※ 写真撮影日:2009年3月21日
別府港から別府駅までは徒歩移動。
国道10号線に沿っての移動がほとんどだった。
途中…
日本学生支援機構の施設があった。学生のためになっているのかもしれないが,このような施設を管理しているのなら,主要事業の奨学金から利息を排除してくれればと思った。交流の場も必要だとは思うけど,余裕がないならどうなんだろうと思う。アクセス開析を見ると,このブログの検索ワードに「奨学金の利息は固定式とどちらが得か?」という検索キーワードがあった。公的なサービスで損得が生じるような仕組みは似合わないと思うのだが…年金の前納割引とかも,なんかなぁって思うときがある。
国道から離れしばらく歩くと,別府駅が見えてきた。
朝5時30分ごろということもあって,春休みの観光地でも静まり返っている。
駅前のモニュメント。
別府の伝統工芸の竹かごをモチーフにしていると説明があった。
籠の中には…
足湯ではなく手湯が湧いていた。
改札口へ行くと…
早朝であり,入口出口が分けられているが,一番端っこのものしか開いていなかった。
高架上のホーム。
ホームのない線路が結構ある。この高架の幅も結構広そうだ。奥に山並みも見える。鶴見山だろうか。
駅前の商店街をホームから。
まだ町は動き始めていない。
駅名の看板。
イラストは鶴見山を背景に温泉街が描かれている。
花のようなものもあるが,何の花かは分からなかった。
温泉地というだけあって…
こんな看板まである。
やがて大分方面へ行く電車が北が,録音されている駅名を読み上げる放送が,やたら別府の「ぷ~」の部分を延ばしている。まだ,動き始めたばかりの町にその女性の声が響きわたる。
別府を出るとそんなに時間がかからないうちに大分駅に着いた。高架化の真っ最中で,もともとの駅舎のホーム間の移動が地下道なのに加え,新しくできたホームは結構高い高架上にあるという健康によさそうな造りになっていた。
ここからは,鹿児島へ行くには日豊本線で宮崎経由で行く方が近い。フェリーで知人とメールをしていたのだが,「別府からは日豊本線ですか?」と聞かれたぐらい明らかに近い道だ。しかし,日豊本線佐伯延岡間が早朝と夕方にしか3本しか普通電車がない。その区間だけ特急を使うのもどうかと思ったので,久大線に乗り換え,久留米・熊本経由で帰ることにした。
高架上の高いホームから列車に乗り,久留米を目指す。
途中の駅は…
駅名の看板が丸太のようなデザインで囲まれているものが多かった。個人的には森のイメージがしたこの路線も,「九大本線」と本線だ。
途中の風景も…
川とアーチ状の橋が多く見えた。
途中の湯平駅。
現在は由布市にあるが,その前(2005年10月1日まで)は湯布院町,さらにその前(1955年2月1日)までは湯平町で,そのときの自治体の名前と一致している。「由布」とか「湯布院」だか,「ゆふ」の漢字がごちゃごちゃだが,「湯布院町」が由布院町と湯平村が合併してできた町でそれぞれの字をとったことに由来している。温泉地として知られる「ゆふいん」もそのときの自治体名以外は「由布院」という表記になっている。実際にはICの名前などに「湯布院」という字が採用されているなどややこしくなっている。この2つの表記,この説明では十分に言い切れてないが,追究すればとんでもなくややこしくなるので,ここではこの説明にとどめたい。ウィキでも「湯布院町」の項目に詳しく書かれている。
湯平から由布院へ向かう途中…
周囲がこんな感じになったが,霧なのか湯煙なのかは分からなかった。
由布院駅。
ここも霧のような状態が続いていた。地図で見るとこの駅によるために久大線が結構遠回りをしているのが分かる。
駅名の漢字表記は…
「由布院」と湯平と分離された方で使われている。イラストも由布岳に温泉に辻馬車と由布院の特徴が盛り込まれている。
由布院を出てだいぶ経つと,特徴的な形をした山が何度か見えた。
さらに途中には…
川の水かさが増えると沈没してしまいそうな高さの橋もあった。たぶん,沈没橋だろう。
やがて,日田に着いた。
駅自体の規模は比較的大きいが何かさびしい
外から見た駅舎。
乗り換え待ちの間に,名物の焼そばを食べようと駅周辺をうろついたが,店が開いていなかったりで断念となった。1時間後に久留米でラーメンを食べようということでここでの食事はパス。中学の修学旅行で宿泊とたこ作りで寄り,大学の実習でも訪れた日田だが,再会は寂しく終わった。
今度は列車で久留米を目指す。
夜明駅。素敵名前でここから日田彦山線も分岐しているが無人駅。地名の由来は何なんだろうか。
九州一の規模の筑後川も日田市内では三隈川と呼ばれている。
この間でも沈没橋と思われる橋が見えた。
途中の田主丸駅。
かっぱのような石造がある。
駅の看板でも…
かっぱがぶどうをとっている。かっぱの伝説がきっとあるのだろう。
終点の久留米駅に着く。
新幹線の工事中だった。
イラストの花は,つつじまつりも行われるし,きっとつつじだろう。
ここでも約30分,次の列車を待つ間,駅周辺をうろうろした。
3月21日行程 別府 5:59 大分 6:12 6:19 日田 8:45 9:25 久留米10:28 11:05 八代 13:40 14:10 人吉 15:25 17:09 吉松 18:09 18:27 隼人 19:21 19:34 鹿中央20:08 |
