(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第四十七章 報告 十三

2012-06-04 20:52:04 | 新転地はお化け屋敷
「あ、栞まだだった?」
「やっぱ男より時間掛かるとかあんのかもな。それに、大山さんの手伝いもねえわけだし」
 栞も終わってる頃かな、なんて思ったりしていたのですがしかし、部屋に戻ったところ出ていく前と状況は変わっていないのでした。そこそこ長いこと話をしていたと思うのですが、実時間的にはそうでもなかったようです。
 ――ところで。
 状況が変わっていないというのは寸法取りの順番の話であって、それに限らなければ変わっていたところがありました。
「もういいの? 成美さん」
「いいかどうかは知らねえけど、大山さんの手が空いてんの今だけだからってんで。まあ、今始めたばっかだけど」
 というわけで大山さん、成美さんと猫じゃらしで遊ばされていたのでした。
 遊ばされていた。まあ、やはり、その表現が一番正確なのでしょう。大山さんが自分からそうするよう頼んだ、ということはないでしょうし。
 そしてこれまでは僕の膝の上もしくは栞の膝の上にいた成美さんですが、今回は大山さんの膝の上ではなく、向かい合うようにして座っているのでした。と言って今にも立ち上がりそうな勢いではありますが――それはともかく、これについては大山さんの方からそうするよう頼んだのではないでしょうか。成美さん、多分相手が誰とかは気にしてないんでしょうし。
「あー、日向くん。一応伝えとくけどね」
 たまに手を出したりはしてるけどさっきまでに比べて静かなものだし、じゃあやっぱり成美さん、まだ疲れが残ってたりはするんだろうな。などと思っていたところへ不意を突いて声を掛けてきたのは、高次さんでした。
「あ、はい?」
「怒橋くん、成美さんの耳押さえてくれてたから」
「あらだいちゃん、気が利くねえ」
 僕より早く家守さんが反応してみせますが、その通り。もちろんながら大吾のその行動は、僕と家守さんの「内緒話」が成美さんの耳に届かないようにするためのものだったのでしょう。
「いや、いつものことですからこれくらい」
 素っ気なく――ではなく、素っ気ないふうを装って、大吾はそう返しました。そこで不自然に視線を逸らしちゃあ駄目なんじゃないかなあ、とまではまあ、言いませんけど。
 お礼を言うのはもちろんとしてにやにや方面の意味でも頬が緩み始めますが、しかしそういった表情がはっきりと形になる前に、同時に僕がお礼を言うよりも前に、こう付け加える人がいました。
「耳を押さえられてる間、すっごく気持ち良さそうでしたよね成美さん」
 人というか蛇でしたが、ということでまあ、清さんの肩の上からナタリーさんです。そんな話には成美さんが「ぐぬ」なんて唸ったりもするのですが、しかし猫じゃらし優先なのかそうでなくただいろいろ諦めたということなのか、こちらへ文句を付けてくるようなことはありませんでした。
「どんなふうだったんですか? 押さえてるって」
「興味持つなよんなところ。そりゃあ、みんなの前でしてたことなんだから訊かれて困るってわけでもねえけど」
 ナタリーさんから返事を貰う前に大吾がそう苦言を呈してきましたが、確かにその通りなのでしょう。だからといって質問を取り下げはしない、というだけのことであって。
「日向さんと家守さんが外に出ていった時、成美さん、大吾さんの膝の上で横になってたじゃないですか」
「ですね」
「片方の耳はそのまま足に押し付けて、もう片方の耳を大吾さんが手で覆って」
「ほう……」
