Richard's Blog

リチャードの雑記帳

メキシコ旅行-6

2010-10-13 11:46:36 | 海外旅行
(プエブラの昼食会場)


天使の街、世界遺産プエブラにある二つの教会を見学したのち、昼食会場のレストランに入りました。


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明るい光の入るレストランでバイキングの昼食です。

レストランの席はいつも自由ですが、3日目となり同じツアーの人たちとは、徐々に顔なじみとなり和んできました。ツアー客は33人ですが、なかには最初から目立つ賑やかな人もいます。







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レストランでは地元の学生バンドが演奏して歌ってくれました。
ツアー客の陽気な方が一緒に歌ったりもしてます。







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昼食のあとは、プエブラの街を自由散策です。







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スペイン統治時代に作られた街並みがカラフルできれいです。







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建物はほとんどが単色で塗られていますが、その色は宗教の宗派でだいたい決まった色だそうです。

街を走る車はヨーロッパ車、アメ車、日本車とさまざまです。








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お土産やや日用品を売るお店が並ぶ通り。







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この建物は通称、砂糖菓子の家。

砂糖菓子を連想させるような造りなので、このように呼ばれています。

もっともプエブラらしい建物で、18世紀に迎賓館として建てられたものらしいです。

外壁にはスペインからもたらされたタラベラ焼きのタイルが、埋め込まれているとのこと。









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街を走るミニバス。









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これもパスです。







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プエブラの街を自由散策したあと、バスで移動しチョルーラ遺跡にやってきました。

この村に、スペイン人征服者エルナン・コルテスが到着した時はトルテカ系住民の大都市だった。大ピラミッドを中心に中小のピラミッドや神殿が林立していたという。それをスペイン人が征服の一環として大虐殺とともに強制的な宗教の押し付けを行いそれら建造物をすべてキリスト教の教会に置き換えていった。村の中央の小山の上に教会が立っている。この小山が昔の大ピラミッドのなれの果てである。今もその山のふもとにピラミッドの一部がむき出しになっているのが見て分かる。

スペイン人が布教の意味も含め、当時の先住民が崇めていたピラミッドを壊し、その上に人工的に丘を作り、さらに教会を建てたことで【キリスト教】がより優れているとしらしめたのがきっかけである。

大ピラミッドが放置されたため、土に覆われて、ほぼ山になっています。







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一度発掘計画がありましたが、事情で中断。

山の表面の土砂を取り除けば、テオティワカンよりも大きいピラミッドが出てくるそうです。







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一部を見るために地下道が掘られています。








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これはピラミッドを再現して作られたものだそうです。







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そのピラミッドを登ると上からは見晴らしがよく、街が見渡せました。







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再現されたピラミッドの上で記念撮影。








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チョルーラ遺跡の見学を終えて、メキシコシティでの現地ガイド、日系二世のヤマダさんと、同じツアーに参加しているツアー客と3人で記念撮影させてもらいました。







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チョルーラ遺跡エリアからメキシコで2番目に高くメキシコ人にも人気のあるメキシコ富士がきれいに見えています。

本当に日本の富士山と形が似ています。







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16時頃チェルーラ遺跡わ出発してメキシコシティに向かいます。

途中、17時頃、ガソリンスタンド兼ドライブインで休憩。

帰りも少し渋滞し、ホテルには19時頃到着しました。







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この日の夕食はホテルのレストランで、またまたメキシコ料理です。

同じ系統の料理ばかりで、ツアー客もだんだん、飽きてきたのとお腹の調子が悪くなってきたみたいです。

テキーラの国、メキシコ。

毎晩テキーラを注文する人が数人いますが、私はカクテルのマルガリータを頼んでみました。グラスのふちには塩が付いています。


メキシコシティ3日目、今日でメキシコシティエリアの観光を終えて、明日は東のメリダに移動します。


メキシコ旅行記 その7 に続く

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