別府港から別府駅までは徒歩移動。
国道10号線に沿っての移動がほとんどだった。
途中…
日本学生支援機構の施設があった。学生のためになっているのかもしれないが,このような施設を管理しているのなら,主要事業の奨学金から利息を排除してくれればと思った。交流の場も必要だとは思うけど,余裕がないならどうなんだろうと思う。アクセス開析を見ると,このブログの検索ワードに「奨学金の利息は固定式とどちらが得か?」という検索キーワードがあった。公的なサービスで損得が生じるような仕組みは似合わないと思うのだが…年金の前納割引とかも,なんかなぁって思うときがある。
国道から離れしばらく歩くと,別府駅が見えてきた。
朝5時30分ごろということもあって,春休みの観光地でも静まり返っている。
駅前のモニュメント。
別府の伝統工芸の竹かごをモチーフにしていると説明があった。
籠の中には…
足湯ではなく手湯が湧いていた。
改札口へ行くと…
早朝であり,入口出口が分けられているが,一番端っこのものしか開いていなかった。
高架上のホーム。
ホームのない線路が結構ある。この高架の幅も結構広そうだ。奥に山並みも見える。鶴見山だろうか。
駅前の商店街をホームから。
まだ町は動き始めていない。
駅名の看板。
イラストは鶴見山を背景に温泉街が描かれている。
花のようなものもあるが,何の花かは分からなかった。
温泉地というだけあって…
こんな看板まである。
やがて大分方面へ行く電車が北が,録音されている駅名を読み上げる放送が,やたら別府の「ぷ~」の部分を延ばしている。まだ,動き始めたばかりの町にその女性の声が響きわたる。
別府を出るとそんなに時間がかからないうちに大分駅に着いた。高架化の真っ最中で,もともとの駅舎のホーム間の移動が地下道なのに加え,新しくできたホームは結構高い高架上にあるという健康によさそうな造りになっていた。
ここからは,鹿児島へ行くには日豊本線で宮崎経由で行く方が近い。フェリーで知人とメールをしていたのだが,「別府からは日豊本線ですか?」と聞かれたぐらい明らかに近い道だ。しかし,日豊本線佐伯延岡間が早朝と夕方にしか3本しか普通電車がない。その区間だけ特急を使うのもどうかと思ったので,久大線に乗り換え,久留米・熊本経由で帰ることにした。
高架上の高いホームから列車に乗り,久留米を目指す。
途中の駅は…
駅名の看板が丸太のようなデザインで囲まれているものが多かった。個人的には森のイメージがしたこの路線も,「九大本線」と本線だ。
途中の風景も…
川とアーチ状の橋が多く見えた。
途中の湯平駅。
現在は由布市にあるが,その前(2005年10月1日まで)は湯布院町,さらにその前(1955年2月1日)までは湯平町で,そのときの自治体の名前と一致している。「由布」とか「湯布院」だか,「ゆふ」の漢字がごちゃごちゃだが,「湯布院町」が由布院町と湯平村が合併してできた町でそれぞれの字をとったことに由来している。温泉地として知られる「ゆふいん」もそのときの自治体名以外は「由布院」という表記になっている。実際にはICの名前などに「湯布院」という字が採用されているなどややこしくなっている。この2つの表記,この説明では十分に言い切れてないが,追究すればとんでもなくややこしくなるので,ここではこの説明にとどめたい。ウィキでも「湯布院町」の項目に詳しく書かれている。
湯平から由布院へ向かう途中…
周囲がこんな感じになったが,霧なのか湯煙なのかは分からなかった。
由布院駅。
ここも霧のような状態が続いていた。地図で見るとこの駅によるために久大線が結構遠回りをしているのが分かる。
駅名の漢字表記は…
「由布院」と湯平と分離された方で使われている。イラストも由布岳に温泉に辻馬車と由布院の特徴が盛り込まれている。
由布院を出てだいぶ経つと,特徴的な形をした山が何度か見えた。
さらに途中には…
川の水かさが増えると沈没してしまいそうな高さの橋もあった。たぶん,沈没橋だろう。
やがて,日田に着いた。
駅自体の規模は比較的大きいが何かさびしい
外から見た駅舎。
乗り換え待ちの間に,名物の焼そばを食べようと駅周辺をうろついたが,店が開いていなかったりで断念となった。1時間後に久留米でラーメンを食べようということでここでの食事はパス。中学の修学旅行で宿泊とたこ作りで寄り,大学の実習でも訪れた日田だが,再会は寂しく終わった。
今度は列車で久留米を目指す。
夜明駅。素敵名前でここから日田彦山線も分岐しているが無人駅。地名の由来は何なんだろうか。
九州一の規模の筑後川も日田市内では三隈川と呼ばれている。
この間でも沈没橋と思われる橋が見えた。
途中の田主丸駅。
かっぱのような石造がある。
駅の看板でも…
かっぱがぶどうをとっている。かっぱの伝説がきっとあるのだろう。
終点の久留米駅に着く。
新幹線の工事中だった。
イラストの花は,つつじまつりも行われるし,きっとつつじだろう。
ここでも約30分,次の列車を待つ間,駅周辺をうろうろした。
※5日目-2へ続く。
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