(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第四十五章 お引っ越し 一

2011-12-02 20:52:25 | 新転地はお化け屋敷
 おはようございます。204号室住人、日向孝一です。
 といっても今は、203号室にいるわけですが。
「…………」
 目は覚めたものの、しかしどうやらまだまだ寝足りないらしく、布団から出るどころか身体を起こすことすら億劫なのでした。
 ならば今はどれくらいの時刻なのだろうかと視線だけ窓のほうへ向けてみると、閉じられたカーテン越しながらも朝日がさんさんと。苦し紛れに時計のほうを見てみても、針は八時半を指しています。
 寝足りないなんてとても言えない時間ではあるのでしょう。
 普段であれば、の話ですが。
 ええ、分かっていますとも。どれだけ寝ぼけた頭でも、昨夜は随分遅くまで起きていたということぐらい、しっかりはっきり思い出せますとも。
「…………」
 成美さん、大丈夫だったかなあ。
 そんな心配をしてはみますが、しかしそれを今ここで気にしたところで、まさか成美さんが答えてくれるわけもなく。なので僕はその案件を放り投げ、気にすることに意味があることを気にすることにしました。
 胸元から聞こえてくる、すうすうという寝息。ベッドから出る気になれない以上、それ以外に気にすべき事柄は一つもありませんでした。
「なんで目、覚めちゃったんだろうなあ」
 とても気持ちよさそうにしている彼女を見ていると、理不尽を感じざるを得ませんでした。ほんのついさっきまで自分だってそれと同じく気持ちよくしていたんだろうに、何故僕だけが。しかも、特に理由もなしに。
 ならばそれをもう一度、ということで二度寝しようかとも思ったのですが、しかしせっかく目が覚めたのならそれに準じてみようかな、とも。
 というわけで暫くの間、眠気を我慢して胸元の彼女を眺めてみることにしました。
 横になっている以上は上下という位置関係ではないわけですが、まあしかし胸元に頭があるわけですから、「頭の上から見下ろす形」ということでいいのでしょう。つむじとか見えてますし。
 相変わらず。ある日突然変わったりするものではないので当たり前ではあるのですが、しかし相変わらず、その髪はとても綺麗でした。触って起こしてしまった経験があるので、手が出そうになるのは我慢しておきますが。
 …………。
 いや、我慢しておきますが。
 彼女は普段、赤いカチューシャを付けています。けれど寝る時にまで付けているわけではなく、ならば今はもちろん付けていません。外したほうがいい、なんてことを思っているわけではありませんが、普段見られないものを見られるというのは、それだけでなんというかこう、口の端がにやけてしまいそうになります。にやけたところで誰に見られるというわけでもないのですが、しかし一応、それは我慢しておきました。
 一人で何やってんだって話だけど、さっきから我慢してばっかりじゃなろうか。
 そんなふうに考えるとなんだか馬鹿らしくなり、そして見るものも見たので、やっぱりもう一回寝てしまおうとした、その時でした。胸元の彼女がもそもそと動き始め、ただ寄り添っていただけの状態から、僕に抱き付いてきたのです。そのうえ、「えへへー」とどこかだらしのない笑みを浮かべ、鼻先を擦り寄せすら。
「栞?」
 起きがけから随分甘えてくるなあ、などとこれまた口の端をにやけさせてしまいそうになりつつ、でもまあそうなってもおかしいわけじゃないか、と冷静ぶってもみます。
 けれどそのどちらも、結局は間違いなのでした。
「ん? あ、おはよう孝さん」
「え、起きてたんじゃなかったの? 今の」
「今の? 何が?……もしかして、私? 寝たまま何かしちゃってたって話?」
 その通り。というわけで、起きがけからも何も彼女はまだ寝たままで、そうなってもおかしいわけじゃないも何も彼女はまだ寝たままだったようです。
