(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第二十一章 万能の過去とお客の現在 六

2009-01-08 21:01:22 | 新転地はお化け屋敷
「……ええ。それは薄々、って言うか結構、そうだろうと思ってた。そうでもなかったら気まずくて中々一緒にはいられないだろうしね、一回駄目になっちゃった彼氏彼女なんて」
「一緒にいるだけで満足しちまってたんだよ。だから結局、付き合う前も付き合い始めた後も、何も変わんねえで……。そりゃあ正真正銘惚れてるんだし、やりてえ事はいろいろあったけどな。でも、何も変わらねえ事に満足してたから――怖かったんだよ、何かが変わっちまうのが。お前もそうなんじゃねえのか?」
「そうね。そういう事なんだと思うわ。……普段が強気って言っても、肝心のところで弱気になるんじゃあ意味ないわよね。でもあたしは、それを認められなかった。あんたが好きなあたしは強気なあたしだから、自分が弱気だなんて、絶対に認められなかった。そうやって認めない間に……流れちゃったのよね、全部。気持ちだけ残して」
「残ってるんだよな、気持ちは」
「残ってるわ。認める認めないの問題じゃなくね」
「……分かった。今から答える。昨日の話に」
「…………」
「俺からも頼む。由依、もう一回、俺と付き合ってくれ。今度は変えてみせる。絶対にだ」
「ええ。……ええ、喜んで」


 あの後あの二人がどんな話をしたのかは分かりませんが、あんな事があったんだから何かしらの話はしたのでしょう。もう夜なんで、とっくに家には帰ってるんでしょうけど。
 ――さて、夜です。いつも通りに夜なのです。
「先生、今日のお献立は?」
「見ての通りです」
 分かっていて訊いているんだろう、笑みを浮かべながら尋ねてくる家守さんに、準備をしつつそう答える。正直言って、献立という言葉は相応しくないような気もしますが。
 そう、いつも通りの夜なので、いつも通りの夕食なのです。ちょっとだけ違うとすれば、ゲストに来ていただいているところでしょうか。
「高次さーん、今日は鍋だってー」
 切り分けた野菜がこんもりと載った大皿を居間へ運びながら、楽しそうに呼び掛ける家守さん。人が多い時はやっぱりこれが手っ取り早いし、何より楽しい。そういうわけで、普段より一人だけ人数が多い本日の夕食は、特に何の拘りもなく有り合わせの食材をごった返させる鍋であります。と言ってもそんなに特殊な食材があるわけでもなく、要は普通の鍋なのですが。
「なんか、悪いねえ。お呼ばれさせて貰っちゃって」
「いえいえ、結構よくある事ですし」
 家守さんに続いて飲み物(と言っても冷えた麦茶ですが)を運んだ栞さん、遠慮しがちな高次さんへそう返答。台所で鶏肉を手頃なサイズに切り分けている僕にはその声しか聞こえませんが、まあ確かにその通り。よくある事です。
「それにお鍋って、楽しいですもんね」
 そうそう。
「そここそがこーちゃん先生のモットーなんだよね、しぃちゃん」
「なんですよねー」
 なんですよ、とにやけて手元が狂わないように注意しつつ、頷いておく。台所で肉を切り分けながら独り何かに頷く男ってのは、ちょいと気味が悪いような気もしますが。
「えーと……鍋ばっかりやってる、ってわけじゃないよね?」
 わけじゃないですよ、高次さん。

『いただきます』
「いやあ、思ってたよりすんなり解決してよかったよ、今日は」
「だねえ。すんなり過ぎて俺、なんにもしてないけど」
「ふて腐れないの。悪い事じゃないんだから。アタシ等の仕事なんて、軽くて少ないほうが世の中平和なんだしさ」
「そっか。幽霊関係って言っても、それが困った事じゃなかったら、楓さん達のお仕事にならないですもんね」
