ソムタム学級通信 ★さちえのタイ生活★

2010年6月より青年海外協力隊、養護隊員としてタイへ。バンコクより北へ450キロ東北部のコンケンで日々試行錯誤の記録。

2555年1月1日  サワッディーピーマイ

2012年01月01日 13時17分27秒 | 日記
2012年1月1日。
タイでは仏歴、2555年。
元旦の朝。
      


昨日は予想外の長丁場で、ほとんど寝られないまま朝を迎える。
大晦日の夜更かしは、万国共通かな。

配属先の自閉症クラスのオプ先生がチャイヤプーン県にある
実家に遊びにおいでと招いてくれたので、早朝から出かける。
その前に、特別な朝なので、サイバーツ。
犬のラッキーもちゃんとクラープ(ひざまずいて拝む)。
    


「サワッディーピーマイカー」(あけましておめでとうございます)
のあいさつを一番にしたい人は、ナムプリック屋のお父さんとお母さん。
お父さんが、
「チャイヤプーンまで気をつけていくんだよ。」と温かいココアを入れてくれる。
お父さんの腕のパンダマークがかわいいったらもう。ラッキーも一緒にココアを飲んで、私の2555年が始まった。
        







バスターミナルからチャイヤプーン行きのバスに乗り、約2時間。
イサーンの小さな町、「地球の歩き方」にも載っていない
チャイヤプーン県に到着。
      


オプ先生の家族一同が集まっていて、歓待してくれる。
お父さんもニコニコ、お母さんもニコニコ。
お父さんは今日私をどこへ連れて行こうかをずっと考えている。

タイ人は家族ぐるみでまずごはんを食べることからはじまって、
家族みんなで一緒に遊びに連れて行き、家族の中に招き入れて一緒に過ごす。
そういうタイ人のもてなし方は、本当に家族の愛情があって、
来てくれて嬉しいんだよ、という気持ちが伝わってきてとてもあたたかい。
    


オプ先生の親戚の中学生が、イサーンの楽器を披露してくれる。
ウオーッ と ピン という楽器だそうで、なんとまあ、とても上手!
私もやらせてもらうと、なんとかかんとか音だけは出せたけど、
きれいなメロディにはほど遠い。
ガイドブックにも載っていない小さなイサーンの町で、
イサーンのあたたかい家族に囲まれて、
イサーンの楽器を、イサーンの少年に弾いてもらえる元旦、
なんて恵まれた日本人だろうと思う。
     


 
オプ先生のお姉さんはアメリカ人と結婚しカリフォルニア在住。
2年ぶりに里帰りしていて、旦那様はタイ語がとても上手。
そして、オプ先生のお兄さんは、ミャンマー人と結婚しているという、
インターナショナルファミリー。
私も年賀状を、タイ語と英語と日本語で書いて渡す。
ミャンマー語は書けなかった・・・。
   



そういうインターナショナルな一家だから、私に対しても
ちっとも垣根のようなものを感じない。
オプ先生もいつもそうなのだが、日本人というよりも
一人の人間として、一人の大人として普通に接してくれる、
それは数少ない。
チャイヤプーンの家で、こういう家族で、こういうお父さんとお母さんの元で
豊かに育ったんだなあとなるほどなるほど、と思う。
    




お父さんがまず連れて行ってくれたのは、「モーヒンカーオ」。
車で1時間ほどの山の上で、なんじゃこりゃ!
と言いたくなるような奇岩がゴロゴロと立っている。
オプ先生がいうには、自然のものだそうで、じゃあどうしてこんな山の上に
こんなでっかい石が立っているのかを聞いたけど、「マイルー」(知らない)
だそう。
不思議、不思議。
     

  


 


山の上からきれいな景色を眺めて、
オプ先生のお父さんから「チャイヤプーンには象がたくさんいるんだよ。」
とチャイヤプーンの話をたくさん聞かせてもらって、
ピクニック気分でお菓子を食べて、オプ先生のお母さんもおばあちゃんも、
従兄弟もみんな一緒に涼しい山の上で楽しく時間を過ごす。
    
 

コンケンでも日本人は珍しいのだけど、チャイヤプーンの、しかも
この来るまでしか来られないようなディープな観光地の山の上に
日本人がいることがものすごく珍しいようで
「イープン!イープン!」(日本、日本!)とあちこちで声が聞こえて、
写真を撮られて、ちょっとした動物園の珍しい生き物状態。



