(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第九章 言葉の壁 二

2007-12-03 21:01:36 | 新転地はお化け屋敷
「ふう……」
 付近にここの女性方が誰もいない事を僕と大吾から聞いた清さんが、はっきりと耳に届く程の大きな安堵の溜息をつく。安全確認は事前に行いましょうね、清さん。
 と、その時。どこからか、車のエンジン音が聞こえてきた。それは大吾が今、一番待ち望んでいる音だろう。けど、
「こんなに早いわけねーよなぁ。あー、早く帰ってこねーかなヤモリのやつ」
 実にその通りで、家守さんが帰ってくるにはまだ随分と明るい時間。
「一応メールでは『できるだけ早めに終わらせて帰る』と仰ってましたが、まあいくら何でもまだ気が早いですかねぇ」
 頭上から聞こえる駄目押しの言葉に、つんつん頭をくしゃりと抑えて腰を前へずらせる大吾。よっぽど家守さんの帰宅が待ち遠しいみたいだけど、でも。
「ねえ大吾」
「ん? なんだ?」
「家守さんが帰ってきて成美さんが元に戻ったら、最初に何する?」
「そりゃオメー……」
 どう答えてくるかは察しがつくし、大吾も迷い無く頭に回答が思い浮かんだらしい。が、言葉はなかなか出て来ない。やはり、いざ口にするとなると恥ずかしいのだろうか。
 ――しかしどうやらそうではないらしく、照れると言うよりは疑問でも浮かんだように腕を組んで顔を伏せる。
「どうかしましたか? 怒橋君」
 こちらが見えているのかいないのか、とにかく大吾が中途半端に喋りを止めたので、窓の向こうから清さんが声を掛けた。
「ああいえ、清サンがさっき言ってた頬はたいてもらえってやつなんですけど――届かないんですよね、成美は。抱え上げてから『殴れ』っつうのも妙な感じだし」
 確かに。――じゃなくてさ、頬をはたかれるっていうのは例の一つに過ぎないんじゃあ?
「んふふ、別に頬である必要は無いんですよ? そうですね、哀沢さんでしたらスネ蹴りなど、いかがでしょうか?」
 ですよねー。
「おぉ……」
 清さんからの新提案に、スネへとそっと手を当てながら呻き声を上げる大吾。
 しかし、だ。その際に大吾が成美さんへと向けるであろう「オレの頬をはたけ」と「オレのスネを蹴れ」という台詞。比べてみると、後者が何やら変態的なかほりを醸し出している気がするのは思い過ごしだろうか?
 敢えて仲間やら友達やらに殴ってもらうっていうシチュエーションはテレビや漫画でたまに見るけど、スネを蹴られるっていうのは絵的にちょっとなあ。地味だし、その割には痛いし。ギャグシーンだよね、スネ蹴られて悶えるっていうのは。
「僕は抱え上げてでも、ビンタのほうがいいと思うんだけど」
「そ、そうか? ……うん、オレもなんとなくそう思ったとこだ」
 大吾はやや引きつり気味に頷く。本当にそう思ったのか、それともただ単にスネ蹴りが嫌だったのかはいいとして。
「そうですか? んっふっふっふ、ではそういう事で。楽しみにしていますよ、怒橋君」
「なんですか清サン、楽しみって」
「冗談ですよ。んっふっふっふっふっふ」
 清さんもなかなか人が悪い。―――楽しみですねえ。ふっふっふっふ。


「ねえ、成美ちゃん」
「にゃ?」
「楓さんが帰ってきて元に戻してもらったらさ、最初に何する? 大吾くん、心配してると思うんだけど」
「にゃあ」
「『わざわざ怒橋の事を付け加えてくるのは、作為的なものを感じるぞ』――だそうだ。でもまあ、栞君が言うまでもなく、最初に何かすると言えば大吾に対してだろう?」
「だよね~。で、どうかな成美ちゃん」
「……にゃう」
「『そんなもの、あちらの出方とその時のわたしの気分次第だ』――だそうだ。ふむ、答えとしては物足りないが、確かにそうだろうね。相手が相手だ、どんな突飛な行動に出るか分かったものじゃないからね」
「あはは、酷いねチューズデー。分かる気もするけどさ」
「にゃああ!」
「怒るな怒るな。決して冗談ではないが、わたし達を怒るくらいならそんな男に惚れた自分を怒れ」
「うにゃあぁ……」