 せっかくこうならないよう髪を触るのを我慢したというのに、またも起こしてしまいました。ううむ、しょうもないこととはいえ割とでっかい我慢だったのに。
「大したことじゃないから気にしなくていいよ。おはよう、栞」
「むぐ」
 無駄だったんならもういいや、ということで、頭ごと抱き締めるようにしながら髪を触ることにしました。
 僕が彼女の髪を気に入っていることは彼女自身も知るところであり、喜ばしく思ってもらえてもいます。というわけで、胸元から再び「えへへー」とどこかだらしのない笑みが。
「それ」
「え? 何が?」
「何でもない」
「むー」
「あはは――あいっだぁっ!?」
 噛まれました。いや、予想だにしない展開に驚いただけで、そんな叫び声上げるほど痛かったわけじゃないですけど。そしてついでに、取り切れていなかった眠気がそのおかげで完全に消滅してしまったりも。
「ごめん」
「許す」
 僕こと、日向孝一。彼女こと、日向栞。家族になって初めて迎えた朝は、こんな感じなのでした。こんな感じにしかなりようがない、ということだったりするかもしれませんけど。

 目が覚めたのなら、ということで二人揃ってベッドから出、着替える――もとい、服を着始めるわけです。替えるものがない以上、着替えとは言わないんでしょうね、やっぱり。
 で、それはともかくその最中。
「うーん……」
 栞、俯いて何やら悩んでいます。その様子を確認しながら「どうかした?」なんて尋ねてみますが、少なくとも何について悩んでいるのかは、その俯いた視線の先、栞の手元を見ればすぐに分かりました。
「あ、いや、これなんだけどね」
 その言葉と同時に栞が顔の高さまで持ち上げたそれは、いつも付けている赤いカチューシャ。つい先ほど「たまに外してるところを見るのもいいもんだよなあ」みたいなことを考えた、正にその品です。
「付けるか付けないか、どうしようかなって」
「似合ってると思うけど?」
「……ええとごめん、そういう話じゃなくて」
「うん、言ってみて『今更だしそれは変だよなあ』とは思ったけど」
 というわけで、カチューシャを付けるか付けないかの話。けれど今までずっと付けていたものをどうして今付けるか付けないかで悩む必要があるのかは、正直なところさっぱりなのでした。
 服を着ている最中だった以上、栞は現在非常に中途半端な格好をしているわけですが、しかしどうやら服を着ることよりこの話題を優先させたようです。てこてことその場から移動し、ベッドへ腰掛けるのでした。
「これが家族からの贈り物だって話は――前にしたよね?」
「うん、聞いた」
 小学生の頃からずっと続く入院生活で、お洒落の一つも出来なかった栞。あのカチューシャは、そんな彼女へご両親が贈ったものなのです。似合う似合わない以前に、だから栞はそれをずっと大事にしていました。……ええ、知っている話ですとも。
 栞は言います。浮ついたような気配は微塵も感じられない、とても落ち着いた声で。
「でも私、今はもう孝さんのお嫁さんだからさ。こっちの家族にもなったのに、ずっとこれに拘ってるのも変かなって」
 返事をする前に、僕は栞の隣へ腰掛けました。
「一応訊くけど、僕に遠慮してってことじゃないよね?」
「うん。そしたら孝さん、怒るでしょ? だったらそれって、遠慮にも何にもなってないしね」
 よくお分かりで。そしてよく、その話を落ち着いた口調のままで。
「付ける付けないってだけの話で、これを捨てるとかそんなつもりはないからね? むしろ捨てろって言われても捨てないよ、たとえ孝さんでも」
「言わないよ」
 確認されるまでもなくそんなこと言いはしませんが、けれどそれは、無駄な確認というわけではありませんでした。「たとえ僕でも」ときっぱりと言い切ってくれたことが、非常に嬉しかったのです。
「ただ、似合うと思ってることだけは覚えてて欲しいかな」
「あはは、了解。様子を見てたまーに付けるくらいにしとくね、これからは」
 それはつまり、付けて欲しそうにしていたら、ということなのでしょうか。
