(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第六章 月と太陽 七

2007-09-20 21:19:38 | 新転地はお化け屋敷
「………真面目な、真剣な話だぞ。絶対嘘じゃねえからな」
「だから、何なのだ? 何が言いたい?」
「オレよ、オマエの事が―――」


「孝治さんお帰りー。こちらがジョンとマンデーだよー」
 哀沢さんを所定の場所に送り込んで満足感とともに家守さん宅にお邪魔すると、裏の窓から居間に入ってすぐの場所で犬のカップルが綺麗に並んでお座りをしていました。BGMは椛さんが開くパンの包装の音でお送りします。
「ワウ」
「初めまして孝治さん。と言ってもわたくし達、裏庭から覗かせていただいていたんですけどね」
 ああ、僕は今始めてジョンとマンデーさんに会うって事になってるのか。
「初めまして。もう知られてるみたいですが、僕は月見孝治です」
 と普通に挨拶を交わしてからはっとする。相手犬じゃん。初対面って事は驚いたほうが―――でも見えてないんだし、これで合ってるのかな。周りの反応も……問題ないみたいだし。
 ふう、怖い怖い。挨拶一つでこんなに心拍数上げなくちゃならないなんて、先が思いやられるよ全く。
 先を思いやったところで、先へ進みましょう。
「……んぐっ。ちなみに孝治ぃ。マンデーはジョンと同じく犬さんだよ~」
 口の中のパンを少々無理めに飲み込み、椛さんがそう言った。という事は、僕はそれを知らなかったという事か。それでは。
「そうなの!?」
 ………これで合ってるだろうか。
「あら、事前説明は無しでしたの? こちらは盗み聞きで、孝治さんが見えない方だという事は知ってましたが……」
 マンデーさんがそう言うと、家守さ―――いやいや、お義姉さんが、自分の頭をぺしりとはたいた。
「そーいや曜日毎に姿が変わる、くらいしか言ってなかったねぇ。ごめんごめん」
 それを受けて、椛さんがまたパンを飲み込む。
「……んぐぐっ。あれ、わざとじゃなかったんだ。孝治を驚かそうとしてるんだと思ってたよ。だからあたし、ここに来るまでみんなの情報は伏せてたのに」
「椛さん、酷いなあ」
 ここらで自発的に喋るのにもチャレンジしてみた。まあ、してみたところでプラスもマイナスもありゃしないんですけどね。
「あ、あの………」
 ささやかなチャレンジが無事終了すると同時に、ここまで大人しかった栞さんがすっと立ち上がった。もしかして、お帰りですかね?
「栞、そろそろ行きますね」
 当たり。正直、この状況で人が減るのはありがたい。それに栞さんを騙して一緒にいると言うのも、長引くと気が滅入りそうだったし。
『行ってらっしゃーい』
 お義姉さんと椛さんが揃ってそう言うと、栞さんはそのままさっさと出て行ってしまった。ちょっと寂しい気もするけど、まあこのほうがいいのは明確なのであまり気にしない事にする。
 ところで、「ばいばい」とか「またね」でなくて「行ってらっしゃい」なのはただの軽口という事でよろしいのでしょうか?
 するとジョン―――さん? が僕のほうへと近付いてきて鼻をすんすんとヒクつかせた。
「ワンワンッ!」
 僕の顔を見上げながらジョンが吼えると、その後ろのマンデーさんが驚嘆の声を上げる。
「本当ですの? ジョンさん。………これは驚きましたわ。匂いまで全く一緒だそうですわよ、孝一さんと」
 ええそりゃそうでしょうよ。………じゃなくて。
「言葉が分かるんですか?」
 それが実は分かるんだよ、僕。
「うふふ、これでわたくしが犬だと信じてもらえたでしょうか?」
「あ、はい。まあ」
 ………見えない振りも知らない振りも、大変だ。


