坂本龍、日本の整体

Perfume、社会科学(政治経済)、自然科学などなど、思うところを

【社】亀井静香モラトリアム

2009-09-29 03:07:54 | 日記
 債務返済モラトリアム、か。

 銀行 →(融資)→ 法人、個人 
政府がこの際の金利の一部を負担する政策、ってとこか。

 銀行は債務返済が滞りそうな法人個人の、返済計画を延長する計画を作る。
債務者ではなく、銀行が政府に申請する。
延長した分の金利の一部を政府が肩代わりする。
期間は1or2or3年間。
融資先が破産した場合の元利に対する政府による補償はなし。

 具体的イメージを浮かばせるための比喩・例示をする。
金貸し業とは、金をある金利で集めてきて、それをそれ以上の金利で貸して、
その利ザヤで儲けるって事。金を横から横へ流すだけで金儲けするなんてケ
シカラン、とか思う人がいるかもだけど、要はレンタルビデオ屋と同じ事。

 金貸し業
銀行がAさんに1万円を貸す。返済計画は、「借りてる間、毎月金利100円
を払う。そして5年後に元本の1万円を返却する。」とする。

 これをレンタルビデオに例える。
「レンタル屋が1万円でビデオを入手し、それをAさんに貸してる間、1ヶ月
100円払わせる。そして5年後にビデオを返却させる。」って事。

 この貸借関係を例に考えてみる。
Aさん資金繰りが上手くゆかず、毎月の100円が払えそうもない。Aさん、
銀行に1年間のモラトリアムを願い出る。色んなモラトリアムのパターンが
考えられる。

①の1
1年間、毎月分の100円を払わなくていい。
その分は、銀行が被る。(1ヶ月100円)
①の2
1年間、毎月分の100円を払わなくていい。
その分は、政府が被る。(1ヶ月100円)
①の3
1年間、毎月分の100円を払わなくていい。
その分は、銀行と政府が1/2ずつ被る。(1ヶ月50円ずつ)
①の3
1年間、毎月分の100円を払わなくていい。
その分は、Aさんと銀行が1/2ずつ被る。(1ヶ月50円ずつ)
①の4
1年間、毎月分の100円を払わなくていい。
その分は、Aさんと政府が1/2ずつ被る。(1ヶ月50円ずつ)
①の5
1年間、毎月分の100円を払わなくていい。
その分は、Aさんと銀行と政府が1/3ずつ被る。(1ヶ月33円ずつ)

その②、仮に貸出金利を10パーセントとする。
②の1
1年間、毎月分の100円を払わなくていい。
その代わり元本返却後も1年間払い続ける。
1年間の運用利回り分は、銀行がかぶる。(1ヶ月10円)
②の2
1年間、毎月分の100円を払わなくていい。
その代わり元本返却後も1年間払い続ける。
1年間の運用利回り分は、政府が被る。(1ヶ月10円)
②の3
1年間、毎月分の100円を払わなくていい。
そのかわり元本返却後も1年間払い続ける。
1年間の運用利回り分は、銀行と政府が1/2ずつ被る。(1ヶ月5円ずつ)
②の4
1年間、毎月分の100円を払わなくていい。
そのかわり元本返却後も1年間払い続ける。
1年間の運用利回り分は、Aさんと銀行が1/2ずつ被る。(1ヶ月5円ずつ)
②の5
1年間、毎月分の100円を払わなくていい。
そのかわり元本返却後も1年間払い続ける。
1年間の運用利回り分は、Aさんと政府が1/2ずつ被る。(1ヶ月5円ずつ)
②の6
1年間、毎月分の100円を払わなくていい。
そのかわり元本返却後も1年間払い続ける。
1年間の運用利回り分は、Aさんと銀行と政府が1/3ずつ被る。
(1ヶ月3.3円ずつ)

 まぁ、①は『モラトリアム(猶予)』ではなく『免除』だから、今
回の場合、違うかな。では猶予である②のどれが現実的か。いずれの
方法もAさんの負担は減る。つまり得をする。②の1、4は、金利の
一部免除って事であり、民・民の話し合いの上で決めれば良い事。で
法整備をし政府が介入するとなると、②の2、3、5、6なわけだ。

 三方一両損ではないが、②の6が良いだろう。Aさんは得をし(損が
減り)、Aさんが得をした分を銀行と政府が半々で損をする。これによ
り銀行と政府のモラルハザードを防げる。銀行が損をしない②の2、5
だと銀行のモラルハザードを防げない。銀行に一定の損をさせる事によ
り、審査、申請の厳密化を促せる。政府へと申請する主体はAさんでは
なく銀行にすべき。債務者は得をするばかりなので債務者が申請すると、
申請ラッシュが起きて政府当局の事務処理が追いつかない。