 ううむ、付けて欲しそうな様子っていうのはあんまり観察されたくない気も……いやしかし、たった今何も言わないと約束したばかり。それくらいは我慢しておきましょう。
「それと栞、もう一つ」
「ん?」
「できれば早めに服を着終えてください。ぶっちゃけ、だいぶエロっちいです」
「おおう。そうだね、親しき仲にも礼儀ありっていうし」
「なんかちょっと違う気もするけど、そういうことでいいやもう」

 早速と言わんばかりにカチューシャを付けなかった栞と、顔を洗ったり歯を磨いたり。そしてそれら朝の身嗜みを整え終わりましたらば、次にすべきは朝食の準備なのですが――。
「朝ご飯の材料って、足りてるの?」
「うーん、一回僕の部屋に取りに戻ったほうがいいかもねえ」
 などと憶測で言ってみたりしつつ、冷蔵庫を確認。そしてどうやら今言った通り。だったらこれまた今言った通りに僕の部屋へ戻ることになるわけですが、そこへ栞からこんな提案が。
「なんだったら、そのままあっちの部屋で食べちゃえばいいんじゃない?」
 その提案が出た頃には既に玄関口で靴を履いている最中だった僕は、しかしそれに異を唱えてみます。
「できれば、引っ越すギリギリまでこっちに居たいかな」
 引っ越しは今日。ならば今の時点で既にギリギリの範疇ではあるのでしょうが、それでもまだ粘ろうとする僕なのでした。
 昨晩、明日引っ越しだから今日はここに居たいと言っていた栞。日付は変わりましたが、出来る限りその望みを叶え続けてあげたかったのです。もちろん僕自身がここに居ることを望んでいたりもするわけですが、けれど二つを比べればやっぱり、そっちのほうが比重は大きいわけで。
「そっか。そうだね。うん、ありがとう孝さん」
「どういたしまして」
 そこで礼の言葉が出てきたということは、僕が何を思って今の返事をしたか、きちんと理解してくれているのでしょう。こういう展開になってくれるなら、親切心の出し甲斐もあるというものです。

 204号室へ向かおうと外へ出た際、反対側の202号室が気になったりもしたのですが、しかしそれは置いといて食材を移送。何が気になったかって、そりゃまあ成美さんです。起きた直後にも同じことを考えましたが。
 で、置いといた以上はそれについての話なんぞしなかったわけですが、その際、栞がちらちらと202号室へ視線を送っていました。直後に僕と目が合っても「えへへ」と曖昧な笑みを浮かべるばかりでしたが、同じ心配をしたとみてほぼ間違いはなかったのでしょう。
「ただいまー」
 ――なんてことを考えている間に食材の移送も終わり、ならばこれからすべきは朝食作りです。
 僕はそんなに朝が強くなく、なので食パンだけで済ませたりすることもままあるわけですが、しかし今回はそうはいきません。なんせこうして隣の部屋から食材を持ってきまでしたわけですし、それに目もばっちり覚めてますしね。噛まれたり、真面目な話をしてみたり、あと恐らくは服を着る途中の格好を眺めたことなんかも関係して。眠いとか言ってる場合じゃねえってんですよそりゃ。
 というわけで今朝の食事はちょっと気合いを入れ――たいところですが、その前に栞へ確認事項が一つ。
「昨日、夜ご飯の時にだいぶお腹一杯みたいだったけど、大丈夫? 見ての通りがっつり作る気満々なんだけど」
 幸せそうだったとはいえ満腹を訴えていた昨晩の栞を思い出しながら、そう尋ねてみました。運び込んだ食材の量からして、普段の朝食よりボリュームがあるというのは栞からも見て取れることでしょう。
 すると栞、やや俯き加減に「えーと……」と返事をし辛そうな様子。ならばそれを見た僕は、ううむちょっと無理だったか、なんて思ってしまうわけですが、
「その、ほら、そのあといっぱい運動したし?」
「…………」
 そりゃまあそうだったんだけども。案外結構な量のエネルギーを消費するって話も聞いたことある気がするし、間違ってはないんだろうけども。
