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命を食べること。経済循環の核心にある哲学的命題。

2017-09-20 14:47:12 | 日記

命を食べること。経済循環の核心にある哲学的命題。

 


地産地消のブログ 
命を食べることと、地産地消。哲学が必要です。

合鴨による無農薬農法は合鴨が親鳥になったら処分しなくてはならない。処分に対して残酷だという
声があがることもあります。
映画では命の食べ方というドキュメンタリー映画が話題を呼びました。
岩波書店発行野書籍で豚を育てて、最後に食べるまでのルポが畜産業の現実をえぐりだしていると
大評判になりましたが、非常に優れた作品です。
狩猟民族と異なり、農耕民族の日本人にとっては動物を殺すことに微妙な感情を抱いてしまいます。
もちろん日本の農家では子供が鶏をしめたりすることは当たり前の仕事であったようです。ペットや
愛贋物としての家畜に対する感情はある意味、豊かな家庭の感傷と述べるひともいます。
フランス映画などでは腕のたつシェフが鴨やウサギをなでながら、いとしい君たちをおいしくして
あげるからね。、と囁く場面があります。
食べられるために生まれて来た野生の食材として見るかは食文化の違いによるでしょう。日本でも
マタギの人々は一般社会の我々とは異なりそうした狩猟民族と同じように野生動物に対峙しています。
また、ベジタリアンの人々に対して、野菜だって命があり、命を食べることに違いはないという指摘も
あります。菜の花を丹精して花壇で育てて、大きく育つ前に摘み、お浸しにすることも本質的にはかわ
りないという考えもあり、ことは神学論議になることもあります。

鳥獣害を防ぐうえで適正に狩猟して獲物は料理したらよいとの
考えがあります。長寿害の損害は年間200億円という試算があります。一方、鹿や猪は森の
資源という考えかたがあります。
ここに「命を食べる」という行為の哲学的な考え方、輪廻転生論が意味をもってきます。
例えば、始動した富士宮の相反転方式による小水力発電機を使用した地産地消プロジェクトでは
これから農業の6次産業育成のプランが計画されています。
増えすぎる鹿をどうするか、やはり美味しく食べること以外に方法はないでしょう。
そのためには鹿料理をどのように6次産業化するかが重要です。

ジビエ料理や鹿皮の特産物など既に、富士宮のレストランや特産品として知られている
お店はあるようですが、まだまだ知名度は低いようです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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