書きたいことはあるのに、なんだか自分の気持ちの整理がつかないまま時が過ぎて
このままblogも閉鎖なのかなぁ~と、自分でわからないでいた。
2月に東京に戻ってから、5月、7月と宮崎に帰ったりしていたけど・・・
それは楽しくもあり、嬉しくもあり、忙しい毎日で、あっという間に東京に戻る日が来た。。。
そして、特に変わらない日々・・・
このままじゃいけないと、8月後半は東京しごと財団の『保育補助員養成講座』なるものを受講して
なにか次のステップにつなげたいと始動開始したところ・・・
55歳以上のシルバー世代対象の講座には、私よりも年齢が上の人も多く参加していて、
東京という土地柄は、自分のやる気さえあれば、いろんな勉強のチャンスがたくさんあることに
改めて気づき、そして感謝して、みんなに負けまいと熱心に勉強していましたよ。。。
毎日の生活は、家族のために家事や料理を中心に・・・
心の中の虚しさを閉鎖して、来る日、行く日になんとなく追われて過ごしていたところ。
お盆に実家の墓参りに行って戻ってくると、兄からの着信
「おう、久しぶり~元気か~ 明日墓参りに行かないか?」
「あら、今日○○(娘)と行って来たばかりよー」
「そうか、ありがとう。お前が東京に帰ってから会っていないから墓参りの時に会えればと思って
電話したんだよ。お袋が使っていた編み物の毛糸の残りがたくさん出てきたから渡そうと思って・・・」
「あー、ありがとうね。また次回にいただくわ」
そんな会話を交わして、電話を切った。
兄は一昨年に、胆管癌にかかり、手術後、二度、三度と入退院を繰り返し
その後も病院通いをしているが、元気そうな声で一安心だった。。。
それから一月、懐かしい写真が出てきたので兄に送ってあげたら、届いたよとすぐに電話があった。
ずっと、気になっていたことを聞いてみた。。。
「兄さん、その後具合はどうなの?」
「あー、元気にしているよ。相変わらず食は細いけれどね。」
「病院の方へは・・・?」
「行っているけどね。検査をすると数値はよくないんだよ。。。
やっぱり再発が疑われるらしいんだけれどね。
場所の特定が出来ないから、抗がん剤治療も出来ないらしいよ・・・」
「そう・・・、とにかく無理をしないで、しっかり食べて体力つけてね」
「あぁ~、わかったよ。お前も元気でな また連絡するから。」
そんな会話を交わしたわずか二日後の12日夕方に、甥から連絡が入った。
兄が緊急入院して危篤だと言う。。
すぐに行くからと返事をして、あちこちに電話をし、家を出て20分もしないうちにまた連絡が入った。
間に合わなかった・・・
我が家から、兄の運ばれた病院までは3時間以上かかる・・・
甥は、すぐに斎場の手配をしたのでそちらに来てほしいと言うことだった。。。
私は、息子と一緒に車を走らせ・・・斎場に着いたのは10時半を過ぎていた。
すでに妹夫婦も来ていて・・・静かに寝かされていた兄の顔を見ると安らかだった。。。
いつもの優しい顔のままだった。。。
思わず、『兄さん、なんで待っていてくれなかったのよ』と責めてみたけど
返事はなく、、『お前が遅いんだよ。』と笑っているようにも見えた。
一体どういうこと・・・?
私は甥に聞いてみた。
その朝から兄は体中が痛いと訴えて、救急車を呼んだらしい・・・
姪が救急車の手配をしたときには、救急車なんて大げさだから姪の運転する車で病院に行くと
言い張っていたらしい・・・が、どうにも悪くて結局救急車で病院に運ばれたという。
病院に着いてすぐに意識が無くなり血圧低下・・・
私に連絡が来た時には、血圧はほぼ0の状態に近かったらしい・・・
この急変は、どうやら細菌が全身に回ったことによる敗血症らしいとのこと・・・
こんなにも、人の命はあっけないんだね。。。
その晩は妹と二人、ずっと兄の傍にいて、いろんな思い出話をして過ごした。
年子の3人兄妹、仲も良かったけど喧嘩もすごかったね。
父がずっと入院生活だったから母を助けて、兄は小学校の時は新聞配達。
中学生になると牛乳配達、高校生の時はバイクの免許を取って、
さらに多くの本数の牛乳配達を続けて、母の片腕となって家計を支えてくれた。
私も妹も、兄のお陰で高校に行けたのだろう。。。
雪の朝に、滑ってバイクが転倒し牛乳瓶がたくさん割れて・・・
兄が手伝ってくれと蒼い顔をして引き返してきた。
私は、箒と塵取りを持って、凍った雪の上に散らばった牛乳瓶を兄と片づけたっけ・・・
朝早く出かけるときは、バイクを表通りまで押して行きエンジンをかける、
帰って来た時は、表通りでエンジンを止めてバイクを押してくる。
エンジン音がうるさいからと、ご近所に配慮していつもそうしていた。
父に似たのか、とにかく手先が器用でプラモデルから始まり、ラジコン飛行機
そして壊れたバイクの修理や部品を集めての組み立てなど、いつも手先を動かしていた。
兄の大型バイクの後ろに乗って遅刻しそうな高校まで送ってもらったこともあったっわね・・・
母が私と妹に教えてくれた編み物を真似して・・・
結局は兄が一番上手にきれいにレース編みを仕上げたりしていたっけねぇ
折り紙では、ありとあらゆるものを折ってしまう・・・
いつ、覚えたのか知らないうちにペンギン、象、ライオン、熊、etc・・・etc
オリジナルな動物園が出来上がっていた・・・
就職してからは、コーヒーに凝り、こだわりの豆をひいてサイフォン式で入れてくれた。
そうそうカメラにも凝っていたね。
我が息子が生まれた時は、初めての甥の誕生にとても喜んで
たくさん写真を撮っては自分で現像してくれた。。
今みたいにデジカメやパソコンがない時代・・・部屋を暗くして
現像液に付けた陰画紙を部屋に張ったロープにぶら下げて・・・
なんだか面白いことをやってくれた。
そんな兄・・・
動物好きで、子供好き・・・
たくさんの伝書鳩を飼っていて、レースに参加しては優勝したり・・・
うさぎ・犬・猫・鶏・・・次々と飼っては世話もきちんとする。
本当に兄は尊敬に値する人だった。。。
14日通夜・・・15日葬儀・・・と、あわただしく過ぎた。。。
家族葬という形で、親しい友人や親族だけで静かに見送った。。。
私は何度も何度も棺の中を見ながら、涙が枯れることはなかった。。。
兄の一番可愛がっていた9歳の孫が、誰に言われたでもなく
ずぅっと『爺ちゃんの傍にいたい』と言って、棺に寄り添っていてくれた。
納棺の時も、棺を霊柩車に乗せるときも男の大人に交じって小さな手を添えて・・・
兄さん、幸せだね。。。良かったね。。。
私は思わずそう声をかけた。。。
火葬が済んだ兄は、骨がしっかりしていて・・・
係の人が骨壷にギュウギュウと押しこんでいた。。。
孫は体を乗り出して、係の人の説明に耳を傾け兄の骨を確認していた。
やっぱりまだ9歳、死というものが良く分かっていないのだろう。。。
『爺ちゃんはどこへ行ったのかなぁ~』と、お骨を見ながら小さくつぶやいていた。
62歳の生涯をとじた兄・・・尊敬していた兄・・・頼りにしていた兄・・・
兄さん、今まで本当にありがとう。
どうか安らかに眠ってください。