「―――そ………そんな、何を言っているのだ? 本当に変な物でも食ってしまったのか? わた、わたしをそんな………」
「オレは本気だ。だからもうオマエとあんな事になるような喧嘩はしたくない。オレのせいで落ち込むオマエも見たくない。だから………」
「はは、いやいや待て待て。この体を見ろ。ほれ、よーく見ろ。見たか? 可笑しいだろう、こんな幼い体なのだぞ? 釣り合う訳がないであろうが。自分の年を分かっているのか?」
「………そんなもん、関係あるかよ。オマエの体が大きかろうが小さかろうが、オレはオマエを―――」
「待て! 待ってくれ! ……何故だ? 何故、今なのだ? …………お前は卑怯だよ。わたしだって、今までずっとお前を………いくら何でも気付いていたのだろう? そんな事を言われたら、嬉しいに決まっているじゃないか。でもな、でもなぁ、自分はこんな体だからって、ずっと言い出せなかったのだぞ? それを、やっと諦めのつきそうになった今になって………」
「………それが嫌だったんだよ。オレは諦めるとかそんな言葉、オマエの口から聞きたくねえ。それを言わせてるのがオレだっつうなら尚更だ。………今日で初めて、やっとそう思ったんだ。だから、今日までかかっちまった。遅すぎたのは、時間が掛かりすぎたのは分かってる。文句言われても仕方ねえ。でも、それでもオレは」
「怒橋、本当にわたしでいいのか? わたしだってとても嬉しいのだ。後で後悔しても、きっともう止められんぞ?」
「考える時間はいくらでもあったんだ。今更後悔なんかするかよ」
「そう……か。そうだな。遅すぎたくらいだものな。それなのに、その間ずっと一緒にいたのだものな」
「ずっと一緒にいて、ずっと考えて、やっと出た結論がこれだけじゃあ情けない気もするけどよ――――オマエが好きだ、成美」
「ああ。…………ああ。わたしもお前が好きだ、怒橋」


 ピンポーン。
「おっ。早速お客さん第一号! よ、よし。気合入れて頑張ろう。はーい!」
「あ、こ、孝一くん。栞だよ。ちょっと話したい事があって……」
「喜坂さんか。えっと、栞さんでいいんだよね? よし。はいはーい! 今出まーす!」


「顔合わせも済んだしさ、もう遠慮せずにデートに行っちゃっていいよ? お二人さん。あんまり人の恋路を邪魔するのも気が引けるしねぇ~」
 椛さんは「椛さんが自分で作ったものだ」と孝治さんから聞いていた蒸しパンを後一口分だけ手に残し、ジョンさんとマンデーさんにそう勧めた。という事は……今日はまだ散歩に行ってないって事か。
「そうですか? それでは―――」
 勧められたマンデーさんは、ジョンさんの顔を確かめる。
「ワフッ」
「―――お言葉に甘えさせていただきますわ。お邪魔致しました」
 どうやらジョンさん、今の控えめな一吼えで椛さんの提案受け入れを表現したらしい。うむむ、全く分からん。
 それはともかくジョンさんとマンデーさんが裏庭へと続く窓から外へと踊り出て、部屋に残るのは僕とお義姉さんと椛さんの三人に。余計プレッシャーが高まったのは気のせいでしょうか?
 とここで。
「孝治ってさ、営業下手だよね~。タダでこんな美味しいのに、こぉんなに売りそびれちゃってさぁ」
「ご、ごめん………」
 椛さんが蒸しパンの最後の一口を口に放り込んで触覚をぴよんと揺らすと、パンが入ったリュックの口を広げ、中身をこちらに見せ付けて僕に非難を浴びせてきた。もちろんそれは僕がした事ではないけど、歯向かう訳にもいかないし、何より僕自身も営業が下手そうだったので素直に謝っておいた。
 すると今度はお義姉さん。
「そっちは『パン屋のおばちゃん』の役目でしょ。美味しいパンを作るのは孝治さんに任せて頑張るこったね、おばちゃん」
 こうなったらもう売り言葉に買い言葉で。
「おばちゃん言うな! そのおばちゃんの姉貴のくせに!」
「年なんか関係ないってぇ。アタシは誰にも『おばちゃん』なんて呼ばれてないもーん」
「ぐぬぬぅ~…………姉貴だって近所の子どもと接してれば絶対にぃ………」
「へへーん。ここに人なんて寄り付かないよーだ。アタシはずっと『お化け屋敷の美人管理人・家守楓様』で通るんだもんねー」
「そんなん自称じゃん! 姉貴が美人ならあたしは絶世の美女だね! 孝治! 異論ある!?」
 ……………ああ、このまま二人でやり合ってくれると思ったのに。そこで僕の出番が来ちゃいますか。
 で、どうしましょう。首を縦に振る事は簡単だけどそうしたら今度はお義姉さんが怖いような気もするし、かと言って新婚という設定のある僕がこんな外見の話で椛さんを負かせるわけにもいかないし………
「ど、どっちも同じくらい美人って事じゃあ………駄目かな? やっぱり」
 言うや否や、椛さんに思いっきり睨まれた。あー駄目だよねやっぱり。


