料理ができるからという理由でコーラの氷を気にしたわけではなく、独り暮らしという苦労の甲斐あって料理を覚えたというわけでもないのですが。
というわけで、そのようにお伝え。
「――料理が趣味かあ。なるほど、生活の役にも立つし、食費も安上がりだし、素晴らしいことだね」
「そこで『安上がり』を挙げるのがねえ。愛香さんらしいわ」
「かっかっか、私が自分で料理してるのはそのためだものさ。でも、趣味でなくとも料理は料理。込める場合は愛も込めるさ」
「それはもちろん知ってますけどね。機会があったら、またよろしくお願いします」
にっこりと首を傾ける一貴さん。どうやら、諸見谷さんも料理をするらしい。考え方捉え方が違うとは言っても、やっぱりふと胸が軽くなるような心持ちに。
しかし如何せん、残念ながらこの場は料理の話をするような場ではないと見受けられます。諸見谷さんも趣味として料理をしていたなら、また違うのかもしれませんが。
その時、隣のテーブルから暗い声が二つ。
「や、やっぱり料理はできるべきなのかしら……」
「愛を込める前に……味を込められませんしね……」
しかしそれに対するのは、あっけらかんとした声二つ。
「そっちで気にすんのは勝手だけどよ、俺は別に何とも思わねえぞそんなもん」
「思うんなら思った途端に言うじゃろうしの、お前は。そして異原に殴られると」
「うっせえ。お前も音無に殴られてみろってんだ」
片方は想像に易く、しかしもう一方は想像に難い、それぞれがそれぞれに叩かれているという状況。一貴さんと諸見谷さんが、揃ってくすりと笑みを溢します。
「わわ、わたしはそんな……」
「撫でるようなパンチでしょうね、もしそうなったとしても」
おお、それなら想像しやすい。
「そう言う異原も、最近は手加減しとるじゃろ。前までは容赦なくグーで殴っとったが」
「それどころか、飛び蹴りかまされることすらあったしな」
「う、うるさいわね……」
引け目の窺える目付きながらも口宮さんを睨み付け、うめくように言い捨てる異原さん。出てきたばかりのジュースがあるのに、始めに出てきた水を一気飲み。
「手心加えるようになったのを感謝されこそすれ、そんな言い方される筋合いなんかないわよ」
「へいへい」
そんな遣り取りがあるとまたも音無さんがあわあわし始めるのですが、となるとこれまたいつも通り、同森さんが止めに入るわけです。
「要はお前達二人とも、お互いに優しくして欲しいだけじゃろう。わざわざ今みたいなトゲのある言い方せんでもよかろうに」
対する、それぞれの反応。
「けっ、アホか」
と顔を背ける口宮さんと、
「…………」
黙って俯く異原さん。口宮さんはともかく、こう、痛々しいと言うかなんと言うか。
「あ……あの、ゆゆゆ由依さん」
声が震え過ぎではありますが、ここで音無さん。自分でも気になったのか、誰から何を言われるまでもなく、深呼吸で息を整える。
「頑張って、ください」
それはそれでストレート過ぎじゃありませんか、と言いたくなるのは間違っているでしょうか。
しかしそれでも、当人である異原さんは顔を上げ、にこりと頬を緩ませます。緩ませただけで何も言いませんでしたが、それで充分だったんでしょう。音無さんもほっとしたような表情に。口しか見えない表情ではありますが。
そんな女性二人のそれぞれ隣、男性陣は。
「こんなとこで何言ってんだか」
「ワシらに言わせるお前らが悪い」
「じゃあ、お前も言うのかよ? 俺に」
「言って欲しければな。じゃがどうせ、内容はいま静音が言ったのと同じじゃぞ?」
「嫌な奴だな、お前」
「気にするな。突っ込み役が板についたってだけじゃい」
喫茶店内での遣り取りとしては少々シビアな会話である気もしますが、ここで口宮さん、椅子の背もたれをずるずると、滑り落ちるように。
「……あー、俺のせいかそれ」
「おう、お前のせいじゃ」
「そっか」
「そうじゃ。自覚があるなら実行してくれると、ワシとしても楽なんじゃがな」
今になって初めて――というのも、間の抜けた話だけど――今になって初めて思う。この二人、口宮さんと同森さん、仲は相当良いんだろうなと。でなければ、今のような話が今のような帰結を迎えることはないんだろうし。
「日向くんにでも引き継いでもらえんかのう、突っ込み役」
――なんですと。今、そうなるための条件を思い浮かべたところだというのに。僕はまだそこまでではないだろうなって、ちょっと思っちゃったところなのに。
「あら駄目よてっちゃん」
するとここで一貴さん。タイミングからして援護に回ってくれるのかと思いきや、
「そういう説教臭いところが好きなんだから、静音ちゃんは」
「なななな……なななー!」
音無さんを破壊してしまいました。
「そっそんな、じじじ時期がおかしいじゃないですか……! 今の話だと説教臭くしたのは口宮さんということになりますし! 説教臭くなったのは口宮さんと知り合ってからってことになりますし、それだと、それだと……!」
「うふふ、小さい頃からだったものねえ、てっちゃんを好きでいてくれたのは」
「うひゃああああああーっ!」
一貴さん、あなただってしっかりサドっ気ありですよ。
そしてそのサド曰く、「実際に付き合い始めてから、ますますこの手の話が苦手になっちゃったわねえ」とのこと。
次いで、「音無さん」と呼び掛けた諸見谷さんが立てた人差し指を唇に当て、その音無さんから「す、すみません……」と返事。賑やかなのはいいのですが、ここは一応お店の中なのです。もちろん、音無さん本人が良しとするような賑やかさではありませんが。
「こいつが打たれ弱いという面もないではないがの、兄貴、やり過ぎじゃぞ」
