(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第五十五章 兄と義姉より愛を込めて 六

2013-10-01 21:04:13 | 新転地はお化け屋敷
「とまあ、そうは言ってもだな大吾」
「ん?」
「言わずもがなではあるだろうが、今のは何もそういう場面に限った話でもなくてだな」
「ああ、そりゃそうだろうな」
 言わずもがなではあるんだろうけど、言われて初めて考えたのもまた事実だった。そりゃまあやっぱりああいう話となるとそっちにばかり気が向くというか、他のことに意識が行かなくなるというか。
 というのはともかく、そりゃそうだろうなという話。そういう場面「でだけ」優しいってことはないだろう、というか、それってなんか逆に嫌な奴みたいだし。
「つまりは、これもまた今更に過ぎて言わずもがなということになるのだろうが、こいつは良い夫だったという話だ」
「そうだな」
 旦那サンが良い夫だったというのはもちろん、今更過ぎるという点についても。オレですら知りあって早々にそうだと判断してしまえるほど良い夫だったからこそ、成美は今でもここまで旦那サンのことを――と、おお、なんか意図せず繋がったぞ二つの点が。だからなんだってわけでもないけど。
「で、だな。そこで一つ提案なのだが」
「ん?」
「刺身を振舞うというのはどうだろうか、このかつて良い夫だった男に」
「いいけど、それかつてどうとかって関係あるのか?」
 お客さんに食事を振舞うくらいは、別にそれがさほど特別な相手でなくたって普通にすることではあるんだろう。ましてお隣さん夫婦なんかはもう喜んで、だろうし
 孝一だけじゃなくなってるよな、もう。
「まあ、わたしが食べたくなったからというのももちろんあるが」
「そっか」
 頭に浮かべた内容と随分違った返事が返ってきたもんだけど、でもまあそれはそれで、というところではあるんだろう。「さほど特別な相手でなくたって」なんて仮定をしたところで、どうあがいても旦那サンは特別な相手なんだし。

 というわけでいつもの魚屋で買い物を済ませたのち、昼飯にはちょっと早いけど食事ということに。
 ちなみに買い物へ出たということで、成美はまた耳を出して大人の姿になっている。となれば当然着替えの必要が出てくるわけだけど、さっき例え話で服を脱ぐと言った時には自分で恥ずかしがってた割に、実際には遠慮なくオレ達の目の前ですっ裸になってみせる成美なのだった。どうしろってんだよもう。
「ふっふっふ、どうだ見ろ! 何なのか分からんくらい綺麗に切れているだろう!」
 ものすっごく得意げに旦那サンの前へ刺身が並べられた皿を差し出してみせる成美。確かに、刺身を初めて見てそれが元は魚だったと判断するのは難しいことだとは思う。
「これは実は――あっ!」
 が、旦那サン、迷うことなくその刺身の内の一枚をはたき落とし、座卓の上に落ちたそれをぱくりと。
「そりゃまあ見た目がそれでも匂いで分かるだろ」
 一応、成美が台所で魚を捌いている間はオレが旦那サンの引き留め役も兼ねて一緒に居間にいたわけだけど、その時からもう鼻すんすんさせてたしな旦那サン。こう言ったら馬鹿にしてるみたいでアレだけど、うん、ありゃあ可愛かった。
「ぐぬぬ、初めの一枚くらいはわたしが食べさせてやろうと思っていたのに……!」
「んなこと考えてたのか」
「食べていいものかどうか悩んでいるところへまずわたしが自分で食べてみせてだな、それからどうしたらいいか分からなくなっているこいつを膝の上に座らせてもう二、三枚続けて食べ、それでこいつが手を出そうか否かというところで一枚差し出して――所謂、『あーん』というやつをしてみたかったのだ」
 細けえよ。というのはともかく、「それがこうもあっさりと」なんて言いながらしょんぼりし始める成美を、オレは一体どうしてやればいいんだろうか。
 …………。
「ほれ、あーん」