 さてさて、時計が無いので正確には分かりませんが、それから十数分程経ったでしょうか。いつまでも人様の部屋の玄関先に居座っていても仕方が無いという事で、結局清さんの部屋に上がらせてもらいました。お尻が痛いです。
「これくらいしかお出しできませんが、どうぞごゆっくり」
『ありがとうございます』
「と言っても、怒橋君は前からここにいたんですけどね」
 どうせ家守さんが帰ってくるまで事態が進展しないなら慌てても仕方が無いので、男三人、テーブル囲んで麦茶で一服。ほう。
「なあ孝一、喜坂とはどうなんだよ?」
 ……無視して一服し続けようかとも思ったけど、外で散々成美さんについて弄り回した事を考えると気が引けた。――でもさあ、
「どうって、昨日の夜の遣り取り、聞いてたんでしょ? どうもこうもないよ」
 それって普通、女の人と付き合ってるか付き合ってないかあやふやな人に向けるべき質問じゃない?
「いやほら、今日二人でどっか行ってただろ? なんでかチューズデーまで一緒だったみてーだけど」
 なんででしょうね。まあそれはそれで楽しかったからいいですけど。
 本日のデートにおけるチューズデーさんの活躍――主にクロとの交流を思い出していると、大吾がちびりと麦茶を一口。
「……オレさ、デート? とかそういうの、よく分かんなくてよ。何をどうすりゃいいのか……」
 ほほう。なるほどつまり、この僕に教えを乞いたいと。成美さんに喜んで欲しいと、陰ながらの努力というわけですな? いや、大吾の事だから陰どころか大っぴらに「孝一から聞いたんだけどよ」とか言いだしちゃいそうですが。
 でも残念。
「僕だってよく分かってないよ? 大体、今日遊びに行こうって誘ったのは栞さんからだし、行き先決めたのも栞さんだし」
 その出かけた先で「何をどうすればデートになるんだろう?」という栞さんの質問に答えたりもしましたが、正直あれが正解とは思えないし。「二人きりでかつ楽しければなんでもいい」じゃあねえ。
「そっか」
 少しばかり中身の減ったコップを、ことんと音を立てて元に戻すと、大吾は抑揚の無い口調で一言、そう漏らした。特に何の感動も見せない辺り、あまり期待はされてなかったらしい。
「んっふっふっふ、体がむず痒くなるようなお悩みですねえ。いいですねえいいですねえ」
 そう言う清さんは、実際に軽く身をよじらせた。失礼ながら、やや気持ち悪いですその動き。まあそうさせたのはこちらの責任なんですけど。
 やっぱり、結婚して子どもまでいる人から見たら青臭い話なんでしょうかねぇ。――というわけで。
「清さんはどうしてたんですか? 奥さんとまだ彼氏彼女な関係だった頃とかは」
 訊いてみれば、丁度お茶を煽いでいた大吾も、姿勢を正して清さんへ期待の眼差しを向ける。それを確認すると、僕も同じく。
「私ですか? んー、そうですねえ」
 今僕達がいる地点を通過済みの方のお話となると否が応にも期待は高まり、話の前に麦茶を一口する清さんの動きを、模写でもするのかとでも言わんばかりに凝視する。もちろん、動きを見たって意味など無いですが。
「特別な事はあまり。映画を見たり、遊園地に行ったり、買い物に行ったり、ですね。まあ、たまーにお酒を飲んで嵌めを外すような事もありましたが」
「は、嵌めを外すって、つまりはその……」
 大吾がうろたえながら質問するも、それに対する清さんの返事は「んっふっふっふ」という、いつもの笑いのみだった。
 そして返事を返し終わると、
「普通でいいんですよ怒橋君。どうせこういった事に絶対的な正解などありはしないんですから。デートだって、したい時に行きたい所へ行けばいいんです。あんまり『どこへ行こうか、何をしようか』なぁんて考え詰めてしまうと、かえってスカっちゃったりしますからねえ。んっふっふっふ」
「そういうモンなんですか?」
「例えばですよ? 怒橋君が『綺麗な夜景だろ?』とか言ったとして、哀沢さんはどういう反応をしてくると思いますか?」
「キモがられること間違い無しですね」
 自分自身の事なのに、迷いもなく即答する大吾。言ってて悲しくないのだろうか。間違っては無いと思うけどさ。
「でしょう。それに加えて、得てしてそういった場所は人が多いものです。調べて見つかるような情報が元なのですからね。哀沢さんは、どちらかと言えば賑やかな場所より静かな場所のほうが好きなようですし。――まあ私から見てのイメージなので、間違っているかもしれませんが」
「なるほど……」
 清さんが最後に付け加えた注釈は気にも留めずに本気で納得しているらしく、腕を組んで俯く大吾。落とした視線の先にある麦茶など、意識内にはひとっかけらも入ってないだろう。
 話がそういう方向に進むと、どうしても頭に浮かんでしまうのは栞さん。今の話と同じように考えた場合、栞さんは――逆に、賑やかな所が好きそうだなあ。今日だって遊びまわる子どもを見て楽しそうだったし。それが子どもじゃなかったら……どうかは、分からないけど。