「じゃなかったら、あまくに荘の中だけでも仕事だらけですよね」
「そゆこと。こーちゃんは困ってくれる前にしぃちゃんとラブラブになっちゃうしね」
『ラブラ……っ』
「あはは、被った被った」
「んー、それだけどさ、日向くんってあれでしょ? ここに越してくるまで幽霊の事どころか、自分が幽霊見えてるって事も知らなかったんでしょ? よくまあ、こんな事言っちゃ悪いかもだけど、喜坂さんと付き合えるまでになったねえ。それこそ困る事だってあったろうに」
「いやまあ、家守さんに相談に乗ってもらった事はありますけど……」
「それは霊能者としての仕事じゃないねえ。年長者としてのアドバイスだよ、ただの」
「まあ、そんな感じでしたよね。相談した僕が言うのも変な話ですけど」
「じゃあ、幽霊どうこうで困った事はなかった?」
「孝一くんはむしろ、助けてくれた側ですね。ほらあの、今朝の話とか」
「ああ、外で待たされたあれね。って事はあれは喜坂さんの話で……なるほどなるほど」
「外で待たされたって、根に持ってるねぇ高次さん」
「いやいやそんなんじゃなくて。だって、そう表現するしかないじゃないの。俺、話の中身いっこも知らないんだしさ。――あ、知りたいって言ってるわけじゃないよ?」
「わざわざ付け足すところがまたねえ」
「……どうしたらいいのよ、俺……」
「あはは、どうしようもないね。どうよこーちゃん、見た目はちょっとごついけど、可愛らしい人でしょ?」
「同意したら一層傷付きませんか、高次さん」
「お心遣い、感謝するよ日向くん……およよ」

『ごちそうさまでした』
 というわけで、見事に鍋の中身も皿の具材も売り切れ。完食でございます。もちろん僕達だって食べたけど、高次さん、僕達の倍は食べてたんじゃないでしょうか。さすがは逞しめな体格をお持ちだという話ではあるのですが、まあ、食材を共用していた中で「沢山食べましたね」と言ってもいい顔はされないだろうという事で、それは横へ流す。
「僕の話になってる時に思ったんですけど、家守さんと高次さんはどうなんですか? 幽霊が見えるんだし、それ関係で困った経験とかって」
「霊能者になれるくらいなんだし、困っても自分で解決できるんじゃない? 全部が全部じゃあ、ないだろうけど」
 尋ねた二人よりも早く帰ってきた栞さんの言葉に、それもそうだと内心頷く。幽霊関係で困った事を解決するのが霊能者であって、もし自分が困っていたりしたらそれは、医者の無養生と同じ事だ。
「ま、確かにそうだよね。特に俺なんかは家があれだからさ、自分が未熟でも周りがなんとかしてくれたし」
 と、霊能者家系の出である高次さん。
「と言っても、未熟な頃に会ってた幽霊なんて殆どがうちの宿泊客なんだけどね。幽霊関係の困った事って言うより、接客業の困った事ってののほうが多かったくらいかな」
 高名な霊能者家系であり、同時に幽霊専門の宿泊施設でもあるあの家。なるほど、そんな場面を想像するのはそう難しくもない。なんせ風呂の覗き対策で混浴を作るぐらいだし。そして思いっきりその混浴を使わせてもらったし。まるで思惑通りだし。いや、覗こうとしてたとかじゃないけど。
「アタシにしてもそうだねえ。家は普通だけど、一応は霊能者になろうって思える程度にそっち方面の能力あったし、小さい頃の夢が『幽霊さん達と一緒にでっかいお家に住む』なんてのだったりしたくらいだし。だから、困ったなって事はそうそうなかったんだけど……」
 家守さんもやっぱり高次さんと同じような感じか、と思ったけど、それを聞いてもどこかすっきりしない。小さい頃の夢っていうのは微笑ましい話だけど、いつもだったら自分の事を敏腕だとか万能だとか、ついでに美人だとか言っちゃったりしてるのに――なんとも、控えめな言い草じゃないですか?