「ごめんなさいね。あんまりキュートだったから」
むっつりと腕を組んでいる同森さんへ、ほっこりと頬に手を当てている一貴さんが。
となれば続いて、
「そしてキュートにさせたのは哲郎くんってわけだ」
にんまりと椅子の背もたれへ体重を預ける諸見谷さんはそう言い、そのまま視線を音無さんへ。やや不機嫌そうだった同森さんへ別の意味での不機嫌さを与えながら、しかしそちらを気にする様子はまるでなしです。
「ほーら、付き合い始めてから何もない、なんてことはないでしょ? 音無さん」
「ううう……」
顔を真っ赤にしている――というのは想像ですが――音無さん、肯くことはないながら、反論も出せないようです。こういう話が苦手になったのも、その結果としてキュートになった(一貴さんの意見ですが)のも、同森さんとお付き合いを始めたからこその変化ではあるのでしょう。本人からすれば心苦しい変化でしょうけど。
――と、ここで唐突に、ある種の感覚が僕の中に。
席を立つ。
「おや日向くん、どうかした?」
「あ、ちょっとお手洗いに」
「それなら奥だよ。あっちのほう」
ここから見えなくともなんとなく分かるトイレの位置ですが、教えて頂いた諸見谷さんに軽くお辞儀をして、指差された方向へ。するとその時後方から、
「ああ、あたしも」
それは一貴さんの声でした。反射的に背中がビクついたのは、何かの間違いでしょう。ついでに「あれ、でもここのトイレって」という口宮さんの言葉が聞こえたのは、ちょっと気になりますけど。
――トイレ前。
ドアが二つ。どう見ても、個室が二つだけ。そして一方は、当然女性用。そんなに大きいお店ではないのです。店によっては男女共用だったりもするので、むしろ頑張っているほうじゃないでしょうか。
「……あの」
まさかこんなところまで「女性」で通すことはないでしょう。お先にどうぞ、と言おうとしたのですが、
「日向くん、一つ聞かせてもらってもいいかしら」
何やら神妙な面持ちの一貴さん。これは、その、この場所に関するお話ではなさそう?
「は、はい」
「今ここに、喜坂さんはいないのよね? 本当に」
「……はい」
そういう話、ですか。そして多分、諸見谷さんに――いや、もしかしたら他の誰にも聞かせたくない話、だろうか。そう思いたくなるくらい、これまでとはトーンに差があった。むしろこのトーンをこれまでずっと隠していたのだろうか、とまで思わされるくらい。
「あたしは幽霊に詳しくないわ。だから、これが軽々しく尋ねていいことなのかどうかも分からない。だけど……ごめんなさい、日向くんしか、質問できる相手がいないのよ」
「僕が知っている範囲のことで、訊かれて答えられないようなことは、ないと思います。僕が今知っていることは殆ど全て、その道のプロな人から教えてもらったことですから」
家守さんの真似事ができるとまでは、思っていない。だけど、幽霊について殆ど何も知らない人の質問程度になら、答えられるかなと。
「プロの人?……ううん、ありがとう。それじゃあ――全ての人が幽霊になるわけじゃあ、ないわよね? そこまで凄い量になると、見える見えないなんて関係なくなっちゃいそうだし。それで質問なんだけど、幽霊にならなかった人って、どうなるの?」
それは僕も思ったことだ。もし全ての亡くなった人がこの世に残るなら、世界は幽霊で一杯になってしまっていると。まあそれは昔、幽霊を怖がった僕に母が「幽霊なんていない」という意味で言い聞かせたことなんだけど。
「幽霊には、みんななります。ただ、この世に残るかあの世に行くかが、それぞれバラバラなだけなんです」
という話はさすがに突拍子もなかったようで、
「あの世って、つまりは天国? 本当にあるの?」
一貴さんは、らしくなく驚いた表情をしていました。……いや、驚いて当たり前の話ではあるのですが、初めて幽霊の話をした時にまるで冷静だったことを思い出す限り、やっぱり意外だと言いましょうか。
頷く僕。
「そうなの……」
すぐさま落ち着きを取り戻していく一貴さん。
「あんまり、驚きませんね」
「え? ああ」
すると、落ち着き、半ば無表情になってきていた一貴さんの顔は、ついさっきまで席についていた時の表情に。
「取り繕うのは得意なのよ、あたし。なんたって本当は男なのに、これなんですもの」
言いつつ、くねくねなよなよふんにゃりと。なるほど、理屈としては分からないでもない。ということでいいんでしょうか。いや、良くはないような。
「となるとそれは、何かを取り繕った結果なんですか?」
「うふふ、どうかしらねえ。それなりの事件はあったけど、それを取り繕ってこうなったのか、それともあたしが元々こうなるべき人間だったのか、自分でも分かりません」
と、言われましても。
「だってほら、世の男性全てにこうなる可能性があったら、気色悪いでしょ? ならあたしは、事件のあるなしに関係なく、こうなるべくしてこうなっただけなのかも」
そりゃそうだ。
「でもまあ、日向くんは向いてそうだけどね。少なくとも外見的には」
そりゃ嫌だ。
「――お話、ありがとうね。それじゃああたしは、もう済ませたことにして先に戻るわ」
「はい」
話していた時間を考えると、まあそれくらいにはなるのか。
優雅な動きで身を翻し、席へ戻り始める一貴さん。だけどその前に、もう一つ。
「もし何か、幽霊関係のことで悩むようなことがあったりしたら、うちのアパートの管理人さんを訪ねてください。旦那さんと二人で、絶対に解決してくれますから。……多分、タダで」
「『その道のプロな人』さんね。ありがとう。でも、そういうのじゃないわ」
そういうの、じゃない。提案した身としては肩透かし感もあるものの、ほっとしたという気持ちのほうが強いといえば強い。当たり前ながら。
