時戻素

昔の跡,やがてなくなる予定のもの,変化していくもの,自身の旅の跡など・・・

(No.124) 土々呂・轟の散策

2009年05月11日 04時31分02秒 | 旅・散策の足跡
18切符で大阪へ向かう途中に,タイトルにある「土々呂」と「轟」に寄った。両方とも同じ読み方をする。土々呂は宮崎県延岡市,轟は大分県佐伯市にある。

 土々呂へはJRで訪問をした。日向市と延岡の間に土々呂駅がある。

 駅前の様子。

(2009年3月29日撮影)

 やや暗くなってからの撮影で伝わりにくいかもしれないが,桜がきれいだった。

 ホーム側から見た待合室。

(2009年3月29日撮影)

 ひらがなの駅名の書体がポップに感じた。
 待合室横に見える建物が昨日の記事最後の画像のトイレだ。
 
 これ以外にもホームに駅名表示がされている。
 魚釣りのイラストが描かれているが,見比べてみると若干の差がある。


(2009年3月29日撮影)


 駅から延岡方へ歩き,踏切で線路を越え,さらに国道10号を越えてしばらく歩くと漁港がある。


(2009年3月29日撮影)


 駅ではイラスト以外から感じることはあまりできないが,漁業の町のようだ。
 港周辺に1箇所だけ店の前にあの有名なととろの立看板を作っている店があったが,他はととろと地名を関連付けている様子はあまり感じられなかった。

 その翌日,佐伯の轟へ行った。轟で「ととろ」と読む。
 こちらには現役のととろのバス停がある。

 延岡の土々呂にも国道10号にバス停がある。

(2009年3月29日撮影)

 こちらはごく普通のバス停だ。
 
 それに対して佐伯のバス停は・・・




(2009年3月30日撮影)

 丁度帰りのバスがやってきたところを撮影。
 川の上にバス停の待合所が作られている。
 
 正面から見てみる。

(2009年3月30日撮影)

 周囲が斜面に囲まれていることもあって雰囲気がいい。

 バスの時刻表。

(2009年3月30日撮影)

注:木浦行きが佐伯市街地からととろ方面の到着時間,葛港行きがととろから佐伯市街方面の発時間。

 平日  木浦行き7:00,12:11,16:46
     葛港行き 7:42,13:07,17:26

 土曜日 木浦行き 7:39,12:11
     葛港行き 8:21

 日祝日 なし

となっている。通学,通勤向けなのだろうが,なかなか客層の読みにくいダイヤだ。佐伯駅前からは1時間20分程度で片道1300円だった。(2009年3月30日現在)途中,日豊本線の重岡~佐伯の各駅付近に停まり,重岡からだと運賃を690円までに抑えられるが,同区間は早朝に1本,夕方に2本しか列車が停まらず,駅かととろバス停かで相当の時間をつぶさないといけない。ととろバス停を検索すると,ドライブコースと出るように,公共交通機関を使ってのアクセスは一般的ではなさそうだ。土日祝のダイヤでの訪問は厳しく,平日に訪問できるように日程を調節するのが大変だった。行きのバスは途中まで地元の方が利用されていたが,帰りは国道10号に出るまで運転手と2人っきり(しかも行きのバスの折り返しのため同じ運転手)だった。

 ととろのバス停で約1時間を過ごしたが,バス停周辺の様子を以下に書きたい。

 バス停から木浦方面へ少し歩くと川岸に見えてくる。

(2009年3月30日撮影)

 訪問者が作って持ち寄ったととろが並べられている。めいちゃんの立看板もある。

 そこから川と反対の方向を見ると・・・

(2009年3月30日撮影)

 ポストとハガキの記載所がある。

 ポストの側面。

(2009年3月30日撮影)

 毎日回収されているようだ。所在地に住所とは別にととろと書いてある。

 ハガキ記載所の壁。

(2009年3月30日撮影)

 訪問者のサインが残され,手作りのととろの置物も置いてあった。

 そこから斜面を登ると神社の鳥居がある。鳥居から先へはこの日は行かなかった。道路へ戻り,少し木浦方へ行くとトイレ(水洗)があり,そこから川越しに次のような風景が見える。

(2009年3月30日撮影)


 橋を渡り,猫バスへ近づく。

(2009年3月30日撮影)


 この猫バスは2代目で1代目はそこそこ離れた場所で保存されているらしい。
 1代目の猫バスは突然現れ,誰が作ったのか分からない状況だったようだ。

 裏へ回ると・・・


(2009年3月30日撮影)

 写真撮影用の台がある。

 その周辺には詩の書かれた碑が立っている。

 近くの木には・・・

(2009年3月30日撮影)

 ここにも訪問者によって作られた置物が置かれている。

 観光地化のきっかけも母が娘のために描いたととろの絵がバス停に貼ったことのようで,待合所が川上なのも,場所がなかったからのようだ。先に訪問された方の書かれたブログを見ると,自分が見ることのなかった看板なども載っていて,数年前はまた雰囲気が違ったのかもしれない。

 この周辺の道路の行き先には日之影(宮崎県)の文字も見られ,2つの「ととろ」は近い場所にある。本当のととろのモデルは埼玉だったと思うが,佐伯の轟もそれ相応の雰囲気のある場所だと感じた。

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