このたびの「東日本大震災」(東北関東大震災)によって、「建築・不動産」に携わる一人として多くのことを学びました。
その第一は、このブログの「究極テーマ」でもある『理想の住まい』についてでした。
累々と残された「コンクリートの基礎」を見ながら、私は自分が唱えようとしていた『理想の住まい像』について、恥ずかしい気持になりました。
それは、私の目指そうとした「理想の住まい」が、あまりにも「建物」すなわち「建築」にウエイトが置かれていたからです。「敷地」の安全面を無視したつもりはないのですが、その重要性の認識は微弱なものでした。それでいながら、心のどこかに『これでよし』との「自信」があったのです。我ながら謙虚さに欠けていると思いました。
街全体が押し流されたある集落で、『誰を探しに来られたのですか?』というインタビュアの問いに、ある女性がこう答えていました。
『工務店をしていた叔父です。つい最近3階建てを建てたばかりでした。頑丈な3階建てだから、少々のことでは大丈夫だと言ってたのですが……』
しかし、その木造3階建は跡かたもなく、何処に建てられていたかも判らない状態でした。街の様相がすっかり一変していたからです。
このようなシーンを私たちはどれだけ見たでしょうか。あるべきはずの「我が家」や「建物」が消え去った一帯。瓦礫に埋め尽くされた『衝撃の空間』。そこに注がれる被災者達のまなざし……。
私はそれらのシーンを見ながら、この『理想住まい塾』という「名称」そのものを変えたいと思いました。単純かもしれませんが、素朴に『安全住まい塾』という「名称」に……。
そのためにも少し時間をいただき、私自身が「安全な住まい」「命を守る住まい」について勉強してみたいと思います。
その「進むべき方向」は、何と言っても「安全な敷地」ということでしょう。今回のような「地震」や「津波」等の「自然災害」を受けにくい土地であることは無論、「原子力発電所」などの「人災」の起きる可能性のある施設・設備等からも隔てられた「土地」ということになりましょう。
「河川の氾濫」や「土砂崩れ」「崖崩れ」「傾斜地の崩落」そして「陥没」や「不同沈下」などが起こらない……少なくとも限りなく起こりにくい「土地・地域・地帯」ということになるでしょう。つまり――、
『住まいは敷地に始まり、敷地に終わる』
『建物の安全性は、敷地の安全性なくして活かされない』
とでもいうのでしょうか。これを「キー・フレーズ」に模索を続ける所存です。そのためにも研究を重ね、夏頃までに「ある程度のまとめ」をと思います。それまでこの「ブログ」は綴り続ける予定でが、かなり頻度は少なくなるはずです。
なお「個人ブログ:花雅美秀理(かがみしゅうり)」では、今回の「大震災」について、現在以下のような「テーマ」で綴っております。
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●平成23年3月14日
『東日本大震災にみる日本人の冷静さとマナーのよさ』
●平成23年3月16日
『地デジ化推進よりも津波対策推進を……(上)』
―哀しみに打ちのめされず新たな「対策」を
●平成23年3月18日
『地デジ化推進よりも津波対策推進を……(下)』
―災害はいつでもどこでもやってくる