(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第二十六章 蛇の道 二

2009-05-16 20:54:31 | 新転地はお化け屋敷
 ほんのちょっとだけ、早口気味なナタリーさん。しかしここでいったん区切りを入れて、
「その場には私もいましたから随分と警戒されてしまったんですが、ナタリーが説明してくれたおかげで無事でしたよ」
 清さんがそう言っていつものように笑うのを待ってから、話を進めてきました。
「ずっと人間と暮らしてきたからか、私にはあんまりそういう感覚ってないんですけど、それぞれがつがいを探し始める頃なんだそうです、今くらいの時期って。あ、その女の方はもう、決まった相手がいたみたいですけど」
 今くらいの時期というと、五月が目前というところ。まだまだ冷える日も多い四月に比べて、随分と暖かくなってきましたからねえ。――と、そういうことが関係しているのかどうかは分かりませんけどね。
「それで思ったんですけど私、成就した恋は幾つか見てるのに、それ以前の状態って見たことないんですよね。自分でもまだそういう経験、ないですし」
 そこでナタリーさんは首の向きを変え、その視線を後ろのみんなへ。
「日向さんと喜坂さん、怒橋さんと哀沢さん、家守さんと高次さん、それに清さんと明美さん、ジョンさんとマンデーさんだって、私が見ているのは全部、成就した恋です。だから例えば、異性として誰かを好きになるというのがどういう感じなんだろうかって訊かれたら、ちゃんとした答えを思い浮かべられないんです。見たことも経験したこともないんで」
 ナタリーさんが挙げたのは今ここにいるあまくに荘メンバーの名前だけだったけど、この言い分だと、お爺さんお婆さんこと山村さんの家に住んでいた時も、その後の動物園での暮らしの間もずっと、そういう場面に出くわさなかったということなんだろう。
 しかし経験したからといってその疑問に答えられるのかというと、そうでないような気もします。僕の場合だったら「栞さんを好きになった時分での心理状態がどうだったのか」という話になるんだろうけど、そして僕はそれを確実に経験しているわけだけど、でもやっぱり。自信を持ってこうだと言えるような答えは思い付けないのでした。
「んなもん他人のをいくら見たって、やっぱ分かんねえと思うんだけどなあ」
 経験しても分からないという僕の意見にある意味では対応しているような、見ても分からないという意見。誰かというとそれは振り返るまでもなく大吾なのですが、前方への注意が疎かにならない程度には振り向いておきました。
「どうしてですか?」
 訊き返すナタリーさんの口調がまた、自分がそれを知らないということへの引け目なんてものをまるで含んでいないので、答える大吾もさらりとしたもの。
「だっておめえ、人それぞれ過ぎんだろ。例えばオレと孝一でどう考えるかは違うだろうし、しかもその考える相手がまた違うんだぞ? この例で言うなら成美と喜坂だし。ナタリーがどんなヤツ好きになってそれについてどう思うかなんて、オレのとじゃあ全然違ってくんだろ」
 それは料理で言い換えるとつまり、親子丼と味噌汁は料理という区分でなら同じものだけど、その具材も味も全然違うよということか。いや、無理にそんな言い換えをする必要もないわけですけど。
「じゃあ、人によってそれぞれだとすると、恋は何をもって恋ってことになるんでしょう?」
 即答ができないのか大吾の眉間に皺が寄ったところで、入れ替わるようにして答え始めるのは清さん。
「自分がそれを恋だと判断するか否か、の一点じゃないですかねえ? その判断基準だってまた人それぞれでしょうから」
 それを受けて画一的な恋の基準というものがあるかどうかを考えてみたものの、「恐らくに恐らくを重ねて、そういうものは無いんじゃなかろうか」という文章が頭に浮かぶ。となれば逆を言うと、清さんの言う通りということになる。
 しかしなんとも、高尚なようなそうでないような会話だなあ。
「何もかも人それぞれですか。うーん、厄介ですねえ」
 答えを求める側からすれば、諦めろと言われているに等しいような結論。しかしそれでもナタリーさんに落胆の様子はなく、いつものように疑問をただ疑問とだけ位置付けているような、そんなどこか他人事のような口調なのでした。
