(有)妄想心霊屋敷

ここは小説(?)サイトです
心霊と銘打っていますが、
お気楽な内容ばかりなので気軽にどうぞ
ほぼ一日一更新中

新転地はお化け屋敷 第四十五章 お引っ越し 八

2012-01-09 20:53:15 | 新転地はお化け屋敷
 どうやらここへ来るまで何も知らされていなかったらしい庄子ちゃんへ、いろんな説明を。
 猫さんと成美さんに何があったか、
「あー……いや、でも解決したなら良かったです」
 この部屋の様子がいつもと違うのは何故か、
「おおっ、おめでとうございます。――あはは、昨日も言ったばっかりですけどね」
 そして最後に、成美さんの名字が哀沢でなくなったことも。
「マジで!?」
 それら全てに新鮮な反応を見せた庄子ちゃんでしたが、一番はやっぱり、成美さんの名字のようでした。なんせそうなった第一の理由が「庄子ちゃんがそれを望んだから」って話でしたし、だったらそうもなりましょう。
「やばい、感激のあまり涙が」
「そこまでかよ、いくらなんでも」
「う、うっさいな……」
 悪態を吐きながらごしごしと涙を拭う庄子ちゃんですが、するとそんな庄子ちゃんの傍へ成美さんが。
「ありがとう、庄子。こうする決断ができたのはお前のおかげだ」
 そう言って、成美さんは庄子ちゃんを抱き寄せました。涙を流すその顔を、胸に押し付けるようにして。
「……さっきは旦那さんをぎゅってしてたのに、大忙しですね。成美さんの胸」
「それだけわたしは幸せ者だということだ」
「一回こうして隠れちゃうと、泣き止めるまで恥ずかしくて動けないかもです」
「ああ、構わんさ。こんな平たい胸でよければいくらでも貸してやる」
 ついに自らネタにし始める域にまで。なんてことを言っていい雰囲気でないことぐらいはまあ、分かってはいますとも。
 で、暫くののち。
「そういえば、昨日の話ですけど」
 滲み出る涙を引っ込め成美さんの胸から顔を離した庄子ちゃん、すると即座に次の話題を持ち出すのでした。
「家守さんの妹さん、で、いいんですよね?『椛さん』って。電話してた時、今日来るって感じの話だったと思うんですけど……」
 えらくたどたどしい口調の庄子ちゃん。どうやら、椛さんには会ったことがないようでした。
 ともあれ、椛さんの話題になればそりゃあ反応するのは家守さんです。
「ああ、うん。まだ来てないけど、この後来る予定。怖いやつじゃないから大丈夫だよ」
 確かにそう腰を引かせて尋ねるような人ではありませんが、するとそこで高次さんがにやにやと。
「そうだな、楓がもう一人増えると思ってもらえれば」
 ……ま、まあ確かに。
「ちょっと高次さん、そう気安く嫁を増殖させるんじゃないよ」
「はっは、嫁としては一人で充分だしなあ」
「それって、嫁にするのは一人だけだ的なこっ恥ずかしい意味か、それとも増えるなんて勘弁してくれっていうド失礼な意味か、どっちなのかね」
「どっちだろうなあ?」
 どっちもなんじゃないですかねえ、多分。
「と、とにかくあたしはあんまり心配することなさそうですね」
 やや慌てた調子で話を纏めた庄子ちゃん。出来た気配りではあるのですがしかし、残念ながら案外よくある展開なんですよね、家守さんと高次さんのこのじゃれ合いって。
「あそうだ庄子、その椛サンのことだけどな」
「ん?」
「妊娠中だから、そこらへんは気ぃつけとけよ」
「そ、そうなの? うん、分かった」
「まあ初対面で無茶するってこともねえだろうけどな」
 大吾のそれは重要なアドバイスでしたが、ほっとしたばかりの庄子ちゃんは再度硬くなってしまいました。