「『午後から姿が見えなかったが、お前達どこへ行っていたんだ?』――だそうだ」
「あぁ。あのね、孝一くんとチューズデーと三人で、三角公園に遊びに行ってたの。桜も綺麗だったし、小さい子どももいっぱいいて可愛かったし、面白かったよ~」
「にゃあ?」
「『それはもしかしてデートか?』――だそうだ。ふむ、それを言われると辛いね。無理について行った身としては」
「そんな事ないよチューズデー。おかげでクロちゃんの話も分かったし――あ、そうそう。クロちゃんだよ成美ちゃん。公園でね、今日ここにも来てたクロちゃんに会ったの。デートは………うん、ちゃんとデートもしたよ。チューズデーに気を遣ってもらってね」
「まあ、孝一君の顔を立てる意味でもな。暫らく二人きりにしておいたのだよ」
「にゃあ……」
「くくくく、羨ましそうだね哀沢。遠慮せずに誘ってみればいいではないか。今更そんな事でお前をどうこう思ったりはしないさ、あいつもな」
「そうだよ成美ちゃん。したいと思ってるのに言わないのはもったいないよ」
「にゃにゃあぁ……」
「どこへ行けばいいか分からない? そこまでは面倒見切れんよ。わたしは人間のデートの事情なぞ知らないからね」
「……今日孝一くんにね、同じような質問したの。そしたら、二人きりで楽しかったらそれはもうデートなんだって。だからさ、別にどこにも行かなくても、この部屋で大吾くんとお喋りするとかでもいいんじゃないかな。だって成美ちゃん、いつも大吾くんといるだけで楽しそうだもん」


 それからも人生の先輩である清さんを中心に、男だけの秘密の会議はとりとめもなく進行。時には奥さんとの思い出にふけるあまり暴走し始める清さんをなだめたりしつつ、あれよあれよと時間は進む。
 すると、大吾が急に窓の方向を向く。釣られて同じく窓を見てみれば、いつの間にやら日は落ちていた。次いで壁に掛かった時計を見てみれば、もう六時。
 いやあ、ぶっちゃけトークって時間を忘れちゃうなあ。――と、そんな事より、
「……車の音、するよな」
 本題はこちら。確かに聞こえる車の音。しかもそれは、軽乗用車っぽい高めのエンジン音。
「やっと帰ってきたかな? 家守さん」
「だといいですねえ。んっふっふっふ、いろいろと楽しみですよ」
「うぬう……帰ってきて欲しいよーなそうでないよーな……」
 清さんの期待に応えるのが辛そうな大吾ではありましたが、それは今やってきた車が家守さんであろうがなかろうが、時間の問題なのです。だから大吾、覚悟はしっかりと決めておいたほうが良いと思うよ?