「誰でも気になるでしょう? 幽霊が本当にいるとなれば、あたしが質問したようなことは。だから、誰でも気になるようなことを質問してみただけよ」
「そうですか」
「じゃあ、ごゆっくり」
ゆっくり済ませるような用事でもないのですが、まあそれは。
「そうではない」と言われてすんなり「そうではないんだ」と納得するのは難しいですが、そう言われた以上、話だけはそういう体で進めるしかないでしょう。もし僕の想像通りに「そうであった」として、でも――そう、家守さんは、まず初めに相手に話をさせるから。話せないことへ無理に首を突っ込もうとはしないから。
僕には真似をすることぐらいしかできないけど、しないよりはマシというものだろう。
テーブルに戻ると、頼んでいたフライドポテトが既に出されていました。
「一本だけ貰っちゃったよ。嘘だけど」
うろたえる時間くらいはもらえませんか、諸見谷さん。……いや、それにしても。
「値段の割に、結構な量ですねこれ」
メニューには料理の名称と値段しか書いていなかったので、量については値段から勝手に想像していたのですが、想定していた倍くらいはあるのでした。
「こういうところがいいんだよね、下手なチェーン店とかより。値段対満腹度でいうと、けっこうお得だし」
自らをケチだと認めていた諸見谷さん、ケチな部分は一貴さんにしか見せないと仰っていましたが、やっぱりそういう部分は気にしているようです。まあしかし、一貴さんと二人で奢ってくれるという話なんですから、取り立ててケチだという話でもないのかもしれませんが。
「あの、これだけあるんだったら、遠慮とかじゃなくて分けますよ? 一人で食べたら結構なものですし」
「そう? じゃあ少しだけ貰っちゃおうかな、私のが来るまで。一貴は?」
「二人掛かりはいくらなんでもねえ――あ、来たみたい」
僕としては二人掛かりでも良かったんですが、ここで丁度、一貴さん注文の品が到着。
「苺パフェになります」
苺パフェです。一貴さんらしいと言えばらしい、可愛らしいメニューではありますが、それは一貴さんだからこそそう思ってしまうのでしょう。男が苺パフェを食べたって、何ら問題はないんですから。
なのでそれはいいとして、
「本当にメニューの幅が広いですよね、ここ。ファミレスとかだったら分かるんですけど」
ちなみに、諸見谷さんのご注文は餃子です。
ポテトとパフェと餃子。ううむ、三人別々に食べるんだから味のほうはともかく、香りのほうとしてはどうなんだろう。特に餃子。
「だんだんと増えてきたのよねえ、品揃えが。あたしは入学した頃からずっと通ってるんだけど、昔はもっと少なかったもの。このパフェは初めからあったんだけど」
「それしか食べないもんね、一貴」
言いつつ、ポテトを一つ摘み上げる諸見谷さん。
「一途なのよ、あたしは」
「まあ、そうなんだろうけどね」
おやおや一貴さんちょっと惚気てみましたか、というような。諸見谷さんは思いのほか軽くいなしてますけど、まあしかし、それは。
「じゃあこのメニュー表、メニューが追加される度に作り変えられたんですか?」
手元にある、パンフレット型のメニュー表。後から書き足されたような不自然さはないのです。
「そうよ。ラーメン屋とか居酒屋みたいに、壁に掛ける形にすれば追加もしやすいでしょうにねえ。そういう意味じゃあ、ここのお店の人も一途よね」
手間を減らせる方法があるにも関わらず、手間の掛かる方法を取り続ける。うん、まあ、一途だと言えば一途だということになるでしょうか。メニューがどうこうなんて、ちょっとしたことではありますけど。
「臨機応変なのも一途なのも、それぞれ良さがあるってもんだよ。一貴の場合、一途過ぎてどうしようもないくらいなんだけどさ」
「あらそう? そこまでかしら、あたし」
ついさっき自分で自分を一途だと言った一貴さんですが、「どうしようもないくらい」とまで言われると、首を傾げてしまいます。
「諸見谷さんが言った内容と合っとるかは分からんが」
ここで弟、同森さん。
「諸見谷さんと会った日は、ウチに帰ってきてからもデレデレじゃしなあ。どれだけ彼女自慢を聞かされたか」
ということは、今日もデレデレなんでしょう。今の時点でもう随分と面倒臭そうな顔をしていますが、そしてお兄さんはまるで悪びれた様子がありませんので、本日もお疲れ様です同森さん。
「まあ、なんか、分かるような気はするな」
ここで何かに納得したのは口宮さん。
「く、口宮さんも……そうなんですか……?」
そういうふうに受け取ったのは音無さん。何かとてつもないものを想像してしまったようで、口の端がピクピクしています。
「あああ、あんた……」
異原さんまで。
一貴さんと同じ苺パフェの容器に震えるスプーンが当たり、カチカチカチカチ音を立てています。ああ現恋人さん、何もそこまで。
「違うわ! 一貴さんだったら分かるなっつう話だっての!」
「いや分からんぞ。今のが兄貴の話だったとしても、本当にそうなのかもしれん」
「んなわけねえだろ!」
声が大きくなってしまう口宮さんですが、少し前の音無さんと同じく、「口宮くん」と立てた人差し指を唇に当てる諸見谷さんによって、「……すんません」と。
そして諸見谷さん、もう一声。
「それはまあ冗談にしても、ここまで慌てるのは、異原さんが好きだからこそだよね。一貴ってそんなふうに声張り上げてくれないし、ちょっと羨ましいかも」
言いつつ、ポテトを一つ摘み上げる諸見谷さん。なるほど、そんな見方もあるわけですか。……いやしかし、
「あれ、でも、学園祭の時に男声でがなってましたよね一貴さん。鬼ごっこのアナウンスで」
