この写真はフルベッキと佐賀藩校の生徒たちであり、幕末志士の集合写真ではありません。

2017-08-17 16:13:59 | 歴史



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「フルベッキ写真」として知られる2枚目の写真には岩倉具定・具経兄弟(岩倉具視の次男と三男)が写っています。
岩倉兄弟は同時期の写真が他にも残っているため特定できます。写真中央がフルベッキ親子で、その両脇が岩倉兄弟です。
当時、岩倉具視は公家の大物ですから、その子供が入学した記念の集合写真と考えられます。

この2人が佐賀藩の致遠館(長崎市)へ留学したのは明治元年10月27日(1868年12月10日)ですので「フルベッキ写真」はその日以降の撮影です。
フルベッキは明治元年11月19日(1869年1月1日)に長崎を発ち佐賀に向かいます。その後、明治政府から東京への出仕要請を受けて東京へと行きました。
したがって「フルベッキ写真」は、明治元年10月27日(1868年12月10日)から明治元年11月19日(1869年1月1日)の間に長崎で撮影されたと考えられます。

そのころの明治天皇は即位大礼の後であり、元号は明治となって東京へ盛大な行幸をしています。長崎でこの写真が撮影された時、明治天皇は東京にいました。
坂本龍馬・中岡慎太郎は1867年に暗殺されていますから「フルベッキ写真」の中にいるわけがありません。

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慶応3年11月15日(1867年12月10日) 坂本龍馬・中岡慎太郎が京都で暗殺される

慶応4年8月27日(1868年10月12日) 明治天皇即位大礼
慶応4年9月8日(1868年10月23日) 明治に改元
明治元年9月20日(1868年11月4日) 明治天皇が京都から東京へ出発
明治元年10月8日(1868年11月21日) 1枚目の写真が長崎で撮影
明治元年10月13日(1868年11月26日) 明治天皇が江戸城に到着

明治元年10月27日(1868年12月10日) 岩倉具定・具経兄弟が佐賀藩の致遠館(長崎市)に留学 ← 「フルベッキ写真」はこの日以降に長崎で撮影
明治元年11月19日(1869年1月1日) フルベッキは長崎を発って佐賀へ ← 「フルベッキ写真」はこの日以前に長崎で撮影
フルベッキはその後、明治政府から東京への出仕要請を受けて東京へと行く。

明治元年12月8日(1869年1月20日) 明治天皇はいったん京都に帰るために東京を出発。翌年3月に再び江戸城に入り、以後、東京で暮らした。


※ 西暦の月日と合わせた新暦の施行は明治6年(1873年)元日から

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【参考】

歴史ミステリーロマン「幕末維新の謎を解け」
https://www.youtube.com/watch?v=W2sFCF-OVW0

高知県立坂本龍馬記念館の見解も「フルベッキ写真」は佐賀藩校の生徒であり、坂本龍馬は写っていないと説明しています。
http://ryoma-kinenkan.jp/qa/012/