へ移転させたい方がいるが,この府庁舎も移転されたものだ。旧庁舎は・・・
(2009年5月31日撮影)
西区江之子島にあった。今は工事中だった。木津川越しに川口の居留地,さらに海側には大阪築港と西側が大阪の中心であった時期もあった。
大阪城に戻って,北側から大阪城の方を見ると・・・
(2009年8月5日撮影)
高さの差がある。
防衛の為の構造であるのはもちろんなのだが,大阪城のある位置は台地上になっている。台地は堺市の方まで南に伸びている。
平らなイメージのある大阪もこの上町台地の部分だけは標高20mぐらいになっていて,坂も多く見られる。
(2009年6月6日撮影)
鳥居の向こうには坂が待っている。
(2009年9月18日撮影)
天王寺駅周辺。線路は台地を削った部分にあり,隣の道路との高さの差から台地の存在を感じることができる。
この安土桃山頃までは町は上町台地上のコンパクトなもので,縄文時代に至っては台地の西も東も海だった。特に歴史が古い場所と言える。
天王寺公園北側の国道25号の坂。
(2009年9月9日撮影)
北側の住所は逢阪○丁目となっている。
色々な要素があり,簡単な言葉でまとめにくい都市だと感じる。
(2009年3月10日撮影)
JR大阪駅。5本ぐらいのホームが平行に並んでいる。駅名の吊るし看板も路線カラーを示す赤,黄,青と変化がある。
東京から神戸まで続く東海道本線の場合,神戸方面へ行くにも京都方面へ行くにも淀川(川幅約600m)を渡ることになる。阪神の場合も,阪急(行き先を問わず)の場合も終着駅の梅田へは淀川を渡っている。
そこまでして駅が作られた梅田,しかもJRの駅は大阪と名乗っている。大阪に出会えそうな予感がする。
そんな大阪駅周辺を駅南側の駅前第3ビルの33階展望室から見てみた。
(2009年9月1日撮影)
伊丹空港の関係で高さ規制があるのだが,背の高いビルが立ち並んでいる。西日本一の大都市という感じだ。
その近くにある小学校。
(2009年7月18日撮影)
商店街の中にある。大都市の学校は違うなと思う。
今度は駅の北側の新梅田シティの展望台から見てみた。
(2009年5月3日撮影)
ビルが立ち並んでいるのが見える。
しかし,あるラインより前には全くビルがない。梅田北ヤードと言われている場所だ。JRの貨物駅が地平に作られているので周辺の状況はこの記事のような状態になっている。
貨物の駅内の建物の屋上を拡大してみると・・・
(2009年5月3日撮影)
これでも確認しにくいかもしれないが,テニスのプレイ中だった。
もちろんここも再開発の案が立っているが,どうなるかはまだはっきりとしていない。
ビルの並ぶ大都市に広々とした空間が確認できたところで,今度は北側を見てみる。
(2009年5月3日撮影)
建物が立ち並んでいる先にまた広々とした空間が確認できた。さっきの貨物駅とは違い緑色をしている。
そちらへ行ってみると・・・
(2009年6月21日撮影)
淀川の堤防は,崖っぷちまで家が迫っているような感じではなかった。
淀川の河岸は公園化されており,球技ができるような空間も整備されているのだが,梅田の北辺りには少ない。道路と堤防の間には金網があり,堤防の上にもどこからでも行けるという訳ではない。そして,その空間には,テントとか人とかを見ることができる。ここまでこなくても朝に梅田駅近くの地下街に行くと通路の真ん中で寝ている人を見ることができる。釜ヶ崎に限ったことではない。市内のあちこちの路上や公園に生活の場がある。これも大阪の一つの側面だ。
今度は阪急の梅田駅から300mぐらい東へ向かい,東海道本線をくぐった辺りの街並み。
(2009年9月21日撮影)
もっといいポイントがあるようだが,昔ながらの家が並んでいる。ここが梅田から500m程度にある町とは思えない。このような街並みと出会える場所も大阪市内には結構ある。
1kmぐらい南へ行き,堂島川を越えて中之島へ。
(2009年4月19日撮影)