「やあだ、あれはお役目よお。お芝居で男の子の役を貰ったようなもの。愛香さんの前でお芝居なんて、したくないわ」
「おやおや一貴、私は聞きたかったよ?」
「お芝居でなく男っぽい声を出すようなことがあったらね。例えば、愛香さんから熱心に男の喋りにするよう頼まれた、とか」
「ああ、それはないわ、それはない」
考える時間すら挟まずにあっさり否定の諸見谷さん、「なんせ切っ掛けなんだしね、その喋り方は」と。一貴さんも、「うふふ」と頬に手を当てます。
「えっと、切っ掛けって、何の切っ掛けですか?」
同森さんは知っているような落ち着きぶりですが、他のみんなはそうでもない様子。そんな中から異原さんが質問すると、
「私と一貴が知り合った切っ掛けだよ。学年が一つ違うし学部も別だし、そんでもって共通の知り合いなんかもいなかったから、普通だったらそう滅多なことじゃ知り合うことはなかったんだろうけど、この喋りだからねえ。目立っちゃって」
「ワシが言うようなことじゃないかもしれませんが、よくそんな出会い方で、付き合うまでになりましたね」
諸見谷さん相手だと言葉遣いが普通な同森さん、割と辛辣な質問を。
「かっかっか、もちろんその段階じゃあ、私だってこうなるとまでは思ってなかったけどね。面白がるか気味悪がるかどっちかってところで、前者だっただけだよ」
「ねーえ。もう、引いちゃう人はドン引きもいいところだったわ」
笑って言うことですか一貴さん。
「で、暫く一緒に行動してたら、喋り方とか仕草とかがこうだってだけで、中身は普通に男だったりね。酒を交えての猥談なんかも盛り上がったっけ、大学生らしく」
大学生らしさっていったい何なんでしょうか? いや、まあ、満喫してればそれでいいんでしょうけど。猥談だけってわけでもないだろうし。ただ、それを異性の前でというのは、僕にはちょっと無理そうですけど。
「食事の場で詳しくは言わないけど、このオカマさん、おっぱい語らせると熱いんだよ?」
「やだもう、愛香さん」
おばちゃんみたいな動作で諸見谷さんの肩を叩く一貴さんですが、隣のテーブルでは、音無さんが「ふええ」とおののいていました。おっぱ――いえ、胸のことについて、悩みがあったわけですもんね。今でもまだ、その悩みが完全に払拭されたってわけでもないんでしょうし。
「そんなこんなで――ああ、猥談からのやらしい流れでってわけじゃあ、もちろんないんだけど――普通に仲良くなって、普通に付き合い始めたってわけだね。周りの友達たちだって、驚いたのは初めだけだったし」
「結局はみんなと同じなのよねえ。口宮くんが異原さんを好きになったように、てっちゃんが静音ちゃんを好きになったように」
僕が栞さんを好きになったように、とは、当然ながら続かない。だけど確かに、栞さんが幽霊だと知って驚いたのは初めだけだったわけで、つまりはそれと同じようなことなんだろう。
「だからまあ、なんてーの? 結婚記念日とか、そういうのを大事がるのと同じようなものかな。一貴の喋り方を変えたいと思わないのは」
「あたしがプレゼントした物を大事にしてくれるような人だもんねえ、愛香さんは。このリボンとか」
そう長くもないのにぐるぐる巻きにしているおかげで突起状になっている後ろ髪を、さらりと撫でる一貴さん。ぴよんと跳ねる後ろ髪。
そうだったんですか。
「やだねえもう、金にケチなくせに乙女チックとか。似合わねー」
「そんなこと……ない、ですよ」
「ああ、優しいねえ音無さん」
お金にケチであることと、乙女チックなこと。確かに相性の良くなさそうな二つではありますが、その二つを一人で持ち合わせていても、別にいいじゃないですか。同じ場面で両方を発揮されるのはちょっとあれですけど。
「音無さんは文句なく似合いそうだから、哲郎くんから何かプレゼントされたら、しつこいぐらい喜んであげなよ?」
言いつつ、ポテトを一つ摘み上げる諸見谷さん。
「えっ、そ、それは……」
「すまん、まあ、いつかな」
どうやら、そういうことはまだのようです。付き合い始めてから間がないので、それで当たり前でもあるんですけど。
「喜び方も大人しいんでしょうねえ、静音は」
「普段からやかましいお前とは大違いだよな」
「……比較対象が静音じゃあ、大違いって言われても、ぐうの音もでないわ」
「だろ」
「ただ、普段からやかましいっていうのには――」
平手が飛びますよ口宮さん。ほら飛んだ。
裸だったら背中にもみじマークができてしまいそうな一撃に、背中を押さえて前屈みになる口宮さん。そこへ、
「なあ口宮。ワシは最近、お前がマゾなんじゃないかと疑うようになっとるんじゃが」
「疑うんじゃねえよボケ。あー、いってえ……」
「そうよてっちゃん、失礼よ。そこ以外でも魅力的じゃないの、異原さんは」
「いや一貴さん、魅力的な部分に入ってるんすかこれ」
叩かれた背中を押さえながらの口宮さん。そりゃもう、入ってるんでしょう。
「お待たせ致しました、餃子になります」
「あ、私です」
当たり前ながら話の進行具合など関係なく、唐突に諸見谷さんの注文が到着。隣の芝は青いというやつでしょうか、実に美味しそうです。
「おや日向くん、物欲しそうな顔だね。ポテト何個か貰ったことだし、ここはこっちからも一個あげましょう」
「あら、いくつか貰ったのに一個だけなの?」
「痛いとこ突かない。全体の量が違い過ぎるんだし、分かってよ」
餃子一人前、全部で五個。ポテトの量に比べると、一般的な数なのでした。なんせ個数を数える気になるんですから、盛りに盛られたこちらのポテトとはその時点で差があり過ぎます。ということで、
「ありがとうございます、諸見谷さん」
文句など出てくるはずもなく、一つだけいただかせて頂きます。