 簡単に言えば、「借金の金利の一部減免処置。減免された分は銀行と
政府が負担をする。」という政策。

 正直、あんまり筋のよい政策ではない。
過去に一度でも共産主義者となった者は政治家としては使えないと思っ
てる。世界観、社会観、経済観が根本から、OSレヴェルから狂ってい
るから。個人法人の自由や所有権に対する感覚が一部もしくは全部麻痺
してる。亀井さんの経済観ってホントにトホホなんだけど、まぁそれは
それとして。

 ちょっとウンチクな用語説明。

『権利』 = 「Xを為してもよい。為さなくてもよい」
関連語は自由。
『自由』 = 「とらわれのない状態」 もしくは 「選択の自由」
『選択の自由』 = 「Xを為してもよい。Yを為してもよい。
             Zを為してもよい。為さなくてもよい。」
ちなみに人間の営為には『思・言・行』の三種類ある。
『人間営為』 = 「心で思う事 + 口で言う事 + 体で行う事」

 権利の反対語は義務。
『義務』 = 「Xを為さねばならない。Xを為してはならない。」
義務の関連後は命令。
『命令』 = 「Xを為せ。Xを為すな。」

『権』は『権』でも、『権利』ではなく『権力』という用語がある。
『権力』 = 「強制力 義務や命令を強制する効力」
権力の関連語は権限。
『権限』 = 「権力の及ぶ限定された範囲」 転じて
         「及ぶ範囲を限定された権力」

 『法人格』という用語がある。『人格』という単語は各分野でさま
ざまに使われる。教育、道徳、倫理、心理学、医学、神学・・・。
その内の法人格とは、
『法人格』 = 「法律上の人格」 「法律用語でいう所の人格」
『法律上の人格』 = 「権利と義務の主体となる資格」
法人格を持っているのは、個人と法人。個人は生まれながらに法人格を
持っている。法人は自然人ではないので、法務局にいって条件を満たし
た上で法人登記をして晴れて法人格を得られる。この権利の内の一番重
要なのが所有の権利、すなわち『所有権』。
『所有権』 = 「目的物を自由に使用・収益・処分できる権利」 

 個人の持つ人権、その内の個人が生得的にもっているとされる、
自然から与えらた権利である自然権、その内の自由権。
『人権』  = Human rights
『自然権』 = 個人が生得的に持っている自然から与えれらた権利
『自由権』 = 思・言・行の自由
          内面の自由、思想、信条、良心、信仰の自由
          表現、言論、報道の自由
          居住移転の自由、職業選択の自由、幸福追求の自由
          などなど
自由権は全て『自己身体の所有権』と言い換える事が出来る。
『自由権』 = 「自己身体の所有権」
『自己身体の所有権』 =「自己身体を自由に使用・収益・処分できる権利」
つまりは第一の人権は、自由権ではなく(自己身体の)所有権と言える。

 ゆえに、個人法人の所有権を著しく制限しようとする共産主義者が
「人権尊重」を主張するのは自己矛盾もいいとこ。歴史上、共産主義者は
人権蹂躙の限りを尽くして来た。国外だろうが国内だろうが同様だ。個人
の所有権に対する制限がエスカレートし、自己身体の所有権までもを蹂躙
するまでになったって事。共産主義が反人権なのは間違いない。
 共産主義者はまた、生産手段の所有を制限する。しかし第一の生産手段
もまた自己身体に他ならない。
 共産主義者は、第一の人権、自己身体の所有権を制限し、第一の生産手
段たる自己身体の所有を制限する。

 次に『人権』に関するウンチクを。

 近代において、『個人』そして『人権(ないし自由)』は発明されたも
のではなく発見されたものだ。『人権』を『イデオロジー』つまり『信条』
と主張する人がいるがそれは違う。信じる信じないの話ではない。

 『個人』の発見は、かの有名なデカルトによる「我思う、ゆえに我あり。」
だ。『真に真なる命題』に行き着くために、デカルトは疑いうる命題を全て
疑ってみた。『方法的懐疑』ってやつだ。
『方法的懐疑』 = 「真に真なる命題を発見する方法、手段としての懐疑」

 その結果、唯一疑い得ない真に真なる命題に行き着いた。それは「この懐
疑の主体たる自己が確かに存在している。」という事だ。そしてここに『近
代的自我』が発見された。発明ではなくね。それに比して社会だの国家だの
宗教だの歴史だのは、その全てが妄想である可能性を排除できないわけだ。

 そしてこの自我を第一とする思想は長い年月を経て『実存主義』へと接続
される。まぁその実存主義とやらも、構造主義、そしてポスト構造主義へと
上書きされ行くわけだが。
 実存主義曰く、「我思う、ゆえに我、実存す。」
 構造主義曰く、「実存は、構造のハシタメである。」
 ポスト構造主義曰く、「構造は流転する。」