 という事は。
「やっぱり、昔から今みたいには敏腕じゃなかったんですか?」
 言葉尻もなんだか歯切れが悪いし、何かがあったにはあったんだろう。と言ってその「何か」を聞き出そうというつもりもないので、こんな質問。
 しかし家守さん、予想に反して手をパタパタと左右に振るのでした。違うそうです。
「いやいや、昔っから――と言うかいっそ小さい頃から敏腕さぁ。まあ、霊能者でもないのに敏腕ってのは変な話だけど」
 そう答える家守さんはもう人をからかう時の顔でしたが、
「でも、それが駄目だったんだよねえ」
 そう繋げる家守さんはもう、どこか萎れた雰囲気を纏っているのでした。この人のこういう姿は普段のイメージとかけ離れていて、だからなのか、微妙な変化であるはずなのにはっきりと分かってしまうのでした。
「それが駄目だったって、どうしてですか? 悪い事じゃないですよね?」
 僕が分かるような変化じゃあ他の人が分からない筈もなく、と言ってまだ何も事情は知らないのに、この時点でもう励ますような口調の栞さん。それは栞さんがそうしたのか、家守さんがそうさせたのか、どっちなんだろう。
「うん、能力があるの自体は悪い事じゃないんだけどね。……でも、その能力を正しく使えるかどうかは、また別」
 そう言われてしまえば、予想がつかないでもない。何がどうなったかはともかく、能力を正しく使えなかったのだ。家守さんは。
「小学生にゃあ天狗になる要因でしかなかったんだよね、これが。気分は幽霊さん達の王様……いや、女王様か。やりたい放題だったよ、あの頃は」
 そこまで言って家守さんはくしゃっと微笑み、それからやや遅れて、「あはは」と声を漏らした。見ているだけで胸の内に重いものが現れるような、そんな笑い方だった。
「能力があったって経験もなしにやりたい放題やってるだけじゃあ、失敗もするよね。しかもそれが取り返しのつかない失敗だったりもした。この世から人が数人纏めて消えちゃうとか、そんなとんでもない失敗」
 家守さんは「実際にはあの世から戻ってこれなくなった、って事なんだけどね」と続ける。でもその一言があろうとなかろうと、家守さん以外の全員、口が利けなくなっていた。
「――それでも相手が幽霊だから社会的なお咎めはなかったし、天狗の鼻は伸びたままだった。そんでその頃の夢が、さっき言った『幽霊さん達と一緒にでっかいお家に住む』ってやつ。ぞっとするでしょ?」
 もう、微笑ましい夢だなどとは思えなかった。それじゃあまるで、幽霊をおもちゃだとしか――。
 それ以上は、考えたくなかった。家守さんはいい人だから、こういう冗談は言わない。だったら今言った事は本当で、でもそうだとすると、家守さんがいい人ではなくなってしまう。そんなふうには、考えたくなかった。
「それからどうなったんですか?」
「聞きたい? しぃちゃん」
「楓さんが今ここでそんな話をしてるのは、栞達なら聞いてもいいと思ってくれたからですよね?」
 眉間を狭め、半ば睨み付けるようにして家守さんと向き合う栞さん。確かにその通りで、聞きたいも何も、家守さんはもうとっくに話し始めている。それが今この場所でという事は、栞さんに高次さん、それに僕も、その話を聞くに足る人物だと思ってもらえているという事だ。自分自身の辛い話というものは、独り言で呟くのすら躊躇われるのに。
 栞さんの言葉に家守さんからも反論はないらしく、「うん」と一言。するとその途端に栞さん、にっこりと頬を緩ませました。
「なら、聞きたいです」
 その後にこちらへも笑顔を向ける栞さんへ、僕は同じく笑顔を返しました。多分、栞さんのその表情がなかったら、笑えてなんてなかったんだろうけど。

「なあ大吾、今日の客を見ていて思ったのだが」
「なんだよ?」
「庄子もあれと同じようにしてもらえばいいんじゃないのか? こちらが見えるようにもなれば、いろいろと接しやすいだろう?」
