(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第九章 言葉の壁 三

2007-12-08 21:06:06 | 新転地はお化け屋敷
「よし、じゃあもういいんだね? 始めるよ?」
 私室から居間を見渡し、大吾と成美さんが沈黙し、他の誰もがそれに倣っているのを確認すると、家守さんはやや固い口調で問い掛けた。すると大吾が申し訳無さげに、自信無さげに、そして元気も無さげに、
「……オレ、そっちで見させてもらっていいか?」
 ゆっくりと、家守さんの顔色を窺いながら尋ねた。しかしてその顔色は、
「いやー、そりゃちょっと厳しいかなぁ。なんて言うかさ、戻った直後はすっぽんぽんなんだよね。服着ながら人に戻るなんて器用な事、アタシを以ってしても無理だしさ」
 なんて言いながら、ヘラヘラしていた。駄目な理由を考えればそりゃそうだ。
「にゃにゃあーっ!」
 それを聞いて一番に反応したのは、他ならぬ成美さんだった。これまたそりゃそうだ。
 なんて言ってるかは分からないけど、怒ってるのだけはすぐ分かる。だって成美さんだし。
「あ、そ、そっか。そりゃ無理だな。悪い、言わなかった事にしてくれ。別になんだ、見ようとしたとかそういう事じゃねーからな?」
「まだ何も言ってないじゃん。あ~、だいちゃんったらやらしーんだ~」
「ち、違うっつってんだろ! いいからさっさと始めろ!」
「へいへ~い。いっしっしっし」
 そんな感じで大吾を軽く虐めると、家守さんはにこやかにふすまを閉めた。
 ――今度あれが開いたら、そこには今日の昼までの成美さんがいるんだろうか?


「にゃあ」(おい、家守)
「ん? 何?」
「にゃにゃあ?」(どうしてわたしは猫に戻ったのだ?)
「ああ、それ? なっちゃんが人間になった目的を達成したからだよ。命の恩人に礼を言う、だったよね。達成したでしょ?」
「んにゃあ」(ああ、確かにな)
「いやー、アタシが仕事行ってる間にそんなおいしいイベントがあったなんてねぇ」
「にゃあ?」(ではなぜ、元に戻る事を教えなかった? 一年前にわたしを人の姿にした日、あの日にでも言ってくれればよかったではないか)
「うーん、そしたらなっちゃん、絶対こう言ったと思うんだよね。『その後でまた人になることはできるか?』って。なっちゃん、ここのみんなと上手くやってたからさ」
「にゃ?」(それが何か問題なのか?)
「そしたらアタシは、『戻れるよ』って答えなきゃならないんだよね。真面目な話で嘘付くのって嫌いだし。……でもさ、そんな軽い事じゃないと思うんだよ。身体を変えたり戻したりって、そんな気軽な事じゃない筈でしょ?」
「にゃう……」(それはまあ、そうかもしれんが……)
「だからね、目的を達して元の姿に戻った後、それでもまだ人の姿でいたいんなら、その理由を真剣に考えて欲しかったんだよ。『どうせもう一回姿を変えられる』って最初から知ってたら、どうしても軽い気持ちになっちゃうと思うからさ」
「……にゃあ」(……そう、だな。否定はできん)
「それでなっちゃん。今度の『人間になりたい理由』は?」
「にゃっ」(ふん、言わなくても分かっているだろう)
「あはは、そりゃもちろん。……そんじゃもう一つ。それは軽い気持ちじゃない? 自分の姿を変えてしまうのに釣り合うくらい、なっちゃんにとって大事な事?」
「にゃあ」(当たり前だ)