 しかしてその時。
「あっ、孝一くん、前」
「えっ」
 直後、踏み出した右足からばちゃんという音。べちょんと張り付くズボンの左裾。飛び退くジョン。器用にもその背中に留まり続けるナタリーさん。じわじわ湿り気が迫ってくる左の靴内部。つまるところ、水溜りを思い切り踏み抜いていました。昨晩の雨の名残なのでしょう。
「……何とも言い難い被害って、対処に困りますよね」
 誰にともなく、それどころか殆ど独り言のように、呟いてみました。
 何とも言えないのは周りの皆さんも同じなようで、それでも何とか発せられたのは、苦笑だけなのでした。

 水が掛かったとは言っても、まあ、そう気になるほど酷い状態でもない(だからこそ先程、生温い哀れみを掛けられたのですが)。そういうわけで集団の先頭を歩く僕はまだまだ突き進むわけですが、しかしいずれは「どこそこで折り返そう」という決断をせねばなりません。なりませんが、僅かにとは言えズボンの裾と靴を濡らしてまで進んでいるので、今すぐにというのも抵抗があったりはします。苦し紛れにもうちょっと真面目な理由を付け加えるなら、せっかくみんなが揃っているんだから、といったところでしょうか。
 そんなわけで僕はやっぱり前へ前へと進み続ける所存なのですが――はて、そろそろ周囲の景色に見覚えがなくなってきました。距離的に言えばまだまだ大したことがないので不安はないですが、いくらなんでも適当に歩き過ぎたようで。
「あ、不安そう不安そう」
 不安はないですがと言った途端、後ろからそんな指摘が。何のことでしょうか栞さん。
「でも大丈夫だよ、このまま進んでたらデパートに出るし。ほらあっち、見えてるでしょ?」
 言われて遠くを見てみれば、確かにいつものあのデパートが。ということはつまり、いつも通る道をほんのちょっとずれていただけですか。それはそれは、一安心。
 ……ああ、安心しちゃったなあ今。
 見覚えがない道を通るのはいい。だけど、ただそれだけで不安になってしまうというのはなんとも情けない。近場に住み始めて一月とちょっと経ったというのに。
 周りのみんなからもそこについてひとしきり笑われ、からかわれ、酸っぱい気分になっていたところ、そろそろいつものデパートに辿り着こうかという距離にまで。
 となれば、誰からともなくここまで来たならついでに寄っていこうかという話も出てくるわけです。しかしそこへ待ったをかける男が一人。
「もうちょい遠くまで、いいですか?」
 大吾でした。

「ナタリーがうちに来た時から、一回は覗いてみようと思ってたんです」
 目の前にそびえ立つ――というほど大きな建物でもないけど、大吾に言われるままやって来たのはペットショップ兼ペット用品のお店。
 僕がここから一人で歩いて帰ろうとするなら大変な困難を伴うであろうということは、言うまでもありません。どこですかここ。
「売ってりゃいいんですけどね、餌用の鼠」
 集団のうち何名かが息を飲んだのは、言うまでもありません。マジですかそれ。
「ぷい?」
「ワウ?」
「人間は鼠を食わんからなあ。まあわたしも、辛いものを食べるとなれば、こんな顔をしているのかもしれん」
 サーズデイさんはそもそも食事というものをせず、ジョンは大吾の言葉を聞き取れず、そして成美さんは猫だったのだから、現在はともかくその頃は鼠を――。ということで、その三名が怪訝な顔をしています。ジョンはまた別ですが、食文化の違いというやつです。
「つーわけで孝一、財布渡すから頼むな」
「え、ぼぼぼ僕?」
「そりゃオレだって中には入るけどよ、買うのは無理だろが。成美に今ここで耳出せってわけにもいかねえんだし」
 それは分かってるけどさあ。
 財布まで準備するくらい初めからここへ来る気満々だったらさあ、家を出る前に成美さんにそう言っておくとかさあ。
 おんぶがしたかったってことなのかもしれないけどさあ。
「んじゃあこーちゃん、アタシはここでジョンを見とくよ。達者でね」
「ペットショップったってペット連れては入れないもんなあ、やっぱ」
 家守さん、そしてその家守さんの傍につく挙動からして高次さんも、戦線を離脱するそうです。ひでえ。