というわけで、そのようにお伝え。
「――料理が趣味かあ。なるほど、生活の役にも立つし、食費も安上がりだし、素晴らしいことだね」
「そこで『安上がり』を挙げるのがねえ。愛香さんらしいわ」
「かっかっか、私が自分で料理してるのはそのためだものさ。でも、趣味でなくとも料理は料理。込める場合は愛も込めるさ」
「それはもちろん知ってますけどね。機会があったら、またよろしくお願いします」
にっこりと首を傾ける一貴さん。どうやら、諸見谷さんも料理をするらしい。考え方捉え方が違うとは言っても、やっぱりふと胸が軽くなるような心持ちに。
しかし如何せん、残念ながらこの場は料理の話をするような場ではないと見受けられます。諸見谷さんも趣味として料理をしていたなら、また違うのかもしれませんが。
その時、隣のテーブルから暗い声が二つ。
「や、やっぱり料理はできるべきなのかしら……」
「愛を込める前に……味を込められませんしね……」
しかしそれに対するのは、あっけらかんとした声二つ。
「そっちで気にすんのは勝手だけどよ、俺は別に何とも思わねえぞそんなもん」
「思うんなら思った途端に言うじゃろうしの、お前は。そして異原に殴られると」
「うっせえ。お前も音無に殴られてみろってんだ」
片方は想像に易く、しかしもう一方は想像に難い、それぞれがそれぞれに叩かれているという状況。一貴さんと諸見谷さんが、揃ってくすりと笑みを溢します。
「わわ、わたしはそんな……」
「撫でるようなパンチでしょうね、もしそうなったとしても」
おお、それなら想像しやすい。
「そう言う異原も、最近は手加減しとるじゃろ。前までは容赦なくグーで殴っとったが」
「それどころか、飛び蹴りかまされることすらあったしな」
「う、うるさいわね……」
引け目の窺える目付きながらも口宮さんを睨み付け、うめくように言い捨てる異原さん。出てきたばかりのジュースがあるのに、始めに出てきた水を一気飲み。
「手心加えるようになったのを感謝されこそすれ、そんな言い方される筋合いなんかないわよ」
「へいへい」
そんな遣り取りがあるとまたも音無さんがあわあわし始めるのですが、となるとこれまたいつも通り、同森さんが止めに入るわけです。
「要はお前達二人とも、お互いに優しくして欲しいだけじゃろう。わざわざ今みたいなトゲのある言い方せんでもよかろうに」
対する、それぞれの反応。
「けっ、アホか」
と顔を背ける口宮さんと、
「…………」
黙って俯く異原さん。口宮さんはともかく、こう、痛々しいと言うかなんと言うか。
「あ……あの、ゆゆゆ由依さん」
声が震え過ぎではありますが、ここで音無さん。自分でも気になったのか、誰から何を言われるまでもなく、深呼吸で息を整える。
「頑張って、ください」
それはそれでストレート過ぎじゃありませんか、と言いたくなるのは間違っているでしょうか。
しかしそれでも、当人である異原さんは顔を上げ、にこりと頬を緩ませます。緩ませただけで何も言いませんでしたが、それで充分だったんでしょう。音無さんもほっとしたような表情に。口しか見えない表情ではありますが。
そんな女性二人のそれぞれ隣、男性陣は。
「こんなとこで何言ってんだか」
「ワシらに言わせるお前らが悪い」
「じゃあ、お前も言うのかよ? 俺に」
「言って欲しければな。じゃがどうせ、内容はいま静音が言ったのと同じじゃぞ?」
「嫌な奴だな、お前」
「気にするな。突っ込み役が板についたってだけじゃい」
喫茶店内での遣り取りとしては少々シビアな会話である気もしますが、ここで口宮さん、椅子の背もたれをずるずると、滑り落ちるように。
「……あー、俺のせいかそれ」
「おう、お前のせいじゃ」
「そっか」
「そうじゃ。自覚があるなら実行してくれると、ワシとしても楽なんじゃがな」
今になって初めて――というのも、間の抜けた話だけど――今になって初めて思う。この二人、口宮さんと同森さん、仲は相当良いんだろうなと。でなければ、今のような話が今のような帰結を迎えることはないんだろうし。
「日向くんにでも引き継いでもらえんかのう、突っ込み役」
――なんですと。今、そうなるための条件を思い浮かべたところだというのに。僕はまだそこまでではないだろうなって、ちょっと思っちゃったところなのに。
「あら駄目よてっちゃん」
するとここで一貴さん。タイミングからして援護に回ってくれるのかと思いきや、
「そういう説教臭いところが好きなんだから、静音ちゃんは」
「なななな……なななー!」
音無さんを破壊してしまいました。
「そっそんな、じじじ時期がおかしいじゃないですか……! 今の話だと説教臭くしたのは口宮さんということになりますし! 説教臭くなったのは口宮さんと知り合ってからってことになりますし、それだと、それだと……!」
「うふふ、小さい頃からだったものねえ、てっちゃんを好きでいてくれたのは」
「うひゃああああああーっ!」
一貴さん、あなただってしっかりサドっ気ありですよ。
そしてそのサド曰く、「実際に付き合い始めてから、ますますこの手の話が苦手になっちゃったわねえ」とのこと。
次いで、「音無さん」と呼び掛けた諸見谷さんが立てた人差し指を唇に当て、その音無さんから「す、すみません……」と返事。賑やかなのはいいのですが、ここは一応お店の中なのです。もちろん、音無さん本人が良しとするような賑やかさではありませんが。
「こいつが打たれ弱いという面もないではないがの、兄貴、やり過ぎじゃぞ」
「ごめんなさいね。あんまりキュートだったから」
むっつりと腕を組んでいる同森さんへ、ほっこりと頬に手を当てている一貴さんが。
となれば続いて、