「…………」
「…………」
「い、言ったのはいいけどよ………なんつーか、この後どうしたらいいんだ? 用事が済んだからってこのまま帰るのもなんか変だしよ」
「よ、呼び出したのはそっちだろうが。先に予定は組み立てておけ馬鹿者」
「な、んな事言われてもよ。殆ど勢いだったし、もともとこーいう話は苦手だし……」
「むむ……………よ、よし。じゃあ、すまんが持ち上げてくれんか?」
「…………こうか? 背負うんじゃなくて?」
「ああ。………も、もっと上だな。顔が正面に来るくらいまで………ええい! もういっそ抱っこで構わん! 抱け!」
「な、なんで怒んだよ。………これでいいのか? 普段背負ってるのとあんま変わんねーけど………」
「め、めめめ目を閉じろ! それからじっとしてろ!」
「おい、オマエもしかしてキ」
「言うな馬鹿者! 頼むから黙ってじっとしててくれ! なな、なるべくさっさと済ませるから……!」
「わ、分かった……」
「………………す……好きだぞ、怒橋……」
「………………!」
「………………」


「はーい」
「あのね、あの………あ、謝りに来たの。栞、ずっと感じ悪かったから。ごめんなさい、孝一くん」
「へ。…………あ、あぁあぁあれね。いやいや、気にしてないよ。大丈夫大丈夫」
「ありがとう………そ、それでね。もう一つ謝りたい事があって」
「ええ? え、えっと…………」
「この間のお花見でさ、孝一くんに言いかけたの………あれ、なかった事にして欲しいの!」
「え? な、なかった事? に?」
「本当にごめんなさい! こんな勝手な事言うのって最低だと思うけど、自意識過剰なのかもしれないけど! これまで通りの関係……って言うか、いつもみたいに何でもないお話ができる関係って言うか……そ、そんな感じでいさせてください!」
「あー、えー、そ、その、なんて言うか………」
「本当に、ごめんなさい!」
「あー……行っ……ちゃった。………何だろう。今のって雰囲気的にもしかして、振られたとかそういう話? ……これは………えらい話になっちゃったなぁ………あは、は」