「栞は行くよ?」
「むしろ興味がありますからねえ、私もご一緒しますよ」
 まあ、鼠を別としてしまえば、いろいろな動物にお目にかかれるであろうペットショップ。来るか来ないかで来るという選択をするのも、充分にありなのでしょう。……まあ、清さんの場合、鼠のほうにすら興味を持っているのかもしれませんが。
 では参加不参加が決定したところで、いざ。

「こうして見ると、意外と可愛いね……」
「そうですね……」
 栞さんと並んで、ケースに収まっている小さな動物を眺めます。可愛い動物を見ているはずなのですが、しかし僕も栞さんもテンションがものすごく低いです。だだ下がりです。
「オマエ等、わざわざそれ見なくてもいいだろうが」
 後ろから大吾に突っ込まれてしまいました。
 はい、鼠です。こうして見ると意外と可愛い鼠を眺めています。いわゆるハムスターではなく、鼠です。ペットとしてお店で扱われてるものなんですね。泣きそうです。
「えっと、お金を払うまでは食べちゃ駄目なんですよね?」
 ナタリーさん違います。こっちのこの子はあくまでペットなんです。勘弁してあげてください。……ああっ、鼠怖がってます。キィキィ鳴いちゃってます。
「きーっ、きーっ」
 サーズデイさん、対抗するとこじゃないです。鳴き真似してどうなるってんですか。
「今はもう食えんが、やはり惹かれるものがあるな」
 成美さん……。
「とにかくこの目の前の鼠のことは置いとけオマエ等。もし食う用のが置いてあるなら別の場所にあるはずだから、それ探すぞ」
 首からナタリーさんを垂らし、背中に成美さんを背負い、その成美さんがサーズデイさん入りのビンを持っているということもあって、相当に重装備な大吾。しかし彼にとってはそう珍しくもないことなので、平気かつ冷静なのでした。この場合、冷静だというのは確実にまた別の問題なのですが。
「そういえば大吾くん、清さんは?」
 鼠の前を去り際、栞さんが尋ねます。店に入ってすぐに別れてそのままだというのは全員が知っていることなのですが、栞さんはとにかく鼠の話を過去のことにしたかっただけなのかもしれません。まだ口調がやや重いですし。
「さあな。まあ、はぐれるってほど広い店でもねえし」
 そんな栞さんの様子に気付いているのかそうでないのか、気楽な調子で返す大吾。歩みを止めないながらも視線をあっちへこっちへ、周囲の動物達をきょろきょろと眺め回している様子からして、栞さんの様子と清さんの所在のその両方、気に掛けてすらいないのかもしれません。何と言うかこう、楽しそうなのでした。
 が、
「しかしまあアレだな。割り切るしかないのだろうが、動物が金で取引されているというのは、少々肩身が狭い思いだ」
「ああ、それはすごく分かります。私も言ってみれば見せ物でしたから。動物園では」
「こくこく」
 その身を囲っている三者からともにそんなことを言われ始めると、大吾の表情はずいずいと、栞さんのそれに近付いていくのでした。
「あれ? 怒橋さん、どうかしましたか?」
「いや、どうもしてねえよ」
 三者のうちで初めに気付いたのは、ナタリーさん。周囲の動物へ目を向けていたサーズデイさんと、位置的に大吾の顔を窺えない成美さんは、その応答があったことで初めてそれに気付いたようです。
「お前が気にすることではないだろう、馬鹿者」
 言葉とは裏腹に微笑みながら、その馬鹿者の頭へ顎を乗せる成美さん。
「気にさせたことは謝るがな」
 顎を乗せたままそう喋ったので、大吾はやや頭が痛そうです。がしかし、それを見ていたサーズデイさんは成美さんと同じく、にこにこと微笑んでいるのでした。
 そしてその間ナタリーさんはと言うと、痛そうな大吾と微笑む成美さんにサーズデイさん、それらの様子をじっと見詰めているのでした。

「お探しのもの、レジの横のほうにありましたよ」
 歩き回ってるうちにそれを見付け、以降はこちらと合流してそれを伝えようとしていたらしい清さん。お互いに歩き回っていたせいでその情報を得られるまでにはそれなりに時間が掛かってしまいましたが、とはいえ別に急いでいたというわけでもないので、それは別に問題ではないのです。
 では何が問題なのか?