「わたしじゃないわ!――はむ。わらひふぁらいふぁあ……」
「そんな泣きそうな声で言うんだったら食わなきゃよかっただろ」
 すると、言葉が分からなくても声のトーンくらいは分かるんだろう、刺身に齧りついていた旦那サンはふいと成美を見上げ、そのまま様子を窺うように動きを止めてしまう。
「ふん、お前のせいだというのに呑気な奴め」
 いやあ半分以上はオマエのせいだろ。とは言わないでおいたところ、すると成美、旦那サンを抱え上げてさっき語ったように膝の上へ。そして食べ掛けの刺身を指で拾い上げると、これまたさっき語ったようにそれを旦那サンの口元へと運ぶのだった。
 自分は一体何を求められているんだろう、ってなもんだろう。はたき落した時とは違って今回はさすがに迷うような間を取ってみせる旦那サンだったけど、しかしまあそこはさすがと言ったところか、成美の願望通りに差し出された刺身へ再度齧りつく。
 一口で口の中に納めてしまったならともかく、ガツガツ食べてるんじゃああんまり「あーん」という感じではなかったけど、でもまあどうやら成美は満足したらしい。その表情はほっこほこだった。
「ほら、こっちばかり見ていないでお前も食べろ」
「あんまり食ったら旦那サンの分がなくなっちまうし」
 三人前、とはとても言えない量の刺身だ。といっても、刺身の一人前がどれくらいなのかはイマイチよく分からなくもあるけど。それだけで腹いっぱいになるほど食べるようなもんでもないとは思うし。
 というわけで、「こっちばかり見ていないで」という部分は意図的に無視して話を進めてみたわけだけど、
「体格差を考えろ体格差を。お前が一枚食べるのとこいつが一枚食べるのが同じだと思うか?」
「そりゃまあそうなんだけどな」
 でもそれって腹いっぱい食べる場合の話だろうし、と言えなくはなかったんだろうけど、とはいえそこまで言及はしないでおいた。あんまり食い下がってもしつこいだけだし、それにまあオレだって食べたくはあるわけで。刺身は嫌いじゃないし、そしてそれ以上に妻の手料理なわけだし。切っただけだけど。
 というわけでまずは一枚箸で摘み上げ、醤油にちょっと浸したところで、
「でもそれ考えるんだったらあれだよな、オマエも小さい身体の方がいいってことになるよな?」
「む、確かにそれはそうだが。しかしどうだろうか、今日はなんだか着替え過ぎじゃないか?」
 自転車で出掛ける前、帰ってきて風呂に入った時、そして魚屋に行く前。まだ一日の半分も過ぎてないのに、成美は今日、既にそれだけ耳を出したり引っ込めたりしている。確かに多いだろう、普段と比べて。
 と、それがあっての話でもないんだけど、
「いやいや、そうしろとは言わねえから」
 という返事。孝一じゃねえけど、食事中くらいはそれに集中したい――というのはそりゃあ、また目の前で素っ裸になられることを考えての話だ。いや、着替える時に私室のふすまを閉めればいいだけではあるんだけど、他に誰か来てるってんならともかくオレ達しかいない場合だと、あんまりそれが定着しそうにないというか。
 ……旦那サンは「他の誰か」にはノーカウントだよな、やっぱり。成美が見られてどうってわけでもないのは当然として、旦那サン側も見たからどうってわけじゃあないんだし。むしろ服なんか着てるほうが特殊なんだもんな、猫からすれば。
「ふむ。ならまあ、このままでいさせてもらうが。着替えている間に食べ尽されていたりしたら本末転倒だものな」
「しねえよそんなこと」
 そんなことできるのオレだけだぞ、食べるスピード的に。

「ははは、腹が膨れたら眠くなったか?」
 オレと成美は腹いっぱいとはいかなかったわけだけど、でも旦那サンはそうでもなかったらしく、皿が空になるとそのまま丸くなってしまった。
 ちなみにその場所は成美の膝の上。つまり、結局は食べ終わるまでそこから解放しなかったというわけだ。そりゃあ宣言通りに「あーん」は最初の一度だけだったけど、それにしたってやっぱりいくらか食べ難そうだったぞ成美。