 だというのに、そんな庄子ちゃんへ大吾から更に一言。
「あ、椛サンの旦那サンも来るって話だっけ」
「そうなの?」
「まあでもいい人だから。強いて言うならそうだな、孝一みたいな人って感じか?」
 きっとそれが言いたかったんでしょう、大吾はにやにやしていました。そして、周囲のみんなもそれと同じく。
 僕自身としましては、何が「強いて言うなら」なんだか、と。強いる要素なんて何一つないというのに。
「へー……って、兄ちゃんが日向さんを素直にいい人扱いするってなんか気持ち悪いなあ」
「そうか?」
 違和感には気付いた庄子ちゃんですが、まさかそこから真実に辿り着くなんてことがあるわけもなく。そして周囲のこの様子からして、この場でネタばらしなんかするわけにもいかず。
 ならばここは、顔を合わせた瞬間の反応を楽しみにしておきましょうか。
 なんてことを考えていたら、何やら栞が耳元へ顔を寄せてきました。
「孝さんがいい人っていうのに異論はないみたいだね、庄子ちゃんも」
 そりゃまあ、当人が目の前じゃあ異論を挟むわけにもいかないでしょうよ。……なんて、口にすらしない照れ隠しをしておきました。
 返事をしない、というか出来ない僕に対し、栞は悪戯っぽい笑みを浮かべていました。
 で、気が付いてみたら庄子ちゃんはそんな僕達をじっと眺めていたわけですが、しかしまあ栞が言ったことは聞こえてはいなかったでしょう、耳打ちでしたし。
 自分がその栞の言葉を否定しなかったことを考えると「そうあってくれ」と願うばかりなのですが、しかし庄子ちゃんは栞の耳打ちについて何も言ってこなかったので、実際どうだったのかは分からずじまいなのでした。
 そしてその代わりに、こんなことを。
「そうだ。栞さん日向さん、あっちの部屋も見せてもらっていいですか?」
 にわかに家守さんが楽しそうな顔をしてみせるわけですが、まあしかし。
「取り敢えず運び込んだだけでまだ整理はしてないけど、それでもよかったら」
 だからといって変にうろたえるのもなあ、ということでここは気前の良さを発揮しておきました。いや、気前どうこうの話じゃないんでしょうけどね、実際は。
「えへへ、じゃあお邪魔させてもらいます。うーん、新婚さんの部屋だと思うとちょっと緊張――」
 緊張していたらしい庄子ちゃんはしかし、すらりとふすまを開いたところで、言葉も動作もぴたりと停止させてしまうのでした。
 なんでってそりゃあまあ、目の前のでかい家具が原因なんじゃないでしょうか。家具というか寝具……というか、ダブルベッドなわけですが。
 庄子ちゃん、そういう仕掛けの人形か何かのように小刻みな動きで振り返りました。振り返ったその相手は僕と栞ではなく、大吾でした。
「すごい」
「なんでオレに報告すんだよ」
「……でもすごい」
「何が『でも』で、なんで二回言ったんだよ」
 大吾は律義に突っ込みを入れましたが、庄子ちゃんはそれを無視。再度小刻みな動きでギチギチと、今度は僕達のほうを向きました。
「も、もしよければその、寝っ転がらせてもらっても?」
 どうやら庄子ちゃんの緊張は家守さんが期待していたようなそれとは違ったものらしく、こちらとしてはほっとさせられます。そりゃまあそうですよね、家になければ滅多に見るようなもんじゃないでしょうし。というか即厭らしい思考に直結させる家守さんが特殊なだけなんですよね、多分。
 ――ところで質問のほうですが、それに対する答えは瞬時に頭に浮かびましたが、しかし一応ということで、僕は栞の顔色を窺うことにしました。まだ自分達も横になったことがない、というのはまあ、あるにはあるわけですしね。