「オッケー。そんじゃあ、ちょっと恥ずかしいだろうけどアタシ目ぇつぶっとくから。……行くよ?」
「――にゃあ」(――ちょっと待ってくれ、その前に……)


 やっぱりそんなにパッパッとは終わらないらしい。と言ってもまだ五分も経ってないけど、あぐらをかいてこの居間と私室を隔てているふすまを凝視する大吾を見ていると、こっちがそんなふうに思ってしまうのでした。
「何やらぼそぼそ聞こえてきてますが、お二人はあちらで何の話をしているんですかね?」
 清さんが、チューズデーさんの方を向く。それはもちろん、チューズデーさんの人間より遥かに良い聴力を頼ったものだったんだろう。
 しかし。
「さてね。耳が塞がれているから聞こえていないよ。わたしには」
「すいません、清サン」
 大吾のあぐらの上にちょこんと腰掛けたチューズデーさんは、自分から大吾に耳を塞ぐよう頼んでいたのでした。「わざわざ耳を塞いでもらうって事は、中の会話が聞こえたんじゃないだろうか」とも思ったけど、わざわざ耳を塞いでもらってまで話を聞かないでおこうとしてるんだから、清さんの質問には答えてくれなさそうだ。
「いえいえ、触れずにおくべき話なのなら無理に聞こうとも思いませんから」
 謝ってきた大吾に清さんがそう返したその時、居間と私室を隔てていたふすまがすらりと開かれた。現れたのはもちろん、家守さん。
「だいちゃん、なっちゃんがお呼びだよ」
「ん? オレ?」
 呼ばれるのはもちろん、大吾。
 終わったのだろうかと向こうを覗いてみたところ、ちらりと見えた成美さんは、まだ猫の姿のままだった。僕が気にしたところでどうなるんだっていう話だけど、一応目を離しておく。――と言うか、体が反射的にそう動いたのだった。


「ヤモリが来なかったらオレ、あいつの話が……」
「いいからいいから行っといで」
 なぜだか家守さんが居間へと乗り込み、それでいて大吾を私室へと追いやろうとするもんだから、成美さんと会話ができない大吾は困惑する。そりゃそうだ。
「おい、チューズデー」
「空気を読んだらどうだね大吾。ここはお前が一人で行くところだろう」
 もう一方の会話可能者にもあっさり同行を拒否されると、他にもうどうしようもない大吾は、狼狽しながらも諦めて私室へと入っていく。その背中は、無駄と分かっていても僕がついて行きたくなるくらいに、巨大な不安を背負っていた。
「ワウ……」
 心配だね、ジョン。


 背中を向けたまま大吾がふすまを閉め、再び居間と私室には壁ができあがる。
「うん、ふすまを閉めたのは正解だね。偉いぞだいちゃん」
 仁王立ちのままその壁を向き、腕を組んで満足そうににやつく家守さんは、本人とチューズデーさんを除いた居間メンバーから注目を集めていました。そうなれば当然、声も掛かるわけでして。
「楓さん、本当に大吾くんだけで行かせちゃっても大丈夫だったんですか?」
 栞さんが、思いっきり眉をひそめて追加確認をする。ひそめすぎて泣きそうにすら見えてしまう。
 が、それに向き合う家守さんは相も変わらず軽いノリ。
「だいじょぶだいじょぶ。話ができないのはなっちゃんだって分かってるし、その上でアタシに出て行くように言ったんだもん。なっちゃんの用事は喋る事じゃないからね」
 これだけ普通に話していれば、成美さんの耳には届いているのだろう。もしかしたら、大吾にも。
 しかしふすまの向こうから抗議の声が上がってくる事はなく、それゆえ、こちらの会話に支障は無く。――なら、訊いてもいいのかな?