大阪市役所。御堂筋を挟んで向かい側には日本銀行の支店がある。
さらに南へ行き,土佐堀川越しに中央区の方を見る。
(2009年5月3日撮影)
中央区側には金融機関が多く,地方銀行の支店も見られる。
この川,社会の教科書に必ず出てきている場所なのだが,他人に指摘するまでそのような場所だとは思ってもいなかった。
天下の台所と言われていた所以の蔵屋敷が立ち並んでいたのがこの川沿いのようだ。
この辺まで来ると行政機関があったり,江戸時代の大阪のイメージの一つともいえる場所になるのだが,梅田駅周辺は大都市ではあっても,大阪らしさを感じられる場所はあまりないというのが個人的な印象だった。駅ができてから栄えた場所で大阪市が発足した当時は大阪市内ですらなく,曽根崎村だった。新幹線の駅は淀川を二度も渡るようなことはせず,淀川の北側にできている。下手に大阪の町までとしなかったことで,京阪神がより早い移動に貢献したのかもしれない。
求人雑誌で見た梅田を「ナニワ王国の首都」とするフレーズには違和感があった。(もちろん「首都」なにより「ナニワ王国」をどう解釈するかによるが・・・)
以上で取り上げた梅田周辺の「キタ」に対し,「ミナミ」にあたる難波を見てみたい。このキタ,ミナミという言葉も使わない人もそれなりにいるようだ。
難波の道頓堀周辺の風景。
(2009年3月10日撮影)
(2009年3月18日撮影)
この川で行方不明になっていたこの方も・・・
(2009年9月21日撮影)
発見された。ダイブの名所も柵がされ,川沿いは親水空間として整備されてきている。
そして,この方も戻ってきた。
(2009年7月20日撮影)
人形が飲食店の入ったビルの入口に置かれただけで,くいだおれの店は復活していない。
場所は変わって浪速区新世界。
(2009年7月14日撮影)
(2009年3月10日撮影)
メディアによって描かれる大阪の代名詞とも言えそうなものはこちらの方に多く存在している。
大阪駅とJR難波駅のスタンプの絵柄を比較してみる。
大阪の方は見るまで絵柄を予想すらできず,難波のくいだおれは権利の問題もあるのだろうが,道頓堀の文字になるとは思わなかった。大阪のいちょう並木の先の建物もよく分からない。周りの言葉から旧駅舎かとも思うが,今となっては高層ビルなので,そう言われても想像がつかない。梅田はやはり絵にしにくい場所に思える。
東側にあるこの建造物も有名だ。
(2009年6月27日撮影)
近くにはNHKや府警の本部などもある。
そして,移転の問題が全国ニュースでも取り上げられたあの建物もある。
(2009年5月2日撮影)
もともと陸でもなかった土地へ移転させたい方がいるが,この府庁舎も移転されたものだ。旧庁舎は・・・
(2009年5月31日撮影)
西区江之子島にあった。今は工事中だった。木津川越しに川口の居留地,さらに海側には大阪築港と西側が大阪の中心であった時期もあった。
大阪城に戻って,北側から大阪城の方を見ると・・・
(2009年8月5日撮影)
高さの差がある。
防衛の為の構造であるのはもちろんなのだが,大阪城のある位置は台地上になっている。台地は堺市の方まで南に伸びている。
平らなイメージのある大阪もこの上町台地の部分だけは標高20mぐらいになっていて,坂も多く見られる。
(2009年6月6日撮影)
鳥居の向こうには坂が待っている。
(2009年9月18日撮影)
天王寺駅周辺。線路は台地を削った部分にあり,隣の道路との高さの差から台地の存在を感じることができる。
この安土桃山頃までは町は上町台地上のコンパクトなもので,縄文時代に至っては台地の西も東も海だった。特に歴史が古い場所と言える。
天王寺公園北側の国道25号の坂。
(2009年9月9日撮影)
北側の住所は逢阪○丁目となっている。
色々な要素があり,簡単な言葉でまとめにくい都市だと感じる。
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