「いいんじゃない? 別に」
 こちらから尋ねるまでもなく栞はそう言いました。僕と同じく、栞もあまり気にしていないようです。考えてみればサンデーとナタリーさんがもふもふしてましたしね、組み立て直後に。
「だそうなので、どうぞ遠慮なく」
「ありがとうございます!」
 許可を出したところえらい勢いでお礼を言ってきた庄子ちゃんですが、その後の動きはそれに反してゆっくりなのでした。そりゃまあ他人の所有物なんですから、荒っぽく扱うわけにはいかないんでしょうけど。
 で、そのゆっくり庄子ちゃん。ゆっくりベッドの縁に腰を下ろすと、そこからまたゆっくりと身体を横倒しにするのでした。
「うお~すごい~」
 湯船に浸かった時に出しそうな声を漏らす庄子ちゃん。まあなんというか、だらしないです。ベッドなんてだれるためのものなんですから、それでいいんでしょうけど。
 改めてこりゃいい買い物したな、なんて思っていたらばそこへ大吾、そんなだらしない妹が恥ずかしいのか、「語呂無さ過ぎだろ……」と弱々しく呟きながら手で顔を覆ってしまうのでした。

 それから暫く。満足した庄子ちゃんがほっこりした顔で戻ってきたところで、ピンポーンとチャイム音が。少し前にそれっぽい車の音がしていたのでもしかしたらと思っていたのですが、どうやらついにご到着のようです。
 それに際して庄子ちゃんに緊張が走ったようでしたが、まあご本人と会ってしまえばそう長く続きはしないでしょう。
「はーい」
 そんなことを考えている間に栞が返事をし、同時に玄関へ。だったら二人出ることもないかな、ということで僕はその場に止まったのですが、
「おっ、不動のままとはいいふてぶてしさだねえ。もう亭主っぽさ発揮しちゃってる感じ?」
「え? あ、いや、別にそういう」
「キシシ、冗談冗談」
 まあでも、いずれは自然とそんな感じになってくるものなんでしょうか。大体の家庭はそんな感じなんでしょうし。
 ――なんて一瞬思ったのですが、しかし次の瞬間には「不意に幽霊のことを知らない人が訪ねてくることもあるかもしれない以上、それじゃ駄目だよなあ」と。表向きには誰もその部屋に住んでいないことになっている幽霊の一人暮らしならともかく、僕と同棲しているならそういうことも起こり得るんですもんね。セールスマンやら新聞の勧誘やら。
 というようなことを考え、しかしそれでもやっぱりじっとしていたところ。
「ああこーちゃん、冗談だって」
「いや、トイレです」
 そういった理由で結局は席を立つことになったのでした。
 トイレへ行くには廊下へ出なければならず、ならば迎えに出た栞と玄関で二言三言の挨拶を交わしている月見夫婦とすれ違うことにもなったのですが、それ以上玄関で足止めするのもどうなのか、ということで僕は挨拶と「どうぞどうぞ」だけ言っておいてそのままトイレへと。
 椛さんのお腹のことを考えるとあんまり立たせっ放しっていうのはなあ、なんて考えもあっての行動ではあったのですがしかし、まあ気に掛け過ぎだったりもするのかな、とも。なんせ椛さんご本人が、まるで普段通りの様子だったのです。
 お客様の入場で湧き起こった賑やかさをトイレの中から壁越しに聞き届けながら、しかし僕が考えるのはさっきの話です。
 結婚して同棲まで始めた僕ですが、さて自分はこれから先、家守さんが言っていた「亭主っぽさ」とやらが身に付くのでしょうか? そして身に付くとして、けれど世間的には独り身でもある僕は、それを身に付けるべきなのでしょうか?
