その1・その2・ その3・ その4・その5・その6 |
永田川に関する調査の報告をするのが明日なので,永田川をそのときの調査対象地域の少し上流まで遡っておきたい。
※その2からの続き。
北公民館から上流の方へ向かい,皇徳寺団地方へ小さな道(注:団地へ向かう道ではない)に入ると次のような場所がある。
(2008年7月19日撮影)
皇徳寺跡だ。皇徳寺というと住宅地のイメージで,高台に位置しているイメージがあるが,これは台地の下にある。台地の下で皇徳寺公民館を見かけたときに感じていた疑問が解けた。詳しくは別の記事で取り扱いたい。
川沿いの中山から皇徳寺団地へ向かう道の付近を上流へ向かっていると少し変わった通行人がいた。
(2009年2月9日撮影)
何度も通っている場所だが出会ったのは1回だけなのでたまたま散歩させていたのかもしれない。
一丁田と呼ばれる地区があり,田の神が史跡として指定されている。川沿いから離れて,北中の農協の前に像はある。
(2008年11月17日撮影)
横にあるのは「二十三夜待供養塔」だ。
皇徳寺団地入口から少し上流へ行くと,こんな風景が見られる。
(2009年2月5日撮影)
もともと川が流れていたところの上を埋めて,田を広げたような跡が残っている。
指宿スカイラインと交わるところから川幅が急に狭くなる。
(2009年2月5日撮影)
地図には描かれていないが,この場所で星ヶ峯団地方からの小さな川と合流しているようだ。
その先,道路が川と離れるため川近くの様子はしばらくうかがえないが,道路を松元方へ行くと妙楽寺という寺の案内板がある。
案内どおりに左折するとこのような橋がある。
(2008年11月17日撮影)
車も通る現役の石橋だ。
橋を渡り終わったすぐ左手に妙楽寺はある。
寺の入口には・・・
(2008年11月17日撮影)
手がとられるなど廃仏毀釈の跡が残っている。
この先,星ヶ峯みなみ台の入口付近で磨崖仏の案内板があるが,いつも磨崖仏を見つけることはできなかった。その下に大きな下水溝の穴があり,子ども達が遊んでいるのを見たことがあった。この当たりの写真を撮った記憶はあるのだが,データが見つからなかった。ただの撮りこぼしかもしれないが見つかり次第アップしたい。
※その4へ続く。
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