城山の西側の斜面にあるといわれている清滝川の水源の池を探して,坂を上りきるとこんな碑を見つけた。
(2009年12月15日撮影)
鹿児島市により作られた碑のようだがまだ新しい感じがする。花や写真は住民の方が準備されたのかなとも思う。1939年,10歳の時から約2年間この地で過ごしたそうだ。
碑のある場所から後ろを振り返る。
(2009年12月15日撮影)
碑に向かって右手を見る。
(2009年12月15日撮影)
駐車場越しに桜島が望める。
碑の紹介文の中に,向田さんのエッセイ(『鹿児島感傷旅行』『眠る盃』)から「故郷の山や河をもたない東京生れの私にとって、鹿児島はなつかしい『故郷もどき』なのであろう。」と引用がされている。今でも城山を背にこんな景色の広がっている場所なので,そのころはもっと自然が多かったのではないかと思う。
城山の上の方へつながる道がないので,あまり平之町や照国町の城山川の坂を上ることはない場所だった。そんな場所でこのような碑に出会えたのは意外だった。
(2009年12月15日撮影)
鹿児島市により作られた碑のようだがまだ新しい感じがする。花や写真は住民の方が準備されたのかなとも思う。1939年,10歳の時から約2年間この地で過ごしたそうだ。
碑のある場所から後ろを振り返る。
(2009年12月15日撮影)
碑に向かって右手を見る。
(2009年12月15日撮影)
駐車場越しに桜島が望める。
碑の紹介文の中に,向田さんのエッセイ(『鹿児島感傷旅行』『眠る盃』)から「故郷の山や河をもたない東京生れの私にとって、鹿児島はなつかしい『故郷もどき』なのであろう。」と引用がされている。今でも城山を背にこんな景色の広がっている場所なので,そのころはもっと自然が多かったのではないかと思う。
城山の上の方へつながる道がないので,あまり平之町や照国町の城山川の坂を上ることはない場所だった。そんな場所でこのような碑に出会えたのは意外だった。
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