「あの、じゃあ、いただきます」
 お店の外、駐車場の隅。なんとも控えめな「いただきます」を経て、ナタリーさんがお食事に入ります。なあに、数匹まとめ売りされていたものの一匹だけ、つまりは摘み食いみたいなもの。可愛いものです。
 ――あ。
 ああっ。
 いやしかしよく考えれば、ぶつ切りにしたりすり身にしたり煮たり焼いたりするよりはこのほうがまだ、あああああぁ……。
「ごちそうさまでした」
 胴体の一部が少しだけぽっこりとしたナタリーさんは、とても満足そうでした。
 そのことと、ゆっくりゆっくり飲み込まれていった鼠が既にお亡くなりの状態で販売されていたことが、せめてもの救いだったのかもしれません。店内で成美さんが言っていたことを考えると、それはそれでまた別の後味の悪さはありますが。
「ワンッ!」
 食事が終わるとジョンが吠え、その場へぺたんと伏せの姿勢。ナタリーさんがするすると近付いてその背へ登るとジョンはすぐさま立ち上がり、「早く行こう」と言わんばかりです。彼のリードを握っているのはここまでの道のりと同じく僕なので、カルチャーショックに膝をついている場合ではありません。
「はっはっは、ダメージ大と見えるね日向くん」
「なんの。料理が趣味だと自認している以上、ものの食べ方一つで沈んでいるわけには」
 とか言いながら、笑顔が引きつっていないかかなり自信がありません。どうでしょうか高次さん。
「まあねえ。言ってみれば冷蔵庫の中身なんて、あれ以上に悲惨な有様ってことになるんだし」
「……ですよねー」
 返事に間を取ってしまったこの口が恨めしい。

 ペットショップからデパートまではともかくデパートから家までは、普段通っている道を使っての帰り道。別にそうでなくてもいいでしょうに、やっぱり僕が先頭なのでした。
「食事なんて随分久しぶりですけど、やっぱり気分がいいですよね。お腹が膨れると」
 本当にお腹が膨れてしまっているナタリーさんはジョンの上なので、つまりは僕のすぐ隣。
 そうなるまでのプロセスである食事風景はともかくとして、満腹から来る充実感は、やっぱり蛇でも同じであるようです。それを考えると、先ほどのような衝撃は生まれませんでした。
「蛇の味覚が分かれば、ナタリーさんにも料理を作ってあげられるんですけどねえ」
「そうですねえ。私としても一度、料理というものを頂いてはみたいですけど……うふふ、お気持ちだけ受け取っておきます。ありがとうございます、日向さん」
 もちろん、本気で取り組もうと思ったわけではありません。そうしている場面を想像してみたり、それを面白そうだと思ってみたり、そういう程度のお話です。表情が変わらないにしても笑ってもらえただけ、めでたしめでたしとしておきましょう。
 しかしながら、捉え方ひとつでこうも印象が変わってしまうものなんですねえ。まあ、気味悪がってるってほうがおかしな話ですもんね、本来なら。

「ではこれは、私のほうで」
「お願いします、清サン」
 鼠数匹が詰まった袋、もといナタリーさんのお食事袋は、清さんの部屋にて保管されることとなりました。それを用いてナタリーさんのお世話をするのはもちろん大吾の役目なのですが、要はジョンやサーズデイさん達と同じ扱いだということです。
 そういう取り決めが一瞬で決まったりしつつ、さて僕達は現在、出掛けたメンバーの誰一人が欠けることもなく、その清さんの部屋に集まっています。集まって何をするというわけでもないのですが、強いて言うならその場の流れでしょうか。いつものことですね。