「おおっ? どしたのこんな、男だけで集まっちゃって」
 件の車に乗っていた人物さんは、自分の部屋へ入るより先に清さんの部屋のインターホンを鳴らし、ドアが開いてみれば玄関に集まっていた僕達三人を見て、そう言った。
 件の車に乗っていた人物さんは、いつもと違ってスーツ姿。黒くて長い髪は根元をゴムで括られ、細長い束になっている。この人のこの姿は、朝の出発が早いのと、お料理教室には普段着に着替えてから来ている事もあって、なかなかお目にかからないけど――
 いやあ、新鮮ですねえ。スーツとは言え、この人のスカート姿なんて。
「お帰りなさい、家守さん」
「んっふっふっふ、悩める若者に年寄りがお説教ですよ」
「そ、それでよヤモリ、成美は……」
「だいじょぶだいじょぶ、あっという間に終わっちゃうから。で、そのなっちゃんは上にいるのかな? 明かり付いてるの、こことなっちゃんの部屋だけだったし」
 男三人組、揃って首を縦に振る。
 ――そっか、女性陣は女性陣で、ずっと成美さんの部屋に集まってたのか。


 荷物は車の中に置いてきたのか、それとも始めから荷物など持って行ってないのか。スーツの割に手ぶらな家守さんは、結局自分の部屋に戻る事無く、清さんの部屋から直接成美さんの部屋へ向かう。
 もちろん僕達もついて行く。一人は猫姿に驚いてしまったという失態を清算するため。二人は冷やかし半分に見学へ。問題発覚直後の本気で深刻だった雰囲気が嘘のようだ。大吾に凄まれたところとか。
 ――それを思うとしかし、おちゃらけた気分の排斥を試みる僕なのであった。
 先頭を歩く家守さんが階段を上って一つめの部屋のインターホンを押すと、壁の向こうから微かにその音が響いてくる。と、その直後、「はーい」とやんわりした声が返ってきた。
「あ、楓さん。おかえりなさい」
 ドアが開かれると、現れたのは栞さん。
「ただいま、しぃちゃん。早速だけど上がらせてもらっていいかな?」
「はい、どうぞどうぞ。成美ちゃんがずっとお待ちかねでしたよ」
「いひひ、だろうねえ。じゃ、お邪魔しまーす」
 遺憾ながらもよく見かける嫌らしい笑みを浮かべながら、家守さんが室内に進入する。それに続いて僕達も――
「あ、ちょっと待って」
 と思ったら、栞さんにストップを掛けられた。「なんだよ?」と、三人の先頭である大吾が訊き返すと、
「あのね、成美ちゃん、あんまり見られたくないみたいだから……ちょっと待っててね、奥の部屋に行ってもらってくるから」
 ああ、そりゃそうか。そもそもが大吾を振り払って部屋に閉じ篭っちゃってるんだし。
「ああ……分かった。頼む」
 やや気落ちした様子で大吾が栞さんを送り出すと、「大丈夫だよ、大吾くん」とだけ残し、栞さんはドアを開けたまま引っ込んでしまった。
「『大丈夫』という事は、喜坂さんは哀沢さんから詳しい話を聞いたようですねえ」
「って事はさ、成美さん、それほど気にしてもないんじゃないの? なんせ『大丈夫』なんだし」
「でもよ……見られたくないっつってわざわざ部屋変える程なんだぞ? それに、もしアイツが許してくれても、オレは――」
 俯いた大吾が何か言いかけると、清さんがその肩へと手を掛ける。
「清サン……」
「んっふっふっふ」
 大吾は顔を上げて清さんと見詰め合い、そして決意の眼差しをドアが開いたままの102号室入口へと向けた。――丁度その時、
「お待たせー。もう入ってもオッケーだよ」
 猫を少し移動させるのにさほど時間が掛かる筈もなく、再び栞さん登場。
「おう。そんじゃ、上がらせてもらうな」
 やたらにきりりとした男前な表情の大吾は、さながら戦に望むもののふのようであった。もしこの場に絵が上手い人がいたら、是非にも今の彼を劇画調で描いてみて頂きたい。――って、ああ。清さんがいるか。
「お邪魔します。……どうしました? 日向君」
 もちろん、本気でそんな事を頼む筈もなく。
「ああ、いえいえ。――お邪魔します」
 下らない妄言は捨て置き、清さんに続いていざ、成美さんの部屋へ。
 すると、靴を脱ごうと立ち止まり、入口に並んだ他の人の靴を見下ろした清さんは、
「そう言えば、ジョンだけ来てない事になりますねえ。可哀想ですから呼びに行きますか」
 そう言うと、いつもの笑い声を口の中で響かせながら、靴を脱がないままくるりと振り返る。すると後ろにいた僕と向き合う形になるわけですが、狭い玄関口では邪魔になるので一歩後退。
「あ、清サン、それならオレが」
 するとどうやらジョン云々が耳に届いたらしく、動物係くんが居間の方から顔を覗かせる。呼ばれてその顔へと振り返った清さんは、一言。
「ここにいてあげてください」
 主語も目的語も無いその一言を残し、大吾の返事を待たずに部屋を出、かつんかつんと階段を降りていってしまった。と言ってもまあ、大吾のほうは返事どころかぐうの音も出ないみたいでしたけどね。
「――見られたくないって言ってても、やっぱり大吾くんがいたら嬉しいんじゃないかな? 成美ちゃんは」
 僕と清さんを迎えようと玄関に立ったままだった栞さんが、清さんの言葉に続く形で大吾に問い掛けた。殆ど答えが決まってしまってる問いだけど。
「あんまり恥ずい事訊いてくんなよ……答え辛えだろが……」
 男同士でずっとそんな感じの話、してたのにね。


