時戻素

昔の跡,やがてなくなる予定のもの,変化していくもの,自身の旅の跡など・・・

(235) 正解のある世界

2009年11月25日 02時24分24秒 | Weblog
 義務教育の小中学校はもちろん,高校もほとんどの日本人が経験する世界だろう。授業や各活動を通して社会に出る準備をしていく場所だ。学校を社会の縮図という言い方も珍しくないし,在学中はそのことに疑問も持っていなかった。しかし,最近になって,この学校という世界が極めて特殊な世界のように思えてきた。今回から5回の記事では,学校という社会の不思議さを取り上げてみたい。



 学校という社会の独特な文化の一つが「正解のある世界」ということだろう。(もちろん全てではない。)教科書に書かれていることを学び,テストでその理解度を問われる。テストの答案は○×△で評価され,点数がつく。客観評価がしがたい問題であっても,教師判断で点数がつくこともある。勉強に関することだけでなく,生活面に関しても,「いい」「わるい」の区別は割とはっきりしているように感じる。そして,絶対的な正義というものも存在しているように思う。
 しかし,大学に入ってオリエンテーションで,「大学での勉強は教科書の内容を疑うことから始まる」と言われた。このことを理解できたのは大学に入ってかなり経ってからだった。指導教員の「質問をしても自分も分からない場合がある」という言葉や実習で出された課題について解答を考えられる限り示され,さらに他の考え方もあるかもしれないと付け加えられたことが大きなきっかけだっただろうか。それまでは,いくらやってもすっきりしない感じがして,居心地が悪かった。
 働く場においても一緒だろう。マニュアルというものは存在しているが,それだけでは対応できないことも多い。まして,マニュアルに書かれた内容に反する行動をとることが必要な時もある。マニュアルはそれまでの経験からはベストなやり方のかもしれないが,それを取り組んでいるうちにもっといい別のやり方が見えてくることもある。その場合,マニュアルが覆ることもありえる。「分からなかったら質問しろと言われたので上司に質問したらそんなことも分からないのか,自分で考えれば分かるだろうと言われ,質問せずに間違えたら何故質問をしなかった」というような理不尽ともいえそうな場面で,上司にそのことを問いつめても何の解決にもならないし,むしろ自分の立場を追い込むことになるだろう。
 これらの世界で次のステップに進むために必要な受験という仕組みや,最近話題になっている学力低下などの話題も正解がある世界において成り立っているものではないだろうか。この学力というものを考えてみると,全ての学力が試験で測れるものではないように感じる。特に思考力については,答案として表れないところも多い。「(順序がばらばらになった)次の会話を自然な流れになるように並べ替えなさい」という問題の観点別評価が【話す・聞く力】なんて書いてあると本当かと思ってしまう。おそらく,「学力とは何か」という問に明確な答えというものはないのではないだろうか。いろいろな学力は出てくるが,全てをあげることはできないし,逆にそれらを一括した端的な言葉というものはなかなか出てこない。
 その一方で,就職試験にSPIも取り入れられ,就活にも正解のある世界が導入されつつある。

 卒論で悩んでいた時に,中学生レベルの一問一答の問題を解いてみると本当に気楽だった。明確な答えのある世界は居心地が良かった。
 身の回りは対人関係,子育てなどどのやり方が正解と言いがたいことであふれている。正解が得られないことに悩みながら,生きていくのは必至なのかもしれない。

※ この記事自体も,今のところは雑多な内容の羅列なので完成とはいえないのでしょうが,頭の中がモヤモヤとしていることの表れということでご了承下さい。

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