「そしてキュートにさせたのは哲郎くんってわけだ」
にんまりと椅子の背もたれへ体重を預ける諸見谷さんはそう言い、そのまま視線を音無さんへ。やや不機嫌そうだった同森さんへ別の意味での不機嫌さを与えながら、しかしそちらを気にする様子はまるでなしです。
「ほーら、付き合い始めてから何もない、なんてことはないでしょ? 音無さん」
「ううう……」
顔を真っ赤にしている――というのは想像ですが――音無さん、肯くことはないながら、反論も出せないようです。こういう話が苦手になったのも、その結果としてキュートになった(一貴さんの意見ですが)のも、同森さんとお付き合いを始めたからこその変化ではあるのでしょう。本人からすれば心苦しい変化でしょうけど。
――と、ここで唐突に、ある種の感覚が僕の中に。
席を立つ。
「おや日向くん、どうかした?」
「あ、ちょっとお手洗いに」
「それなら奥だよ。あっちのほう」
ここから見えなくともなんとなく分かるトイレの位置ですが、教えて頂いた諸見谷さんに軽くお辞儀をして、指差された方向へ。するとその時後方から、
「ああ、あたしも」
それは一貴さんの声でした。反射的に背中がビクついたのは、何かの間違いでしょう。ついでに「あれ、でもここのトイレって」という口宮さんの言葉が聞こえたのは、ちょっと気になりますけど。
――トイレ前。
ドアが二つ。どう見ても、個室が二つだけ。そして一方は、当然女性用。そんなに大きいお店ではないのです。店によっては男女共用だったりもするので、むしろ頑張っているほうじゃないでしょうか。
「……あの」
まさかこんなところまで「女性」で通すことはないでしょう。お先にどうぞ、と言おうとしたのですが、
「日向くん、一つ聞かせてもらってもいいかしら」
何やら神妙な面持ちの一貴さん。これは、その、この場所に関するお話ではなさそう?
「は、はい」
「今ここに、喜坂さんはいないのよね? 本当に」
「……はい」
そういう話、ですか。そして多分、諸見谷さんに――いや、もしかしたら他の誰にも聞かせたくない話、だろうか。そう思いたくなるくらい、これまでとはトーンに差があった。むしろこのトーンをこれまでずっと隠していたのだろうか、とまで思わされるくらい。
「あたしは幽霊に詳しくないわ。だから、これが軽々しく尋ねていいことなのかどうかも分からない。だけど……ごめんなさい、日向くんしか、質問できる相手がいないのよ」
「僕が知っている範囲のことで、訊かれて答えられないようなことは、ないと思います。僕が今知っていることは殆ど全て、その道のプロな人から教えてもらったことですから」
家守さんの真似事ができるとまでは、思っていない。だけど、幽霊について殆ど何も知らない人の質問程度になら、答えられるかなと。
「プロの人?……ううん、ありがとう。それじゃあ――全ての人が幽霊になるわけじゃあ、ないわよね? そこまで凄い量になると、見える見えないなんて関係なくなっちゃいそうだし。それで質問なんだけど、幽霊にならなかった人って、どうなるの?」
それは僕も思ったことだ。もし全ての亡くなった人がこの世に残るなら、世界は幽霊で一杯になってしまっていると。まあそれは昔、幽霊を怖がった僕に母が「幽霊なんていない」という意味で言い聞かせたことなんだけど。
「幽霊には、みんななります。ただ、この世に残るかあの世に行くかが、それぞれバラバラなだけなんです」
という話はさすがに突拍子もなかったようで、
「あの世って、つまりは天国? 本当にあるの?」
一貴さんは、らしくなく驚いた表情をしていました。……いや、驚いて当たり前の話ではあるのですが、初めて幽霊の話をした時にまるで冷静だったことを思い出す限り、やっぱり意外だと言いましょうか。
頷く僕。
「そうなの……」
すぐさま落ち着きを取り戻していく一貴さん。
「あんまり、驚きませんね」
「え? ああ」
すると、落ち着き、半ば無表情になってきていた一貴さんの顔は、ついさっきまで席についていた時の表情に。
「取り繕うのは得意なのよ、あたし。なんたって本当は男なのに、これなんですもの」
言いつつ、くねくねなよなよふんにゃりと。なるほど、理屈としては分からないでもない。ということでいいんでしょうか。いや、良くはないような。
「となるとそれは、何かを取り繕った結果なんですか?」
「うふふ、どうかしらねえ。それなりの事件はあったけど、それを取り繕ってこうなったのか、それともあたしが元々こうなるべき人間だったのか、自分でも分かりません」
と、言われましても。
「だってほら、世の男性全てにこうなる可能性があったら、気色悪いでしょ? ならあたしは、事件のあるなしに関係なく、こうなるべくしてこうなっただけなのかも」
そりゃそうだ。
「でもまあ、日向くんは向いてそうだけどね。少なくとも外見的には」
そりゃ嫌だ。
「――お話、ありがとうね。それじゃああたしは、もう済ませたことにして先に戻るわ」
「はい」
話していた時間を考えると、まあそれくらいにはなるのか。
優雅な動きで身を翻し、席へ戻り始める一貴さん。だけどその前に、もう一つ。
「もし何か、幽霊関係のことで悩むようなことがあったりしたら、うちのアパートの管理人さんを訪ねてください。旦那さんと二人で、絶対に解決してくれますから。……多分、タダで」
「『その道のプロな人』さんね。ありがとう。でも、そういうのじゃないわ」
そういうの、じゃない。提案した身としては肩透かし感もあるものの、ほっとしたという気持ちのほうが強いといえば強い。当たり前ながら。
「誰でも気になるでしょう? 幽霊が本当にいるとなれば、あたしが質問したようなことは。だから、誰でも気になるようなことを質問してみただけよ」
