学生時代のはじめの頃、埼玉県に住んでいた。出身の広島とは違い広々とした関東平野に驚いたことを思い出す。生来、あちこち行くのが好きだった私は、早速地図を買い周辺を探索してした。いつの日のことだっただろうか?原付バイクで郊外へ出たときに道に迷った。そこは10数軒の民家が集まっていた集落だった。どっちへ行こうかと悩んでいたとき、ふと気づいた。そこは農村集落だったのである。私は不思議な感覚に襲われた。私にとって田舎の風景とは中国山地にある棚田の風景が思い浮かぶが、その集落は違っていた。平地だった。荒壁の土塀が続き集落の北側には屋敷林があり周辺には水田が広がる。「これが関東の田舎か!」と、はじめて気づかされたのである。それまで、このような集落風景は遠めに見ていたに違いないが、集落の中に迷い込んで初めて実感させられた。ある意味カルチャーショックだった。それは西と東の風土の違いを肌で感じ取った瞬間でもあった。
これがきっかけで、まだ開発が進んでいない埼玉県内の集落を訪ねるようになったのである。大感激した急斜面集落である大滝村栃本集落(現、秩父市)を訪ねるのは、これから数ヶ月後のことだった。
かぶと造りの民家が残る埼玉県の集落
民俗学祖柳田国男が13歳のときに兵庫県田原村辻川(現、福崎町)から茨城県布川町(現、利根町布川)へ転居して2年間を過ごしている。このときの体験が後に民俗学を志すきっかけとなったといわれている。おそらく西と東の風土の違いを、感受性の強い柳田国男にとっては衝撃的だったことだろう。
レベルが全く違うが、私も柳田国男と同じように感じたことを後に知り密かに嬉しかった記憶がある。
これがきっかけで、まだ開発が進んでいない埼玉県内の集落を訪ねるようになったのである。大感激した急斜面集落である大滝村栃本集落(現、秩父市)を訪ねるのは、これから数ヶ月後のことだった。
かぶと造りの民家が残る埼玉県の集落
民俗学祖柳田国男が13歳のときに兵庫県田原村辻川(現、福崎町)から茨城県布川町(現、利根町布川)へ転居して2年間を過ごしている。このときの体験が後に民俗学を志すきっかけとなったといわれている。おそらく西と東の風土の違いを、感受性の強い柳田国男にとっては衝撃的だったことだろう。
レベルが全く違うが、私も柳田国男と同じように感じたことを後に知り密かに嬉しかった記憶がある。