「ああいやごめん、やっぱ今のナシ! 言ってみたくなっちゃっただけで――お、お腹はちゃんと空いてるから! 別に何が理由でとかじゃなくて普通に空いてるから!」
 そこまで慌てる羽目になってまで言いたかったようです。まあ、気持ちは分からないでもないんですけど。
 とはいえしかし恋人同士、どころか夫婦であるなら、別に騒ぎ立てるような言い回しでもないのでしょう。だというのに言った本人がここまで取り乱し、言われた僕が呆気に取られてしまったというのはやはり、交際期間の短さが原因だったりするんじゃないでしょうか。
 こういったやらしい系の出来事について――「正にその行為自体」は別としても――服を着る途中の格好で平然としてたと思えばこの程度のことでこんなふうになってしまうというのは、なんだかちぐはぐな感じがしますしね。
 要は、「する」のは大丈夫だけど「話す」のにはまだ慣れていないと、そういうことなのでしょう。
「あうう、言わなきゃよかった」
「いや大丈夫。むしろどんどん言ってくれていいよ、そういうこと」
「うーん、要求されるとそれはそれで困っちゃうかな……?」
 期間が短いなら試行回数を増やせばいい、と割と真面目にそう考えたのですが、しかしどうやら困らせてしまっただけのようでした。うむ、後から考えればそりゃそうだ。
「ちなみに、僕の方からそういう話をしたとしたら?」
「きちんと受け応えられるよう、努力します」
「了解しました。お互い、そういうことで」
「うん」
 その「うん」は、えらくシリアスなのでした。
 ――で、とにもかくにも話は纏まったということで。
「じゃあ気を取り直して作ろうか、朝ご飯」
「どんとこい!」
 そっちにまで気合い入れなくてもいいんじゃないかなあ、とは思いましたが、料理の先生という立場も鑑み、ここは素直に喜んでおくことにしました。

「うーん、こっちはちょっと失敗しちゃったなあ」
「まあまあ、味は変わらないんだし」
 今朝の献立は、オムライス。ライス部分の調理は僕が担当したのですが、しかし「やってみたい」とのことだったので、オムレツ部分の調理は栞に任せてみました。まあ、やってみたいというのは恐らく米に乗せる作業だったんでしょうけど。
 用意するのは僕と栞の分ということで二度挑戦することになったわけですが、一度目は上手くいったものの、しかし二度目が少々、今言った通りの結果に。僕が以前にやってみせたのと同じく半焼け程度に作った卵焼きを米の上で切り広げるという方法をとったのですが、切り込みが深過ぎてところどころ貫通し、下の米が見えてしまっているのです。
 が、これまた今言った通り、それで味が変わるというわけでもありません。卵焼きを作るように言ったらスクランブルエッグを作ってた、なんて懐かしい失敗をしたならともかく、これぐらいなら。
「なんだったら失敗したほう、僕が食べるけど?」
「いやいや、自分が失敗した分は自分で処理しないと」
 まあ、別に拘りはしないけど。
 というわけで特に何も言い返さないでおいたところ、「あ」と栞。
「ん?」
「いや、半分は、というか半分以上は孝さんが作ったものなのに、処理って言い方はどうだったかなあって」
「栞に処理してもらえるんだったら大歓迎だけど?――というのは冗談にしても、まあ気にしないよ、それくらいのこと」
 なんせこれからはずっと一緒にいるわけだし、だったらそんな細かいことをいちいち気にしてたらキリがないし。とまでは、言いませんでしたが。
 くすぐったそうに微笑む栞を確認したところで、ではそろそろ出来た料理を居間へ運びましょう。昨晩の料理の残りなんかも一緒に出してしまうので、どうやら今日は朝からお腹一杯になれそうです。

『いただきます』
「うーん、なんか朝から豪華過ぎて、手をつけるのが勿体無いなあ」
「普段の朝食が質素過ぎるっていうのもあるかもしれないけどね」
「そう? 私がいる時はきっちり作ってくれることが多かったから、そんなふうには思わないかなあ」