 足、というのはその姿勢からして太股ということになりましょう。ということはつまり膝枕――いや、頭だけでなく全身を預けてるわけですから膝布団ということになりましょうか? どうやら、そういう状態だったようです。
「だからなんだってわけじゃねえけどな」
「まだ何も言ってないよ」
 そもそも膝布団であること自体は耳を押さえる前からそうだったわけですし、ならばこの件で取り上げるべきは、成美さんが気持ち良さそうにしていたというその一点だけということになりましょう。
「ふん」
 ということであれば、何か言うにしてもそれは大吾ではなく成美さんにということになります。と言ってもちろん今の成美さんの邪魔はしないでおくに越したことはないわけで、ならば今は、ここまでということにしておきました。
「ありがとうね、大吾」
「……言うなら先に言えよアホ」
「あはは、ごめんごめん」

「楓さんとどんな話してたの? って、言えるんだったら場所変えてないっていうのは分かってるんだけどね」
 程なくして私室から出てきた栞は、悪戯っぽくそんなことを訪ねてきました。その時には既に私室に移動した後ではありましたが、どうやら僕と家守さんが部屋を出ていたことには気付いていたようです。まあ僕の時も大吾の時も、ふすま越しにだって声が通ってましたしね。
 で、です。分かっていて言っているらしい栞ですが、ならばそれはもちろん冗談なのでしょうし、もし本当に知りたいという気持ちがあったとしても、冗談が九割で残りの一割が、という程度のことなのでしょう。
 ――が、しかし。
「キシシ」
 もう少し大山さんと成美さんが遊ぶ時間を延長しよう、ということもあって栞の次の晩に名乗りを上げていた家守さんが、栞の言葉を耳にしてか厭らしく、かつ意味ありげに笑いました。そしてその笑みを残し、道端さんが待つ私室へと。
「ん? ああいう笑いが出るような話だったってこと?」
 僕と同じくその笑い方を見慣れている栞が、そんな推理を立ててきます。けれどそれは、半分正解といったところなのでしょう。そういうふうに取ろうと思えば取れなくもない、くらいのものでしたし。
 それに家守さん、それだけが理由で笑ったんじゃないんでしょうし。
「うーん、ちょっと違うかな」
 半分正解と思っておきながら、僕の返事はそういうものでした。「半分正解」と「ちょっと違う」は、よくよく考えれば似たようなものなのかもしれませんが、しかしよくよく考えたりしなければ全然違うわけで。
 そういうふうに取ろうと思えば取れなくもない話だった、というのは家守さんにだって分かっている筈で、だったらああいうふうにはっきりと笑ってみせたりはしないと思うのです。考える間が入っちゃいますしね、やっぱり。
「栞にそう言われて僕がどうするか、分かってるってことなんだと思うよ」
「私に言われて? って、じゃあ孝さん、どうするの?」
「二人で内緒話しよっか、栞」
 冗談であろうが何だろうが、知りたいと言われて知らせないわけにはいかなかったのです。僕と家守さんが栞について――大事に想っている人について、どんな話をしたのかを。
「大吾」
「ん?」
「成美さんの耳、もっかい押さえててもらっていい?」
「今の状態でっていうのは、だいぶシュールなことになるな……」
 成美さんを見ながらそう言って、顔をしかめる大吾。――いやいや、大山さんとの戯れは別にそこまでして継続しなくてもいいんじゃないかな。
「まあ、分かった。そんくらい今更だし、行ってこい」
 どうやら戯れを中止させるつもりなんて全くないらしい大吾は、むしろふっと力が抜けた顔でそう言ってくるのでした。果たしてそれが何かに対する諦めを表しているのか、それとも真面目な話をするつもりである(らしい、くらいには見えているのでしょう、他の人からも)僕を前向きに見送ってくれているのかは分かりませんでしたが、どちらにせよ、という話ではありましょう。
