よくイギリスの王室が天皇家と比較されますが、日本の天皇とは全然違う根拠で存在するものです。
17世紀の終わりにイギリス人は従来の王を追放し、新しい王家と契約を結んだのです。
新しい王家が神の法を守るのであればイギリス人は自分たちの持っている主権の一部を王にゆだねて政治を任せるという契約です。
この契約がまだ続いているのでイギリスの王家は存在しているのです。
一方日本の天皇家は日本人と契約をしたわけではありません。
ただ先祖が神だという神話を捏造して日本人に信じ込ませただけです。
天皇制というのは民主主義とは別の原則で存在しているのです。
天皇制や非武装と民主主義は相容れないのです。
このように日本人は現在の「日本国憲法」を理解していません。
日本国憲法を形式的な側面から見ても変です。
前文は左記のようになっています。
朕は、日本国民の総意に基づいて、新日本建設の基礎が、定まるに至ったことを深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の決議を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを交付せしめる。
御名 御璽 昭和21年11月3日
戦争に負けアメリカに占領されていた昭和21年11月まではまだ帝国憲法(明治憲法)が存在していたという前提に立ち、その明治憲法を改正したのだというのです。
しかし戦争に負け、国土は外国に占領され軍隊は解体されて占領軍の決定が従来の法体系より上位になっている状態でした。
憲法とは国家の基本的な仕組みのことですから、従来の国家体制が崩壊したということは、憲法も消滅したということです。
敗戦と同時に明治憲法は消滅したと考えるのが正しいのです。
この辺の事情を東大法学部の伊藤正巳教授は「憲法入門」で次のように説明しています。
「日本国憲法は明治憲法の改正とされているが、内容的に根本的な変更がなされているから新憲法の制定である。
特に明治憲法の天皇主権が国民主権に改められたことは国家の基本構造が改められたことになる。
このような国家の基本原理の変更は法的には革命である。」
つまり革命によって、憲法が新しく出来たのであって改正という手続きは見せかけだけの話だと説明しています。
次回に続きます。
17世紀の終わりにイギリス人は従来の王を追放し、新しい王家と契約を結んだのです。
新しい王家が神の法を守るのであればイギリス人は自分たちの持っている主権の一部を王にゆだねて政治を任せるという契約です。
この契約がまだ続いているのでイギリスの王家は存在しているのです。
一方日本の天皇家は日本人と契約をしたわけではありません。
ただ先祖が神だという神話を捏造して日本人に信じ込ませただけです。
天皇制というのは民主主義とは別の原則で存在しているのです。
天皇制や非武装と民主主義は相容れないのです。
このように日本人は現在の「日本国憲法」を理解していません。
日本国憲法を形式的な側面から見ても変です。
前文は左記のようになっています。
朕は、日本国民の総意に基づいて、新日本建設の基礎が、定まるに至ったことを深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の決議を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを交付せしめる。
御名 御璽 昭和21年11月3日
戦争に負けアメリカに占領されていた昭和21年11月まではまだ帝国憲法(明治憲法)が存在していたという前提に立ち、その明治憲法を改正したのだというのです。
しかし戦争に負け、国土は外国に占領され軍隊は解体されて占領軍の決定が従来の法体系より上位になっている状態でした。
憲法とは国家の基本的な仕組みのことですから、従来の国家体制が崩壊したということは、憲法も消滅したということです。
敗戦と同時に明治憲法は消滅したと考えるのが正しいのです。
この辺の事情を東大法学部の伊藤正巳教授は「憲法入門」で次のように説明しています。
「日本国憲法は明治憲法の改正とされているが、内容的に根本的な変更がなされているから新憲法の制定である。
特に明治憲法の天皇主権が国民主権に改められたことは国家の基本構造が改められたことになる。
このような国家の基本原理の変更は法的には革命である。」
つまり革命によって、憲法が新しく出来たのであって改正という手続きは見せかけだけの話だと説明しています。
次回に続きます。
とにもかくにもGODとの契約が重視されるわけですね。
契約すべき神を持たない人々には「自由・平等・基本的人権」は似つかわしくないわけか。
まさか、これらが欲しければ、GODと契約せよと言い出したりしないでしょうねぇ。
なら、お断りします。(笑
>ただ先祖が神だという神話を捏造して日本人に信じ込ませただけです。
捏造はいいんですが、日本人が信じ込んでいたとするのは乱暴な気が・・・。(笑
それと、捏造時期は古事記が書かれたあたりということでしょうか?