「成美さんの用事って、なんなんですか?」
 実際に尋ねるかどうかは別として、今の家守さんの答えを聞けば、誰でも気になっただろう。だから僕は、素直に好奇心に従ってみた。
 その質問に家守さんはこちらを向き、「よっこらしょ」と中年のお父さんみたいな声を出しながら(ちなみに清さんは出さない)床に座り込む。が、あのその、スカートであぐらはちょっと、目のやり場がですね。……見てないですよ? だから栞さん、睨まないでくださいよ。見てませんって。
「ん? あぁあぁうっかりうっかり。いやー家に帰ると開放的で駄目だね。自分の部屋じゃないけどさ」
 そんな閑話休題もありつつ。
 正座の形に足を組み替えた家守さんは、
「簡単だよこーちゃん。だいちゃんにね、自分の姿を見て欲しかったんだよ」
 言われて思い出すのは、先程ちらりと窺った成美さんの姿。言うまでもなく、それは猫だった。……だけどそれは、明らかに老いを感じさせるような――酷い毛並みの、猫だった。大吾があんな事を言ってしまったのも頷ける。自分の好きな人があんな姿に――
 いや、いや、何言ってるんだ僕。「あんな」って何さ。酷過ぎるじゃないか。あれが成美さんの本当の――
「なっちゃんはここに来てすぐ人の姿になったから、みんなにとっては人の姿のほうがイメージ強いだろうけど―――やっぱり、本当の姿だしね」
「本当の姿、か」
 連呼されるその言葉に、胸を抉られる思いだった。だけど、言った本人達はもちろん僕のそんな思いなど知る由もない。知られたくないんだから文句を言うのは筋違いだけど。
 そしてその連呼した人物の内の一人、チューズデーさんは、ふんと鼻を鳴らしてから言葉を繋げてゆく。
「もうあいつの本当の姿は『人間』でいいと、わたしは思うのだがね。あいつがあいつらしく暮らすためには、人間の体は最早必要不可欠なのだから」
 僕は、猫だった時の成美さんを知らない。しかしそれでも、チューズデーさんのその理屈は、筋の通ったものだと思った。僕の知ってるいつもの成美さんは、あまりにも人間だったから。人間の住まいに一人で住んでて、買い物に行って、魚をきちんと捌いて食べて、食べる時には箸を使って、人間の男性と好き合ってて。
 猫である面影なんて、実体化した時の髪の形くらいのものだ。何も知らずにそれだけ見て、「ああ、この人猫なんだな」なんて考える程すっ飛んだ頭脳の持ち主でもない限りは、その人にとっての「成美さん」は完全に人間だろう。
「そういう考え方もあるかぁ」
 家守さん、僕と同じくその言い分に納得したらしく、物言いをつけてきたチューズデーさんへの反論はしなかった。――するとその代わりのように、今度は栞さんが。
「でもさ、どっちが本当とかじゃなくて、結局どっちも本当の成美ちゃんでしょ? ちょとその、偉そうな言い方になっちゃうかもだけど……今までの猫だったのも人だったのも全部合わせて、やっと『成美ちゃん』なんだと思うの。どっちが本当とか言っちゃうとさ、そうじゃないほうがいらないみたいで――栞は、ちょっとやだな」
 これもまた、なるほど確かにと思わせられる意見だった。
 ――恐らく僕は、ディベートには向いてないのだろう。全く違う意見であるにも拘らずそれぞれの意見を良しとし、しかもその内のどれ一つにおいても、批判点が見出せないのだから。要はそれぞれの話し手に上手く言い包められているわけで、怪しいセールスなんかには気をつけようと思わされました。
「いらないとまでは言わないが……ふむ。『一個人は、それまで全ての経験を合わせてやっと完成する』という訳か。――失礼なようだが栞君。君からこんな哲学的な話を聞く事になるとは思わなかったよ」
「あ~。酷いなチューズデー。こう見えてもしぃちゃん、頑張り屋さんなんだよ?」
「え、あの、たまたま思いついただけで、そんな別に失礼だなんて事は」
 失礼だとは言いつつも感心を隠さないチューズデーさんに、「キシシシ」と笑みを浮かべながらフォローを入れる家守さん。そして、照れた様子で手をぱたぱたさせている栞さん。
 ――そんな彼女達の遣り取りを、その遣り取りの開始からずっと無言で見守ってきた者達がいる。そう、僕と清さんとジョン、この男三人衆だ。まあ三人衆とは言っても、結束とかがあるわけじゃないですけどね。座り位置もバラバラだし。
 ――なんて思っていると、突然耳に風。
「喜坂さん、格好良いですねえ」
「のぉっ!?」
 急な事態に、驚いて半ば転ぶような形で後ろに後ずさると、そこにはいつもの眼鏡と糸目。いつの間にか隣に、しかも至近距離に座っていた清さんが、耳に口を近づけて囁いたのでした。
 ……なんで耳元で囁くんですか。普通に言ってくださいよ。
「ワウ?」
「どうしたの? 孝一くん」
 清さんが移動していた事に驚くのは誰もおらず、つまりは気付いてなかったのが僕だけだったって事だろう。僕が抜けてるだけなのか、それとも清さんが意図的にこちらの虚を突いたのかは別として。
「いえ、ボーっとしてたところに清さんが急に現れたもんで」
「ありゃこーちゃん、アタシらが真面目な話してる時に失礼なこったねぇ」
「いやぁ……」
 本当はボーっとしてるつもりなんてないんですけどね。
「それで、清さんは孝一くんに何の話だったんですか?」
 それが聞いてくださいよ栞さん、耳打ちだった割に普通なんですよ。ただ栞さんが格好良いってだけで。
 ――と清さんの代わりに答えようとしたけど、結局は清さんに先を越される。
「内緒です、んっふっふっふ。という訳で喜坂さん、チューズデーの耳を塞いでくれませんか? まだ話は続きますんで」
 え、そうなんですか?