 大吾に限ってはジョンの毛繕いのためにここにいるのですが、それだっていつものことなのでまあいいでしょう。
「おいナタリー。今後もし食い物を買い足したくなったら、その時は私に遠慮なく言ってくれていいぞ。今回のことで道は覚えたからな」
「あ、はい、ありがとうございます」
 窓際で大吾がジョンにブラシを掛け、そのジョンがお座りの姿勢でありながらも気持ち良さそうにしているのを眺めながらの、成実さんとナタリーさんの会話。ちなみにナタリーさん、現在は成美さんの膝の上にその身を落ち着けています。
「あの、道を覚えたってじゃあ、さっきのあそこには今日初めて行ったんですか?」
「うむ。今まではその手前のデパート……一際大きかったあの建物で用が済んでいたからな」
「そうだったんですか。すいません、私のためにわざわざ」
「なに、それがわたしの仕事だ。あいつの仕事でもあるのだがな、お前のこととなれば」
 あいつというのが誰のことなのかは言うまでもありませんが、その「あいつ」は、ふんっと鼻を鳴らすのでした。
 お買い物担当と、動物のお世話担当。こうして仕事が重なる場合を考えれば、いいコンビなのだと思います。まあ、コンビというよりカップルなのですが。
「ありがとうございます」
「うむ」
「礼言われるほどのことじゃねえよ。オレの場合は、好き好んでやってんだし」
 照れ隠しのはずが、余計に恥ずかしいことになっているのは本人が気付いていないので問題なしです。周囲だけが気付いてニヤニヤしていればいいのです。
「……おい、なんでニヤついてんだ孝一」
「僕だけじゃないでしょ?」
「うっせえ。んなに構ってられっか」
 だったらなんでその代表が僕になってしまうのかはやや疑問ですが、それはこの際横へ置いておきましょう。
 みんながニヤニヤしている中でナタリーさんは大吾をじっと見詰めるのみなのですが、内心は他のみんなと同じくニヤニヤしているのでしょうか? それとも、その不動さに合わせた真面目な考察というものを行っているのでしょうか。まあ、この場面で真面目に考察するような要素があるかどうかという問題を度外視しての話なんですけどね。
「あ、そういえば楓さん、今日の仕事がお休みなのはどうしてなんですか? 今日はずっとこんな感じだし、用事とかって……」
 部屋中を覆うニヤニヤ感から思い付いたにしてはえらい方向転換っぷりですが、栞さんから家守さんにそんな質問。そういえば家守さんが仕事をお休みする時には何らかの用事があったりしましたが(みんなで遊ぶことまで用事に含めればの話ですが)、本日は今のところ特に何も。散歩に出掛けてそのついでに買い物をしてきたってだけですし。
「厳密に言えば休みじゃなくてね。『何かあったらお呼びください状態』とでも言えばいいかな、そんなとこ。場所が割と近くだからね。遠くだったらそうもいかないけど」
 という家守さんに続いて、高次さん。
「一人でやってるから、複数のお仕事を同時に持つのはちょいとキツいんだよ」
 なるほどそういうこともあるのか、とこういう展開に初めて遭遇した僕は思うわけです。
 しかし、今はそれこそ高次さんと二人でやってるんじゃ? なんてことも思ってみたりするわけです。が、そんな考えが顔に出てしまったようで、明らかに僕に対してだけ高次さんは続けます。
「一人でやってるところに俺が加わったって話が広まってくれりゃ、ちょっとは助けになれるんだけどね。大っぴらに宣伝とかできない業種の弱味かなあ。なんせ、お客さんのほうが俺のこと知らないんだし。楓呼んで俺が来たら『誰あんた』って話でしょ?」