「お世辞でもいいからあたしに勝たせてよぉ~。旦那なんだしさぁ~……」
 新婚ホヤホヤの旦那さんに裏切られてしまった椛さんはその場で後ろにバタンと寝転ぶと、こちらに背を向けて愚痴りだす。どうやらいじけてしまったようだ。
「ご、ごめん………」
 僕が旦那さんになってから、早くも二度目の謝罪。僕には旦那さんになる素質はなさそうだった。少なくとも椛さんの旦那さんには。
 するとあぐらをかいていたお義姉さんが、その姿勢のまま椛さんのほうへと体を傾けた。
「子どもみたいな事言わないの。お世辞も何も、孝治さんはあんたが一番だと思ってるよ」
 そうそうお義姉さんの言う通り。僕は夫なんですから、自分の妻の事を一番だと思ってますよ。……そこのところ、後で本物さんに訊いてみようかな。
 今頃は来客も無く、部屋でのんびりしているのであろう孝治さんの顔を思い浮かべる。もちろん僕と同じ顔だけど。そうしていると、椛さんがごろりと九十度とちょっとだけ回転してうつ伏せに。そして、床と横顔の隙間からその目が僕を見詰める。
「……本当にそう思ってる? 孝治」
「え、うん。もちろんその通りだよ」
 と言いつつ、もちろん僕は孝治ではない。
「ふぅ~ん」
 椛さんがにやける。顔のパーツは目しか見えてないけどにやける。これはどう考えてもよからぬ思い付きをした目だ。
「じゃあどうやって証明してもらおっかな~」
 そう言いながら椛さんがもう九十度回転。完全にこちらを向いたその顔は予見通り、嫌らしさを微塵も隠すつもりのなさそうな意地悪笑顔。そして顔がこちらを向くと同時に、床に抑え付けられていた触覚もぴよんと背筋を伸ばす。やあこんにちは。
 それにしてもこの笑顔、もう何度も見たような………やっぱり、お義姉さんの妹なんだなあ椛さんは。
 そんな事を考えてる間に椛さんが手だけで這うようにして上半身を起こし、そのまま同じく手だけを動かしてこちらにずりずりと近付いてきた。
「な……なに?」
 呼びかけてみても椛さんはなお接近。そして目と鼻の先に顔が……と思ったらまだ接近。え、あの、もしかしてこのまま? いっちゃいます?
 ………しかしそんな不安と雀の涙ほどの期待は破られ、椛さんの顔はこちらの顔の横、つまり耳打ちのような位置関係の場所で停止した。そしてその通り、耳打ちされる。力の抜けたような、ついでに聞いているこちらの力も抜けてしまいそうな、そんなか細い声で。
「愛してるって言ってみてよ」
「うぇ!?」
 小さく悲鳴を上げる僕。
「それが嫌なら、このままギュって抱きしめてくれるのでもいいよ」
「ふぇ!?」
 更に小さく悲鳴を上げる僕。
「大丈夫だよ姉貴しか見てないんだし。それくらいだったら冗談で済ましちゃうような人だってのは、孝治も知ってるでしょ……?」
 だったらなんでわざわざ耳打ちなんですか! そんな扇情的な―――じゃなくて! そんな小さな声で言わなくても、冗談なのなら堂々と言ってくれればいいじゃないですか! そうすればこっちだって堂々とお義姉さんに助けを求められるのに!


「…………し、してしまったな……」
「……ああ………って、なんかヤな言い方だけな」
「つ、突っ込むな。………それに、さっさと済ませると言った割には結構な時間していたような……」
「詳しく言うんじゃねえよ恥ずかしいだろが。しかも、そう言ったのオマエだろ」
「ま……まあそうなのだが………すまん。嬉しくて嬉しくて、つい」
「謝るこたねーだろがよ。オレだって嫌だったわけじゃねえ。……ちっと驚いただけだ」
「驚く? わたしがこういう事をするのは、意外か? 似合わんか?」
「ああいやなんだ、そんな気にされると困るっつうか―――悪い、またオレ余計な事言っちまったな。この癖、早くなんとかしねーとな……………んむっ!?」
「……………」
「………………な、なな、なんで、また?」
「………これから、お前の悪い口はわたしがこうして塞いでやる。だから、『悪い事を言ってしまった』と後になってから落ち込むな。わたしだって弱音を吐くお前は見たくない」
「な、なんつーか………ここ、礼を言う場面か? それとも、冗談っぽく返す場面か?」
「好きにしろ。ただし、返答次第ではまた口を塞ぐからな」
「あー…………」
「――――――いや、すまん。やっぱりクサ過ぎた。無かった事にしてくれ頼む」
「ああ、分かった。オレもどうしたもんだか悩んでたとこだ」
「あ、でも弱音を吐くお前を見たくないというのは本当だぞ? 口ではさすがに無理かもしれんが、いざそうなったら手で塞いでやるからな」
「分かったよ。で、これからどうする? もう部屋に戻るか?」
「…………折角だから、まだ暫らく一緒にいたいぞ。わたしは」
「そ、そうか。まあオレもそうなんだが」
「嫌らしいやつだな。自分もそう思ってるのに、わたしに先に言わせるなんて」
「わわ、悪い。じゃあどうすっかな…………オレの部屋でも来るか? こういう時に行く所とか、どーも思いつかなくてよ」
「ああ、それでいいよ。わたしも思いつかん」