「しかし困ったな、これではわたしが動けない」
「そう言うんだったらちょっとくらい困った顔しろよ」
 満更でもない、どころじゃない顔してるくせに。
「というわけで大吾、お前がこっちに来てくれ」
 聞けよ。行くけど。
 というわけでテーブルの反対側から成美の傍へと移動したオレは、足で成美の尻を囲むようにしてあぐらをかく。いつもなら足の上に座らせているところだけど、成美が動けないんじゃあ仕方がない――なんて、気にするほど大した差でもないんだろうけど。
 まあそれにしたって成美は今大人の方の身体なわけで、無理とは言わないにしても膝の上に座るのはちょっと窮屈だろう。最初からこっちならともかく、普段は小さい方の身体で悠々と座ってるわけだし。
 なんてことを思ってみたところで、孝一と栞サンもそういうことすんのかなあ、とか。あっちは普段から大人同士なわけで、じゃあ比較して窮屈とかそういうのはないんだし。
「ふふっ、言葉が通じないとこうも積極的なんだな」
「積極的ってことになんのか……?」
 旦那サンの背中を軽く撫でながらそう言って口元を緩ませる成美に、その背中側からオレは疑問の声を上げた。言葉が通じない分積極的になる、という理屈自体は分かる。魚屋に行く前の名前ありなしの話でも、その名前の有無だけで割と変わってくるって話だったし。
 ただ旦那サン、寝てるだけなんだよなあ。これが最初は別の場所にいて、寝るためにわざわざ成美の膝の上に移動したっていうんならまだ分かるとしても、最初からそこにいた、というかその成美に移動させられただけなんだし。
 と思ったら成美、懐かしそうな口調でこんなことを。
「こんな無防備を晒すことは滅多になかったからなあ、こいつは」
「ああ、そういう」
 甘えるとかそういう話ではないみたいだったけど、そういうことなら成美が嬉しがるのも理解できる。が、でもここで一つ新たな疑問が。
「なあ成美」
「なんだ?」
「オレもそういうほうがよかったりするか? むしろ無防備しか晒してないくらいだと思うけど」
 ただただのんびりぼーっとしているだけならともかく、なんせ今朝は腕を噛まれまでしていることもあって、なんとなくそんなことを考えてみた。が、すると成美、ちょっとばかり不機嫌そうな顔をこっちに向けてくる。
 そしてその不機嫌そうな顔の横に、ぽっと人魂が一つ。一つめの時点ではそこまで慌てるようなものではないにせよ、これは――。
「お前にこいつと似て欲しいなどと思ったことは一度もないぞ、わたしは。そりゃあ、似ているところがないわけではないし、そこが好きなのも間違いはないが」
 言い終えると、ぷいとそっぽを向いてしまう成美。軽い質問のつもりだったけど、これは随分と失礼なことを口走ってしまったらしい。
「ごめん」
「分かればいい」
 すると、今出たばかりの人魂はあっさりと消えてしまう。ということは成美、言葉の上だけでなく本当に許してくれたわけで、その切り替えの潔さには尊敬と感謝の念が同時に浮かんでしまう。
 できれば、感謝の方はする必要のない立場でいられるのが得策ではあるわけだけど。
「こいつはこいつで、お前はお前だ。似ているだけの男に惚れるんだったら、それこそこいつ一人だけ好きになっていればいいのだからな」
 そりゃそうだ。確かに。
 というふうに納得してしまうと、それに比例して自分がどれだけバカな発言をしたかを思い知らされてもしまうのだった。
「しかし、いかんな。本気で言ったわけでないと分かっていてこの有様、しかも人魂まで出してしまうとは」
「いや、今のはオレが悪かった」
 …………。
 とまあ、お互いこれくらいにしておいて。
「ところで大吾、ここまでの話なのだが」
「って、どこからここまでの?」
「自転車で出掛けてからここまで、だな」
 ということは旦那サンの話――ばかり目立ってはいるけど、それに限りはしないというか、それを全体の一部としたオレと成美の話というか。成美が暮らしてた場所のこともそうだし。