 なるほど。会社名とかで仕事を取っているならともかく、家守さんは「霊能者家守楓」で仕事を取っているんでしょうしね。難しいものですねえお仕事って。
「まあ、今現在の仕事は楓と一緒に俺も行ってるから、二人体制が作れるのもそんなに先の話じゃないだろうけどね」
「そうなったらじゃんじゃんこき使うから覚悟しててね、高次さん」
「それはいいけど、やっぱ部下とか助手扱いになんのかなあ俺。妻の部下ってさあ」
「そこは実生活の愛でカバーだよ高次さん! なんたってアタシら新婚ホヤホヤだ!」
「部下にする気満々なんだな……」
「よし! 暇にかまけて婚姻届出しに行こう!」
 ホヤホヤ以前の段階じゃないですかそれ、という突っ込みはしないでおきましょう。普段それだけ忙しいかたなのです、家守さんは。遊びで休みを取るのにそのことで休みを取ろうとはしないんですか、という突っ込みもしないでおきましょう。何だか楽しそうですし。
「暇にかまけてとか、そういうもんじゃないと思うんだけどなあ」なんて言いながら高次さんは引きずられ、そのまま本当に二人は行ってしまいました。思い立ったが吉日どころか、思い立ったその瞬間の出来事です。
「清さん、あの、あんなに気楽に出しにいけるものなんでしょうか? 婚姻届って」
 これがスピード婚というやつか、と直後にそうじゃないことが気付けるような勘違いも、今のを目にしてしまえば仕方がないのかもしれません。そんな取り乱した頭ながら、冷静な意見を求めて清さんに質問してみました。
「必要書類さえ事前に揃っていれば、まああんなものでしょう。その書類にしたってすぐ手に入るものですし、数も少ないですし。思いのほか簡素な手続きですよ」
 そこでいつもの笑いを挟み、
「あとはおっかなびっくり出しにいくか、それとも今のように突撃を掛けるが如くの勢いなのかという、ご当人の意識の問題でしょうね」
「清さんと明美さんはどんな感じだったんですか?」
 そりゃあ気になりますよね、こんな言われかたされれば。清さんだって経験はあるはずなんですし。ということで、その質問は栞さんから。
「婚姻届を出すのは、何も二人揃ってでなくてはいけないというわけではないんですよ。何ならほかの人に代理を頼んでもいいですし」
「え、じゃあ清さんはそれで?」
「いえ、私達は二人で出しに行ったんですけどね」
 なんですかそりゃ、とずっこけそうになりますが、座ったままこけるというのは実現し辛いものです。しかしそれはともかく、一人でもいいどころか代理人でも大丈夫だとは。簡素とはまた違うけど、随分と手軽なんだなあ。
「緊張するようなことではないとは思ってましたけど、なかなかそうはいきませんでしたねえ。後から振り返れば、微笑ましいことなんですけど」
 明美さんと並んで歩きながら緊張している清さん。なんとも想像し難い様子だけど、本人がそう言うからにはそうだったんだろう。へええ。
「なあ、念のために訊いてみるが」
 どうしましたか成美さん?
「わたしと大吾は、必要ないんだよな? その、婚姻届とかいうものは」
「ねえよ」
 自分が尋ねられたわけでもないのに、大吾が即答します。
 念のためにと前置きしていた以上は、成美さんだって分かっていて訊いたようなものなのでしょう。だというのに大吾が撥ね付けるような答え方をしたためか、その表情に不満の色が。しかし、そちらを見もせずにジョンの毛繕いに精を出している大吾は、耳が赤くなってしまっているのでした。


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