「あーらあらベタベタしちゃって。そんじゃあお邪魔虫は去るとしますかね」
 お義姉さんが、唯一の掴むべき藁が、これまた嫌な笑顔を浮かべて立ち上がってしまった。お邪魔じゃないですから、お願いですからここにいてくださいぃ~!
 ………と、僕が心の中で悲鳴を上げてるのは知っての上なんだろうな。あの顔は。
「どこ行くの? 姉貴」
「お茶飲んでくるだけだよ。できるだけゆっくり飲むからさ、やりたい事があるんならアタシが戻ってくるまでに済ましちゃってよね。相手がいないアタシにゃあちょいとキツ過ぎるわ」
 うわあ生々しい。
 でもそう言いながら楽しんでるんだよなーこの人って。なんかもう、羨ましくすらあるなぁここまでなんでも楽しめちゃうっていうのは。なんせ今僕は楽しむどころじゃないですから。
 お義姉さんがすたすたと台所に消えていくのを、僕と椛さんは目で追う。そしてその後ろ姿が完全に見えなくなると、
「………姉貴もいなくなったよ? ねえ孝治ぃ、どーするぅ?」
 だだだから、耳元で囁きかけないでくださいってぇ………力が抜けるし、変な気分に……
「か、かか、勘弁してよ椛さん……いなくなったって言ったって、見えてないだけですぐ隣に……」
 だが実際はそんな事が理由なのではなく、状況がどうあれ手を出してはいけないのだ。だって僕は、月見孝治さんではないのだから。……ぶっちゃけ、ちょっと忘れかけたけど。
 すると椛さん。僕が拒んだのが意外にも効いたのか、耳元の顔と、既に密着状態だったそのよろしげな体をすっと引き離してくれた。
 引き離されたその顔は、きょとんとした表情で………でもホッとしたのも束の間、またすぐに意地悪そうな笑顔に元通り。そしてにやにやしたまま立ち上がると何を思いついたのか、お義姉さんのいる台所へと歩き去ってしまった。僕、居間に一人。
 嗚呼、短い夢だったなあ………しかし、いい夢だった。実にいい夢だった。が、立ち去り際に見せたあの顔は、この後何かある前兆と見て間違いはないだろう。緩んでる場合じゃないなこりゃ。と言うかもう逃げ出したほうがいいんじゃないだろうか?
 とか思った途端に御姉妹が揃って居間に帰還。到着したのが二人揃ってならば、にやにやしてるのも二人揃って。ああ、お義姉さんまで敵に回っちゃいましたか。
 ………で、一体なんでしょうか? 場合によっちゃあ本気で逃げますよ?
 お二人は、適当にそこらに座るでもなく居間に入ってすぐの所で立ったまま。そしてお義姉さんが壁にもたれかかると、その見るだけで疲れてしまいそうな笑顔が通常の顔に戻る。余計怪しいのは言うまでもなく。
「ねえ孝治さん、今日って朝早かったんでしょ? 疲れてないですか?」
「え、あ、まあ、はい」
 別に朝早くないですけどもう疲労困憊ですよ。僕が本当の孝治さんだったら、それこそもうヘロヘロでしょうね。………で?
「もし良かったら、お風呂使ってください。お湯出るようにしときましたんで」
「あ、ありがとうございます。でも………」
 いや、せっかく勧めてくれてるのに断るのはちょっと「孝治さん」じゃあないかな。かといって入ってしまえばあちらの思うつぼだし―――そうだ。
「椛さん、先に入っておいでよ。僕は後でもいいからさ」
 まずは敵を分断させる。そして残ったお義姉さんに、それこそもう疲れて疲れてたまらないとでもそれとなくアピールすれば攻撃も取り止めてくれるのではないだろうか? 少なくとも、椛さんよりはお義姉さんのほうが「孝治さん」に好意的に接してくれる筈だ。妻より義姉のほうが好意的ってのも変な話だけど。
