この日記に不本意ながらまたリアルなことを書いてしまいます。。
常日頃何故あまりそういったことを書かないのかというと、私は個人で
生きているわけではなく、私をとりまく家族やそのほかの
プライバシーに関わることを排除したいからなのです。
(だから書き込みを一切の禁止にしてます)
そして、みんなが一斉につぶやきだだもれな世の中を逆行して
普段コアな部分で自分が感じていることなども極力書かないように
努力してきました。なぜなら、人それぞれの考えかた、感じ方があり、
自分のつたない文章で誤解を招くようなことを極力避けたいと
願ってるから。
でも、このカオスな世の中、私のリアルな知り合い以外の人も
間違ってここを見てくれ、一つのドキュメンタリーとして
捕らえてくれたなら、それで微力ながら人の役に立てるならば
それに越したことはありません。ソウ思って書き記します。
世の中は戦後以来一番最悪な状況になっているといいます。
前回の日記には宮城の親戚がまだ見つからない、と書きましたが、
父方の兄弟、学生時代の友人等々、全てコンプリート、みんな無事でした。
3月17日、地震から6日もすぎてやっとわかった情報です。
場所は、女川、石巻、東松島市、仙台と、全て報道ではものすごい映像で
塗り固められてる場所ばかりです。
まず、一人のいとこから、知らない携帯番号からのメールが届きました。
それが13日のこと。そこには、うちの家族(だんなさん、子供たち)全て
無事です、本家と連絡が取れません、という内容が記されていました。。
いとこのだんな様のワンセグだけしかつながらなかったのだそうです。
ちなみに本家は、10年位前に震度6強の地震でモロに震源地で、テレビには
ものすごい瓦礫の山、私が幼少の頃一緒に行ってラジオ体操をした公園とか
とにかく知ってる地名、知ってる場所が物凄い映像で映し出されていました。
そのときは、とても心配な最中、電話は次の日くらいにはもうつながりましたが、
余震も凄いし、炊き出しを手伝ったり毎日とても大変で、復興にはやはりそれなり
時間もかかったということでしたが、7年位前に田舎を訪れた際、
家がびくともしてないことにとてもびっくりしました。
きちんとした設計で信頼できる大工さんに作ってもらったからだ、ということでした。
実は宮城県はここ30年位の間に震度6とか7とかの地震が何回も何回も
おきている場所です。そのため、人々は本当にいつ地震が来ても生きていける
ようにきちんと備えているわけです。変な言い方ですが、サバイバルに慣れてます。
…まあ、それが、今回のこの映像と来たら、ほんとに映画の特撮みたいだし、
とにかく全然誰とも連絡がとれなかったから、非常に心配しました。
連絡が来たいとこは、やはり電話、電気、水道等ライフラインが全てだめ、
家からも危なくて出られないということ。今回は、避難所を車で回りたくとも、
ガソリンがどこもかしこも売り切れなので、そのためにどこにも出かけられないと。
思ったのですが、当然瓦礫の下に埋もれてる人やら、津波で自宅を失った
人やら、そういう人達が先に救出されますよね?
家が無事な人は、どうして数日も外から分断された状態できちんと生きていけるか、
それはほかならぬ、日頃からの心がけが全然違うからなのだと思いました。
東京の人たちは(私も含めてですけど)、電車が止まったくらいのことで
すっかりたじろぎます。そして、備蓄の食糧などもなかったりで大慌て。
これは少し恥ずべきことだな、と思ってしまいました。
私個人は、そんなわけで割りと身近に災害に会った人を見ていたから、ガスボンベ、
乾麺、米、インスタント食品&水を注げば食べられるもの、水、携帯トイレ、タオル、
手回し発電付き懐中電灯などは常備し、食品は賞味期限を見て差し替え、と、
そのくらいのことはしてはいました。
でも。。地震発生当時知らない場所で一人でいたからパニックになりましたけどね。。
そして、本家は床上浸水、叔父の家は床下浸水、それでも津波の警告が出たから
早速避難所や、安全な親戚などの家に避難していた模様です。
避難所は、今回は自治体が流されてて指示してくれる管轄がないから本当に大変な模様で、
3人で居て、一日に支給されたものは、ペットボトルのお茶1つとおせんべいが一人3枚
とのこと。。。なので、自宅が少し落ち着いたら自宅に戻ったそうです。
それで親戚などがいたから、まだ全然良いほうですね。
全く知り合いも居なかったりした場合、避難所での生活が全てなわけですから。
現在はだいぶ回復したとは思いますが、どれだけ混乱していたのかが伺えます。
そんな時、キャラメルやチョコレートなど、カロリーの高く、かさのはらないものなどを
常に携帯しておくと違うのかな、と切に思いました。
そして、昨日の昨日まで行方がわからなかった叔母一家、こちらは、いとこが
ミクシーで地震のあった直後の16時ごろに「家は廃墟ですが、僕は無事です」
とつぶやいたっきり、その後アクセスもなかったので、心配をしてました。
映画の特撮状態になってる場所だったからです。で、いろんなサイトを
みて検索をかけてもだめだったのですが、
なんと、うちの母が避難所にいる人の名前と年齢がずらーっとノートに箇条書き
されてるものを写真で撮ってるという物凄いある意味アナログな方法ですが、
そんな画像をアップしてあるサイトがあって、
(個人名が載ってるためにここには載せられないですが)
そこに家族4人の名前と年齢が一致するものがあったのですよおお。。。。
なので、いわゆる本人達とはまだ連絡もとれてません。
近いうちに連絡が来るものと思ってます。それまで、とても不自由な生活を
強いられるかもしれませんが、それでも無事だったことがわかりとても安心しました。
これから、経済的には日本は甚だしいダメージを受けることはもう必須です。
原発の問題など、本当に深刻です。でもそれならいっそ、ジリ貧をみんなで
楽しんで、節電生活を楽しめるくらいになれば、原発を辞めて、営利を考えず
安全な世の中にならないのかなと個人的には切に思います。
そんな大変な現場で大変な思いをしてはたらいてる人、
本当に頭がさがります。
さまざまな情報も飛び交いますし、本当のことも、虚偽なことも、
いろいろとあると思ってます。私個人の意見もいろいろ見解がありますけど。
長文ですが、よかったら読んでください。
http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html
ちなみにうちのほう何故か全然停電になりません。
停電になっても大丈夫に備えてるから、是非停電してほしい。
そして、原発じゃない発電方法にして欲しい。。
ちなみに地獄のドライブをたまたま体験してしまった。。
車で走ってたら、突然停電区域に入ったのです。
全ての場所に手旗信号が居るわけではありません。
真っ暗な見通しの悪い道、本当に怖かったです。
できる限りは運転しないほうが良いと思います。
あとがきにかえて。
可能な限り1人でも多くの方の救出、
避難所生活をされている方の身体的、精神的健康ならびに
前線で作業をされている方の安全、被災地の早期復興をお祈りいたします。
今回の震災で不幸にもお亡くなりになられた方のご冥福を心よりお祈り申し上げます。