「ありがとう大吾。って、今度は先に言っとくよ」
「そこまでのつもりじゃなかったんだけどな、さっき言ったのは」
 そう言って、今度こそ明確な笑顔で見送ってくれる大吾なのでした。
 彼のことはそろそろ友人から親友に格上げすべきなのかもしれません。なんて。
「じゃ、栞」
「うん」
 一方で既に最上位にまで格が上がっている女性を連れて、僕は再度101号室を出るのでした。
 最上位。
 僕がこれから栞に話そうとしているのは、僕が栞をその「最上位」に位置付けたが故にそう決まることになった、栞にとっては喜ばしいばかりではないであろう決定についての、事後報告です。
 僕と家守さんだけで話したことである以上、そこに栞の意図は含まれていません。
 ――し、今からだって、栞の意図を汲もうとは思っていません。
 事後報告、というそのお題目通り、ただ伝えるだけです。栞がどんな反応をしたところで、決定が覆ることはもうありません。

「そっか……」
 栞の表情が楽しげだったのは、最初のうちだけでした。
 躊躇いなく人前で服が脱げるようになった云々の話をしていた間こそ照れ笑いなりなんなり浮かべていたのですが、しかしその後、話し相手としてでなく話の登場人物として家守さんの名前が出始めると、雰囲気からなんとなくどういう話に繋がるか察せられるところがあったのでしょう、徐々にその表情から明るさが抜け落ちていったのでした。
 そして最後、たった今、僕が家守さんから栞のことを全て請け負ったという話をしたところ、やはり栞の表情には陰りが残ったままなのでした。
「あはは、普通だったら、大喜びして孝さんに抱き付く場面なのかもだけど」
 そう言って無理に笑う栞なのでした。
 愛し合う相手が自分について「僕に任せてください」なんて言葉を口にする。プロポーズの言葉に聞こえなくもないそんな台詞はしかし、プロポーズの言葉でなかったとしても、栞が今言ったような感想を持っておかしくないものなのでしょう。
 抱き付くというのはちょっと芝居がかってるような気もしますけど。
「ごめんね。私、こんなで」
「いいよ、そうなるって分かってて言ったんだし。――それに、そうなるようなことだって分かってたから決めなきゃいけなかったって部分もあるし」
 栞のいろいろについて、僕が全て請け負う。
 ということはつまり、栞のいろいろについて、家守さんが身を引くということです。
 栞が慕っても慕い切れないほどに慕っている、家守さんが。
「私ね、孝さん」
「うん」
「楓さんのことは、もう一人のお母さんってふうに思ってるところがあってね」
「うん」
 思ってる、ではなく、思ってるところがある。
 そういう話であるならそれはそう意外でもないというか、むしろ「それくらいはあるだろう」と妙に納得してしまえる話でした。先程の「慕っても慕い切れないほどに慕っている」という表現に誇張した部分は全くなく、今までだってその具体例を何度も目にしてきているのです。
 躊躇い一つ見せずに頷いた僕にはむしろ栞の方が驚いたようで、一瞬だけそんな表情を。けれどそれは本当に一瞬だけで、次の瞬間にはもう、笑顔に変わっているのでした。
「だったら、私もちゃんとしないとなあって、そう思う」
「……うん?」
 笑ってくれたのは良かったのですが、なんだか話が飛んでいるような気がします。
 家守さんをもう一人のお母さんだと思っている。それはいいのですが、それが理由で自分もちゃんとしないといけない、というのははて、どういう?
