REIKO@Wonderland

人生は二転三転

横須賀で「あたご」に遭遇

2008-02-26 00:32:55 | Weblog
2月24日、横須賀へ行ってきました。
横須賀では「非核市民宣言運動ヨコスカ」の定例デモに参加し、「辺野古への基地建設を許さない実行委員会」が企画した4・6人間の鎖のアピールとチラシまきをさせていただきました。ちょうど横須賀港に例のイージス艦「あたご」が停泊していて、こんな大きな船が前から来たら、漁船はとても避けることなんてできないだろうと思いました。横須賀の市民運動は24日の午前中に海上自衛隊へ抗議行動をしに行ったとのことでした。

さて、横須賀では8月19日に原子力空母「ジョージ・ワシントン」が来ると言われていますが、母港化を阻止する住民投票条例制定のために、一昨年に続いて第二次直接請求運動が3月6日~4月6日に行われることになりました。
詳しくは「原子力空母の横須賀母港問題を考える市民の会」サイトをご覧下さい。
http://cvn.jpn.org/cvn/
母港化阻止のためには、住民投票条例制定はどうしても達成しなければならない課題といえます。一昨年は法定数を超える署名を集めたものの、市議会では否決されてしまいました。
原子力空母母港化問題は横須賀のみならず首都圏全域に関わる大問題です。
岩国にひきつづき、ヨコスカ住民投票を支援する市民基金にもぜひカンパをお寄せ下さい。
目標額200万円、賛同金は一口1000円です。

郵便振替 00200-2-43314 ヨコスカ住民投票を支援する市民基金

岩国市長選に参加できてよかった

2008-02-11 23:40:48 | Weblog
岩国市長選挙の投票日前日2月9日、半日だけ現地に井原勝介候補の応援に行ってきました。まず事務所に一歩足を踏み入れて目に飛び込んできたのは、壁に貼ってある手紙、FAX、寄せ書きの数々。岩国市民だけでなく、全国各地から寄せられた応援メッセージでした。「政治家の名前がついた“必勝”の文字はないんですよ。井原の選挙はいつも」と、事務局副代表の方。「でも、最初は岩国市民ばかりだったのに、だんだん全国から来るようになったんです。それも、いわゆる“偉い人”じゃなくて、普通の市民ばかりですね」と。寄せ書きは函館、神奈川など、やはり一般市民の手作り感あふれるものばかりでした。この選挙はもはや一地方都市のものではなく、全国区のものになっているんだということを、強く感じさせるものでした。
「幟を持ってくれる人、いません~!?」という声がしたので、思わず「私で良ければ」と手を挙げて、井原さんのシンボルカラーの黄色に「風を起こす」という文字を染め抜いた幟を持って市役所前に駆けつけました。今回の市長辞任のきっかけになった市役所庁舎は、古い建物のすぐ隣に9割方完成している新しい庁舎が建っています。旧庁舎の2階が期日前投票の投票所で、その前が十字路になっており、4隅に立って「お願いします!」の訴え。当然対立候補の福田陣営(白い幟に青い字)の人々も立って「安心して暮らせる岩国のために!」「未来の子どもたちのために!」と声を張り上げます。私は3時間ほどその場に立っていましたが、その間に両候補の応援団は微妙に増減を繰り返し、黄色が3隅を取ったり、白が巻き返したり。それにしても期日前投票の人出は途絶えることがなく、まるで投票日当日ではないかと思えるほどでした。隣に立っている井原陣営の男性の方に聞くと「艦載機のことよりも、相手方の汚いやり方に腹が立つので絶対負けられない」といっていました。「井原になると市営バスがなくなる」「病院がなくなる」「夕張のようになる」という根拠のないデマが流され、町のレストランでそのようなことを声高に話す女性グループが現れたりするなどの状況があったと、何人かの方にも聞きました。「頭にくるから福田の事務所に電話して根拠を聞いたら答えられなかった」と、前記の男性は憤懣やるかたない表情で話していました。
私は岩国市民でもないのに、応援をしに行くのは地元にとってかえってじゃまなのではないかと思っていたのですが、「市外からも応援に来ている人はたくさんいますよ。地元だとかえってやりにくい方もいるんじゃないでしょうかね」と、一緒に立っていた地元の女性が言っていました。事実、一緒に立っていた仲間の中には岡山の方、宇部市の方などがおられました。事務所に戻ってみたら沖縄から知花昌一さんが来られていたので、今度はチラシを持って駅近くのスーパー前で宣伝活動。知花さんの三線演奏に足を止める人にさっとチラシを差し出す作戦です。
日が暮れて、6時過ぎから最後の屋外集会。長山公園のステージには井原さん、奥様、ずっと選挙に張り付いていた上原公子前国立市長、そして選挙を支えてきた市民たち。上原さんは「この選挙は岩国だけでなく、全国の選挙になりました!でも、私たちにできるのはここまで。あとは市民の皆さんに一人でも多く選挙に足を運んでいただきたい」と声をあげ、大きな拍手。つめかけた市民たちに枯れた声でお礼を述べる井原さんに「こちらこそお礼を言いたい」という市民。「私は世界一の幸せ者です」と、井原さんは声をつまらせました。
そして10日、井原さんは敗れました。悲しいかな、財政問題に絞った福田陣営の(デマの多い)戦術は市民の不安を増幅させ、徹底した組織選挙と相まって効果をあげたようです。それにしても1800票差とは、紙一枚の差といっても過言ではありますまい。井原さんと、共に闘ってきた市民の皆さんの心境を思うと、悔しいとか残念とかという言葉はとても言えません。「この国の民主主義は岩国から再生すると思ったのに、大丈夫なのか!?」と、今後のことが不安でなりません。
ただ、半日だけでも岩国の「闘う市民」の皆さんと一緒に選挙運動ができたことは、大きな財産になりました。市長は替わっても、2年前の市民投票で示された「艦載機移駐反対」の民意はなくならないし、「闘う市民」の皆さんは必ずや福田新市長に突きつけていくことと信じています。井原さんを応援した全国の皆さんも、福田新市長を監視していくはずです。市長に就任してすぐに「艦載機移駐受け入れ」となったら、黙っているはずはない。そのことを福田さんは肝に銘じるべきでしょう。