「あー、まあ考えた事はあるけどな……。ほら、こないだまで会うのは月一回とか決めてて――なんつーか、ちょっと遠ざけようとしてたとこ、あっただろ?」
「だがそれはあいつのを思っての事であって、嫌っていたわけではないだろう。嫌うどころかむしろ仲が良いほうだしな。なんせ愛してると言い合うくらいだし――」
「それを言うなそれを! 嘘じゃねえけど耳が痒い!」
「ほう? それは、わたしに言った時の話でも同じなのか?」
「その本人と二人だけなら別にいいんだよ。他の奴とする話じゃねえっつってんだ」
「そうかそうかそれは良かった。という冗談はともかく、どうだ? 庄子の件は」
「そうだなあ。俺が決めるこっちゃねえし、今度来たら聞いてみっか」
「本人の意思次第か。まあ、家守もそうさせるだろう。あいつは霊能者側で何かをする時、いつもこちらの意思確認をしてくるしな」
「んー、オレはそっちの方面で楓サンの世話になった事ってねえしな……。今回はそうだったけど、いつもなのか」
「ああ。わたしがここへ来てすぐ人の姿になりたいと言った時も、このあいだ猫の姿に戻ってしまってまたこの姿に戻ろうとした時も、両方ともで訊かれたぞ。どうしてそうなりたいかという理由まで聞かれたな」
「へー。んで、このあいだのほうは何て答えたんだ?」
「言わなくても分かるだろうと言っておいたが、つまりは愛する男がいるから、という事だな。あの時点ではまだ好きだという段階だったかもしれんが」
「…………耳がっ!」
「…………何故だ!」

 幽霊をほぼ自分の思いのままにできる家守さん。幼い頃のこの人が自分の能力にまるで危機感を抱く事無く酔いしれたように、周囲の幼い幽霊達もまた、家守さんの能力目当てに集まるようになっていた。幽霊の中でも大人な人の中には、そんな家守さんに注意を促す人もいた。だけど家守さんは全く聞き入れず、毎日のように幽霊と遊んだ。
 いや、幽霊「で」遊んでいた。
 このあまくに荘で猫を人の姿にしたように、人を動物の姿にしたりした。
 このあまくに荘で動物に人の言葉を送ったように、人に動物の言葉を使わせた。
 このあまくに荘で傷跡を消したように、傷を消し――時には、傷付けた。
「圧倒的に自分が有利なんだよ。だから自分が有利じゃなくなる人とは、あんまり付き合わなかったね」
 他人の目から見れば、幼い頃の家守さんは寂しい子どもだったんだろう。その他人の見えない所で、その他人の目には見えない人達と遊んでいるなんて、夢にも思わなかっただろうから。
 ――しかしそのうち、幼い家守さんは本当に寂しい子どもになってしまう。取り返しのつかない失敗。事情を知れば罪だとしか思えないような失敗。そんなものが数重なり、次第に家守さんは、幽霊の社会からもはみ出してしまった。
「それでもすぐには思い直さなかった――いや、もう更生ってレベルかな。すぐには、更正できなかった。悪い事をしたのは分かってるけど、でも自分は悪くない。無茶苦茶な理屈だけど、本気でそう思ってた」
 ことの程度が程度だけに笑って言う事はできないけど、子どもというのはそういうものなのかもしれない。もちろん責められるべき考え方ではあるんだけど。
 でも、その責められるべき考えを持っていた家守さんというのが、どうしても想像できない。僕が知っている家守さんは、時折出てくるいやらしい冗談ぐらいしか責める箇所が無いような人だから、という事だろうか。
「あの頃は――まあそんなだったら当たり前なんだけど、椛とも仲悪かったね。あー、仲悪いって言うよりは、避けられてたって感じかな? あの子も幽霊は見えてるんだけど、アタシと違って人当たり良かったしね」