「多かったってことは、ちょっとくらいそういう日もあったってことなんだけどね。――んー、でもそんな日ばっかりじゃなくて良かったってことにしとこうかな」
「これからは毎朝一緒なんだし、無理してくれなくてもいいんだよ?」
「いやいや、自分で作っときながら手抜きっていうのは無しにするよ。どうしても辛かったら、いっそ栞に全部任せるとかだってできるわけだし」
「あ、そっか」
「頼りにしてるからね」
「えへへ、はい」
「――ところで、どんな感じか訊いてもいい? 失敗したオムライスの処理のほうは」
「なーんか意地悪な訊き方だなあ。気にしないって言ってたのに」
「そりゃまあ意地悪だしね。悪意はないけど」
「まあいいんだけどねー。それだって孝さんが大事にしてる『団らん』のうちなんだろうしー。……で、処理の話は置いといて、真面目な話なんだけどさ」
「ん? うん」
「私、好きかも。オムライス」
「おっ。そっか、好物探しの最中だったっけね。――あれ? でも少し前に食べた時は特にそれっぽい反応もなかったような」
「あの時は好きな料理を探してたわけでもなかったし、多分それで……あれ、でも今思い返すと確か、前に食べた時って孝さんから『好きなの?』とか訊かれてたような」
「しかも『別にそんなことない』みたいなこと言ってなかったっけ」
「うーん、なんでだろう……。孝さんも食べてみて?」
「うん。――――あ、オムレツの味付けが僕とちょっと違うかも。塩コショウが強めのような」
「ああそっか、前の時は全部孝さんが作って……って私、そんな細かいとこまで拘るほど好みにうるさかったっけ?」
「分からないけど、まあそういうことなんじゃない? というわけでおめでとう、好きな料理が見付かって」
「うむむむ、なんかすっきりしないような気がしないでもないような」
「なら納得いくまでいろんな調理法を試せばいいんだよ。オムライスが好きだと分かったにしたって、もっと好みに合うオムライスが作れたりするかもしれないし。今回味付けが違ったのはオムレツ部分だけど、ケチャップご飯部分だってもっと美味しくできたりするかもしれないしね」
「おお、なるほど」
「……にしても味付けに拘るなんて、もうすっかり初心者は卒業だねえ」
「え、そ、そうなのかな?」
「ま、だからって先生の立場からは降りてあげないけどね、まだまだ」
「そっか。ふふ、良かった」

『ごちそうさまでした』
 そう言って手を合わせたところで、結婚後初の朝食は終了。満腹感と満足感に浸りつつ、けれど食器の後片付けだけはしっかり終わらせてから、二人並んで座り直します。
 そうしてふうと一息つき、するとある疑問が。
「今更だけどさ」
「ん?」
「こういう何もない時間って、居間より私室のほうで過ごすものだったりしない?」
 僕が客であるなら居間であっても可笑しくはないでしょうが、客でなくなってから結構な時間が経っています。明確にどの瞬間から客でなくなったのかと言われれば、それはちょっと判断が難しいところですけど。
「あー、うーん、どうなんだろうねえ。あっちにもテーブルがあればいいんだけど、ベッドしかないからぼーっとしてたら寝ちゃいそうだし」
「まあ僕の部屋なんかベッドすらないんだけどさ」
 部屋にテーブルがない。普通に考えれば随分と珍しいことだったりするのかもしれませんが、しかしこのあまくに荘においては、そうなっても仕方がないというか。
 なんせ、誰かが来たなら高確率で他のみんなも来るわけです。一人か二人であるなら私室に招き入れても大丈夫でしょうが、みんなとなるとやっぱり、居間を使わないとちょっと狭苦しくなってしまうことでしょう。
 誰かが来たら居間。逆に自分が誰かの部屋に行っても居間。そんな環境で生活しているうちに、私室が「着替えと就寝の為だけの部屋」となってしまうのです。事実、僕だって栞を部屋に招いても殆どは居間で過ごしてますしね。
「あ、でも」
「ん?」
 ぱんと手を合わせ、何かを思い付いたらしい栞。何かを思い付くような話だっけ、なんてことを考えたりもしつつ、さて何を?