 さて。ややバツの悪そうな大吾と、そんな大吾を見てニコニコ嬉しそうな栞さんとともに、居間へ到着。相変わらずスッカラカンな部屋にみんなして座り込むと、
「やあ。お久しぶりだね、孝一君」
 同じくそこに座っていたのは、そんなに久しぶりってわけでもないチューズデーさんだけだった。となると、家守さんは成美さんと一緒に私室のほうかな? ふすまは開いてるけど――
「覗いちゃ駄目だよ、孝一くん。大吾くんは――まあいい、のかな?」
 一応分かってますよ、栞さん。
「いいわけねーだろ。アイツが閉じ篭ってんのはオレのせいなんだからよ」
 苛立つようにそう言う大吾に、女性お二方はきょとんと目を丸くする。チューズデーさんは元々丸いけど。
 そしてそのまま二人が視線を合わせると、先に閃いたのはチューズデーさんだった。
「ああ、そうか。つまりは哀沢が猫に戻った時、大吾が一緒にいたのか。それで哀沢の奴、あんなに――」
 成美さんからどんな「あんなに」を見せられたのか、開いたふすまのほうをまじまじと見詰める。栞さんもそれに倣って私室のほうへと目をやる。
「そっか、実際に見られちゃったのかあ………それはちょっと可哀想だなあ」
 もちろん開けっ放しでも成美さんから文句が来ないって事は、ここから覗けない位置にいるんだろうけど。
「……おい、成美のヤツ、何か言ってたのか?」
 座ったまま栞さんに擦り寄り、小声で尋ねる大吾。そりゃまあ、やっぱり気になるよね。
「にゃあ」
 ――ふすまの向こうから、猫の鳴き声がした。直後、チューズデーさんがその撫で肩を震わせる。
「くくくく。大吾、猫の聴力を忘れてはいかんな。この距離でその程度の音量なら、小声にする意味は全く無いぞ?」
 という事は、こちらの言葉の意味は分かっているという事だろうか。だとするなら、大吾が言ってしまったあの台詞も――
「成美……」
 チューズデーさんの冷やかしなどどこ吹く風か、ふすまのほうへ目をやり、その奥にいる人の名を弱々しく口にする。
 すると、その声もやはり聞こえたらしい。
「にゃあ……」
 ふすまの陰からひょこりと現れたのは、現在の成美さんの顔だった。クロと同じく、そして普段の成美さんと同じく、その毛は白い。そして、ところどころで跳ねていた。髭はどことなく張りが無く、よく言われるレーダーの役目は充分に果たせなさそうだった。
 もちろん、現在の身長に合わせてその顔の位置は低い。
「おっ。なっちゃん、出れそう?」
 その声とともに現れたのは、成美さんと一緒に私室にいたスーツ姿の家守さん。腰に手をあて、その腰を直角に曲げて、成美さんの真上から声を掛ける。
 が、成美さんは無言で首を横に振り、顔を引っ込めてしまった。
「そっか。……じゃあせーさんがジョンと戻ってきたら、もう始めちゃおっか」
 家守さんの顔は笑っていたけど――寂しそうだった。なんとなく。