 椛さん。家守さんの妹さんで、家守さんと似たようなノリで話すパン屋さん。確かに人当たりはいいけど、でも僕にとってそれは、家守さんにも言える事だった。だから、「椛さんって家守さんに似てるなあ、やっぱり姉妹ってだけはある」なんて思ったりしていた。――だけど今の話だと、家守さんが後から椛さんに似た、という事になる。
 ますますもって、信じられない話だった。
「それでまあ、さすがに中学高校ぐらいになると、どうにかしないとなって思い始めてね。で、どうにかした結果が今のアタシってわけ。みんなが知ってる『家守楓』だね」
 話はここで終わり、と言わずとも知らせてくるように通る声で、家守さんが締め括る。それに合わせて口を挟みにくかった雰囲気も薄まり、するとそこへ真っ先に声を挙げたのは、栞さんだった。
「どうにかしたっていうのは、自分一人でですか?」
 話の間家守さんは、少々の苦さが混じるところもあったとは言えずっと笑顔だった。それでも、栞さんから声が掛かると、その笑顔がより明るさを増す。その変化を見て初めて、話している最中の笑顔はいつものそれと違ったんだなあ、と気付ける僕なのでした。
「いやいや、それはやっぱり無理だよね。できる人もいるかもしれないけど、少なくともアタシには無理だった。居間に家族集めて反省したって言って……家族会議だよ、そこから。泣いていい場面じゃないって分かってても、やっぱり泣いちゃったりしてね。特に椛なんか、よくアタシの話に付き合ってくれるなあって」
「ああ、分かりますその気持ち。――って、軽々しく言っちゃ駄目ですよね」
「いやいや全然、軽くていいよ? 重ぉくなりたくてしたわけじゃないしね、この話」
 軽く慌てたような笑みを作る栞さんへ、いつものへらへら加減で返す家守さん。思い返してみれば、この話になったのは僕の何の気なしな質問がもとだったりしたわけで、そんな適当なところから出せる話だという事はつまりそういう事なんだろう。話している最中に少々表情が蔭るのぐらいは仕方がないとして。
 要は家守さんの中で、この話が既に解決済みな思い出話でしかないという事か。
「重くなりたい気分の時は、こっちのややごっつい人がいるから」
 という事でいつもの笑みからいつものいやらしい笑みになった家守さんは、高次さんの肩をぺしんぺしん。叩かれる側もにこにこしてます。人の紹介でややって言いますか。
「滅多にないけどね、そんな事。あー、思いっきりぶら下がられたいなあ、俺」
「えー? 今の話を始めてした時って、結構全力でぶら下がったつもりだったんだけどなあ」
 言いつつ、高次さんにしなだれかかってみたりし始める家守さん。こらこら、そういう事は自室でお願いします。
「いやあ、毒気がないって言うかね。もういっそ俺に八つ当たりするくらいに――ってのは無理だよな。ここに住んでりゃ毒気なんか溜まるはずもないか」
「そう思う?」
「だあって、今みたいな話を気楽に話せるような所だし。おかげで安心して海外に行ってられたぐらいだしなあ」
「へへえ、その事情は初めて聞いた」
 意外そうな声を挙げながら、高次さんの体から身を離す。よかったよかった、ここで変な事にならなくて。いやそりゃ、ならないでしょうけども。
「――でもまあ、そうかそうでないかと言われたら、そうだしね。今ここにいるのはしぃちゃんとこーちゃんだけだけど……いつも、お世話になっています」
「いえいえ、こちらこそ」
「こちらこそ」
 意外なところで頭を下げられ、栞さんと一緒に頭を下げ返す。本当の意味で「こちらこそ」だもんで、戸惑ってしまいさえするのでした。なんせ今まで、一方的にこちらがお世話になっていると思っていたので。いや、明確にそう考えてたわけじゃないけど、頭のどこかでなんとなく。
「そいじゃあ、今日はそろそろ引き上げますか。というわけでこーちゃん、明日も――ああそうそう、料理教室のほうも、いつもお世話になっています」
「いえいえ、それについてもこちらこそ」