私が遺跡が好きだというと、お父さんがチャイヤプーンの遺跡を見せようと
連れて行ってくれる。
ものすごーく古い遺跡で、1700年代のものだとオプ先生はいう。
いいなあ、いいなあ。
「小さいでしょう。」とお父さんもオプ先生もいうけど、
いやいや、価値は大きさじゃない。
    



移動は車の荷台。
荷台にふとんを敷いて、寝転んでおしゃべりして、
眠たくなったら寝て、タイ人の休日、家族でのお出かけ、
ピクニックを一緒に味わう。
オプ先生のお姉さんは、途中で買ったパイナップルを枕にして
このあとはパイナップルの上にすやすや。
いい香りがしていい夢が見られそう。
     


オプ先生の家族に着てもらおうと、持参した浴衣。
オプ先生達も楽しみにしていて、
「キモノ! キモノ!」 と、親戚の女の子たちが集まってくる。
がんばって、着付け開始。
    

    

   

1年6ヶ月前、日本を出発する前に、母親から仕込んでもらった着付け。
帯の結び方は忘れちゃったけど、自己流でアレンジして、
それでも、みんな「スーワイ スーワイ!」(きれいきれい!)
ととても喜んでくれた。
着付け中も、浴衣を着てからも、写真 写真 写真。
オプ先生とお父さんも、「キモノは初めて!」と何枚も何枚も写真を撮る。
     


この温かい国で、浴衣を着ているタイ人の女の子たち、かわいいでしょう。
ワイ(タイの合掌)だって、浴衣ににあってる。
     


「泊まっていってほしいのだけど。」「一日じゃ足りないよ。」
といってもらいながら、オプ先生の家を後にする。
このあとは、サオ先生の家にお招きされているから。
今日はサオ先生の家にお泊まりする予定。
ガイド本にも載っていないチャイヤプーン、オップ先生の生まれ育った町、
とても素敵な町だった。
     



「キモノ ありがとうね。」というオプ先生に手を振って
バスで約2時間、チュンペーへ向かう。


今日はオプ先生とたくさん話をした。
配属先では、先生達は忙しくてなかなかゆっくり話すことができない。
今日は、ピクニックに行く車の中で、ずっとずっと話をした。
日本のこと、アメリカのこと、タイのこと、
そして、子どもたちのこと。

自閉症の子どもたちに対して、オプ先生は他のたくさんの先生と違って
常に優しく笑顔で接し、よいところを見つけ、たくさんほめる。
子どもたちはオプ先生が好きだし、私もそういうオプ先生が好き。
肯定的で、子どもたちが楽しく学習できるようにしている、
そういうオプ先生は素晴らしい先生だと思う、今までにも
そんなことをいいたかったのだけど、いつも時間がない中で
しかも私の貧弱な語彙で言えるのは「オプ先生はいい先生!」くらい。
だけど、今日は一生懸命今まで思っていたことを伝えた。
全部は伝わらなかったかもしれない、けれど、私の好意とオプ先生に対しての敬意は
伝わったように思う。

「“ダイノーサオモーング”は楽しかったね。  (→ 過去ブログ 「ダイノーサオモーング!」(恐竜が見てる)」
 私、あれを子どもたちができたことにびっくりしたの。
 さちえの話を聞いたとき、はじめは難しいんじゃないかと思ったのよ。
 できないんじゃないかって。
 だから、驚いたの。」
私も、子どもたちがあんなに理解して、みんなが参加できるとは思わなかった、
これは続けた方がいいね、
そんな話だってする。

私は、ずっとこうやって親しく、ひざを割って話せる時間がほしかった。

オプ先生は自閉症に関して、すでにたくさんの知識があることも分かった。
お姉さんに自閉症のことを説明しながら
「男の子が4、女の子が1の割合なの。女の子はまれなのよ。」
「変化が嫌いで、急に何かが変わるとすごくいやなの。」
などいっているのを聞いて、少し驚いた。
オプ先生の子どもたちへの接し方は、オプ先生の深い専門的知識の元に、
現れているものなのだ。

協力隊は途上国に派遣され、その大きな目的の一つが技術移転。
しかし、隊員自身の人間的な成長と、任国から持ち帰るものも日本の財産となる。
ずっと思ってきたことを確信する。
タイの先生達に何かを教えようなんて、それっておこがましいことだ。
タイの文化の元で、彼ら自身の力が十分にある。
センターの先生達は、専門的知識を求め大学院に通い、みなが特別支援教育を履修している。
タイが日本を凌いでいる部分もたくさんたくさんある。


そんなことを考えられて、オプ先生とたくさんの話ができて、
思っていたことを伝えられて、2555年の幕開けはなんていい一日。



         






     








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