「そうですか」
「じゃあ、ごゆっくり」
ゆっくり済ませるような用事でもないのですが、まあそれは。
「そうではない」と言われてすんなり「そうではないんだ」と納得するのは難しいですが、そう言われた以上、話だけはそういう体で進めるしかないでしょう。もし僕の想像通りに「そうであった」として、でも――そう、家守さんは、まず初めに相手に話をさせるから。話せないことへ無理に首を突っ込もうとはしないから。
僕には真似をすることぐらいしかできないけど、しないよりはマシというものだろう。
テーブルに戻ると、頼んでいたフライドポテトが既に出されていました。
「一本だけ貰っちゃったよ。嘘だけど」
うろたえる時間くらいはもらえませんか、諸見谷さん。……いや、それにしても。
「値段の割に、結構な量ですねこれ」
メニューには料理の名称と値段しか書いていなかったので、量については値段から勝手に想像していたのですが、想定していた倍くらいはあるのでした。
「こういうところがいいんだよね、下手なチェーン店とかより。値段対満腹度でいうと、けっこうお得だし」
自らをケチだと認めていた諸見谷さん、ケチな部分は一貴さんにしか見せないと仰っていましたが、やっぱりそういう部分は気にしているようです。まあしかし、一貴さんと二人で奢ってくれるという話なんですから、取り立ててケチだという話でもないのかもしれませんが。
「あの、これだけあるんだったら、遠慮とかじゃなくて分けますよ? 一人で食べたら結構なものですし」
「そう? じゃあ少しだけ貰っちゃおうかな、私のが来るまで。一貴は?」
「二人掛かりはいくらなんでもねえ――あ、来たみたい」
僕としては二人掛かりでも良かったんですが、ここで丁度、一貴さん注文の品が到着。
「苺パフェになります」
苺パフェです。一貴さんらしいと言えばらしい、可愛らしいメニューではありますが、それは一貴さんだからこそそう思ってしまうのでしょう。男が苺パフェを食べたって、何ら問題はないんですから。
なのでそれはいいとして、
「本当にメニューの幅が広いですよね、ここ。ファミレスとかだったら分かるんですけど」
ちなみに、諸見谷さんのご注文は餃子です。
ポテトとパフェと餃子。ううむ、三人別々に食べるんだから味のほうはともかく、香りのほうとしてはどうなんだろう。特に餃子。
「だんだんと増えてきたのよねえ、品揃えが。あたしは入学した頃からずっと通ってるんだけど、昔はもっと少なかったもの。このパフェは初めからあったんだけど」
「それしか食べないもんね、一貴」
言いつつ、ポテトを一つ摘み上げる諸見谷さん。
「一途なのよ、あたしは」
「まあ、そうなんだろうけどね」
おやおや一貴さんちょっと惚気てみましたか、というような。諸見谷さんは思いのほか軽くいなしてますけど、まあしかし、それは。
「じゃあこのメニュー表、メニューが追加される度に作り変えられたんですか?」
手元にある、パンフレット型のメニュー表。後から書き足されたような不自然さはないのです。
「そうよ。ラーメン屋とか居酒屋みたいに、壁に掛ける形にすれば追加もしやすいでしょうにねえ。そういう意味じゃあ、ここのお店の人も一途よね」
手間を減らせる方法があるにも関わらず、手間の掛かる方法を取り続ける。うん、まあ、一途だと言えば一途だということになるでしょうか。メニューがどうこうなんて、ちょっとしたことではありますけど。
「臨機応変なのも一途なのも、それぞれ良さがあるってもんだよ。一貴の場合、一途過ぎてどうしようもないくらいなんだけどさ」
「あらそう? そこまでかしら、あたし」
ついさっき自分で自分を一途だと言った一貴さんですが、「どうしようもないくらい」とまで言われると、首を傾げてしまいます。
「諸見谷さんが言った内容と合っとるかは分からんが」
ここで弟、同森さん。
「諸見谷さんと会った日は、ウチに帰ってきてからもデレデレじゃしなあ。どれだけ彼女自慢を聞かされたか」
ということは、今日もデレデレなんでしょう。今の時点でもう随分と面倒臭そうな顔をしていますが、そしてお兄さんはまるで悪びれた様子がありませんので、本日もお疲れ様です同森さん。
「まあ、なんか、分かるような気はするな」
ここで何かに納得したのは口宮さん。
「く、口宮さんも……そうなんですか……?」
そういうふうに受け取ったのは音無さん。何かとてつもないものを想像してしまったようで、口の端がピクピクしています。
「あああ、あんた……」
異原さんまで。
一貴さんと同じ苺パフェの容器に震えるスプーンが当たり、カチカチカチカチ音を立てています。ああ現恋人さん、何もそこまで。
「違うわ! 一貴さんだったら分かるなっつう話だっての!」
「いや分からんぞ。今のが兄貴の話だったとしても、本当にそうなのかもしれん」
「んなわけねえだろ!」
声が大きくなってしまう口宮さんですが、少し前の音無さんと同じく、「口宮くん」と立てた人差し指を唇に当てる諸見谷さんによって、「……すんません」と。
そして諸見谷さん、もう一声。
「それはまあ冗談にしても、ここまで慌てるのは、異原さんが好きだからこそだよね。一貴ってそんなふうに声張り上げてくれないし、ちょっと羨ましいかも」
言いつつ、ポテトを一つ摘み上げる諸見谷さん。なるほど、そんな見方もあるわけですか。……いやしかし、
「あれ、でも、学園祭の時に男声でがなってましたよね一貴さん。鬼ごっこのアナウンスで」
「やあだ、あれはお役目よお。お芝居で男の子の役を貰ったようなもの。愛香さんの前でお芝居なんて、したくないわ」
「おやおや一貴、私は聞きたかったよ?」