 『個人』と同様、『人権』ないし『自由』も発明ではなく発見されたもの
だ。そんなのちょっと脳内思考実験してみれば分かる。

 私が無人島に漂着したとする。人間の3つの営為『思・言・行』において、
私は無人島で何を思おうが、何を言おうが、何を行おうが自由なのだ。内面
の自由、表現の自由、居住移転の自由、職業選択の自由、幸福追求の自由な
どなどね。どこを歩こうが、どこで寝ようが、何を叫ぼうが、どうやって食
料を確保しようが、他の動植物を殺そうが。

 国家や政府や社会から付与されたものではない、自然から付与された自由
と権利。そう、自然権としての自由権。『無人島の単独者の自由と権利』と
言い代えてもいい。
『自然権』 = 「個人が自然から与えられた権利」
『自然権』 = 『自由権』 = 「無人島の単独者の自由と権利」

 しかしまたいっぽう人は社会を形成しているのも事実だ。
『社会』 = 人間の群れ 集団
 適者生存、つまり生存適者生存、繁殖適者繁殖を考えた時、単独より社会
の方が生存に有利だったりする。エサの発見と確保、天敵や危険の発見に有
利だから。
 繁殖という点では単独だとはなから無理だ。そもそも両親がいなかったら
自分は生まれる事すら不可能だった。哺乳類であるヒトには乳児期に面倒を
見てくれる大人も必要だ。単独者では子孫を残すのも無理だ。
 で社会を形成する際「無人島の単独者の自由」を自由に行使しちゃまずい。
「万人の万人に対する戦争状態。」「万人が万人に対して狼になる。」、つ
まり万人闘争になっちゃうから。
『万人闘争』 = 「万人の万人に対する戦争状態

 特に1万年前に地球が温暖化してからはね。人間社会の自然状態は狩猟採
集の獲得経済。日本史で言えば縄文時代だ。しかし1万年前から始まった地
球温暖化の結果、農耕牧畜という生産経済に移行した。知恵の実かじって人
間は自然状態を離脱したわけ。縄文時代の日本の人口はたったの十万人前後。
それが人口、人口密度ともに激増しちゃった。ネズミを過密状態にしとくと、
相手が死ぬまで噛み付いたりするらしい。

 そんな『万人闘争』、社会のアノミー(混乱)化を防ぐためには自然権の
一部を制限する必要がある。
近代以前は神との契約としての律法。
過渡期は王権神授説。
近代は社会契約としての立法。社会の構成員同士が社会契約を結ぶってわけ。
『社会契約』 = 「社会構成員間の約束事」
『社会権』 = 「社会から個人に与えられた権利」
近代とは『神外し』『神殺し』という側面を持つわけだ。

 『平等』とは何か。
『平等』 = 「各人各人の権利と義務を等しくする事」
でこの権利って面だけに着目して『平等権』って言ったりする。ではこの平
等権は、自然権なのか社会契約、社会権なのか。普通に考えれば平等権は社
会権だ。社会の構成員間の約束事。平等権を自然権に組み入れるためには、
『自然法』というオカルトを導入しなければ無理。自然法ってのは、東洋的
に言えば『天道』って事。
『自然法』 = 『天道』
 孔子と老子が討論して老子が勝ったっていう、史実だかどうだか分からん
逸話があるけど、孔子は『人道』を説き、老子は『天道』を説いたのだろう。

 平等権を自然権とするか社会権とするかは置いといて、代表的な社会権に
『生存権』ってのがある。
『生存権』 = 「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」
それ以外にも、知る権利だのプライバシー権だの環境権だの、『新しい人権』
とかいわれるのがイッパイある。
『新しい人権』 = 「知る権利、ブライバシー権、環境権など」
でも個人的には何でも間でも人権に組み入れるのは反対だから、

 基本的人権 = 自然権 + 基本的社会権

としたい。で、数ある社会権の内、どれを基本的社会権とするかって風に
基本的人権を考えたほうがよいと思っている。


 モラトリアム政策に話を戻す。
亀井さんの経済観は、「個人、法人のカネは国のカネ、国のカネは国のカネ。」
って事に尽きる。東大経済学部卒だし、国家公務員試験で成績優秀だったらし
いけど、IQの高さってのは感じない。根っからの伸びやかな知性ってのは
感じられない。ガリ勉の人だったんだろう。だから描くデッサンやマップに
歪みがあるし、彼の不足な知性では、己のデッサンの歪みに対する自覚を持
てない。

 モラトリアム政策は個人法人のその所有権に基づく債権債務契約に政府が
チョッカイ出すって政策だから、あんまり筋が良くない。でもモラトリアム
法制を準備しておくのは良いかも知れない。第二次リーマンショックみたい
なのが将来起きないとも限らないから。まぁ、有事に備えての有事法制みた
いなものか。

 執行するかどうかは、時期を見計らって、でしょうか。


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