時戻素

昔の跡,やがてなくなる予定のもの,変化していくもの,自身の旅の跡など・・・

(No.38) 裁判員制度

2008年12月02日 03時54分08秒 | 過去になる現在
 鹿児島地方検察庁の前にあるこの看板。

 
(2008年11月28日撮影)


 かなり前からあるものだが,先日候補者に通知が送られた裁判員制度の呼びかけだ。
 この看板を見るたびに突っ込みたくなる箇所が何点かある。
 ドラマなどで使われているため,鹿児島の人々は「おいどん」というなどという誤解を招く「おいどん」という言葉が使われている。(ある講義にて福岡出身で鹿児島居住歴がそこそこある教授が,「鹿児島中央駅なんてどこにでもありそうな名前にしないで,「おいどん駅」にすればインパクトがあったのに」などと言っていたのを考えると県外人にとってそれなりにインパクトのある言葉なのだろう。)
 今はあまり使われていなくても,地域の文化を大切にしているという捉え方も出来る。現在放送されている朝の連続ドラマ小説では,京都の老人ホームでボランティアをしている大学生が,島根の方言を利用者に対して使っている。しかも,やや乱暴な言い方に聞こえるので,常識があるのか疑ってしまう。地域振興のためとはいえ,方言を多用しすぎるのは逆に印象を悪くするように思う。数年前の「まんてん」の鹿児島弁は「じゃあばってん」などという言葉が使われていたが,そんな言葉聞いたこともなかった。「まんてんの方言問題」と言われるほど地元では話題になっていた。
 この看板の場合,さすがにしつこさはないのだが,「おいどん」はやはり違和感がある。これがきっかけで「おいどん」がどの程度使われていたのか検索してみた。頻度までは判明しなかったが,自分を指す「おい」に,複数形を表す「どん」が付いたもののようだ。「どん」をただ単に名前につける言葉という見方もあるので完全に間違いとは言えないが,一人称での「おいどん」はややおかしいのかもしれない。
 他にも,さくらじまをイメージしたキャラクターが西郷隆盛に,一緒に裁判員制度に参加しようと呼びかけている設定もどのような過程で考えられたのか興味深い。


 方言の話に反れてしまったが,来年からいよいよ裁判員制度が導入される。
 当初,この制度の導入には,抵抗があった。法曹という司法試験という難関を突破しなければなれないような職業が存在している以上,司法はかなり専門的な分野であり,法律を大して知らない一般市民が参加することにあまり意味を感じないどころか返って混乱を招くのではないかと思っていた。この制度では有罪・無罪だけでなく,刑の量までも判断することになっている。司法の専門ですら,悩むことがある問題を義務教育の最後の学年である中学3年生もこの制度のことを案外知らない。この制度の導入により,社会科,公民科で法教育が重視されるようになった。しかし,現行の中学校の教科書を見る限りでは十分とはいえない。高校進学率がほぼ全員に近いとはいえ,高校は高校で事情があって,現況では十分に法教育に力は入れられないだろう。(ここでの十分な法教育の基準は,裁判員となったときに生かすことができる法運用力が身につくこととして書いている。)さらに,被害者が法廷において質問をできるようになると,専門家ではない裁判員は,感情移入しすぎて,自分の考える真実が見えにくくなるのではという不安もある。

 裁判員制度を見直すきっかけになったのが,「日本の裁判の有罪率が99.9%」ということの意味を考えたことだった。このことから考えられることの例として,次のような例を聞く。

1 日本の検察が優秀であり,しっかりと有罪の確証が得られてから起訴している。
2 日本の裁判所はほとんど機能していない。
3 検察も裁判所も(警察も)国の機関であり,お互いの面子をつぶすようなことができない。

 上記の3つがよく見かける解釈だと思う。どれも,完全に肯定することも,逆に完全に否定することもできないように思う。特に2については,裁判には,有罪・無罪を争うのではなく,刑の軽減を争うものもあるので,そのような裁判においては機能していないとまでは言い切れないだろう。
 もし仮に3のような側面が本当にあるとすれば,裁判員制度は非常に有効であるといえそうだ。

 日本の司法がより国民にとってなじみの深いものになろうとしている。判断を誤れば,他人の人権を侵害することになる。
 裁判員への十分なサポートや将来裁判員になる可能性がある児童・生徒により効果的な法教育を行っていくことが望まれる。

 一方で,日本の法律は,あまりにも専門家のためのものであり過ぎるように思う。国民を縛っているものなのだから,国民にとって分かりやすい,理解できるものであるべきではないだろうか。法学部の学生だけが学んでおけばいいものではないはずだ。曖昧に解釈ができる部分も問題ではないだろうか。例えば,銃刀法は知っていても,軽犯罪法第1条第2項「正当な理由がなくて刃物、鉄棒その他人の生命を害し、又は人の身体に重大な害を加えるのに使用されるような器具を隠して携帯していた者」を知らずに,職質の持ち物検査で逮捕されてしまう国民がいる。知っていたとしてもこの「正当な理由」という言葉がややこしい。(注:以下,インターネットソースなので,真実かどうかの保証はない。)職場で事務の仕事に必要だからとカッターを筆箱の中に携帯していた場合で,会社にカッターを置いておけばいいとの理由で通らなかったり,キャンプでナイフを使うから車の中にナイフをおいておいたという場合も,キャンプ当日でなければならないとなったり,車の修理のために入れておいた工具もダメだとされたりすることもあるようだ。たいていの場合,検察で不起訴処分になるようだが,逮捕はされてしまったことになる。しかも,調書に書かれる理由は「護身用」などの言葉に解釈された上で記載されることもあるらしい。
 法律の用語は「外国語」と呼ばれているような現状では,裁判員制度の活性化は困難ではなかろうか。

 いずれにせよ,来年から制度が始まる。国民の人権を守れる方向へ裁判員制度が導く結果になればと思う。

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