 なんでまたそんな面倒なことを考え始めたのかと言いますと、「亭主っぽさ」に対するイメージです。家守さんはふてぶてしいと言っていましたが、しかしそれは冗談なのでともかくとしておきまして――その亭主っぽさという言葉を頭に浮かべてみるに、どうもそこには「物事に対してどっしり構えている」というイメージが付随してくるのです。飽くまでも僕がそう思うというだけの話ですが。
 で、それに対して僕です。どっしり構えている――うーん、似つかわしくないんじゃないかなあ、と。栞とのこれまでを思い返してみるに、どっしり構えるどころか何かにつけて慌てていたような気がしますし、そしてそれが間違っていたとも思っていないわけですし。
 要するに、変わる機会があったところで変わる必要はあるのかなあ、という話です。
 ……が、そんな話がトイレに入っている時間だけで終息するわけもなく。特に答えが出ないままトイレから出た僕は、そのまま居間のほうへ向かうことにしたのでした。
 したのですがしかし、その到着前に。
「孝さん」
 居間のほうから栞が現れ、僕を呼んだのでした。
「あ、飲み物出しに?」
 居間、トイレ、どちらからでも廊下に出ればすぐ台所。というこの部屋の構造上、今いるこの場所には冷蔵庫もあります。なら栞が出てきたのはそういうことなのかなと判断した僕は、ついでに「あの人数分のコップを一度に用意するのは大変だしなあ」とここではよくある問題についても頭を働かせてみます。
「ううん、そうじゃなくてね」
 が、違ったようでした。
 そうじゃなくてね、と言った栞はしかしそれ以上は何も言わず、逆に口の前に人差し指を立てるのでした。どうしてそうなるのかはともかく、息を潜めろ、ということだそうです。
 そうしてお互いに黙ったまま促されて移動したところ、そこは廊下の角。栞の不審な動きを見るに、どうやらここからこっそりと居間の様子を窺い見る、ということだそうです。椛さんと孝治さんが来たということもあり、なんでこんなこと、と思わないではないのですが、取り敢えずはそれに従ってみました。
「早く見てみたいです、日向さんとそっくりって」
「いやあ、あんまりそっくり過ぎて驚くと思うよ、庄子ちゃん」
 …………。
「でも椛さんの旦那さんってことは、年は違うんですよね? それでそっくりって、ちょっと想像つかないんですけど」
「実際僕もちょっとショックだったんだけどね。五つも年上の人と瓜二つって、僕って実は老けてるのかなあって」
 …………。
「うーん、そんなことないと思いますけどねえ。むしろ年下に見られそうな気がするんですけど」
「あはは、ありがとう。若い子にそんなふうに言ってもらえると嬉しいよ」
 例え相手が中学生でも十八の男は「若い子」なんて言い方しませんよ孝治さん。五つ……二十三でもまだ言わない気もしますけど。
 というわけで。
「なんでああなったの?」
「なったというか、したの。みんなで」
 打ち合わせの暇なんて殆どなかっただろうによくもまあ、と呆れ混じりの感心を禁じ得ないわけですが、まあそれはともかく。
「僕、どうやって出ていけば?」
「そこは誰も考えてないと思うよ?」
 栞はにっこりしながら言うのでした。
 大まかに言えば、僕として出ていくか孝治さんとして出ていくかの二通り。はてどうしたものかと思考を巡らせていたところ、それとは直接関係しないながら、思い付くことがありました。
 服です。いくら顔や背格好が僕とそっくりとはいえ、いきなり服が変わっていたら「あれ?」ぐらいは思う筈なのです。トイレ行って帰ってきたら着替えてたって、不自然ですしね。