 もう一度同じような話で頭を下げ合う事になりはしたけど、こっちについては先生という立場上、一方的にお世話になっているとまでは思ってない。それでも毎日夕食が楽しいので、やっぱり「こちらこそ」なのは変わらないんですが。
 さて、そういう事で玄関先。
「近いうちに月謝も用意するね。それではお二人さん、また明日」
『また明日』
「へー、喜坂さんが残るのは恒例って感じなのかな?」
 そこは口に出して触れないでいただけるとありがたいです高次さん。いや、見たまんまなんで文句は言えませんけど。
「何時くらいまで残ってるのかは知らないけどねー」
 そりゃ家守さんは知らないでしょうけど、にやにやしながら言わないでください。何を期待してるんですか何を。
「いいじゃないですか。それを言ったら楓さん達なんて、同じ部屋ですよ?」
「ほほう。しぃちゃん、結婚間近なアタシ達と自分達の話を一緒くたにしちゃうんだ?」
「しちゃいますよ。そんなに違うとも思わないですもん」
「キシシ、それもそっか。結局は一緒にいたいってだけの話だもんね」
 そういうものなんでしょうか。――なんて話を女性陣がしているその横で、それを聞いた高次さん。
「こんな事言い合ってるけど、日向くん、喜坂さんとはどれくらい?」
「ど、どれくらいって、何の話ですか」
「それはまあ、皆まで言いはしないけどさ」
「質問するのすら躊躇うのに、答えられるわけないじゃないですか……」
 とかなんとか言いつつ女性側の顔色を窺うと、二人揃って楽しげにニコニコしていました。止めてくださいよ。と言ってもまあ家守さんには期待なんてできませんから、せめて栞さんだけでも。

 さて、何事もなかったとは言い切れませんが、取り敢えずはお客さんがお帰りになって一息つく。食器は各自が流しに運んでくれたからいいとして、テーブルの上に置きっ放しな鍋の片付けは――今すぐじゃなくてもいいかな、なんて。
「孝一くん、お疲れだねえ」
「逞しいですね、栞さんは」
 わざとらしくテーブルに突っ伏し(まあ、相手に見せるためのポーズだと考えれば、らしくどころか間違いなくわざとなんですけど)、テーブルの向かいに立った栞さんを目線だけで見上げる。お疲れだねえと声を掛けてきたその人はまるで疲れた様子なんてなく、面白い生き物でも見るような目でこちらを見下ろし、腰に手を当てているのでした。
「ああいう話を聞いちゃったら、疲れませんか? もちろん嫌だとは言わないですけど」
 ああいう話というのがどういう話かというと、家守さんの小さい頃の話です。言わなくても分かってもらえるとは思いますけど。
「そりゃまあ、ね。でもそんな、ぐったりしちゃうほどじゃないなあ」
「結構キツい話だったと思いますよ? 正直。本人はまあ、笑ってましたけど」
「きつく感じちゃうのはやっぱり、孝一くんだからじゃないかなあ。真面目に受け止め過ぎるって言うか――まあ、栞は孝一くんのそういうところが好きなんだけどね」
 僕が本当にそういう性格なのかどうかは置いておくとして、つまり好みが分かれそうな性格って事なんですかね。でもまあ、栞さんに好かれられるならいいですけど。本当に誰にでも好かれるなんて人、全くいないとまでは言わないけど、そうそうにはいないんだろうし。
「片付け、栞がしとくね。お皿洗いくらいなら一人でできるだろうし」
「え? あ、いえいえそれくらいならまだ頑張れますから」
 不意に鍋を掴み上げた栞さんに追いすがるようにして、その下にあったガスコンロを持ち上げる。片付けや食器洗いぐらいで頑張るも何もあったもんじゃないとは思ったけど――と言うか、疲れてたと言ってもそれは気分の問題だったもんで、栞さんの「そういうところが好きなんだけどね」で吹っ飛んでしまっただけですけども。いやあ、実に単純。


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