徳川家埋蔵金捜しのTV番組で紹介されたのだが、家康が最初に埋葬された久能山東照宮と富士山を結ぶライン上に日光東照宮がある。
父が全国の莫大な金と労力を費やして造営したその日光東照宮を、二十年も経ぬうちに、家光がことごとく建て替えてしまったのだ。何が彼をそうさせたのか?
--秀忠・家光父子説は疑わしい。 そこで問題となるのが、現在の尾島町・世良田にある東照宮である。誰も言わないが、なんと、ここも久能・日光ラインに重なっている。そして秀忠の日光東照宮拝殿が、そのままこの世良田東照宮に移築されているのだ。
この地は徳川家(特に家康)にとって、そんなに大切な場所なのであろうか? 世良田の庄・徳川には「かけ込み寺」の満徳寺があり、権力のバック無しでは成立しないはずだ。事実この地は、江戸時代は幕府の保護地で、満徳寺もその財政は幕府から出ていた。--(研究書あり) 家康が名門の出でないとすると、幕府や明治の華族にとっては都合が悪い。そこで、「松平記」で、松平元康が後の徳川家康、と学士会に宣伝させ、「両者は全くの別人で、元康の死に乗じて家康が彼になりすまし、世を欺いた。家康は世良田の徳川出身である。」とする、村岡素一郎の「史疑 徳川家康事績 全」を抹殺した。そのため、世良田事件が起こった。
ところで、家光は秀忠の増上寺に埋葬されるのを頑強に拒否し、日光を選んだ。幕閣は困り果て、ならば、神君家康の傍らに、と申し出たところ、「ただ大師堂(天海)の側に納むべし」、つまり、天海の側でなければいやじゃ、と言い張ったのである。--「もうひとつの徳川物語 将軍家霊廟の謎」浦井正明著。まことにもって不可解な話で、天海と家光はどのような関係なのであろうか?
--川越にある喜多院にそのキ-がある。ともあれ、もしかしたら、家康の遺骸は日光にはなく、世良田にあるかも知れない。
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