「あ、はい」
「くくく、耳が良すぎるのも困り物だね」


 わざわざチューズデーさんの耳まで塞がせたのに「それでは、日向君。ちょっとだけ移動しましょうか」とベランダまで連れて行かれ、窓越しにみんなの視線をひしひしと感じる中、清さんとの内緒話が始まる。
 ベランダでは居間側と私室側が繋がっているので、大吾と成美さんの様子も気になるところだけど……それはまあ、人道的に考慮して保留としておこう。
「喜坂さんが先程、どうしてあのような考え方をしたか。思い当たる点はありませんか?」
 手擦りに肘を掛け、窓を挟んでもなお小声で、清さんが尋ねてくる。
「え? えっと」
 唐突だった。それゆえに、思い当たる点以前に「あのような考え方」を思い出すのに時間が掛かってしまう。えーと確か、それを聞いたチューズデーさんが纏めてたような……そうそう、「一個人は、それまで全ての経験を合わせてやっと完成する」だ。チューズデーさんも言ってたけど、こんな何かの研究テーマみたいな事をあの栞さんがねぇ。
 ……うーん、意外ではあるけど、なんでそう考えたかと言われても……
「思い付かないですねえ……」
「失礼ながら聞こえてしまったのですが、喜坂さんから昨日の夜、言われてましたよね?」
 昨日の夜、そして栞さんと言えば、あの話しかない。怒鳴り合って告白し合った――って、またこの話ですか。もう今日で何回目だろうか?
「どの話の事ですか?」
「昨日の夜の話」と一纏めにしても、話した内容はいろいろあるわけでして。そしてその中に、先程の栞さんの発言と結びつくようなものは……思い付けなかったのでした。
 実に歯痒い。これはヒントなのだろうに。
「喜坂さんがどうして日向君を拒もうとしたか、ですよ。……本当に申し訳無いのですが、マンデーが聞こえた事を嬉々として逐一報告してきたもので」
 ……マンデーさん、意外な一面。
「まあその話自体は、私もここに引っ越してきてすぐに家守さんから聞かされたのですがね」と付け加えながら、その笑顔にやや困ったような要素を含ませつつ、清さんは答えを教えてくれた。
 家守さんから聞かされた、という事は栞さん、清さんと仲良くなった時も泣いてしまったのだろうか? でも確か、清さんがここに住むようになる頃には慣れたって言ってたし……「気をつけてあげて欲しい」とか、そんな感じだったのかな? 家守さん的には。ああ見えて気の回せる人だからなあ。回して欲しくない気まで回しちゃうし――と、今重要なのはそこじゃなくて。
 その話が、「死んでから幸せになるのは変なんじゃないか」という話が、さっきの発言に繋がってるって事は……?
