●海賊旗(ジョリー・ロジャー)画像右→
「降伏すれば命は保証、抵抗すれば皆殺し」の印である海賊旗(ジョリー・ロジャー)は18世紀になってから使われだしたものである。
●ヴァイキング
・ノルマン人の事で、8世紀から12世紀にかけて、ヨーロッパの各地を侵略し、席巻した。一部はスコットランドや北イングランドに入植した。
●倭寇
・14世紀、16世紀の二度の波に分かれて中国・朝鮮の沿岸を襲い、それぞれ前期倭寇、後期倭寇という。実際には、前期の倭寇には反乱高麗人が、後期倭寇には中国人が多数含まれていた。
●海賊衆(水軍)
・中世日本で活動した、交易を行う傍ら船舶や村への略奪、あるいは逆に金銭を取って船舶航行の警護を組織的に行った沿岸の国人、土豪の事を海賊と呼んだ。
・村上水軍(瀬戸内)・九鬼水軍(志摩半島)・安東水軍(十三湊)・塩飽水軍(塩飽諸島・播磨灘)・熊野水軍(鳥羽・熊野灘)・駿河水軍(清水・遠州灘) ・淡路水軍(洲本・紀淡海峡) ・五島水軍(江川・玄界灘) ・豊後水軍(一尺屋・豊後水道)・坊津水軍(坊津・大隅海峡) など
●ゼーゴイセン
・オランダのプロテスタント(カルヴァン派)の事。オランダ独立戦争の初期に海賊として、スペインやカトリック勢力と戦った。
●私掠船
・大航海時代から後の西ヨーロッパで、諸国が海軍力を補うために、民間船に私掠勅許状を与え、敵国の艦船を拿捕することを許して海賊行為を奨励した。このような公認の海賊としてはイギリスのフランシス・ドレーク提督や、フランスのコルセール海賊たちが有名である。
●バルバリア海賊
・バルバリア海岸と呼ばれた北アフリカのアルジェリア、チュニジアの沿岸部を根拠地として海賊行為を行ったイスラム教徒の船乗りの総称。オスマン帝国の保護を受けており、私掠船の一種ともいえる。
●バッカニア(カリブの海賊)
・17世紀から18世紀にかけてカリブ海のスペイン領を中心に荒らしまわった海賊で、その名は西インド諸島の原住民が作る日干し肉(buccaning)を航海食として利用したことに由来する。
・主にイギリス・フランス・オランダなどからの逃亡者やスペイン入植者に追われた先住民が海賊となったもの。
・無法者ながら「女性や子どもの捕虜には乱暴しない」など独自の掟を持ち、また封建制が普通だった時代に稀有な平等主義・民主主義者であったことから、襲われた船員が転向するケースもあったという。
・多くの海賊が、トルトゥーガ島を本拠地とした。この種の海賊としては、後に「サー」の称号を得たヘンリー・モーガンや残虐行為で名を馳せたフランソワ・ロロネーなど多岐に渡る。
【有名な海賊】
●アルビダ(海賊となったスカンディナヴィア王女)
・歴史上(5世紀頃)、最も古い時期に属す著名な女海賊。バルト海を舞台に活動した。
●アン・ボニー(1697年?‐1720年?)
・18世紀にカリブ海を荒らした海賊ジョン・ラカムの手下の1人である。多くが謎に包まれた人物であるが、女海賊の代名詞とも言われ、多くの伝説を残している。
●ウィリアム・キッド(1645年 - 1701年5月23日)
・グリーノック、スコットランド生まれの私掠船、そして後に海賊船の船長。「キャプテン・キッド」の別名が広く知られている。
・キッドがどこかに財宝を埋めているという説があり、キャプテン・キッドとして彼の活躍は伝説となることになる。複数の作家がキャプテン・キッドを題材に小説を書きあげる。エドガー・アラン・ポーの『黄金虫』やロバート・ルイス・スチーブンソンの『宝島』がそれらの作品の代表作である。ニューヨーク湾に位置するガーディナーズ島で今も財宝探しが行われている。
●王直(おうちょく 生年不詳 - 1559年12月25日)
・中国、明代の貿易商人(海商)で、倭寇の頭目。五峰、老船主と称した。
・1540年には日本の五島に来住し、1542年に松浦隆信に招かれて平戸に移った。そして1553年に烈港が再び明軍によって攻撃されると王直は活動拠点を五島や平戸に移したとされている。
・1543年(天文12年)ともされる日本への鉄砲伝来にも関っていたとも言われる。
●黒髭(1680年? - 1718年11月22日)
・1716年から1718年にかけてカリブ海を荒らしまわった、イギリス生まれの海賊である。名前は、エドワード・ティーチ?