 というわけで改めて僕に成り済ましている孝治さんを窺い見てみたところ、
「……ぐっ、服まで似てるし」
 全く一緒とは言わないまでも、言われなければ気付かない程度には似ていたのでした。もちろん、それについては偶然なのでしょうが――。
「もしかして、あの服見て思い付いたとか? 僕と入れ替わるって話」
「まあ、そうだね」
 迷いを見せることもなく、素直にこくりと頷く栞。
「じゃあ主犯は栞なわけだ。庄子ちゃんと一緒にあそこにいたみんなじゃあ、服を見てからそうしようと思っても間に合わないし」
 孝治さんの服装を見てから孝治さんが「孝治さん」として庄子ちゃんの前に現れる前に、この悪戯を思い付ける人物。孝治さん当人と椛さんは庄子ちゃんがここに来ていることを知らなかった筈ですし、例えそうでなくとも初対面でいきなりそんなことをしようとするのは考え難いところ。というわけでその二人を除外するなら、もう栞しか残らないわけです。
 栞、「あ」と口を手で押さえます。しかしその手遅れにも程がある手はすぐに、ゆるゆると下ろされたのでした。
「……えへへ、ごめんなさい」
 別に怒ったわけではないですが、しかし何も無しに許すのも間が悪いというか何と言うか。というわけで、
「ふわあ、いひゃい、いひゃい」
 両のほっぺを引っ張り伸ばしておきました。
「……って咄嗟に言っちゃったけど、あんまり痛くなかった」
「そりゃまあ痛いほど引っ張ったつもりはないし」
 それでも栞は頬を手ですりすりしていましたが、さて、それはともかくどうしましょうか。
「ちなみに栞、どっちがいいってある? 孝治さんに成り済まして出ていくか、僕として出ていくか」
「成り済ましたほうが面白そうかな」
 今度は逆にほっぺを両手の平で押し潰してから、僕はその言葉に従って居間へ進み入りました。
 入ってからまず何と言うかはあまり考えておらず、周囲の反応を見てそれに乗っかればいいや、ぐらいに思っていたのですが、
「うわすごい、本当に日向さんそっくり!」
 僕にそっくりだと、僕を見て言う庄子ちゃんなのでした。そりゃそうでしょうよ。
「あ、いや、いきなりすいません。あたし、怒橋庄子っていいます。そこの人の妹です」
 視線で大吾を指し示しながら、そんな自己紹介を受けました。ならばここは、こちらからも返すのが筋というものでしょう。
「初めまして。僕は月見孝治っていいます。そこの人の――」
 庄子ちゃんと同じように、視線で椛さんを指し示します。
「そこの人の――」
 ならばもちろん椛さんと目が合うわけですが、その姉譲りな厭らしい笑みを見ていると、どういうわけが次の言葉が喉を通ってくれなくなってしまうのでした。
 ちなみに、それに際して栞の顔が浮かんだりも。さっきのことがあってか、伸ばされたり潰されたりした顔も混じってましたが。
「……そこの人の、夫です」
 結局椛さんから目を逸らし、顔を俯かせ、あまつさえその顔を手で押さえまでしてようやく、言わなければならないことを言い切れたのでした。
「え、ええと、初々しい? ですね?」
 そこで怪しむではなくフォローを入れてくれるとは、なんて優しいんでしょうか庄子ちゃんは。
 ええそりゃ初々しいでしょうとも。夫どころか、彼氏になったことすらないんですから。
「もー、初対面の人の前でくらいしゃきっとしてよね。あ、な、た」
 うぐおおおっくぅううう!
 話を合わせるにしたってなんでそんなにノリノリなんですか椛さん! ってそりゃあ椛さんだからですよね!