『一個人は、それまで全ての経験を合わせてやっと完成する』
 それは、つまり――
「んっふっふ、気付きましたか?」
「家守さんの言う通りでしたね」
 たまたま思いついただけとは言ってたけど。もしかしたら、この件と結び付けて考えたわけじゃなかったかもしれないけど――そうだとしても、関連はしているのだろう。
「頑張り屋さん、ですか? そうですねえ。んっふっふっふ」
 窓越しに栞さんを振り返り、清さんが笑う。同時に僕も、笑いはしないけど、栞さんへと目を向けた。するとその先で栞さんは、にこりと微笑んで首を傾ける。内心は「どうして自分が見られているんだろう?」とかそんな感じなんだろうけど、一応微笑み返しておいた。
 すると、家守さんが栞さんを肘で突付き始める。栞さんの膝の上にいたチューズデーさんも、やや俯いて肩を震わせる。少し離れたところに鎮座するジョンは、口を開けて舌をブラブラ、尻尾を振り振りさせていた。目の前の光景が楽しそうで仕方が無いらしい。
 声や音は一切伝わってこないけど、栞さんに申し訳ない事をしたのだけは伝わった。ので、手を合わせて謝るポーズをし、大人しく視線をベランダの外側へと戻した。
 目線を戻した事で意識も窓の向こうの喧騒から外れると、思考は再び「頑張り屋さんの栞さんについて」へと戻る。
 ――そう。栞さんは今、頑張っている。昨日の夜、「今が幸せな分だけ病院での記憶が辛くなる」と栞さんは言っていた。だけど、
「今までの猫だったのも人だったのも全部合わせて、やっと『成美ちゃん』なんだと思うの。どっちが本当とか言っちゃうとさ、そうじゃないほうがいらないみたいで」
 この言葉を栞さん自身に当て嵌めると、成美さんの「猫」と「人」は栞さんの「今」と「病院」に置き換えられ、つまり――――栞さんは、今から思えば辛いものでしかない病院での記憶を、自分の一部と見なそうとしている。生きていた頃の辛い生活も、死んでしまってからの楽しい生活も、その両方があるから今の本当の自分があるのだと。
「凄いなあ、栞さんは」
 それはあまりにも感嘆すべき内容だったので、隣に清さんがいることも忘れ、ついつい独り言のような声を出してしまう。が、もちろん隣には清さんがいて、今の声もその御耳に届く。
「そうさせているのは日向君ですよ。んっふっふ。なら、責任はちゃんと取りませんとねえ」
「いやー……あはは」
 冗談ぽく責めてくる清さんに、照れ笑いを返すしかない僕。
 ……なんだけど、清さんが言った事は別に間違ってはいない。僕が昨日、もし栞さんの「ごめんなさい」を受け入れてそれまで通りのただの隣人として付き合うことにしていたのなら、栞さんはこんなふうに頑張らなくても済んだ。そもそも昔の事を思い出してしまうのが、昨日の夜に僕の我侭が通ってしまったせいなのだから。
「喜坂さんが頑張る分、日向君はそれをちゃんと支えてあげてくださいね。責任を持って」
 最後の一言をやけに強調してくる清さんに、僕は再び照れ笑いを返す。でも内心では深く深く頷き、固く固く、決心した。頑張らせる事になってしまった責任は、きちんと持とうと。
「でも、あれですね。清さんのほうが早く気付いたのってどうなんでしょうね?」
 彼氏として悔しくもあり、悲しくもあり、情けなくもある。こういう事に一番に気付かなければならないのは、僕なんじゃないだろうか?
 しかし清さん、否定の意味を込めて、右手を軽く振る。表情はやっぱり変わらないけど。
「いえいえ。こんな事は年を取れば誰でもできてしまうものですよ。そして年を取ると、若い人にちょっかいを出したくなってしまいます。んっふっふ、厄介ですねえ年を取るというのは」
 言うと、清さんは部屋のほうへと振り返る。
「――さて。そんなちょっかいもそろそろ止めにして戻りますか」
 見れば、大吾が私室から出てきていた。迎える栞さんは、家守さんにヘッドロックされてたけど。……まだやってたんですか家守さん。


「清サン、孝一と外で何やってたんですか?」
「年寄りのお節介事ですよ。私の部屋で怒橋君にしてた話と同じようなものです。んっふっふっふ」
 窓をくぐる際にそんな遣り取りもしながら、再び閑散とした部屋の床に腰を落ち着ける男三人。
「じゃ、行ってくるねー」
 それと入れ替わるように家守さんが私室へと入り、ふすまは再び閉じられる。今度こそ、あれが開いたら成美さんは人の姿に戻っている事だろう。
「大吾は成美さんと何してたのさ?」
 同じような事を訊かれたので、訊き返す。ぶっちゃけ覗こうと思えばベランダ伝って覗けたんだけど、マナー違反だって事で自重はした。だけどやっぱり気にはなるし。
「別に何ってわけじゃあ――ないんだけどな」
 予想外にも大吾は、嫌がったり恥ずかしがったり怒ったりする事無く、さらりとその様子を話し始めた。
「ただアイツがオレの膝の上で黙ったまま丸くなってただけで……あっちにいる間はずっと、そのままだったな」
「ではそれがあいつにとってどういう意味の行動だったか、分かるかね? 大吾」
 ようやく耳を開放されたチューズデーさんが、栞さんの膝の上から学校の教師のような口調で問い掛ける。――なぜ「学校の教師のよう」だと思ったのかと問われれば、それはチューズデーさんがその答えを知っていて質問しているからだろう。もちろん、僕達も知っている。
『だいちゃんにね、自分の姿を見て欲しかったんだよ』
 家守さんがみんなの前でそう言ってたし。
 ――して、その当人はどう答えるのかな?