「お邪魔します」
「ワフッ」
 それからさほど時間も経たないうちに、清さんとジョンがやってきた。僕達の時と同じく栞さんがそれを出迎え、これでここの住人が全員、201号室に集合した事になる。
 またしてもふすまの陰からこちらを覗き込んでいる成美さんに気付くと、ジョンはお座りの姿勢のまま尻尾を左右に降り始め、息遣いを荒くし始めた。どうやらかなり興味があるらしく、今にも飛びつきそうな勢いだ。……しかし。
「にゃあ……」
 成美さんがそんなジョンに弱々しく声を掛けると、ジョンの尻尾と息遣いは、急速に勢いを失っていった。そのまま五秒もしないうちにぴたりと動きを止めたジョンの頭を、隣に座っていた清さんが優しく撫でる。
「優しいですね。偉いですよ、ジョン」
「クゥ~ン……」
 もちろん、犬であるジョンに猫である成美さんの言葉は届いていないだろう。そもそもあの猫が成美さんだと気付いていない可能性だって充分にある。それでもジョンは、こっちが驚くぐらいにお利口さんだから――「あの猫は今、感傷的になっているのだ」と、その声から判断したのだろう。
「さてさて、これからなっちゃんをまた人の姿にするわけだけどー」
 私室から居間へと、ふすまの敷居を挟んで家守さんが全員に話し掛ける。成美さんとジョンが作り出した寂しげな雰囲気にそぐわない、いつもの明るい口調で。
「その前に何か、言っときたい事とかあるかな? 特にだいちゃん」
「オレか? ……まあ、そりゃそーか」
 半分指名されたようなものの大吾は、自分を指差してから恥ずかしそうに頭を掻く。しかしこの場の誰も、そんな大吾を冷やかさなかった。いつもなら誰かしらが「当たり前だ」とか一言掛けそうなものだったけど。
「じゃあ……えー、こっちの声は伝わってるんだよな?」
 家守さんがこくりと頷くと、大吾は成美さんを見詰める。そして、
「……成美、悪かった」
「にゃあ?」
 頭を下げる大吾に、首を傾げる成美さん。猫のその仕草が人のそれと共通であるならば、「何を謝っているんだ?」とでもいったところだろうか。
「『何がだ?』だってさ。どしたのだいちゃん?」
 今回成美さんの言葉を訳したのは、チューズデーさんではなく家守さんだった。そう言えば確か、「それが幽霊ならば、動物の声も聞こえる」んだったっけ。ここの動物さん達はみんな日本語喋ってるから、あまり気にならなかったけど。
「いや、詳しい事は――今は、勘弁してくれ。みんないるしよ。でもホント、悪かった。それだけ言っとく」
「にゃ、にゃあ」
 僕と清さんは、大吾が何を謝っているのか知っている。成美さんがもしその事を気にしているのなら、栞さんとチューズデーさんにその事を話したかもしれない。しかし、それでもやっぱり、自分の失態をこの状況で発表するのは心的に厳しいのだろう。
 それは普通そうなるだろうし、責めるような事でもない。だから僕は、追及するような真似はしないでおいた。他のみんなも、小さく笑うチューズデーさんでさえも、それは同じらしかった。


2 コメント

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おおうっ ()
2007-12-04 21:54:51
今頃登場人物の苗字に「喜怒哀楽」が入っていることに気付きました。
なるほろー。
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Unknown (代表取り締まられ役)
2007-12-05 21:52:41
気付いていただいて、ありがとうございます。
菜は体を現す。って事で、当初は哀沢さん、もっと暗いキャラの予定だってんですよ。何かにつけて塞ぎ込んで、隅でぶつぶつ言ってるような。
……でも、無理でした。難しいです私には。いやあそのまま暗いキャラって事で見切り発車しなくてよかった。

って事でまあ今みたいになってるわけですが――哀沢さん、哀しんでますか? 哀しんでくださいよ。哀しんでるかもしれないですけど。

他の三人もちゃんと名が体を現せてるかどうか不安ですが、まあ、いいでしょう。これはこれで。多分。恐らく。
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