「な、なんか大丈夫ですか? 照れてるどころじゃないくらい真っ赤ですけど、熱とかあるんじゃないですか? トイレ行ってたのも、気分が悪かったとかじゃあ」
 照れてるどころじゃなくても照れてるだけだし、トイレ行ったのはトイレ行きたかったからなんだよ庄子ちゃん。ごめんね、なんか、騙してる立場なのにそんな気を遣ってもらって。
「大丈夫じゃないですけど、お構いなく。いやあ怒橋くん、優しいね妹さんは」
「お、おう」
 大吾を「怒橋くん」なんて呼ぶのは若干気持ち悪かったのですが、大吾からすれば余計に、なのでしょう。軽く話しかけただけだというのに言葉を詰まらせるのでした。
 が、僕も気付きませんでしたが大吾、その動揺のせいである失態を犯していました。
「……ちょっと兄ちゃん、『おう』って何さ『おう』って。昨日栞さんを呼び捨てにするの止めたばっかなのに、他の人にそれじゃあ意味ないじゃん」
「え? だいごんそうなの?」
 宜しくない展開を是正しようとしたのか、はたまたその言葉通りに興味を持っただけなのか、庄子ちゃんの話に椛さんが食い付いてきました。
「あ、えっと、まあ。喜坂って呼ぼうにももう喜坂って名前じゃなくなってるわけですし、だったらいい機会だしちゃんとしとこうかなってことで」
 椛さんの真意はともかく、宜しくない展開を回避できそうということで、大吾もそりゃあ食い付き返します。
 ……が、話からは逃れられても庄子ちゃんの不機嫌な視線からは逃れられません。むしろ不機嫌さを増しているその目が訴えるのは「話を逸らすな」ということか、それとも「椛さんには敬語なのかよ」ということか。その不機嫌さを言葉にして出さないのは、椛さんが出した話題だからなんでしょうけども。
「……すんません椛サン、オレちょっとキツいです」
「あ、そう? いやあ、意外なところから崩れちゃったねえ。それはそれで面白いけどさ」
 椛さんの口から、崩れちゃったという言葉が。何が崩れたのかというのは言わずもがなですし、ならばつまり、もう許して頂けると。
「ごめんねえ、庄子ちゃん」
「へ? な、何がですか?」
「実は今、こーいっちゃんがうちの旦那でうちの旦那がこーいっちゃんなの」
「へ? え?」
 そりゃあ一口で言われても何が何やらなのでしょう。話を理解できていれば僕か孝治さんに目が行くであろうところ、きょとんと見開かれたまんまるい目はしかし、椛さんから外れようとしないのでした。
「入れ替わってたのね、トイレ行った時に。先に戻ってきて庄子ちゃんとお喋りしてたそっちのにやけ面が、本当のあたしの旦那さん」
 それでも思考が一歩追いつかないのか、「えーと」と呟きながら一呼吸入れる庄子ちゃん。そしてその後、首が心配になるくらい非常に勢いよく、がばっと僕のほうを向きました。
「ええっ!?」
 特にどういった意味があるわけでもないだろうし、本人すら意識してそうしたわけではないんだろうけど、こっちを向いてくれてありがとう庄子ちゃん。孝治さんのほうを向かれてたら無意味に傷付いてたかもしれない。
「そっか、それで椛さんに『あなた』って言われてあんなに……うう、なんかごめんなさい、完全に騙されちゃいました。ちょくちょく会ってるのに」
 ああ、なんていい子なんだろうか。
「栞」
「ん?」
「僕は人生で初めて、浮気というものをするかもしれない」
「わーっ、ごめんなさいごめんなさい」
 無論、それは冗談ではあるのですが。
「え? 浮気? って日向さんまさか、本当に椛さんに!?」
 無論、それは庄子ちゃんの勘違いなわけですが。
 あと椛さん、嬉しそうに「あらま!」とか言ってないでですね。いくら旦那さんとそっくりだからって――いやしかし、好みの異性と同じ顔をした人間から好きだと言われたら、やっぱりちょっぴりくらいは嬉しかったりするものなんでしょうか?
「アホだろオマエ」
 どきり。
「あれ、違った?」
 あ、僕に言ったんじゃなかったのか。
 なんて油断していたところ、隣からこんな囁きが。
「孝さん、満更でもなさそうな顔してたよね?」
 どきり。
「今回は自業自得だから、あんまり言わないでおくけどね。私が主犯なんだし」
 正にその通りなのに、謝りたくなるのは何なんでしょうか。……無理ってことなんでしょうね、僕に浮気なんか。
 なんて、冗談話からそんなことを真面目に考えてみるっていうのも可笑しな話ではあるんですけどね。


コメントを投稿