Balance them, Kenji !

どっちかじゃなく、どっちも

目標と非日常

2008-04-02 | for myself
留学生活1年目の状況を一言で表現するなら「サバイバル」。1年目は、海外生活経験なし、英語を聞けないし、しゃべれない自分が、米国大学院を卒業するため、生き残らなければならないという危機感という感覚に近いものを感じていた。それが、1週間が経ち、1ヶ月が経ち、1年が経ったころ、サバイバルする自信はついていた。

2年目は、住むところも、学ぶところも、学ぶ仲間も、1年目と同じ。違うのは読んでる本とケースと教授が違うだけ。1年目は見るもの、聞くもの、全てが非日常だったものが、2年目はそれらが日常となった。サバイバルするということは乗り越えて、残った目標は「一生で一度しかない米国MBA生活という機会を悔いなくしっかり勉強して、英語が母国語でなくてもきっちり結果を残して卒業する」という一見タフそうだが、フワフワとした目標。

目標を達成したわけでもないので、途中でそれを変更することはなく、今も同じ目標である。ただ、それでは自分が納得しないのだろう、結果的には1年目よりも、授業や勉強会などを詰め込んでいる。勉強している時間は、1年目よりも多い。しかし、目標ということを考えるとなにか満たされないものがある。

では、仕事をしているときは、どうだったのか。1年以上同じプロジェクトに携わることは何度かあった。言い換えると、仕事の環境、メンバーが変わらず、目標も変わらないということは何度かあった。学生時代のラクロスでも、環境、メンバー、目標は変わらなかった。でも、仕事でも、ラクロスでも、目標に向かって全力で走っている充実感があった。

数値化された目標を設定するという簡単なことかとも思ったが、それだけじゃないように思う。方向性を定めた上で「努力の強弱を調整する余地を与えない目標」が、個人として設定するべき目標だろう。

「明瞭な高い目標と非日常に心が躍る」(K.S.)


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