 というわけで、そういう話。
「が、どうかしたか?」
「わたしとお前だけの話ではないよなあ、と」
 というのはどういうことだろうかと考え始め、最初に目に入ったのはそりゃあ旦那サン。まあ最初も何も、オレと成美を除けばもう旦那サン一人しかいないわけだし。
「ああ、楓サン達が帰ってきてからちゃんと話したほうがいいとか?」
 なんせ成美が言っているのは旦那サンのことだと確信していたので、名前すら――名前じゃないんだけど――出さずにそう言ってみる。が、成美は、「それもそうなんだがな」とちょっと困ったような笑みを浮かべながら。
「庄子だよ」
「庄子?」
 出てきたその名前があんまり意外なものだったので、つい間の抜けた調子で訊き返してしまった。そりゃあ今朝、と言っても今だってまだ午前中ではあるんだけどそれはともかく、今朝庄子に会いたいみたいな話をしていた成美ではあったけど。
「ええと、なんで庄子? 話ったって……いろいろあったけど、どれを?」
 ついさっきの人魂のこともあって、不用意な質問じゃないだろうかと不安になりもしたけど、でもまあさすがに庄子の話でそんなことになりはしないだろうと思い切って思ったまんまを尋ねてみた。
 ら、成美、機嫌を損ねるどころか笑ってみせてきた。
「ははは、まあお前はそうだろうな。なんだかんだで兄妹仲はいいわけだし」
「オマエだって似たようなもんだろ?」
 そもそも何の話か分からない、というのはひとまず横に置いておく。
 ついでに、仲がいいというのも今更否定はしないでおく。他の誰かならともかくという話だろう、もう成美だって家族なんだし。
 そして成美の方もオレの問いかけを否定はせず、そしてそれについてはふんと満足げに鼻を鳴らしだけして、話を続けてきた。
「あいつの理解が足りない、などと言いたいわけではないがな。しかしそれでも、改めて考えてもらうくらいはしたほうがいいんだろうさ」
「何を?」
「義姉になった女が人間ではなく猫だということをだ」
「…………」
 成美が猫だということ。当たり前だけど庄子はそれを知っているし、知ったうえで成美と仲良くしている。そしてそれは仲が良いから気になるところも気にならないというふうではなく、初めから全く気にしていないというか、むしろ猫だからこそあれだけ好き好き言ってる節すらあるように思う。
 こんなことを言ってしまうとアレだけど――まあ、最初は興味から入ったんだろう、やっぱり。人の姿をした猫なんて、全く関心を持たないって方が無理なわけだし。で、そこから知り合ってみたら猫とかどうとか以前に良い奴だったと。
 まあそれはオレにも当て嵌まる話ではあるし、じゃあ変な意地の張り合いなんかしてないで最初から仲良くしときゃあよかったのにってことにもなるわけだけど。
 で、それはともかく今の成美の話。
「成美」
「ん?」
「ありがとうな」
 それまではただ足の間に座らせていただけだったけど、オレはそこで成美を後ろから抱き締めた。
 何だかんだ言っても言われてもやっぱり庄子は妹なわけで、もう一言付け加えるなら、大事な、ということでもある。だったら嫁さんがその大事な妹のことを考えてくれるというのは、兄としては当然、有難い話になるわけだ。
「なに、礼ならこちらから言いたいくらいだよ。わたしが猫であることを改めて考えて欲しいなどと、怖じもせずに言えるのが誰にどうされてきたおかげであるかを考えればな」
「不安はないのか?」
「ないさ。ないから言えるのだし、それ以前に不安があったらこんなこと、思い付いてすらいないだろう。ないと確信している不安が本当にないと証明するためにこんなことを言っているんであって、不安があると思っているならその『不安がある』で結論が出てしまっているだろう? 庄子がどんな返事をしようと、それはもうひっくり返りはしないのだろうし」
