「奇跡の人」で哲学をやるシリーズ。
前回は言語以外の表現方法によって感情を表現し尽くす可能性を考えましたが、やはりどうしても不十分であるという結論を付けました。
じゃあ、他にどんな方法が残っているんだ???
(A´д`;)
ない!
少なくともワタシには思いつきません。自分の感情を、他人と寸分たがわず伝達する方法、思いつかれた方は連絡ください。
・・・と、居直っている場合ではありません。この哲学シリーズで考えている「言語によって世界の全てを表現することができるか?」は否定的に解決されたことになります。
つまり、サリバン先生がヘレンに言った
「私たちが感じたり考えたり知ったりそれを伝え合ったりする全てが言葉の中にあるのよ!」
というセリフは妥当でなかったことになります。
まあ、この回にも書きましたが、分析に堪えうることを目的に書かれたものではなく、こんな批判を加えるのは野暮と言うものなのですが。
ここまできて、「でも」と考えてみる。ワレワレは日常、言語を使用して他人と意思疎通を行っています。不完全であったとしても、少しズレながらであっても、ワレワレは言語によって感情を表現しています。
こちらの方から考えてみたらどうでしょうか?つまり論理ではなく、言語実践の場面での表現を観察してみるわけです。
どうなるかは次回に。
前回は言語以外の表現方法によって感情を表現し尽くす可能性を考えましたが、やはりどうしても不十分であるという結論を付けました。
じゃあ、他にどんな方法が残っているんだ???
(A´д`;)
ない!
少なくともワタシには思いつきません。自分の感情を、他人と寸分たがわず伝達する方法、思いつかれた方は連絡ください。
・・・と、居直っている場合ではありません。この哲学シリーズで考えている「言語によって世界の全てを表現することができるか?」は否定的に解決されたことになります。
つまり、サリバン先生がヘレンに言った
「私たちが感じたり考えたり知ったりそれを伝え合ったりする全てが言葉の中にあるのよ!」
というセリフは妥当でなかったことになります。
まあ、この回にも書きましたが、分析に堪えうることを目的に書かれたものではなく、こんな批判を加えるのは野暮と言うものなのですが。
ここまできて、「でも」と考えてみる。ワレワレは日常、言語を使用して他人と意思疎通を行っています。不完全であったとしても、少しズレながらであっても、ワレワレは言語によって感情を表現しています。
こちらの方から考えてみたらどうでしょうか?つまり論理ではなく、言語実践の場面での表現を観察してみるわけです。
どうなるかは次回に。