「意味って言われてもなぁ。…………やっぱ、オレがあんな事言っちまったから、なのかもな」
 惚けようとしたのか、それとも本当に最初は思いつかなかったのか。初めの一言はまるで他人事のようにしれっと言い放ったけど、やや間を置いての二言目は、苦笑を浮かべて自嘲気味に。
「あんな事って?」
「ワウ?」
 そんな大吾に、栞さんとジョンが首を傾げた。でも、僕と清さんはそれを知っている。


「じゃ、始めるよ。なっちゃん」
「にゃあ」(ああ。いつでも来い)
「分かってると思うけど、またヒトダマみたいなイレギュラーが出ちゃうかもしれないよ?」
「にゃう。……うぅ」(承知の上だ。……もしそうなっても、怒橋なら――)
「はいはい、今ここにいるアタシはだいちゃんじゃないからね。そういう言葉は本人のためにとっといてあげなさいな」
「にゃん」(ふん)
「強要するつもりじゃないけど――実体化は、残すつもりなのかな?」
「にゃ」(もちろんだ。本来の目的は達したとは言え、買い物はわたしの仕事だからな)
「あはは、そう言ってくれると嬉しいね。それじゃあ――――叶えましょう。あなたの願いを。あなたの望む、あなたのカタチを――」
「にゃあ……」(その台詞、毎回言うものだったのか……)
「いやいや、雰囲気雰囲気。突然やってはい終わり、じゃお客さんも驚いちゃうしさ」
「んにゃあ」(客商売とは、大変なものなのだな)
「ものなのですよー」


「そうだったんだ……」
「ワウゥ……」
 大吾が「猫に戻った成美さんを見て何を口走ってしまったか」を伝えると、すっかり感化されてしまって悲しそうな栞さんとジョン。
 ――と、
「くくっ! くっ、くくくくくく!」
 なぜか大爆笑直前のチューズデーさん。それを目の当たりにした大吾は、怒るどころかあっけに取られていました。
「な、何笑ってんだチューズデー? 病気か?」
 同意……なんだけど、さすがに失礼じゃないかなぁ。
「だ、駄目だよ笑っちゃあ。大吾くん、真剣に言ってるんだし……」
 どうやら栞さん、笑いはしないものの、チューズデーさんが笑っている理由には気付いているらしい。
「何なんだよ? おい、喜坂」
「あ、あのね、申し上げにくい事はやまやまなんだけど――成美ちゃんが部屋に閉じ篭っちゃったのはね、その、服を着てなくて恥ずかしかったからなの。だから今大吾くんが言ったような事は、成美ちゃん、全然気にしてなくて……って言うか、多分気付いてもいなくて……」
「あーっはっはっはっは! ふははぁっ、はーっはっはっはっはぁ!」
 大吾、絶句。そしてチューズデーさんの込み上げるようなくくく笑いが、ついに決壊。私室どころか下の階にまで響きそうなほどの大音量で、笑い声を撒き散らし始めた。
「ワウゥ?」
 大吾がね、とても可哀想なんだよ。ジョン。


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