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【私の正名論】評論家・呉智英 「位相」「捨象」って何ですか?

2008-08-27 02:53:00 | MSN SANKEI
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/080827/acd0808270255000-n1.htm


 七月末、本紙「主張」欄に「日本語の乱れ」という論説が出た。文化庁の日本語世論調査で若者言葉や敬語の使い方について回答者の八割が「乱れている」と答えたことを踏まえた提言だ。
 なかなかの御高見ではあるが、私はこの種の「日本語の乱れ論」に冷笑的だ。普通の庶民や未熟な若者の言葉が少しばかり乱れていてもどうということはあるまい。それらは、ラ抜き言葉に典型的なように概して「安易な方向への乱れ」である。いわば、背広を着用すべきところをポロシャツにしたようなものだ。人は誰でも安易な方向に流れがちなのである。
 本当に恥ずべき「日本語の乱れ」は、自称知識人の知ったかぶりの言葉の誤用である。庶民や若者を威嚇するように「難しい言葉」を使って、しかも間違っていることだ。それが知識人の狭い業界でけっこう流通している。
 いくつか実例を示そう。
 八月十八日付朝日新聞に深川由起子早稲田大学教授が「雁行(がんこう)形態アジア観の終焉」という論文を寄せている。論題だけでも既に難しいが、本文には理解不能の言葉が繰り返し出てくる。「日韓の位相は雁行形態時代とは逆の方向性を持つ」。日韓のphaseが逆の方向を持つという意味が、私のような無学な人間には分からない。
 「位相」とはphaseの訳語で、特に「月の満ち欠け」の意味で使われる。まさか国際派の大学教授が「位相」を「位置」の高級表現だと思っているわけでもなかろう。そもそも「位置」に高級も低級もない。私のような雑文書きは「位置」は平易に「位置」と書く。
 少し古いところでは一九九七年二月二十日付朝日新聞に哲学者の久野収が「民族、階級を捨象(しゃしょう)した具体的な一人の人間」と書いている。哲学者の文章だから少しは難しかろうが、私には理解できぬ。民族や階級をabstractしたら、どうして具体的な人間になるのか。「捨象」はabstractの訳語だ。この語は「抽象」とも「捨象」とも訳す。民族や階級こそ具体的な人間を「抽象=捨象」したもののはずだ。それをもっと捨象するのだろうか。
 「リンゴをむく」と「皮をむく」は同じことを反対から言っただけだ。リンゴをむいて「身を抽(ぬ)き出す」のが「抽象」、皮をむいて「それを捨てる」のが捨象。同じ言葉の訳語なのである。
 久野収は「捨象」を「捨て去る」の高級表現だと思っていたのだろう。あるいは哲学的表現だとでも思っていたのだろう。「捨て去る」に高級も低級もないし、哲学も雑学もありはしない。平易に「捨て去る」と言えばよい。この久野収が革新派、市民派の知識人であるところが笑止である。
 朝日新聞の例だけでは公平を欠く。本紙からも例を引こう。一九九七年元旦の「年頭の主張」だ。日本的なものの意義を訴え、「保守すべきものと、捨象すべきものを」区別せよと言う。その「捨象」すべきものとは、革新派の口先だけの平和、人権だそうだ。革新派の平和と人権は何の具体性もなく既に十分「捨象」されている。この論者の「保守」とか「日本文化」って何だろう。私なら論理的な「正しい日本語」こそ保守すべき日本文化だと思うけれど。(くれ ともふさ)


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