 ちょっと頭がこんがらがりそうだったが、しかしそこはなんとかついていく。大事な話だというのはもちろん、夫としてやら兄としてやらの意地も多少はあって。
「まあ、そうだろうな。ひっくり返すとしたら言葉一つじゃなくて付き合っていく中で、みたいな話になるんだろうし」
「うむ。はは、むしろそんな簡単にひっくり返られると困るしな。家族としての話なのに」
「もしそうだったらすげえ仲悪くなってそうだもんな。オレと庄子、口喧嘩ばっかしてるんだし」
「つい最近までのわたしとお前もな」
 ……やだなあ、どっちも。
「はは、そんな顔をするな。あれはあれでいい思い出だと思うぞ?」
「そりゃまあそういうことにはなるんだろうけど」
 もし結末がこうじゃなかったら、なんて考えてしまうと、随分危うい橋を渡ってたもんだと背筋が冷える思いだった。あの頃だって別に嫌いだったわけじゃなかったのになあ。
「あんまり長引くようだと、強制的にいい顔にしてしまうぞ」
「分かった分かった、大丈夫だから」
「むう、説明くらいさせてくれても」
 されなくても大体分かるし、されたら多分その「強制的」を強制的に実行されてしまう気もするし。長引くのを待つまでもなく。
 というわけで、いじけた以上の何かを含んでいそうなとんがった唇を見下ろしつつ。
「で、それは置いといて」
「なんだ?」
「庄子。そこまでのアレだったらもう、本当に家まで呼びに行くか? これでここで待ってても来なかった、なんてことになったら収まり悪いだろ」
 そうする理由はともかくその提案自体は大した話ではないので、だったらそれは何の気なしにさらっと口をついたものだった。
 が、成美はちょっと困り顔。
「いいのか?」
「え? いや、逆になんか不都合なことあるか?」
 成美には以前、オレの実家――と言ってもすぐそこなんだけど――を、紹介したことがある。もちろんそれは道順を教えただけとか家の前まで行っただけとかではなく、中まで上がってという話だ。と言っても別に中で何をしたというわけでもなく、ただ見て回っただけではあるんだけど。
 ともあれ、だから家に行くというのは今回が初めてではない。しかも庄子を呼ぶだけとなったら中に上がる必要もないわけで、だったらここで躊躇う必要がどこにあるんだろうか、なんて。
「だって、前に案内してもらっただろう? お前と庄子の家」
「したけど」
 それを理由に躊躇う必要がないなんて思っていたら、どうやらそれこそが躊躇う理由だったらしい。けど、もちろんなんでそうなるのかは分からない。
「いくら近所だからといって、案内されていくような所にそんな軽々しく足を運んでいいものか、なんて思わなくもなくて」
「大層に思ってくれるのは嬉しいけど、でもそれはさすがに考え過ぎ」
「そうか?」
「そうだ」
 断言して、その申し訳なさそうにしている頭へぽんと手を乗せる。乗せて、返事を待つ。
「……分かった、じゃあ考え過ぎないようにする」
「ん」
 期待していた返事がもらえたところで、頭に乗せていた手をわしゃわしゃと。となればそりゃあ成美は気持ち良さそうにするわけだけど、まあ、頭を撫でるこの手だけがってことでもないんだろう、やっぱり。
「しかし、呼びに行くとしてもいつぐらいがいいんだろうか? 学校だろう、今日は」
「そうだな、いつも来る時間を考えたら四時半から五時の間くらいか?」
「まだまだ先だなあ」
 時計すら見ることなく成美は言う。なんたって今はまだ、四時半どころかギリギリとはいえ午前中なわけで。
 時間に余裕がある、というか有り過ぎて困るのは別に今日に限った話でなくいつものことではあるんだけど、でもだからこそそれに慣れている筈の成美は、珍しくしょぼくれたような顔をしていた。
 それだけ楽しみだってことではあるんだろうし、じゃあオレとしては悪い気はしないわけだけど、
「まあまあそんな顔すんなよ」
 言いつつ、ほっぺをうにうにしてやった。オレだけならともかく旦那サンまで膝に座らせて、となったらそりゃあちょっと贅沢過ぎるってもんだろう。