「親離れ。今度こそ、綺麗な形でしておきたいから」
「…………」
 それがどういう意味なのか一瞬分からず、けれど結局、その一瞬が過ぎて分かった後でも、僕は何も言えないのでした。
 今度こそ綺麗な形で親離れしたいと言う栞は、ならば過去に、綺麗でない形で親離れしたことがあるのです。
 死。
 という、形で。
「ごめんね。急にこんなこと言われたらそりゃあ困っちゃうよね」
「いや……」
「そこで困ってくれる孝さんだから言えてるんだけどね、こんなこと。他の人だったら多分、ううん、絶対、こんなにすぐ結論は出せないよ。本当にこの人に全部任せられるだろうかって、本当に家守さんから離れられるだろうかって、もっと長く悩んでたと思う。下手したら、できないって結論が出てたかもしれないし」
 もちろんそれは栞の想像でしかなく、事実に即していない過剰に僕を持ち上げた言い分、ということにはなるのかもしれませんが――。
 けれど、人一人に対しての責任を負うというのであれば、それくらい持ち上がっていないといけないのかもしれません。そういう意味ではそれは過剰でも何でもないのでしょう。僕は、少なくとも栞に対しては、それくらいの人間でないといけないのです。
 なので僕は、栞のその過剰な言い分を、否定はしないでおきました。
「ちゃんと言っとくね、言葉にして」
 どんな表情をしていたのでしょうか。栞は僕の顔を見て軽く微笑み、そうしてから口を開き始めました。
「私、孝さんにだったら全部任せられるよ、私のこと。今まで楓さんに任せてたことも含めて、本当に全部。だから孝さん、私のこと――」
 そこまで言って、栞の言葉は一旦途切れます。
 栞は顔を俯かせていました。途切れ際の声の震えも合わせて考えるなら、栞は今、泣いているのでしょう。
 これは栞にとって、喜ばしいばかりの話ではありません。が、しかし、悲しいばかりの話でもありません。ならばその涙もきっと、その両方が混在したものなのでしょう。
 そこで悲しさにだけ引っ張られることなく、前向きな結論を出すことができる。あまつさえ、言葉にしてそれを伝えようとすることができる。次の言葉を待つまでもなく、栞は僕にとって、全てを任されるに足る女性なのでした。
「私のこと、全部、貰ってください」
 流した涙を拭うことすらしないままに顔を上げた栞は、けれど惚れ惚れするくらいに柔らかい笑みを浮かべて、そう自分の言葉を締め括るのでした。
「分かった」
 それに対する僕の返事は、そのたった一言だけなのでした。他に何か付け加えていたところで、それは余分な言葉でしかなかったでしょう。
 そうして必要な会話が済んだところ、すると栞はつかえが取れたように大きく息を吐き、そしてこちらへ歩み寄ってきました。
 近付いた、と言える距離になっても足を止めなかった栞はそのまま僕の肩に頭を預けるような格好を取り、ならば僕はその肩を軽く抱いてみるのですが――。
「思いっきり抱き締めてもらっていい? あはは、外じゃあ、ちょっと恥ずかしいかもだけど」
「うん」
 思いっきり抱き締めるのも、外じゃあちょっと恥ずかしいのも。
 どちらにも頷いた僕は、言われた通りに思いっきり、栞を強く抱き締めました
「愛してる」
「……うん」
 恥ずかしいついでに、ということでそう囁いてみたところ、
「……うん……! 言われなくたってもう、いっぱいいっぱい……!」
 僕はどうやら、もう一度栞を泣かせてしまったようでした。
 涙で肩が濡れていくのを感じながら、でもどうしてだか僕は、その肩に押し付けられている栞の顔が笑顔であることを感じ取れているのでした。

 泣いたままの栞を連れて戻るわけにはいかないよなあ、ということで外で少し待ってはみたのですが、けれどもしかしそこは栞のこと、待つと言うほど待たされることもなく泣き止んでくれたのでした。
 しかも、泣き止む頃には笑顔のおまけつきです。そりゃ惚れるわ、と今更――愛してるなんて言った直後だったので本当に今更だったのですが、そんなふうに。
 で、現在。101号室に戻った僕と栞はしかし、廊下から居間に顔を出す程度のお邪魔具合なのでした。
「そろそろ大学に行くんで、部屋に戻ります」
「私は行かないんですけど、部屋まで一緒に」
 その説明はいらなかったんじゃないかなあ栞。