「引っ越す時にこのテーブルを持っていったら、私室のほうにも置けるよね? 二つになるんだし」
「あー」
 そうでした、今日はそういう日なのでした。……忘れてたってほどのことじゃないんですけどね? ただ、満腹感で一時的に失念していただけで。
「いや待って孝さん、その前に」
「ん?」
 再度何かを思い付いたらしい栞。はて、今度は?」
「何を向こうの部屋に持って行って何を処分するか、ちゃんと決めないと」
「あ、それは前から言おうと思ってた」
「あれ、そうなの? いつぐらいから?」
「昨日の夜辺り」
「……なんで今まで言いそびれてたのか、は……?」
「うん、答えられなくはないけど恥ずかしい結果しか見えないね」
「だよねえ、やっぱり」
 そんな冗談という名の真実はともかく、引っ越し作業はみんなにも手伝ってもらうことになっています。だったらば尚のこと、きっちり決めておかなくてはならないでしょう。
 とはいえ今回の引っ越し作業、成美さんのように運ぶもの自体が少ないというわけではないものの家具一つ一つのサイズが小さめだったりするので、そこまで重労働にはならないのではないでしょうか。
「どっちかっていうと割れ物注意かなあ」
「ん?」
 思考の続きをつい口に出してしまったところ、首を傾げられてしまいます。初めから口に出し続けていたならともかく、当然の反応でしょう。
「いやほら、陶器の置物ね。あれは運んじゃうでしょ? あっちに」
「あ、うん、そうさせてもらえると嬉しいかな」
 驚いたような表情をし、けれどその直後には言葉通りの笑顔を浮かべる栞。趣味で集めてるものですしね、そりゃあ。
 けれどもしかし、一言だけ。
「『させてもらう』って話でもないんだけどね。二人の部屋なんだし」
「おっと、そうだったね。これは失礼しました」
「いえいえ。――じゃあどうしようか、紙に書き出したりしてみる? 処分するものとそうじゃないもの」
「あ、そうだね。みんなにも手伝ってもらうから、分かり易いほうがいいだろうし」

 ――というわけで。
「こんなもんかな?」
 居間から始めて居間へ戻り、この部屋の主である栞から「こんなもんだね」とお墨付きを頂けたところで、作業終了。
「案外すぐ終わっちゃうんだねえ。部屋中のもの全部だから、もっと大変かと思ったけど」
「まあいるかいらないかに分けただけだしね。しかも結構大ざっぱだし」
 例えば食器類なんかは、それらを種類毎に見たわけではなく単に「食器類」という括りで「いる」判定を出しています。なので、もしかしたら204号室に運び込んだ後で「やっぱりいらない」なんてことになる品物が出てきたりするかもしれませんが、しかしそれくらいは自分達だけでどうにでもできるでしょうしね。
「でも、お義父さんお義母さんに会いに行ったのが昨日で良かったねえ。こういう作業がゆっくりやれるの、今日が日曜だからだろうし」
「まあねえ。普段ならもう大学に――うん、出てる時間だし」
 言われて確認した時計は、十時ちょっと過ぎを指していました。平日なら、一限が「もう少しで終わる」と逆に疲労感を増してくる辺りの時刻です。ああやだやだ。
 で、その十時ちょっと過ぎという時刻についてですが。
「うーん」
「どうかした?」
「みんなに手伝いを頼むにはまだちょっと早いかなあって」
「ああそっか、もういつでもできちゃうんだね。準備終わったんだし」
 …………。
 少々、名残惜しそうにする栞なのでした。


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