・黒髭は船を襲う時は、何振りもの剣とナイフ、数丁のピストルを身につけて現れ、あだ名となった豊かな黒髭に麻の切れ端や火をつけた導火線を編みこんでいた。この余りに印象的な黒髭の姿が、後の小説や劇、映画などに登場する海賊の姿の元になった。
・1996年にノースカロライナ州ビューフォートの近くで彼の乗船が発見され、観光名所となっている。
・東京ディズニーランドにあるアトラクション「カリブの海賊」のガリオン船に乗った船長は、ティーチがモデルである。
●ジョン・ラカム(?‐1720年)
・1718年から1720年にかけてカリブ海を荒らした海賊船長の一人である。
・ジョン・ラカムの海賊旗デザインは数多い海賊旗デザインの中でもとりわけ特徴的なためか創作作品にもよく登場する。ハリウッド映画でも度々使用され、1995年の『カットスロートアイランド』や、2003年に大ヒットした『パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち』でも海賊船ブラック・パールが掲げる旗として登場している。
●ハイレディン・バルバロッサ(赤髯)(1475年 – 1546年)
・「バルバロス(赤髯、またはバルバリアの王の意)」と呼ばれ、ヨーロッパ人からおそれられた大海賊。
・当初はアルジェを拠点に北アフリカ海岸で活動する海賊を率いていたが、1533年、艦船や人員丸ごとすべてオスマン帝国に帰順した。帰順後、スレイマン1世からオスマン水軍の司令官職であるカプダン・パシャに任じられ、1538年のスペインとのプレヴェザ海戦の勝利を導いた。
●バーソロミュー・ロバーツ(1682年‐1722年2月10日)
・その生涯において合計400隻・5千万ポンドに及ぶ船舶を略奪したと言われ、18世紀前半までのいわゆる「大海賊時代」最後にして最大の海賊とされる。
●フランシス・ドレーク(1543年? - 1596年1月28日)
・南イングランド生まれのイギリスの海賊、私掠船船長、海軍提督。「エル・ドラコ(ドラゴン=悪魔の権化)」(もしくはエル・ドラゴ)の異名で知られる。
●フランソワ・ロロネー(1635年‐1667年)
・1660年代に活躍したカリブ海の海賊。フランスのレ・サーブル・ドロンヌで生まれたという。ヨーロッパ人に「ロロネーに会う位なら死んだ方がマシ」とまで言われたという。
●ヘンリー・モーガン(1635年 - 1688年8月25日)
・17世紀にカリブ海で活躍したイギリス出身の海賊である。彼は、海賊を引退した後、ジャマイカ島代理総督などの、国家の役職につき、海賊を取り締まる立場になった。なお、モーガンの生涯は、作家ジョン・スタインベックが『黄金の盃』に、ジョン・エスケメリングが『カリブの海賊』に書いている。
●メアリ・リード(17世紀末-1720年)
・18世紀カリブ海を荒らしていた海賊ジョン・ラカムの手下の1人である。
・同じくラカムの手下であったアン・ボニーとともに、伝説的な女海賊として知られる。
●キャプテン・キッドの埋宝(鹿児島県・南西諸島の宝島/沖縄県・西表島)
・ことの起こりは昭和12年「日本東京・日本領事館」宛で「コネチカット州サウシントン市米国探偵家秘密情報員」から届いた一通の郵便であった。
「この地図は1700年頃キッド自身が書き残した記録の写し…」で始まる内容は実に荒唐無稽と言うもの。
・そこにはなんと、海賊キッドが東シナ海で稼いだ財宝を南西諸島の宝島に埋めたというのだ。夢のような内容だがこれが新聞報道されるや南の島は空前の宝探しブームにわいた。
・「宝のある場所は、死の谷と名付けられる窪地、活火山から噴出する有毒ガスが常によどんでいる」
・宝島では東側の経ヶ峰が当てはまる、そして鍾乳洞の洞窟もあり絶好の場所。しかし、何度かのブームによる宝探しが行われたが発見したという情報はない。
・キッドが残したという島の地図が西表島にそっくりという根拠で。
参考にしたHP
ウィキペディア(Wikipedia)ほか
「降伏すれば命は保証、抵抗すれば皆殺し」の印である海賊旗(ジョリー・ロジャー)は18世紀になってから使われだしたものである。
