印旛沼のほとりに小高い丘があって、千葉県立印旛沼公園になっている。
春は桜が見どころ、夏は、印旛沼の花火大会の絶好の見物場所なのです。
冬の暖かい午前中、公園にいってみました。今は季節外れだが、梅園があって、紅白の梅が静かに咲いていました。
丘の展望台からは、印旛沼の茫漠たる広がりが見渡せます。
この丘は、鎌倉時代から江戸時代初期まで、千葉氏傘下の師戸(モロト)城があったところなのだ。
上総下総の豪族千葉氏の一族の臼井氏が臼井城に拠り、その支城として武将、師戸氏が拠点にしていた。永禄9年(1566)上杉謙信に攻められたが、よく防いだ。天正18年(1590)豊臣氏の下総攻略に敗れて千葉氏が滅んで落城したといわれる。
今でも本丸、二の丸、三の丸、道場台の区割りが見られ、空堀もくっきりと残っているのだった。
空堀
印旛沼の橋を渡った対岸には臼井城の遺構があって、水面の南北でこの地を守っていたのだ。
春は桜が見どころ、夏は、印旛沼の花火大会の絶好の見物場所なのです。
冬の暖かい午前中、公園にいってみました。今は季節外れだが、梅園があって、紅白の梅が静かに咲いていました。
丘の展望台からは、印旛沼の茫漠たる広がりが見渡せます。
この丘は、鎌倉時代から江戸時代初期まで、千葉氏傘下の師戸(モロト)城があったところなのだ。
上総下総の豪族千葉氏の一族の臼井氏が臼井城に拠り、その支城として武将、師戸氏が拠点にしていた。永禄9年(1566)上杉謙信に攻められたが、よく防いだ。天正18年(1590)豊臣氏の下総攻略に敗れて千葉氏が滅んで落城したといわれる。
今でも本丸、二の丸、三の丸、道場台の区割りが見られ、空堀もくっきりと残っているのだった。
空堀
印旛沼の橋を渡った対岸には臼井城の遺構があって、水面の南北でこの地を守っていたのだ。