 とは思ったのですが、僕が大学に行った後はまたこの101号室に戻ってくるんでしょうし、ならば後から変な探りを入れられるよりはこちらから先んじて言っておいた方がよかったのでしょう。
 ただ、僕と栞がどんな会話をしに外へ出たか知っている家守さんなんかは、というか状況がどうあれ家守さんという時点で、それでもやっぱり変な探りの一つや二つは入れてくるのでしょうが。
「行ってらっしゃい」
 まずは部屋に戻るのでそれはちょっと早いのですが、その場の全員を代表するようにして高次さんから見送りの言葉が。家守さんがまだ私室にいる以上――いや、よく考えればそうでなくても、家守家の家主なんですしね。……なんですよね? 名字がお嫁さん側のものでも。
『行ってきます』

 というわけで、204号室。家守家を出て今度は日向家です。
「出なきゃいけない時間まであとどれくらい?」
「十分くらいかなあ、ギリギリまで粘っても」
「そっか」
 どうしてギリギリまで粘る必要があるのか、というのは、敢えて語るまでもないのではないでしょうか。でなければそもそも栞がここへ同行してきていないでしょうし、変な探りを入れられるだのなんだの心配する必要もないわけですし。
 まあ、あんな話の直後です。追加で交わしたい言葉だってそりゃあありますし、そうでなくても、出来る限り一緒にいたいとはやっぱり思いますし。
「まず」
「まず?」
 当たり前のように、というか当たり前に寄り添うようにして床に座ると、間を空けることなく話しかけられます。
「さっきはありがとう。泣いちゃったりしたけど、すっごい嬉しかったよ」
「うん」
 泣いちゃうくらい嬉しかった、ではないようでした。泣く一方で嬉しくもあったと、そういうことなんだそうでした。やはり、ということなのでしょう。やはり栞はある程度、悲しくもあったのです。
 言葉に違わず嬉しそうな顔でそんなことを表明されるというのは僕が栞を好きな理由そのまんまな行動であって、なので僕はこう、肩を抱くぐらいしてしまいそうになるのですが。
「あー、うん、そういうのもいいんだけど」
 僕の手の動きに気付いた栞は、そう言いつつ申し訳なさそうな笑みを浮かべるのでした。
 ということであるならば、そりゃ残念、と僕は手を引っ込めます。……が、それもまたそういうことではなかったようで、
「こっちだね、今は」
 引っ込めたのとは反対の手を取った栞は、それを傷跡の跡に触れさせたのでした。
「そっか、そりゃそうだね」
 その傷跡の跡のことに構わず、人前で服を脱げたこと。それが今回の、さっきの話の切っ掛けです。家守さんが、栞について自分がすべき仕事はもうなくなったと、そう判断した切っ掛けだったのです。
「そういうことだったら、こっちからも一つ提案が」
「ん?」
「座椅子使おう」
「あはは、そうだね」
 傷跡の跡を触る時というのは大体が栞を後ろから抱く格好になるのですが、そうなると座椅子はもってこいのアイテムなのです。というか、初めからそれが目的で買ってきたんですし。
 ……後ろから抱く格好に持っていきたいがための方便として座椅子を持ち出した、というわけではありません。そうなるような雰囲気の時にそんなところを重視するのは自分でもどうかと思うのですが、背もたれがあると楽なのです。普通に。

 というわけで僕が座椅子に座り、その僕の足の間に栞が座って、僕の手は例の位置にという状況に。
 ふう、と大きく溜息を吐いたあと、どこか間延びした声で栞が言いました。
「なんだったら今日は一日中こうしてたい気分かも」
「ごめんね、時間ない時にあんな話しちゃって」
 軽い口調ではありましたが、内情としては結構真剣に謝ります。
 なんせ悲しさだけに引っ張られることなく前向きでいられる栞ですから、あんな話をすればその後こんな展開になるのは充分に予想でき、実際にもしていたところはあったのです。だったら「その後」の時間が取れる時に話せばよかったのですが、そこはその、話したくて仕方がなかったというか。
「あはは、いい気分にさせてもらってるのに責める気があると思う?」
「言うと思った」
 うん、それでこそ栞。
 想定通りの返事に元から良かった気を更に良くし、想定しておきながら謝ってみせた僕に栞がくすくすと笑みを溢していたところ、