●ヴァイキング
・ノルマン人の事で、8世紀から12世紀にかけて、ヨーロッパの各地を侵略し、席巻した。一部はスコットランドや北イングランドに入植した。
●倭寇
・14世紀、16世紀の二度の波に分かれて中国・朝鮮の沿岸を襲い、それぞれ前期倭寇、後期倭寇という。実際には、前期の倭寇には反乱高麗人が、後期倭寇には中国人が多数含まれていた。
●海賊衆(水軍)
・中世日本で活動した、交易を行う傍ら船舶や村への略奪、あるいは逆に金銭を取って船舶航行の警護を組織的に行った沿岸の国人、土豪の事を海賊と呼んだ。
・村上水軍(瀬戸内)・九鬼水軍(志摩半島)・安東水軍(十三湊)・塩飽水軍(塩飽諸島・播磨灘)・熊野水軍(鳥羽・熊野灘)・駿河水軍(清水・遠州灘) ・淡路水軍(洲本・紀淡海峡) ・五島水軍(江川・玄界灘) ・豊後水軍(一尺屋・豊後水道)・坊津水軍(坊津・大隅海峡) など
●ゼーゴイセン
・オランダのプロテスタント(カルヴァン派)の事。オランダ独立戦争の初期に海賊として、スペインやカトリック勢力と戦った。
●私掠船
・大航海時代から後の西ヨーロッパで、諸国が海軍力を補うために、民間船に私掠勅許状を与え、敵国の艦船を拿捕することを許して海賊行為を奨励した。このような公認の海賊としてはイギリスのフランシス・ドレーク提督や、フランスのコルセール海賊たちが有名である。
●バルバリア海賊
・バルバリア海岸と呼ばれた北アフリカのアルジェリア、チュニジアの沿岸部を根拠地として海賊行為を行ったイスラム教徒の船乗りの総称。オスマン帝国の保護を受けており、私掠船の一種ともいえる。
●バッカニア(カリブの海賊)
・17世紀から18世紀にかけてカリブ海のスペイン領を中心に荒らしまわった海賊で、その名は西インド諸島の原住民が作る日干し肉(buccaning)を航海食として利用したことに由来する。
・主にイギリス・フランス・オランダなどからの逃亡者やスペイン入植者に追われた先住民が海賊となったもの。
・無法者ながら「女性や子どもの捕虜には乱暴しない」など独自の掟を持ち、また封建制が普通だった時代に稀有な平等主義・民主主義者であったことから、襲われた船員が転向するケースもあったという。
・多くの海賊が、トルトゥーガ島を本拠地とした。この種の海賊としては、後に「サー」の称号を得たヘンリー・モーガンや残虐行為で名を馳せたフランソワ・ロロネーなど多岐に渡る。
【有名な海賊】
●アルビダ(海賊となったスカンディナヴィア王女)
・歴史上(5世紀頃)、最も古い時期に属す著名な女海賊。バルト海を舞台に活動した。
●アン・ボニー(1697年?‐1720年?)
・18世紀にカリブ海を荒らした海賊ジョン・ラカムの手下の1人である。多くが謎に包まれた人物であるが、女海賊の代名詞とも言われ、多くの伝説を残している。
●ウィリアム・キッド(1645年 - 1701年5月23日)
・グリーノック、スコットランド生まれの私掠船、そして後に海賊船の船長。「キャプテン・キッド」の別名が広く知られている。
・キッドがどこかに財宝を埋めているという説があり、キャプテン・キッドとして彼の活躍は伝説となることになる。複数の作家がキャプテン・キッドを題材に小説を書きあげる。エドガー・アラン・ポーの『黄金虫』やロバート・ルイス・スチーブンソンの『宝島』がそれらの作品の代表作である。ニューヨーク湾に位置するガーディナーズ島で今も財宝探しが行われている。
●王直(おうちょく 生年不詳 - 1559年12月25日)
・中国、明代の貿易商人(海商)で、倭寇の頭目。五峰、老船主と称した。
・1540年には日本の五島に来住し、1542年に松浦隆信に招かれて平戸に移った。そして1553年に烈港が再び明軍によって攻撃されると王直は活動拠点を五島や平戸に移したとされている。
・1543年(天文12年)ともされる日本への鉄砲伝来にも関っていたとも言われる。
●黒髭(1680年? - 1718年11月22日)
・1716年から1718年にかけてカリブ海を荒らしまわった、イギリス生まれの海賊である。名前は、エドワード・ティーチ?