 しかし、何にせよこれはいける。絶対いける。椛さんだって、お風呂を先にと勧められて断る理由も無い筈だ。理由が無いのなら「いやいや孝治が先にどうぞ」と言われても、いやいやどうぞどうぞ合戦で粘ればそのうちなんとかなる。完璧だ。
「ねえ孝治、一緒に入ろうよ。そっちのほうが効率いいじゃん」
 んなにいいいいぃぃぃぃ!?
 ま、ままままさかそうくるとは……! 完全に虚を突かれた! どうする!? どうやって乗り切る!? …………く、くそっ! これしかないのか!
「い、いやいやそれはちょっと………ねえ? お義姉さん」
 勝率はとてつもなくうっすい。だって頼みの綱さえも敵なんだもの。
「ん? じゃあアタシも御一緒しちゃおっかなー」
「はいぃ!?」
 何が「じゃあ」!? 夫婦と言えどはしたないんじゃないですか? って言ったつもりなのに、お義姉さんまで一緒に入るですと!? なんですかそれ、見張り役って事ですか? 間違いが起こらないように見張りを立てれば、はしたなさはオールオッケーですか? 日本って、そういう文化があったんですか? そりゃあこれまで妻はもちろんの事彼女すらいませんでしたから、もしかしたらそんな僕の知らない世界も―――ある筈ないでしょうが!
「いやほら、昔みたいに三人で背中の洗いっことかしてみようかなーって。小さい頃よくやったでしょ? 孝治さん、憶えてない? たまには童心に返ってみよっかなーみたいな」
 童心に返ったところで体は大人のままなんですよ! ………いやまあ、僕まだ未成年ですけど………じゃなくて! そ、そりゃあいくらなんでも無理ってもんなんじゃないですか!?
「あたしは構わないけどさー、ここのお風呂に大人三人は狭いんじゃないの? 姉貴」
 構ってよ! 僕に構ってよ! ……いや、ちょっと違うか。
「そ、そうなの? ほら、無理ですってお義姉さん。三人どころか、二人も厳しいんじゃあ……」
「何よ~。孝治、あたしと一緒にお風呂入るのそんなに嫌? 本っ当、恥ずかしがりやさんだよねぇ~。姉貴もあたしも気にしないって言ってんのにさぁ~。男なら大喜びだよ? 普通は」
 もう、普通じゃなくて結構です……勘弁してください………
「まぁまぁ、無理かどうかは入ってから考えりゃいいじゃないですか孝治さん。ほらほら行きましょ行きましょ」
「そうそう。姉貴が無理だとしても、あたしと孝治は一緒に入るんだからね」
「えっわっあのっちょっとおぉぉぉ………」
 結局、二人掛かりで連行される。ヤバい。これはかなりヤバい。これまでの人生で最大級のヤバさかもしれない。ヤバさを越えた先にあるのは楽園かもしれないけど、そこに踏み入ってしまったら人生が終わる。
 風呂場へと引きずられている間、その終わった人生を想像してみる。最悪のシナリオとしては、ここに住めなくなるかもしれない。みんなから白い目で見られて、後ろ指指されて、陰口叩かれて………うわああああああああああああああああああ!
「ま、待ってくださいごめんなさい! 僕、孝治さんじゃないんです! 孝一です!」
 言ってしまった後は、それはもう連行される宇宙人の如くに脱力。しかし支える人の身長が自分とほぼ同じなので、その場に膝から崩れ落ちる。
 ………もう、いい。脱衣所の敷居という最悪の一線さえ超えなきゃ、あとはもうどうなっても………ああ、僕の楽しかった半月ちょっとの生活とはこれでお別れか……それでも風呂場に入りさえしなきゃ、まだ人間関係の修復は可能なレベルですよね? 大吾のお悩みに勝手に答えちゃったりもしたけれど………時間が経てば、頑張って償えば、まだなんとか
『知ってたよ~』
 は?


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