司馬遼太郎の随筆を二つ読みました。
「大阪バカ」(産経新聞昭和35年1月23日)
…大阪者は、封建的節度がないために、江戸時代から江戸者に嫌われ、今日でも汽車のなかや喫茶店の店内などでその封建的節度のなさが、他国の人の迷惑になっている…
「わが街」(ハウジング誌昭和45年12月号)
…町に緑が少ない。市が街路樹を植えてもだれかが引き抜いてしまう。小型の犯罪が連日多発するため、警察署は多忙で署員五百人を擁している…
わが街とは、司馬遼太郎が住んでいた東大阪市のことです。
昨今の風潮では、大阪の放縦振りは不法滞在の三国人達にその原因を求めるのが流行りですが、彼らは大阪の治安の乱れが気に入って、それを増幅しているだけなのかも知れません。なにしろ大阪の下品さ、ガサツさは、江戸時代からのものらしいのですから。
「大阪バカ」(産経新聞昭和35年1月23日)
…大阪者は、封建的節度がないために、江戸時代から江戸者に嫌われ、今日でも汽車のなかや喫茶店の店内などでその封建的節度のなさが、他国の人の迷惑になっている…
「わが街」(ハウジング誌昭和45年12月号)
…町に緑が少ない。市が街路樹を植えてもだれかが引き抜いてしまう。小型の犯罪が連日多発するため、警察署は多忙で署員五百人を擁している…
わが街とは、司馬遼太郎が住んでいた東大阪市のことです。
昨今の風潮では、大阪の放縦振りは不法滞在の三国人達にその原因を求めるのが流行りですが、彼らは大阪の治安の乱れが気に入って、それを増幅しているだけなのかも知れません。なにしろ大阪の下品さ、ガサツさは、江戸時代からのものらしいのですから。