「うむうう、やえろやえろ」
 止めろと言われて止めるにはちょっと勿体無い触り心地ではあるけど、それでもやっぱりそう言われたのなら止めるしかなかったりもする。ご機嫌取りで機嫌を損ねてたんじゃあ全く意味がないわけだし。
「どうせ撫でるなら頭にして欲しいものだが……」
「そこまで積極的なご機嫌取りでもねえし」
「むー」
 わざとらしいふくれっ面も出てきたわけだし、ならあまり積極的でないご機嫌取りは成功したと見て問題はないだろうなと。
 というわけで次。
「暇だってんならちょっと提案なんだけど」
「おっ? なんだなんだ?」
「手紙書いてみるってのはどうだ。ここに呼び付けるのもそうだけど、結婚式にも呼ぶわけだからそっちのほうの招待状も兼ねて」
 暇を嘆いていたのもあって成美の食い付きは良く、じゃあこの案もその勢いのまま、なんて思ってみたところ、
「わたしは字が書けんが……」
 渋い顔をされてしまった。
 そう、成美は字を読むことは出来ても書くことはできない――とは言っても、人間の身体になってから一年足らずで字が読めるようになった時点で物凄いことではあるし、だからそれをどうこう言うつもりは全くないけど。
 買い物が出来る猫って、なあ?
「いや、書きたいこと言ってくれりゃオレが書くから。オレとオマエのどっちの文章かも見て分かるようにするし」
「そういうことなら、まあ」
 招待状としての意味も持たせるんだったらオレなんかより字が綺麗な人に頼んだ方がいいような気もするけど、でもそういうわけにもいかないだろう。招待する側なんだから自分で書けよという面はもちろんとして、さっきまでの成美の話も盛り込むとなったら。人前で出来ないというほどの話ではないにしても、だからといって積極的に広めにいくようなものでもないんだし。
「あ、でも大吾」
「ん?」
「わざわざ文章で伝えるということは、ここに来るまでに渡すんだよな? ここに来てからだと、それはもう普通に話せばいいわけだし」
 手紙という言葉は知っていたけど、その中身については知っていたわけではなく今この場で考えただけ。成美の言い方はそういう類いのもので、そしてそれは今だけの薄っぺらなものではなく、成美の根っこにある行動基準なんだろう。
「さすが理解が早い」
 まあ相手が目の前にいても手紙で済ませる場合というのもなくはないわけだけど、今この場でそこまでの話をすることはないだろう。成美の理解が間違っているというならともかく、そういうことではないわけだし。
「これくらいで褒められると逆に居心地が悪いぞ」
 言って、ふんと鼻を鳴らしてみせる成美。完全な異文化に対してそう言えてしまうことにまた頭を撫でてやりたくもなったけど、でもまあ居心地が悪いんじゃあ仕方がない。出そうになった手は引っ込めておいて、話の続きをする。
「オレが家に行って置いてくるよ、庄子の部屋にでも」
「お前が書いた文章なんて、両親に見られたりするとまずいのではないか?」
「本人がいないのに勝手に部屋に入るってこともまあないだろうし、まして置いてある手紙を勝手に読むなんてことはさすがにな」
「そういうものなのか。部屋も手紙も」
「そういうもんだ」
 手紙はともかく、部屋についてもまあそうなるのか。個人の部屋なんてないからなあ、ここ。
「ここが広くない家で良かった。嫌だからな、お前と別々の部屋だなんて」
 ……成美からすれば自然な感想ではあるんだろうけど、でもちょっと、オレが聞かされる分には照れ臭過ぎるというかなんというか。
 あと成美、ここが広くない、というか狭いのは間違いないけど、だからってオレの家が広いってことは決してないからな? 広いってのは四方院サンとこみたいな――いや、あれはもうそういう問題ですらないか。


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