「お芝居でなく男っぽい声を出すようなことがあったらね。例えば、愛香さんから熱心に男の喋りにするよう頼まれた、とか」
「ああ、それはないわ、それはない」
考える時間すら挟まずにあっさり否定の諸見谷さん、「なんせ切っ掛けなんだしね、その喋り方は」と。一貴さんも、「うふふ」と頬に手を当てます。
「えっと、切っ掛けって、何の切っ掛けですか?」
同森さんは知っているような落ち着きぶりですが、他のみんなはそうでもない様子。そんな中から異原さんが質問すると、
「私と一貴が知り合った切っ掛けだよ。学年が一つ違うし学部も別だし、そんでもって共通の知り合いなんかもいなかったから、普通だったらそう滅多なことじゃ知り合うことはなかったんだろうけど、この喋りだからねえ。目立っちゃって」
「ワシが言うようなことじゃないかもしれませんが、よくそんな出会い方で、付き合うまでになりましたね」
諸見谷さん相手だと言葉遣いが普通な同森さん、割と辛辣な質問を。
「かっかっか、もちろんその段階じゃあ、私だってこうなるとまでは思ってなかったけどね。面白がるか気味悪がるかどっちかってところで、前者だっただけだよ」
「ねーえ。もう、引いちゃう人はドン引きもいいところだったわ」
笑って言うことですか一貴さん。
「で、暫く一緒に行動してたら、喋り方とか仕草とかがこうだってだけで、中身は普通に男だったりね。酒を交えての猥談なんかも盛り上がったっけ、大学生らしく」
大学生らしさっていったい何なんでしょうか? いや、まあ、満喫してればそれでいいんでしょうけど。猥談だけってわけでもないだろうし。ただ、それを異性の前でというのは、僕にはちょっと無理そうですけど。
「食事の場で詳しくは言わないけど、このオカマさん、おっぱい語らせると熱いんだよ?」
「やだもう、愛香さん」
おばちゃんみたいな動作で諸見谷さんの肩を叩く一貴さんですが、隣のテーブルでは、音無さんが「ふええ」とおののいていました。おっぱ――いえ、胸のことについて、悩みがあったわけですもんね。今でもまだ、その悩みが完全に払拭されたってわけでもないんでしょうし。
「そんなこんなで――ああ、猥談からのやらしい流れでってわけじゃあ、もちろんないんだけど――普通に仲良くなって、普通に付き合い始めたってわけだね。周りの友達たちだって、驚いたのは初めだけだったし」
「結局はみんなと同じなのよねえ。口宮くんが異原さんを好きになったように、てっちゃんが静音ちゃんを好きになったように」
僕が栞さんを好きになったように、とは、当然ながら続かない。だけど確かに、栞さんが幽霊だと知って驚いたのは初めだけだったわけで、つまりはそれと同じようなことなんだろう。
「だからまあ、なんてーの? 結婚記念日とか、そういうのを大事がるのと同じようなものかな。一貴の喋り方を変えたいと思わないのは」
「あたしがプレゼントした物を大事にしてくれるような人だもんねえ、愛香さんは。このリボンとか」
そう長くもないのにぐるぐる巻きにしているおかげで突起状になっている後ろ髪を、さらりと撫でる一貴さん。ぴよんと跳ねる後ろ髪。
そうだったんですか。
「やだねえもう、金にケチなくせに乙女チックとか。似合わねー」
「そんなこと……ない、ですよ」
「ああ、優しいねえ音無さん」
お金にケチであることと、乙女チックなこと。確かに相性の良くなさそうな二つではありますが、その二つを一人で持ち合わせていても、別にいいじゃないですか。同じ場面で両方を発揮されるのはちょっとあれですけど。
「音無さんは文句なく似合いそうだから、哲郎くんから何かプレゼントされたら、しつこいぐらい喜んであげなよ?」
言いつつ、ポテトを一つ摘み上げる諸見谷さん。
「えっ、そ、それは……」
「すまん、まあ、いつかな」
どうやら、そういうことはまだのようです。付き合い始めてから間がないので、それで当たり前でもあるんですけど。
「喜び方も大人しいんでしょうねえ、静音は」
「普段からやかましいお前とは大違いだよな」
「……比較対象が静音じゃあ、大違いって言われても、ぐうの音もでないわ」
「だろ」
「ただ、普段からやかましいっていうのには――」
平手が飛びますよ口宮さん。ほら飛んだ。
裸だったら背中にもみじマークができてしまいそうな一撃に、背中を押さえて前屈みになる口宮さん。そこへ、
「なあ口宮。ワシは最近、お前がマゾなんじゃないかと疑うようになっとるんじゃが」
「疑うんじゃねえよボケ。あー、いってえ……」
「そうよてっちゃん、失礼よ。そこ以外でも魅力的じゃないの、異原さんは」
「いや一貴さん、魅力的な部分に入ってるんすかこれ」
叩かれた背中を押さえながらの口宮さん。そりゃもう、入ってるんでしょう。
「お待たせ致しました、餃子になります」
「あ、私です」
当たり前ながら話の進行具合など関係なく、唐突に諸見谷さんの注文が到着。隣の芝は青いというやつでしょうか、実に美味しそうです。
「おや日向くん、物欲しそうな顔だね。ポテト何個か貰ったことだし、ここはこっちからも一個あげましょう」
「あら、いくつか貰ったのに一個だけなの?」
「痛いとこ突かない。全体の量が違い過ぎるんだし、分かってよ」
餃子一人前、全部で五個。ポテトの量に比べると、一般的な数なのでした。なんせ個数を数える気になるんですから、盛りに盛られたこちらのポテトとはその時点で差があり過ぎます。ということで、
「ありがとうございます、諸見谷さん」
文句など出てくるはずもなく、一つだけいただかせて頂きます。
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