・黒髭は船を襲う時は、何振りもの剣とナイフ、数丁のピストルを身につけて現れ、あだ名となった豊かな黒髭に麻の切れ端や火をつけた導火線を編みこんでいた。この余りに印象的な黒髭の姿が、後の小説や劇、映画などに登場する海賊の姿の元になった。
・1996年にノースカロライナ州ビューフォートの近くで彼の乗船が発見され、観光名所となっている。
・東京ディズニーランドにあるアトラクション「カリブの海賊」のガリオン船に乗った船長は、ティーチがモデルである。
●ジョン・ラカム(?‐1720年)
・1718年から1720年にかけてカリブ海を荒らした海賊船長の一人である。
・ジョン・ラカムの海賊旗デザインは数多い海賊旗デザインの中でもとりわけ特徴的なためか創作作品にもよく登場する。ハリウッド映画でも度々使用され、1995年の『カットスロートアイランド』や、2003年に大ヒットした『パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち』でも海賊船ブラック・パールが掲げる旗として登場している。
●ハイレディン・バルバロッサ(赤髯)(1475年 – 1546年)
・「バルバロス(赤髯、またはバルバリアの王の意)」と呼ばれ、ヨーロッパ人からおそれられた大海賊。
・当初はアルジェを拠点に北アフリカ海岸で活動する海賊を率いていたが、1533年、艦船や人員丸ごとすべてオスマン帝国に帰順した。帰順後、スレイマン1世からオスマン水軍の司令官職であるカプダン・パシャに任じられ、1538年のスペインとのプレヴェザ海戦の勝利を導いた。
●バーソロミュー・ロバーツ(1682年‐1722年2月10日)
・その生涯において合計400隻・5千万ポンドに及ぶ船舶を略奪したと言われ、18世紀前半までのいわゆる「大海賊時代」最後にして最大の海賊とされる。
●フランシス・ドレーク(1543年? - 1596年1月28日)
・南イングランド生まれのイギリスの海賊、私掠船船長、海軍提督。「エル・ドラコ(ドラゴン=悪魔の権化)」(もしくはエル・ドラゴ)の異名で知られる。
●フランソワ・ロロネー(1635年‐1667年)
・1660年代に活躍したカリブ海の海賊。フランスのレ・サーブル・ドロンヌで生まれたという。ヨーロッパ人に「ロロネーに会う位なら死んだ方がマシ」とまで言われたという。
●ヘンリー・モーガン(1635年 - 1688年8月25日)
・17世紀にカリブ海で活躍したイギリス出身の海賊である。彼は、海賊を引退した後、ジャマイカ島代理総督などの、国家の役職につき、海賊を取り締まる立場になった。なお、モーガンの生涯は、作家ジョン・スタインベックが『黄金の盃』に、ジョン・エスケメリングが『カリブの海賊』に書いている。
●メアリ・リード(17世紀末-1720年)
・18世紀カリブ海を荒らしていた海賊ジョン・ラカムの手下の1人である。
・同じくラカムの手下であったアン・ボニーとともに、伝説的な女海賊として知られる。
●キャプテン・キッドの埋宝(鹿児島県・南西諸島の宝島/沖縄県・西表島)
・ことの起こりは昭和12年「日本東京・日本領事館」宛で「コネチカット州サウシントン市米国探偵家秘密情報員」から届いた一通の郵便であった。
「この地図は1700年頃キッド自身が書き残した記録の写し…」で始まる内容は実に荒唐無稽と言うもの。
・そこにはなんと、海賊キッドが東シナ海で稼いだ財宝を南西諸島の宝島に埋めたというのだ。夢のような内容だがこれが新聞報道されるや南の島は空前の宝探しブームにわいた。
・「宝のある場所は、死の谷と名付けられる窪地、活火山から噴出する有毒ガスが常によどんでいる」
・宝島では東側の経ヶ峰が当てはまる、そして鍾乳洞の洞窟もあり絶好の場所。しかし、何度かのブームによる宝探しが行われたが発見したという情報はない。
・キッドが残したという島の地図が西表島にそっくりという根拠で。
参考にしたHP
ウィキペディア(Wikipedia)ほか