「でさ、孝さん」
「ん?」
 そうして次の話を持ち出し始めた栞は、それと同時に傷跡の跡に触れさせている僕の手に自分の手を重ねてきました。
「私のこと全部貰ってくれるって話だったでしょ?」
「ああ、うん」
 向き合って交わす言葉としてはまだしも、こうして触れ合いながら言われてみるとなんだか別の意味に聞こえてきてしまい、しかも不意打ちということでさすがに少々ドキリとさせられてしまいます。
 いや、別の意味というか、大元の意味はそれだって含んでのものなんですけどね。なんせ全部なんですし。
 という考えが果たして何かしらの言い訳または誤魔化しだったりするのかどうかはともかく、どうやら栞が言いたいのは僕が思ったようなことではないようです。
「でもまあ――こういう話、これまでにももう何回かしてると思うけどさ。そういうのって、お互い様であるべきなんだよね」
「栞が僕のことを全部貰ってくれる、ってこと?」
「うん」
「それはもう」
「って、言いたいところなんだけどね」
 すっかり貰われてると思うけど、なんて言おうとしたところ、その言葉は強引に遮られてしまうのでした。むむう。
「さすがにさっきの話の後じゃあ、私もそうできてるとは軽々しく言えないんだよね。孝さんが、それに楓さんだって、どれだけ私のことを想って決めてくれたかって考えたらさ、『じゃあ私も』なんていうのはちょっと」
「そういうもん?」
「うん、そういうもん」
 どれだけ、と言われるほどに栞を想っていたのは、僕についても家守さんについてもその通りです。ですけども、そのことについてそんな感想を持たれるというのは、正直に言って心外――とまでは言いませんが、首を傾げたくなる程度には、意に沿わないのでした。
 だからと言って本当に首を傾げたわけではなく、また何を言ったというわけでもなかったのですが、しかしそれでも栞には伝わるものがあったのでしょう。それまで前を向いていた身体を横に向かせ、そこから更に首を回して、こちらの顔を真正面かつ至近距離から覗き込んでくるのでした。
 そしてそれでも僕の片手は傷跡の跡に触れたままで、その上から重ねられている栞の手も同じくそのままだったのですが、すると栞のその手に、きゅっと力が入ります。
 それはどうも無意識的なものだったわけではないらしく、というかむしろ明確に僕に何かを伝えるためのものだったらしく、それを指して栞はこんなことを言ってくるのでした。
「今でも充分って、孝さんがそう思ってくれるのは嬉しいし、それを否定するつもりは全然ないんだけど――そういう顔されるだけで、こういう気持ちになっちゃうんだもん。私からだって、ちょっとくらいお返ししたいしさ。『今でも充分』以上に」
「栞……」
「孝さんがそうしてくれるのと同じように、もっともっと孝さんのこと考えて、もっともっと孝さんのこと受け入れてあげたい。いっぱい考えて『全部』って言ってくれたんだもん、すぐに『じゃあ私も』じゃあ、勿体無いと思うし」
 勿体無い、か。
 そうか。そうだよなあ、もう結婚しちゃったんだし、これまでみたいに何かある度結論を急ぐ必要もないんだよなあ。そう思ったところで元々の性格がせっかちだから、結局はそれなりに急いじゃうんだろうけど。
 ――という感想と感慨もあったのですが、それとはまた別にも思うところがありました。
 前を向いて前に進むのは当然のことながら、後ろ向きな時でも前に進めてしまうこの人。僕が大好きなこの人を、ならば僕はどんなふうに好きなのか、と。
「分かりました。じゃあもうちょっと待たされてみますね、栞さん」
 栞は目を丸くしました。
 が、けれど、僕の意図はすぐに察せられたのでしょう。なんせあちらだって、その点については僕と同じなのですから。
「うん。待っててね、こうくん」
 引き出しの奥の方に仕舞う。栞が道端さんの前で服を脱ぐことに躊躇いを見せず、それについて僕が何も思わなかったことについて、家守さんはそんなふうに言い表していました。普段は意識に上らないけど必要な時は取り出せる、と。
 それはこの「お互いをどう好きか」という話にも当て嵌まることなのでしょう。


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