Richard's Blog

リチャードの雑記帳

ロシア旅17 クレムリン (モスクワ)

2011-10-15 16:38:57 | 海外旅行

     

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ロシア旅行5日目の午後はクレムリンの中を観光しました。

午前中は赤の広場に行きましたが、その時見えていたクレムリンの城壁の中にある武器庫や聖堂を観光します。

クレムリンとは、ロシア連邦の首都、モスクワ市の中心を流れるモスクワ川沿いにある旧ロシア帝国の宮殿。ソ連時代には、ソ連共産党の中枢が置かれたことから、ソ連共産党の別名としても用いられた。現在もロシア連邦の大統領府や大統領官邸が置かれている。

ロシア語ではクレムリは「城塞」を意味する。城壁の総延長2.25km。20の城門を備え、内部には様々な時代の様式による宮殿や大聖堂(寺院)が林立している。

最初に入ったのは武器庫。16世紀にクレムリン内に創設された武器の製造場兼収納庫を前身として、後に戦利品やロマノフ家の宝物を保管するようになり、1720年ピョートル大帝の勅令によって美術館となった。ロシアで最古の博物館。

コレクションには、中には、教会で使われる福音書やイコンのための金箔装飾、礼拝用のワインの盃、十字架、手提げ香炉、胸間聖像、宮廷で使われていた豪華な品々、食器、盃、大盃、銀盃など、その宝物の想像力の豊かさと技術の高さには目を見張るものがある。

武器庫やダイヤモンド庫は絶対撮影禁止で、大きなコートやBagも禁止。 最初に添乗員さんにデジカメと携帯を全員が預けて、添乗員がそれを館内の保管場所に預けました。そのため、私が撮った写真はありませんが、ネットで検索すると写真があったので、参考にそちらをご覧ください。以前は撮影OKの時期もあったのかも。

最初の写真は武器庫とダイヤモンド庫の見学を終えて出てきたところで、カメラが戻ったので子供たちが記念撮影しているところを撮りました。

 

 

 

 

左の写真では左の建物が武器庫。 右の写真では右の建物が武器庫。右奥の塔はクレムリンの城壁をつなぐいくつかの塔のうちのひとつボロヴィツカヤ塔。

 

 

 

 

周囲を撮影していたら、小学生か中学生かわかりませんが、私をからかったのか、ふざけているのか、私の名前を聞いたり時計やカメラに興味をもったりと、しばらく囲まれていました。最後に記念に写真を撮るよとジェスチャーで言うとポーズをとってくれました。

 

 

 

 

武器庫やその他の建物では門の入口で警備してますが、隣の門には警備する人が見当たりません。それほど厳重ではないような。

 

 

 

右が武器庫の建物。 左奥はボロヴィツカヤ塔。

 

 

 

 

クレムリン内にあるブラゴヴェシェンスキー聖堂。

別名受胎告知聖堂。9つのドームを持ち、独特の形をしています。最初の聖堂は1484年から1489年にかけて建てられ、後に改造されました。

 

 

 

 

 

クレムリン内にあるイヴァン大帝の鐘楼。

クレムリンの中でひときわ高い建物。それが「イワン大帝の鐘楼」。高さは81メートル。建立は1508年。当時モスクワで最も高い建物でした。鐘も21個備えられていて数10km以上先の敵が攻撃してきても、この鐘を鳴らして知らせる為に高く造ったようです。

 大きな鐘がたくさんあります。

 

 

 

 

 左はウスペンスキー聖堂。

1475~1479建立。かつては皇帝の戴冠式が、今は大統領就任の祝福がおこなわれています。1474年には大地震が起こって崩壊しましたが、その1年後にイタリア人建築家フィオラヴァンティが招かれ、寺院の再建が始まり1479年に完成しました。1721年からはロシア皇帝(インペラートル)の戴冠式が行われるようになる(ピョートル大帝)。このように、ウスペンスキー聖堂はロシア国家にとっての中心寺院となりました。

 

 

 

 

 

 こちらは大きな大砲と玉。大砲の皇帝と呼ばれています。

16世紀末に造られた大砲で当時としては世界最大の口径をもった大砲でした。かつては、スパスカヤ塔の門を守るために置かれていたようです。幸か不幸か、一度も発砲されることはありませんでした。大砲の前にある弾は飾り物で、19世紀に造られました。

 

 

 

こちらは鐘の皇帝と呼ばれる大きな鐘。

高さ6メートル、直径6,6メートル、重さ200トン以上。この鐘は1733年から1735年にクレムリン内で鋳造されました。この鐘は鋳造された後も、製作用の穴に置かれたままになっていました。1737年にモスクワに大火事が起こりました。その時、鐘を冷やすために水をかけたところ、亀裂が生じて一部が欠けてしまいました。1836年になって穴の中から引き上げられ、石の台座の上に置かれました。

 

 

 

 

 左はクレムリン大会宮殿、中央は複数あるクレムリンの城壁の出入口となっているトロイツカヤ塔、右は兵器庫。

クレムリン大会宮殿はクレムリンの中にあっては、最も近代的な建物です。この建物ができたのは1959年から1961年にかけて。6千人を収容できる大会議場を有し、そこには12カ国語に対応できる同時通訳装置があるという。ここは、ソ連共産党大会や大きな国際会議の開催場所となっていたのです。

 

 

 

 

 

 兵器庫のまわりには、ずらっと大砲が展示されています。

この大砲は対ナポレオン戦争の時(1812年)にナポレオン軍から奪った記念の大砲です。この建物自体はピョートル大帝の命令で、1702年から1736年にかけて建てられました。

 

 

 

 クレムリンの中の観光が終わってトロイツカヤ塔から出てきました。このころから青空に変わりました。

 

 

 

 

 トロイツカヤ塔の手前に見える白い門はクタフィヤ塔。トロイツカヤ塔の右手の建物が先ほど通ってきたクレムリン大会宮殿。

17時頃、クレムリンの中の観光を終えて、ツアーバスを待ちます。この辺りは、警備も厳しく、なかなかツアーバスも一カ所に停まっていられないので、ガイドさんと連絡を取り合って来てもらいます。

 

 

 

 

 19時頃ホテルに戻り、ホテルのレストランで夕食となりました。

最初にスープ。

 

 

 次に豚肉のソテーとライス。 デザートはケーキでした。

 

 

 

 

 夕食のあと、ホテルから5分ほどのところにスーパーがあるというので、行ってみました。ツアー客の人も次々とやってきて、最後のお土産の追加を買っていました。

 

 

 

 アートモードで撮った写真。

 

5日目終わり 6日目につづく

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