古事記とかに書かれているあのおぞましい神々を誰が信じたのかなぁ?という素朴な疑問が沸いていますがねぇ。
古事記の元ネタとも推定されうるヲシテ文献(偽書の指摘もありますが)に寄れば、もともとアマテルカミは地上に居た(それも男でもある)し・・・。
神話を創作した連中に関しての研究が待たれるところ。
キリスト教徒にとって一番大切なのは最後の審判のときに神に申し訳できるような生き方をすることだというのです。それは各個人が自分の責任でしかできないものです。だから国王といえどもそれに干渉することはできないというわけです。
キリスト教徒たるイギリス人の信仰を守れるような政治をする国王なら政治を任せていいとしたのです。
このような内容の契約を新しい国王とイギリス人が結んだのです。
だからキリスト教徒でもない日本人が基本的人権と叫んだところで内容がないということです。別に日本人がキリスト教徒となってイギリスと同じような契約をすることを強制されているわけではありません。
幕末の日本人全てが神話を信じていたわけではないでしょうが、明治維新を行った志士たちはそれを表面的かもしれませんが信じており、それを正面から否定した者はほとんどいませんでしたから、日本人がその捏造を信じたといっても良いと思います。
確かに、自由平等とか声高に言われるとなんのこっちゃ?っていう感じがしていた理由が理解できた気がします。
いつの間にか与えられた「言葉」でもあったわけですから、今後安易に「基本的人権」などと言わないようにしようと思います。普段使ったことが無いですがね。(笑
まあ、日本的サヨク系運動家は良く使っている言葉ですねぇ。違和感たっぷりあるのはそのせいかも。
ありがとうございました。
>明治維新を行った志士たちは・・・
そういえば何かで、明治維新期には日本には国家という概念が薄く(国といえば藩単位でしたし)、そのために近代国家としてのまとまりを編み出そう?として、欧米のGODを真似て天皇の神格化を手段としたといった文章を読みました。国家の根っこに宗教を見たということらしいです。
で、その時期、捏造(宣伝込み)を信じたという指摘なら理解できます。
日本における元もとの天皇はGODとは違って、絶対神でもなければ、神のための聖戦も強要されないし、おせっかいな布教(支配地拡張?)も求められないものだったと理解してます。
何のために誰の手によって創作されたのかというのが疑問でしてね。
神々が「美しくない」のですよ。(ただの私の感性から来る思いでしか無いのですがね。)
最古の漢字文献ということでは、なんらかの大陸の影響があったとは想像できるんですが、日本古来の文字で書かれていると言われている「秀真伝(ほつまつたえ)」のほうが、感性にマッチするというか、創作(採用かな?)するならそっちの流れのほうが無理が無い気がしているんです。
と言いつつも、「秀真伝」とか「ヲシテ文献」は、この頃ネット探訪で聞きかじった知識でしかなくて、恥ずかしい限りなんですが・・・。
全くその通りです。
そして、キリスト教徒でもない人間は、キリスト教徒が基本的人権を叫んだとしても、何の根拠も無いことを見抜いております。
みんな正面きって言ったら気の毒だと思うから黙っているだけです。本当は良くないことだと思います。
実際は、市民が経済力等の力をつけたときに初めて人権を叫んでも殺されにくくなるだけだと正直に言うべきです。
それにしても「基本的」という形容詞をつけて、神の威光を人権にプラスするのは、なかなかいい作戦ですよね。
私はキリスト教における自由を知らない代わりに、キリスト教からの自由を得ていることを幸せに思います。
いつも楽しいお話をありがとうございます。
キリスト教では、最後の審判で合格するのはキリスト教を信じているものだけです。
異教徒は行いがどんなに正しくても不合格になります。というより神を信じることが正しい行いなのであって、信じていないということは正しいことではないのです。
その結果、キリスト教徒から見ると異教徒は自分たちと同類ではないということになります。
基本的人権と言うのは神が信者に与えたものですから異教徒には与えられていません。
だから異教徒には基本的人権を本来認めていないのです。
このような考えが背景にあります。
最近はヒューマニズムといってキリスト教から乖離した思想が出てきていますが、根底には異教徒に神が与えた権利はないと考えているのです。
例えば、16世紀にスペイン人は南米の原住民を虐殺しましたが、彼らはキリスト教の神父に「異教徒は人間か?」という問いを何回もしています。
キリスト教内ルールに従ってキリスト教徒以外の生殺与奪を決定されることは、とてつもなく無謀です。
そのことをキリスト教徒に理解して頂くにはどうしたら良いかということは、キリスト教徒以外にとって永遠に続く大きな課題です。
言葉であれ何であれ、実力行使をしていかなければならないようです。
宗教の後ろ盾無しに、自由や人権や民主主義を作り上げることが私の目標です。